譚海 卷之四 相州三浦海照燈幷城が島大蛇の事
○相州三浦に海照燈(かいしやうとう)有、每夜かゞり火を燒(やき)て海舶(かいはく)の便宜(べんぎ)とせらる。其薪料(まきれう)は浦賀へ海舶來(きた)る時定額(ぢやうがく)ありて運上する事也。大山迄は三浦より十六里ばかり有、然るを登山して夜中三浦の方を望めば、篝火の大さ猶(なほ)松明(たいまつ)の如くに見ゆるといへり。又三浦城の島は三浦道寸の城跡也。今は番所を立(たて)て人の住居(すみゐ)亂入を禁ぜらるゝゆへ、常時より今に至るまで草木しげりたるまゝにて、大木の朽(くち)そんじたるなど充滿せり。又竹藪ことにしげりて、年々尺にあまる廻(まはり)の竹を生ずれども、人のとる事かなはず、夜陰に竹の子など取(とり)に至れ共(ども)、うはゞみありとて人(ひと)行(ゆく)事なし。此大蛇常に見たる事はなけれども、風雨の翌日などは立(たて)うすをころがしたるやうに田畑の麥(むぎ)なびきふして、海邊(うみべ)までつゞける事をみる事時々なり、是(これ)うはばみのかよひたる跡也とぞ。
[やぶちゃん注:「相州三浦に海照燈有」古来より浦賀水道は難所だったため、江戸時代に、城ヶ島の西側の安房崎に灯明台(狼煙(のろし)台)が設置された(後にその西側に移設)。現在の安房埼灯台がその跡地である(グーグル・マップ・データ。大山を入れてある)。
「大蛇」優れた龍の博物誌サイト「龍鱗」の「島に上陸した大蛇」と、ビジュアルな「恐ろしい大蛇と武将の伝説 城ヶ島の楫の三郎山神社(三浦市)」がお勧め。]
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