「南方隨筆」版 南方熊楠「今昔物語の硏究」 二~(2) / 巻第四 震旦國王前阿竭陀藥來語第三十二
[やぶちゃん注:本電子化の方針は「一~(1)」を参照されたい。今回のものは本篇の「一」の『「南方隨筆」版 南方熊楠「今昔物語の硏究」 一~(3)』に対する追加記事である。元が雑誌『鄕土硏究』所収のものを一括再録したものであることからこうした形を採っている。底本ではここ。当該原話は『「南方隨筆」版 南方熊楠「牛王の名義と烏の俗信」 オリジナル注附 「一」の(1)』の私の注にあるので、そちらを参照されたい。]
〇震旦國王前ニ阿竭陀藥來ル語第(一の三六四頁)に追加す。本語に、「國王阿竭陀藥と聞き給て。其藥は服する人死ぬる事无かなり。皷に塗て打つに、其音を聞く人皆病を失ふ事疑ひ无しと聞く」。此事は予未だ出處を見出し得ぬ。但し似た事は有る。北凉譯大般涅槃經九に、有人、以二雜毒藥一、用塗二大鼓一、於大衆中、撃ㇾ之發ㇾ聲、雖ㇾ無二心欲ㇾ聞一聞ㇾ之皆死《人、有り、雜(もろもろ)の毒藥を以つて、用ひて、太鼓に塗り、大衆の中に於いて、之れを擊ちて、聲を發せば、聞かんと欲する心、無しと雖も、之れを聞けば、皆、死す。》と見ゆ。又姚秦頃譯せしてふ無明羅刹經に、折叱王が疫鬼を平げに往く出立を記して、以二阿伽陀藥一遍塗二身體一《阿伽陀藥を以つて遍(あまね)く身體に塗る》と有る、此の藥は通常樹葉に包まれ居たと見えて、蕭齊の朝に譯せる百喩經下の末に、編者僧伽斯那此經を譬へて、如二阿伽陀藥一、樹葉而裹ㇾ之、取藥塗ㇾ毒竟、樹葉還棄ㇾ之、戯笑如ㇾ葉裹、實義在二其中一、智者取二正義一、戯笑便應ㇾ棄《阿伽陀藥のごときは、樹の葉にて之れを裹(つつ)む。藥を取りて、毒に塗り、竟(をは)らば、樹の葉は、還(ま)た、之れを棄つ。戯笑は、葉の裹むがごとく、實義は、其の中にあり。智者は正義を取り、戲笑は、便(すなは)ち應(まさ)に棄(す)つべし。》と有る、是等の文に據ると、最初專ら毒を防ぎ毒を解く藥だうたのが追々誇大して、何樣な[やぶちゃん注:「どんな」。]病人でも此藥を見せたら忽ち治ると持囃され(華嚴)、其から鼓に塗て打つ音聞いても病が去ると信ぜられたらしい。似た例を一二擧んに、本草綱目に、鼯鼠[やぶちゃん注:「むささび」。]を一に飛生鳥と名ける譯は、此物飛乍ら子を產むからだ、其皮毛を臨產の婦女に持せ、又其上に寢せ、又其爪を懷かせても催生[やぶちゃん注:即効性の意。「選集」では『はやめ』とルビする。]の效有ると見え居る、實は子に乳を飮せ乍ら飛行[やぶちゃん注:「とびゆく」。]を見て、飛つゝ子を產むと速斷したのだ、斯る信念は、今に熊野の山地にも存し、二年前拙妻姙娠中、予安堵峰で鼯鼠を獲、肉を拔き去り持歸つた。皮を室の壁へ懸置いた處へ山民が來て、是は怪しからぬ事をする、此物は見ても催生の力が烈しい、臨月でも無い姙婦が每々見ると流產すると話され、大に氣味惡く成り棄てて了ふた。又熊野や十津川の深山大樹に寓生する蔦の實は、血を淸むるので、血道に大効有ると云ふのみか、眺むる斗りでも婦女を無病にする由で、微い[やぶちゃん注:「ちいさい」。]小屋住居にさへ栽られ居る。
[やぶちゃん注:「(一の三六四頁)」「一」の分が載った『鄕土硏究』のページ数。
「本語に」「ほんこと」にと読んでおく。
「死ぬる事无かなり」後半は「なかんなり」。一般的でなかった「ん」の無表記で、「死ぬ危険は全くありません」の意。
「皷」「鼓(つづみ)」」に同じ。
「此事は予未だ出處を見出し得ぬ」現在でも出典は不詳のようである。
「姚秦」「えうしん」(ようしん)。五胡十六国時代に羌族の族長姚萇によって建てられた後秦(三八四年~四一七年の別名。先行する統一国家秦と区別するための呼称。
「蕭齊」「しやうせい」(しょうせい)。南北朝時代に江南に存在した方の斉(四七九年~五〇二年)を、先行する春秋戦国の一国である「齊」と区別するための呼称。
「僧伽斯那」一般に「僧」を名に繋げて「そうぎやしな」と読まれる。
「戯笑」一部の経典にあるような、半ばふざけたように見える方便の経説のことを指すか。
「本草網目に、鼯鼠を一に飛生鳥と名ける」李時珍は大分類に於いてさえ、「獸」でも「鼠」でもなく、巻四十八のまさに「禽之二」に入れている(一度は正しく「獸」部に入れたものもあったのに、わざわざ配置換えをしていて致命的)。「漢籍リポジトリ」のこちらの[112-50a] から[112-50b]を見られたい。ムササビは「䴎鼠」(ルイソ)という名で立項されてあるが、「鼯鼠」の表記も既にあげられてあり、「釋名」の最後に、その「飛生鳥」を認める。そうして、「發明」の箇所に、確かに、あった。「時珍曰、䴎能飛而、且產。故、寢其皮懷其爪、皆、能催生。其性、相感也。濟生方治、難產、金液丸用、其腹下毛。爲丸服之。」がそれだ。寺島良安も本書に倣って「原禽類」に分類してしまい、この異名と、「飛びながら出産する」の部分を引いてはいる。私の「和漢三才圖會第四十二 原禽類 䴎鼠(むささび・ももか) (ムササビ・モモンガ)」を参照されたい。但し、良安はどこかでこの鳥の仲間とする分類法に、深く疑問を持っていたようで、「第三十九 鼠類」にも、盛んにムササビらしき動物が、複数回、顔を出している。
「安堵峰」『「南方隨筆」版 南方熊楠「龍燈に就て」 オリジナル注附 「二」』の私の注を参照。地図をリンクさせてある。
「皮を室の壁へ懸置いた處へ山民が來て、是は怪しからぬ事をする、此物は見ても催生の力が烈しい、臨月でも無い姙婦が每々見ると流產すると話され、大に氣味惡く成り棄てて了ふた」熊楠先生の優しさがちらっと見えて、ええ感じやな❤
「蔦」「選集」では『やしお』とルビするが、この読みを聴いたことがなく、また、検索でも掛かってこない。更に、木蔦の特定種を指すのかどうかも判らなかったので、ここで注するに留める。]
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