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2022/04/22

「南方隨筆」版 南方熊楠「今昔物語の硏究」 一~(2) / 卷第四 天竺人於海中値惡龍人依比丘敎免害語第十三(注の最後で特殊な処理を施した参考文を挿入)

 

[やぶちゃん注:本電子化の方針は「一~(1)」を参照されたい。熊楠が採り上げた当該話はこちらで電子化訳注してあるので、まず、それを読まれたい。]

 

〇物語集卷四天竺人於海中惡龍人依比丘敎免ㇾ害語第十三《天竺の人、海中にて惡龍(あくりう)に値(あ)へる人、比丘の敎へにより、害を免れる語(こと)第十三》は三國傳記に出た同話異文を芳賀博士は引て居るが、此話の根本を擧て居らぬ。其根本話は、比丘道略集羅什譯、衆經撰雜譬喩經下に、昔有屠兒、欲供養道人、以其惡故、而無往者、後見一新學沙門威儀詳序、請歸飯食種種餚饍、食訖還請此道人、願終身在我家食、道人卽便受ㇾ之、玩習既久、切見其前殺生、不敢呵一ㇾ之、積有年歲、後屠兒父死、作河中鬼、以ㇾ刀割ㇾ身、卽復還、復道人渡ㇾ河、鬼捉ㇾ船曰、沒此道人河中、乃可ㇾ得ㇾ去、船人怖曰、鬼言、吾家昔日供養此道人、積年不ㇾ呵我殺生、今受此殃、恚故欲耳、船人曰、殺生尙受此殃、況乎道人、鬼曰、我知ㇾ爾、恚故耳、若能爲ㇾ我布施、作ㇾ福呼ㇾ名呪願、我便相放、船人盡許爲作ㇾ福、鬼便放之、道人卽爲ㇾ鬼作ㇾ會、呼ㇾ名呪願、餘人次復爲作ㇾ會、詣河中、呼ㇾ鬼曰、卿得ㇾ福未、鬼曰卽得、無復苦痛、船人曰、明日當爲卿作一ㇾ福、得自來不、鬼曰得耳、鬼旦化作婆羅門像來、手自供養、自受呪願、上座爲說經、鬼卽得須陀洹道、歡喜而去、是以主客之宜、理有諫正、雖ㇾ墮惡道、故有善緣、可ㇾ謂善知識者是大因緣也《昔、屠兒(とじ)[やぶちゃん注:家畜などの獣類を殺すことを生業(なりわい)とした人。ひどく差別されたことはご存知の通り。以下の「惡なるを……」以下はその殺生の故である。]、有り、道人を供養せん[やぶちゃん注:自身の殺生の業(ごう)を供養して貰うために僧に布施をしたいと思ったのである。]と欲す。その惡なるを以つての故に、往(おもむ)く者、無し。後(のち)、一(ひとり)の新學の沙門の、威儀、詳序(しやうじよ)なる[やぶちゃん注:述べ語る内容が非常に詳しかったのを。]を見て、請ひ歸りて、種種の餚饍(かうぜん)[やぶちゃん注:豪華な料理。御馳走。]を飯-食(く)はせしめ、食ひ訖(をは)りて還(ま)た、此の道人に請ひて、「願はくは、終身、我が家に在りて食せんことを。」と。道人、卽ち、之れを受く。玩-習(なれしたし)むこと、既に久しくして、切(しき)りに、其の前に在りて殺生せるを見るも、敢へて之れを呵(せ)めず。積もりて、年歲(ねんさい)、有り。後、屠兒の父、死し、河(かは)の中の鬼(き)となり、刀を以つて、身を割き、乃(すなは)ち、復た、還る。後、道人、河を渡るに、鬼、船を捉へて曰はく、「此の道人を沒して、河中に著(お)かば、乃(すなは)ち去るを得べし。」と。船人(ふなびと)、怖れ、白(まう)す[やぶちゃん注:その訳を尋ねたの意であろう。]。鬼の言(いは)く、「吾が家(いへ)、昔日、此の道人を供養す。積年、吾が殺生を呵めず、今、此の殃(わざは)ひを受く。恚(うら)むが故に殺すのみ。」と。船人曰はく、「殺生すら、尙ほ、此の殃ひを受く、況んや、道人をや。」と。鬼曰はく、「我れ、爾(こ)れ[やぶちゃん注:その僧がこの船に乗っていることであろう。]を知るは、恚むが故のみ。若(も)し、能く我が爲めに布施して、福を作(な)し、名を呼びて、呪願(じゆぐわん)せば、我れ、便(すなは)ち、相ひ放(ゆる)さん。」と。船人、盡(ことごと)く、爲めに、福を作さんことを許(ききとど)けり。鬼、便ち、之れを放つ[やぶちゃん注:船が普通に航行出来るように放した。]。道人、卽ち、鬼の爲めに會(ゑ)を作(な)し、名を呼びて、呪願す。餘人[やぶちゃん注:同船している他の乗客。]も、次に、復た、爲めに會を作し、河中に詣(まゐ)り、鬼を呼びて曰はく、「卿(けい)[やぶちゃん注:尊敬の二人称。]、福を得しや、未だしや。」と。鬼曰はく、「卽ち、得たり、復た、苦痛、無し。」と。船人曰はく、「明日、當に卿のた爲めに福を作すべし。自(みづか)ら來たるを、得るや不(いな)や。」と。鬼曰く、「得(う)。」と。鬼、旦(あした)に化(け)して、婆羅門の像(すがた)と作(な)りて、來たり、手ずから、供養し、自ら、呪願を受く。上座[やぶちゃん注:高位の僧。ここはかの僧侶を指す。]、爲めに、說經す。鬼、卽ち、須陀洹道(しゆだをんだう)[やぶちゃん注:サンスクリット語の「流れに従って与かる者」の意の「スローターパンナ」の漢音写。煩悩を脱して聖者の境地に入った位を得ることを言う。四果(しか)の第一。]を得、歡喜して去る。是(ここ)を以つて主・客の宜(よしみ)には、理(ことわり)として諫正すること有るべきなり。惡道に墮(お)つと雖も、故(もと)は、善緣、有り。善知識と謂ふべき者は、是れ、大因緣なり。》、次に、昔有賈客、入ㇾ海採ㇾ寶、逢大龍神、擧ㇾ船欲ㇾ飜、諸人恐怖、龍曰、汝等頗遊行彼國不、報言、曾行過ㇾ之、龍與一大卵、如五升瓶、汝持此卵、埋彼國市中大樹下、若不ㇾ爾者、後當ㇾ殺ㇾ汝、其人許ㇾ之、後過彼國、埋ㇾ卵著市中大樹下、從ㇾ是以後、國多災疾疫氣、國王召道術占ㇾ之、云有蟒卵國中、故令ㇾ有災疫、輒推掘燒ㇾ之、病悉除愈、賈客人後入ㇾ海、故見龍神、重問事狀、賈人曰、昔如神敎、埋卵市中、國中多有疾疫。王召梵志占ㇾ之、推得焚燒、病者悉除、神曰、恨不ㇾ殺奴輩、船人問、神何故乃爾也、神曰、卿曾聞某國有健兒某甲不、曰、聞ㇾ之、已終亡矣、神曰、我是也、我平存時、喜陵擽國中人民、初無呵我、但奬ㇾ我、使我墮蟒蛇中、悉欲ㇾ盡ㇾ殺ㇾ之耳、是以人當相諫從ㇾ善相順。莫自恃勢力、陵擽於人一、坐招其患、三惡道苦、但可ㇾ聞ㇾ聲、不ㇾ可形處《昔、賈客(こきやく)[やぶちゃん注:商人。]有り、海に入りて寶を採る。大龍神の、船を擧げて、飜(くつが)へさんと欲(す)るに逢ふ。諸人、恐怖す。龍曰はく、「汝ら、頗る彼(か)の國に遊行するや不(いな)や。」と。報(こた)へて曰はく、「曾つて行き、之れを過(よ)ぎるなり。」と。龍、一つの大きなる卵(たまご)の、五升瓶のごときを與へ、「汝、此の卵を持ちて、彼の國の市中(いちなか)の大樹の下に埋(うづ)めよ。若(も)し爾(しか)せずんば、後に汝を殺すべし。」と。其の人、之れを許す。後、彼の國を過ぎり、卵を埋むるに、市中の大樹下に著(お)けり。是れより以後、國に、災ひ・疫疾(えやみ)の氣(き)、多し。國王、道術を召して、之れを占ふ。云はく、「蟒(うわばみ)の卵、國の中に在り、故に災ひ・疫(えやみ)を有らしむ。」と。輒(すなは)ち、推(たづ)ねて、掘り、之れを燒くに、病ひ、悉く、除かれ、愈(い)えたり。賈客の人、後(のち)、海に入りて、故(ことさら)に龍神に見(まみ)ゆ。重ねて事狀(じじやう)を問ふ。賈人曰はく、「昔、神の敎へしごとく、卵を市中に埋むるに、國中、多く、疾疫あり。王、梵志(ぼんじ)[やぶちゃん注:「ぼんし」とも。バラモン教の僧を指す語。]を召して、之れを占ひ、推(たづ)ねて、焚-燒(やきはら)ひ、病む者、悉(ことごと)く除(い)ゆ。」と。神曰く、「恨むらくは、奴輩(やつばら)を殺さざるを。」と。船人、問ふ、「神は何故に、乃(すなは)ち爾(しか)するや。」と。神曰はく、「卿(けい)、曾つて、某國に健兒の某-甲(なにがし)の有りを聞けるや不(いな)や。」と。曰はく、「之れを聞けど、已に終-亡(なくな)れり。」と。神曰はく、「我れは、是れなり。我れ、平-存(いきてあ)りし時、喜(この)みて、國中(くにぢゆう)の人民を陵-擽(ふみにじ)るに、初めより、我れを、敎え、呵(せ)むる者、無く、但(た)だ、我れに奬(すす)め、我れをして蟒-蛇(うわばみ)の中(なか)に墮とせしむ。悉く、之れを殺し盡くさんと欲するのみ。」と。是れを以つて、人は、當(まさ)に相ひ諫(いさ)め、善に從ひてぞ、相ひ順(やはら)ぐべし。自(みづか)ら勢力を恃んで、人を陵-擽(ふみにじ)り、坐(よ)りて、其の患(わざはひ)を招くこと莫(な)かれ。三惡道は苦(くる)し。但(た)だ聲は聞くべくも、形(からだ)、處(を)るべからず」と》、此の二つの相似た談が、此經に相雙んで出て居るを見て、作合わせて今昔の四の十三語[やぶちゃん注:「のこと」と訓じておく。]を生じたのだらう、東晉の譯ならんてふ佛說目連問戒律中五百輕重事經には、龍の舊師が免る可からざるを知て、自ら進んで水に投じて死んだとして云く、昔迦葉佛時、有一比丘、度弟子不ㇾ敎ㇾ誡、弟子多作非法、命終生龍中、龍法七日一受ㇾ對時、火燒其身、肉盡骨在、尋復還復、復則復燒、不ㇾ能ㇾ堪ㇾ苦、便自思惟、我宿何罪、致苦如ㇾ此耶、便觀宿命、自見本作沙門、不ㇾ持禁戒、師亦不ㇾ敎、便作毒念、恚其本師、念欲傷害、會後其師、與五百人、乘ㇾ船渡ㇾ海、龍便出ㇾ水捉ㇾ船、衆人卽問、汝爲是誰、答我是龍、問汝何以捉ㇾ船、答汝若下此比丘、放ㇾ汝使ㇾ去、問此比丘何豫汝事、都不ㇾ索餘人、獨索此比丘者何、龍曰、此比丘、本是我師、不ㇾ敎誡我、使我今日受如ㇾ此苦痛、是以索ㇾ之、衆人事不ㇾ得ㇾ止、便欲此比丘下著水中、比丘曰、我自入ㇾ水、不ㇾ須ㇾ見ㇾ捉、卽便投ㇾ水喪身命滅、以ㇾ此驗ㇾ之、度ㇾ人事大不ㇾ可ㇾ不敎誡《昔、迦葉佛の時、一比丘有り、弟子を、度して敎戒せず、多く、非法を作(な)す。命、終へて、龍の中(なか)に生まる。龍の法、七日に一たび、對(むくい)を受くる時、火、其の身を燒き、肉、盡きて、骨、在り。尋(つい)で、復(ま)た、還り、復た、則ち、復た、燒かれ、苦しみに堪ふ能はず。便(すなは)ち、自(みづか)ら思惟して、「我れ、宿(むかし)、何の罪ありてか、此(か)くのごとき苦しみを致すや。」と。便ち、宿命を觀ずるに、自ら見(けみ)して、「本(もと)、沙門と作(な)りて、禁戒を持(じ)せず、師も亦、敎へざりき。」と。便ち、毒念(どくねん)を作し、その本師を恚(うら)み、「傷害せん。」と念欲(ねんよく)す。會(たまた)ま、後(のち)、其の師、五百人と、船に乘り、海を渡る。龍、便ち、水を出でて、船を捉ふ。衆人、卽ち、問ふ、「汝は、是れ、誰(たれ)と爲すや。」と。答へて、「我れは、是れ、龍なり。」と。問ふ、「汝、何を以つてか船を捉ふるや。」と。答へて、「汝、若(も)し、此の比丘を下ろさば、汝を放ちて去らしめん。」と。問ふ、「この比丘、何ぞ、汝の事に豫(あづか)るや。都(すべ)て、餘人を索(もと)めずして、獨り、此の比丘のみを索むるは、何ぞや。」と。龍曰はく、「此の比丘、本(もと)、是れ、我が師なり。我れを敎戒せず、我をして、今日(こんにち)、此くのごとく苦痛を受けせしむ。是れを以つて、之れを索む。」と。衆人、事(こと)やむを得ずして、便ち、此の比丘を捉へて、水中に著(お)かんと欲(ほつ)す。比丘曰わく、「我れ、自ら、水に入らん。須(すべか)らく捉らへらるべからず。」と。卽ち、便ち、水に投じ、身命を喪ひて、滅す。此れを以つて、之れを驗(み)れば、人を度するに、敎戒せざるべからず。》。[やぶちゃん注:以上の「佛說目連問戒律中五百輕重事經」については、熊楠の引用文には、かなりの有意な原本からの脱落部が存在し、返り点の位置もどうも妙なところがある。これでは正常に読むことが出来ないので、「大蔵経データベース」の当該部を、丸々、本文では引用した実際の底本「南方隨筆」所収の本文(右ページ一行目から次のページの三行目まで)とは大きく異なるので、必ず、対照して読まれたい。

 なお、「南方隨筆」ではこのパートはここで終わっているのであるが、恐らくは初出の大正二(一九一三)年八月発行の『鄕土硏究』初出に拠ったものと思われる「選集」版では、以下の一段落が存在する。新字新仮名である上に、南方熊楠による表記を恣意的に弄っている。しかし、『鄕土硏究』の当該号はネットでは見られないことから、その「選集」版を、ここまでの電子化で覚えた熊楠の表記癖に直して、以下に参考までに掲げておく。特殊な仕儀なので注意されたい。読みは筑摩書房「全集」版(筑摩「選集」版の底本)編者によって添えられた可能性が頗る高いが、総て歴史的仮名遣に従って残しておいた。或いは、ここも初出は総て漢文なのかも知れないと考え、「大蔵経データベース」で当該部を確認出来たので、一部の漢字を正字化し、また、句点を読点に代えて、今までのように本文にぶち込んで、訓読部を《 》後に置いた。但し、返り点は無しの白文にしておいた。この仕儀で、少なくとも「選集」版のそれよりも遙かに原形に近いものを復元出来たかも知れぬと、ちょいとばかり、自負している。

   

 又東晉頃の譯本ちふ阿育王譬喩經には平素豕(ぶた)を殺した者恆水(ガンジスがは)の鬼と也、曾て豕を殺すを諫めなんだ道人を捉り殺さうと爲たとし、云く、昔有賢者、居舍衞國東南三十里、家門奉法供養道人、家公好喜殺猪賣肉、道人漸漸知之、未及呵誡。老公遂便命終、在恒水中受鬼神形云々、後日道人渡恒水、在正與鬼神相値、其鬼便出半身在水上、捉船顧言、捉道人著水中、不者盡殺船上人、時有一賢者便問鬼神、何以故索是道人、鬼神言、我在世間時供養道人、道人心知我殺猪賣肉、而不呵誡我、是以殺道人耳、賢者便言、君坐殺猪乃致此罪、今復欲殺道人、罪豈不多乎、鬼神思惟、實如賢者之言、便放令去、道人得去、還語其家、子孫爲作追福、神卽得免苦、示語後世人、道人受供養不可不教誡時《『昔、賢者、有り、舍衞國の東南三十里に居れり。家内、法を奉じ、道人に供養す。家公(かこう)、好-喜(この)みて猪(ぶた)を殺し、肉を賣れり。道人、漸々(やうや)う、之れを知れども、未だ呵(せ)め誡(いまし)むるに及ばず。老公、遂に便(すなは)ち、命、終(を)へ、恆水(こうすい)の中にあって鬼神(きしん)の形を受く』云々。『後日、道人、恒水を渡り、正に鬼神と相ひ値(あ)ふ。其の鬼、便ち、半身を出だして水上に在り、船を捉へて顧みて言はく、「道人を捉へて水中に著(お)け。不者(しからず)んば、盡(ことごと)く、船上の人を、殺さん。」と。時に、一賢者、有り、便ち、鬼神に問ひて、「何を以つての故に是の道人を索(もと)むるや。」と。鬼神、言はく、「我れ、世間に在りし時、道人を供養す。道人、心には、我れ、豚を殺し、肉を賣るを知れり。而(しか)れども、我れを、呵め誡めず。是(これ)を以つて、道人を殺すのみ。」と。賢者、便ち、言はく、「君、豚を殺せしに坐(よ)りて、乃(すなは)ち、此の罪を致す。今、復た、道人を殺さんと欲す。罪、豈(あに)多からざらんや。」と。鬼神、思惟するに、「實(まこと)に。賢者の言(げん)のごとし。」と。便ち、放(ゆる)して去らしめ、道人、去るを得たり。還りて、其の家に語り、子孫の爲めに、追福を作(な)す。神、卽ち、苦しみを免(まぬが)るるを得たり。後世の人に示す。「道人、供養を受くれば、敎へ誡めざるべからず。」と。』。》。

   *]

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