譚海 卷之四 唐山の人尺牘加餐の字幷扁額・姓名等の事
○華人尺牘(しやくとく)の末に加餐と云(いふ)事を書(かく)は、華人は飯をくふて仕廻(しまはし)の一碗(ひとわん)を汁懸(しるかけ)にしてくふ事を加餐といふとぞ。又遍額[やぶちゃん注:ママ。]にも華人は自身の名をば金箔にせず、天子の御名ならでは金にせざるゆゑといへり。黃檗寺(わうばくじ)の額など、すべて額の文字は金なれども、其人の名をば赤くしておく事此類(たぐひ)なりといへり。
[やぶちゃん注:「尺牘」書状。
「加餐」「食物を加える」の意から、「養生すること・健康に気をつけること」の意であるが、現行では、多く、手紙文で相手の健康を願って用いる語として、私は使ったことはないが、生きている。近代作家の書簡でよく見かける。
「黃檗寺」ここは江戸初期に来日した明(末期)の僧隠元隆琦(一五九二年~一六七三年:本邦で没した)を開祖とする日本の三禅宗の一つである黄檗宗の寺院、或いは、その隠元が開いた京都府宇治市の黄檗山(おうばくさん)萬福寺のことを指す。]
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