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2022/04/23

「南方隨筆」版 南方熊楠「今昔物語の硏究」 二~(1) / 卷第二十四 百濟川成飛驒工挑語第五

 

[やぶちゃん注:本電子化の方針は「一~(1)」を参照されたい。熊楠が採り上げた当該話はこちらで電子化訳注してあるので、まず、それを読まれたい。底本ではここから。]

 

       

〇百濟河成(鄕硏一の五〇と一六六頁)が寫生に巧だつたのは、此人が死んだ年から纔か廿五年後に成た文德實錄五に、所寫古人眞、及山水草木等、皆如自生、昔在宮中、令或人喚從者、或人辭以ㇾ未ㇾ見顏容、河成卽取一紙形體其、或人遂驗得、其機妙類如ㇾ此、今之言ㇾ畫者、咸取ㇾ則焉《寫す所の古人の眞(かほ)、及び、山水草木等(など)、皆、自生するがごとし。昔、宮中に在り、或る人をして從者をして喚ばしむ。或る人、辭するに、未だ顏容を見ざるを以つてす。河成、卽ち、一紙を取りて、其の形體を圖す。或る人、遂に驗(けん)し得たり。その機妙、類(おほむ)ね、此くのごとし。今、畫(ゑ)を言ふ者は、咸(ことごと)くに、則(てほん)を取る。》とあるので知れる。これに似た話、五雜俎七に、相傳、戴文進至金陵、行李爲一傭肩去、杳不ㇾ可ㇾ識、乃從酒家紙筆、圖其狀貌、集衆傭示ㇾ之、衆曰是某人也、隨至其家、得行李焉《相ひ傳ふ、『戴文進、金陵に至るに、行李(かうり)、一(ひとり)の傭(にんぷ)に肩(にな)ひ去られて、杳(えう)として識るべからず。乃(すなは)ち、酒家より紙筆を借り、その狀貌(かほかたち)を圖し、衆(おほ)くの傭を集めて、之れを示すに、衆、曰はく、「是れ、某人(ぼうにん)なり。」と。隨つて、その家に至るに、行李を得たり。』と》。戴文進は明朝の初の人だから、河成が死んでより五百年も後の人だ。

[やぶちゃん注:「鄕硏一の五〇と一六六頁」「選集」によれば、前者は『鄕土硏究』第一巻五十ページから収載されてある赤峯太郎の論文「今昔物語集の研究」であり、後者は同巻の第三号の百六十六ページから収載されてある南方熊楠の論文「川成と飛驒の工の技を競べし話」である旨が編者割注で示されてある。私は「南方熊楠全集」を所持しないが、幸いにして、サイト「私設万葉文庫」にある電子テクスト(底本は平凡社「南方熊楠全集」第三巻(雑誌論考Ⅰ)一九七一年刊で新字新仮名)で読むことが出来る。さらに、頗る面白いので指摘しておくと、そこに明治四一(一九〇八)年六月発行の『早稲田文学』三十一号に発表した「『大日本時代史』に載する古話三則」の「増補」パートに、恐らくは、その前文の附記クレジット『昭和二年九月三十日記』と同じ時に追加したと思われる文章で、以下がある。引用元では、「世説新語」からの引用で、表記不能字が『?』で示されているのであるが、それは所持する明治書院の新釈漢文大系の「世説新語」で確認し(巧芸篇第二十一の「4」話目)、漢字を入れておいた。他は引用元の表記のママである。

   *

 およそ『今昔物語』本朝部に載せたる古話に、インドと支那より転訛せるもの多し。その二四巻、百済河成飛驛匠と芸競べの条は、『世説新語』に出る。いわく、魏の鍾会かつて詐りて荀勗[やぶちゃん注:「じゅんきょく」。]の手書を作り、勗の母に就いて宝剣を取り去る。会まさに宅を造る、勗潜かに在って会の祖父の形を壁に画く。会の兄弟、門に入り、これをみて感慟し、すなわちその宅を廃す、と。インドにも、南天竺の画師が北天竺の巧師を訪うと、無類の美女が出て給侍した。夜分もその側に侍せるを呼んでも一向近づかず、前《すす》んで牽くと木造りの女だった。そこで。画師はおのれが頸縊った壁画を作り、牀下に隠れおると、明朝主人の巧師見て大いに怖れ、刀で繩を絶たんとする時、画師が牀下より出たので、二人おのおのの妙技に感じ、親愛をすて出家修道した、と『雑譬喩経』四にある。これだけ予見出だして『郷土研究』一巻三号一六六頁に載せた。また、川成が従童を逃がし、その顔を畳紙に画いて下部に渡すと、市の群集中よりたちまちその童を認め捉え来たという記事の類話として、明の戴文進のことを同巻九号五五一頁に出した。

 右いずれも予に無断で、故芳賀博士の『攷証今昔物語集』に、自分の発見のように転載されおる。[やぶちゃん注:以下略。]

   *

そこで、熊楠が憤懣をぶつけているのは芳賀矢一の「攷証今昔物語集 下」で、大正一〇(一九二一)年刊であった。芳賀は、熊楠がこの「増補」を行った年の二月に没している。国文学の権威者であった芳賀が、南方熊楠の過去の類話考証論文から、無断で、自分の本に類型原拠を載せたのである。ここだ! こりゃ、もう、厚顔無恥のレベルだね。偉い奴が他人の功績を奪い取って、平然としているのは、今も変わらないな。

「文德實錄」正式には「日本文德天皇實錄」。藤原基経らの編。「六国史」の第五で、文徳天皇の代である嘉祥三(八五〇)年から天安二(八五八)年までの八年間が扱われている。編年体。漢文。全十巻。以上は国立国会図書館デジタルコレクションの宝永六 (一七〇九)年の出雲寺和泉掾板行の版では、ここ(左丁後ろから三行目の最後)から記されてある。

「五雜俎」「五雜組」とも表記する。明の謝肇淛(しゃちょうせい)が撰した歴史考証を含む随筆。全十六巻(天部二巻・地部二巻・人部四巻・物部四巻・事部四巻)。書名は元は古い楽府(がふ)題で、それに「各種の彩(いろどり)を以って布を織る」という自在な対象と考証の比喩の意を掛けた。主たる部分は筆者の読書の心得であるが、国事や歴史の考証も多く含む。一六一六年に刻本されたが、本文で、遼東の女真が、後日、明の災いになるであろう、という見解を記していたため、清代になって中国では閲覧が禁じられてしまい、中華民国になってやっと復刻されて一般に読まれるようになるという数奇な経緯を持つ。]

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