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2022/04/12

泉鏡花 (遺稿) 正規表現版 オリジナル注附

 

[やぶちゃん注:本篇の発見の経緯は冒頭にある水上瀧太郞氏(彼の著作は既にパブリック・ドメインである)の附記に詳しいが、泉鏡花の没後(昭和一四(一九三九)年九月七日に癌性肺腫瘍のため亡くなった)、未亡人のすずさんが家内より発見されたもので、無題の草稿原稿である。所持する岩波書店刊「鏡花全集」(一九七八年初版の一九八九年二刷)の「別卷」の村松定孝氏の「作品解題」によれば、昭和一四(一九三九)年十一月発行の『文藝春秋』に「遺稿」として発表された。村松氏によれば、以下の水上氏の附記の通り、『執筆された時期は定かではないが、水上は昭和十四年の初頭に超稿されたものと推定している。「薄紅梅」』(昭和十二年一月五日から三月二十五日まで『東京日日新聞』に連載)『や「「縷紅新草」』(るこうしんさう:昭和十四年七月発行の『中央公論』に発表)『の主人公と同名の辻町糸七が登場し、赤蜻蛉の飛翔する光景は「縷紅新草」と共通しているが、内容は右作とは關連はない。また筋の展開はなく、未完の作である。月報25に掲載に掲載の檜谷照彦「鏡花自筆原稿目錄について」に、本作の原稿についての考察が述べられていて、推敲のあとが比較的少い草稿としての硏究上意義のあることを指摘している』とある。

 底本は上記全集の「卷廿四」を用いた。但し、「青空文庫」に二〇〇三年九月三日に公開された同篇の電子データ(入力・門田裕志氏/校正・多羅尾伴内)があるので、そのテキスト・ファイル(こちらの下段からダウン・ロード出来る)を加工データとして使用させて戴いた。ここに御礼申し上げる。因みに、「青空文庫」版のそれは「旧字・旧仮名」と名打ってはいるのであるが、「青空文庫」の規定の文字コード制約があるため、原本との表記の違いが有意にあり、とても正規表現とは私には言えないものにしか見えないのである。それこそ特に鏡花が見たら、慄然とするであろう代物である。それほど、正規表現にこそ、鏡花の夢幻性は十二分に発揮されるからである。そのため、私は私が示し得るより原本に近い電子データの作成を目指したものである。また、数ある鏡花作品の中で、特に本篇をここで選んだ理由であるが、これは、現在、私が電子化注をブログ・カテゴリ「南方熊楠」で進行中の、南方熊楠「龍燈の就て」の、その「二」の冒頭部分が、実は、この「(遺稿)」の中に出現するからなのである。私は大の鏡花好きであるが、総ルビ作品の多い鏡花の作品の電子化は通常のルビを打ち難いブログでは気が引けていた。しかし、この事実と対峙するに、自分で鏡花作品を電子化をする決心がついたのである。なお、実は、幸いにして、この遺稿は着手初期の草稿原稿であるためか、ルビが全く振られていない。されば、PDF縦書版の他に、ブログ版も公開することとした。

 但し、私は踊り字「〱」「〲」が生理的に嫌いで(生涯、自分の書いた文書や板書で用いたことは一度もない)、ワードで縦書にして、拡大し、二字分相当にさせても、巨大な太字の「く」「ぐ」のようになって、化け鰻のごと見えて気持ち悪く目立つばかりだった(盛んに電子化物でみられる「/\」などは論外の一昨日だ)。されば、そこだけは正字化させてある。

 また、注は、若い読者のために難読かと思われる読みや意味、また、読みが振れると判断したもののみに限り、段落末に続けて附した。

 以下、冒頭の水上氏の附記(ポイント落ち)は、底本では全体が三字下げであるが、引き上げてある。]

 

 

 この無題の小說は、泉先生逝去後、机邊の篋底に、夫人の見出されしものにして、いつ頃書かれしものか、これにて完結のものか、はたまた未完結のものか、今はあきらかにする術なきものなり。昭和十四年七月號中央公論揭載の、「縷紅新草」は、先生の生前發表せられし最後のものにして、その完成に盡されし努力は既に疾を内に潜めゐたる先生の肉體をいたむる事深く、其後再び机に對はれしこと無かりしといふ。果して然らばこの無題の小說は「縷紅新草」以前のものと見るを至當とすべし。原稿は稍古びたる半紙に筆と墨をもつて書かれたり。紙の古きは大正六年はじめて萬年筆を使用されし以前に購はれしものを偶々引出して用ひられしものと覺しく、墨色は未だ新しくして此の作の近き頃のものたる事を證す。主人公の名の糸七は「縷紅新草」のそれとひとしく、點景に赤蜻蛉のあらはるゝ事も亦相似たり。「どうもかう怠けてゐてはしかたが無いから、春になつたら少し稼がうと思つてゐます。」と先生の私に語られしは昨年の暮の事なりき。恐らく此の無題の小說は今年のはじめに起稿されしものにはあらざるか。

 雜誌社としては無題を迷惑がる事察するにあまりあれど、さりとて他人がみだりに命題すべき筋合にあらざるを以て、强て其のまゝ揭出すべきことを希望せり。(水上瀧太郞附記)

 

 

 伊豆の修禪寺の奧の院は、いろは假名四十七、道しるべの石碑を畷、山の根、村口に數へて、ざつと一里餘りだと言ふ、第一のいの碑はたしか其の御寺の正面、虎溪橋に向つた石段の傍にあると思ふ……ろはと數へて道順ににのあたりが俗に釣橋釣橋と言つて、渡ると小學校がある、が、それを渡らずに右へ𢌞るとほの碑に續く、何だか大根畠から首をもたげて指示しをするやうだけれど、此のお話に一寸要があるので、頰被をはづして申して置く。[やぶちゃん注:「畷」「なはて」。「頰被」「ほほかぶり」。]

 もう溫泉場からその釣橋へ行く道の半ばからは、一方が小山の裙、左が小流を間にして、田畑に成る、橋向ふへ𢌞ると、山の裙は山の裙、田畑は田畑それなりの道續きが、大畝りして向ふに小さな土橋の見えるあたりから、自から靜かな寂しい參拜道となつて、次第に俗地を遠ざかる思ひが起るのである。[やぶちゃん注:「裙」「すそ」。「大畝り」「おほうねり」。]

 土地では弘法樣のお祭、お祭といつて居るが春秋二季の大式日、月々の命日は知らず、不斷、この奧の院は、長々と螺線をゆるく田畝の上に繞らした、處々、萱薄、草草の茂みに立つたしるべの石碑を、杖笠を棄てゝ彳んだ順禮、道しやの姿に見せる、それとても行くとも皈るともなく煢然として獨り佇むばかりで、往來の人は殆どない。[やぶちゃん注:「萱薄」「かやすすき」。「彳んだ」「たたずんだ」。「道しや」「道者」で巡礼と同義、或いは、巡礼は多く共連れがいたことから、その道連れの意ともなった。しかし、ここは前の「巡禮」と差別化されていることから考えると、行脚僧や修行者のように見える者の意か、或いは、単なる旅人を指しているのかも知れない。「皈る」「かへる」。「煢然」「けいぜん」は「孤独で淋しそうなさま」の意。]

 またそれだけに、奧の院は幽邃森嚴である。畷道を桂川の上流に辿ると、迫る處怪石巨巖の磊々たるはもとより古木大樹千年古き、楠槐の幹も根も其のまゝ大巖に化したやうなのが纍々と立聳えて、忽ち石門砦高く、無齋式、不精進の、わけては、病身たりとも、がたくり、ふらふらと道わるを自動車にふんぞつて來た奴等を、目さへ切塞いだかと驚かれる、が、慈救の橋は、易々と欄干づきで、靜に平かな境内へ、通行を許さる。[やぶちゃん注:「畷道」「なはてみち」。「磊々」「らいらい」。大きな石が積み重なるさま。「槐」「えんじゆ」。「纍々」「るゐるゐ」。「砦」「まがき」と訓じておく。籬。「無齋式」「むさいしき」と読んでおく。神仏への敬虔の念のないこと。「道わる」「道惡」。]

 下車は言ふまでもなからう。

 御堂は颯と松風よりも杉の香檜の香の淸々しい森森とした樹立の中に、靑龍の背をさながらの石段の上に玉面の獅子頭の如く築かれて、背後の大碧巖より一筋水晶の瀧が杖を鳴らして垂直に落ちて仰ぐも尊い。

 境内わきの、左手の庵室、障子を閉して、……たゞ、假に差置いたやうな庵ながら構は緣が高い、端近に三寶を二つ置いて、一つには橫綴の帳一册、一つには奉納の米袋、ぱらばらと少しこぼれて、おひねりといふのが捧げてある、眞中に硯箱が出て、朱書が添へてある。これは、俗名と戒名と、現當過去、未來、志す處の差によつて、おもひおもひに其の姓氏佛號を記すのであらう。

「お札を頂きます。」

 ――お札は、それは米袋に添へて三寶に調へてある、其のまゝでもよかつたらうが、もうやがて近い……年頭御慶の客に對する、近來流行の、式臺は惡冷く外套を脫ぐと嚔が出さうなのに御内證は煖爐のぬくもりにエヘンとも言はず、……蒔繪の名札受が出て居るのとは些と勝手が違ふやうだから――私ども夫婦と、もう一人の若い方、と云つて三十を越えた娘……分か?女房の義理の姪、娘が緣づいたさきの舅の叔母の從弟の子で面倒だけれど、姉妹分の娘だから義理の姪、どうも事實のありのまゝにいふとなると說明は止むを得ない。とに角、若いから紅氣がある、長襦袢の褄がずれると、緣が高いから草履を釣られ氣味に伸上つて、

「ごめん下さいまし。」

 すぐに返事のない處へ、小肥りだけれど氣が早いから、三寶越に、眉で覗くやうに手を伸ばして障子腰を細目に開けた。[やぶちゃん注:「惡冷く」「わるづめたく」。「嚔」「くさめ」。「些と」「ちと」。]

 山氣は翠に滴つて、詣づるものゝ袖は墨染のやうだのに、向つた背戶庭は、一杯の日あたりの、ほかほかとした裏緣の障子の開いた壁際は、留守居かと思ふ質素な老僧が、小机に對ひ、つぐなんで、うつしものか、かきものをしてござつた。[やぶちゃん注:「對ひ」「むかひ」。「つぐなんで」しゃがんで。]

「ごめん下さいまし、お札を頂きます。」

 黑い前髮、白い顏が這ふばかり低く出たのを、蛇體と眉も顰めたまはず、目金越の睫の皺が、日南にとろりと些と伸びて、

「あゝ、お札はの、御隨意にの頂かつしやつてようござるよ。」

 と膝も頭も聲も圓い。[やぶちゃん注:「蛇體」が姿を見せるかのように見えたという比喩。「日南」「ひなた」と読んでいると私はみる。例は『「萩原朔太郎詩集 Ⅴ 遺稿詩集」(小学館版)「第一(「愛憐詩篇」時代)」 郊外』の私の注を参照されたい。]

「はい。」

 と、立直つて、襟の下へ一寸端を見せてお札を受けた、が、老僧と机ばかり圓光の裡の日だまりで、あたりは森閑した、人氣のないのに、何故か心を引かれたらしい。

「あの、あなた。」

 かうした場所だ、對手は弘法樣の化身かも知れないのに、馴々しいことをいふ。

「お一人でございますか。」

「おゝ、留守番の隱居爺ぢや。」

「唯たお一人。」[やぶちゃん注:「唯た」「たつた」であろう。]

「さればの。」

「お寂しいでせうね、こんな處にお一人きり。」

「いや、お堂裏へは、近い頃まで猿どもが出て來ました、それはもう見えぬがの、日和さへよければ、此の背戶へ山鳥が二羽づゝで遊びに來ますで、それも友になる、それ。」

 目金がのんどりと、日に半面に庭の方へ傾いて、

「巖の根の木瓜の中に、今もの、來て居ますわ。これぢや寂しいとは思ひませぬぢや。」

「はア。」

 と息とゝもに娘分は胸を引いた、で、何だか考へるやうな顏をしたが、「山鳥がお友だち、洒落てるわねえ。」と下向の橋を渡りながら言つた、――「洒落てるわねえ」では困る、罪障の深い女性は、こゝに至つてもこれを聞いても尼にもならない。[やぶちゃん注:「木瓜」「ぼけ」。木本のボケ。「下向の橋」「げかうのはし」。寺から下る橋をかく言ったものであろう。]

 どころでない、宿へ皈ると、晚餉の卓子臺もやひ、一銚子の相伴、二つ三つで、赤くなつて、あゝ紅木瓜になつた、と頰邊を壓へながら、山鳥の旦那樣はいゝ男か知ら。いや、尼處か、このくらゐ悟り得ない事はない。「お日和で、坊さんはお友だちでよかつたけれど、番傘はお茶を引きましたわ。」と言つた。[やぶちゃん注:「晚餉」「ばんしやう」。晩飯。「卓子臺」「ちやぶだい」。卓袱台。「もやひ」「催合ひ・最合ひ」で。ここは晩飯の卓袱台に集って「それをともにすること」の意。「頰邊」「ほほべた」。ほっぺた。]

 出掛けに、實は春の末だが、そちこち梅雨入模樣で、時時氣まぐれに、白い雲が薄墨の影を流してばらばらと掛る。其處で自動車の中へ番傘を二本まで、奧の院御參詣結緣のため、「御緣日だと此の下で飴を賣る奴だね、」「へへへ、お土產をどうぞ。」と世馴れた番頭が眞新しい油もまだ白いのを、ばりばりと綴枠をはづして入れた。[やぶちゃん注:「綴枠」「とぢわく」。傘を畳んだものを止めている具。]

 贅澤を云つては惡いが、此の暖さと、長閑さの眞中には一降り來たらばと思つた。路近い農家の背戶に牡丹の緋に咲いて蕋の香に黃色い雲の色を湛へたのに、舞ふ蝶の羽袖のびの影が、佛前に捧ぐる妙なる白い手に見える。遠方の小さい幽な茅屋を包んだ一むら竹の奧深く、山はその麓なりに咲込んだ映山紅に且つ半ば濃い陽炎のかゝつたのも里親しき護摩の燃ゆる姿であつた。傘さして此の牡丹に彳み、すぼめて、あの竹藪を分けたらばと詣づる道すがら思つたのである。[やぶちゃん注:「幽な」「かすかな」。]

 土手には田芹、蕗が滿ちて、蒲公英はまだ盛りに、目に幻のあの白い小さな車が自動車の輪に競つて飛んだ。いま、その皈りがけを道草を、笊に洗つて、緣に近く晚の卓子臺を圍んで居たが、

 ――番傘がお茶を引いた――

 おもしろい。

 悟つて尼に成らない事は、凡そ女人以上の糸七であるから、折しも欄干越の桂川の流をたゝいて、ざつと降出した雨に氣競つて、

「おもしろい、其の番傘にお茶をひかすな。」

 宿つきの運轉手の馴染なのも、ちやうど帳場に居はせた。

 九時頃であつた。

「さつきの番傘の新造を二人……どうぞ。」

「はゝゝ、お樂みで……」

 番頭の八方無碍の會釋をして、其の眞新しいのを又運轉手の傍へ立掛けた。

 しばらくして、此の傘を、さらさらと降る雨に薄白く暗夜にさして、女たちは袖を合せ糸七が一人立ちで一畝の水田を前にして彳んだ處は、今しがた大根畑から首を出して指しをした奧の院道の土橋を遙に見る――一方は例の釣橋から、一方は鳶の嘴のやうに上へ被さつた山の端を潜つて、奧在所へさながら谷のやうに深く入る――俗に三方、また信仰の道に因んで三寶ケ辻と呼ぶ場所である。

 ――衝き進むエンジンの音に鳴留んだけれども、眞上に突出た山の端に、ふアツふアツと、山臥がうつむけに息を吹掛けるやうな梟の聲を聞くと、女連は眞暗な奧在所へ入るのを可厭がつた。元來宿を出る時この二人は溫泉街の夜店飾りの濡灯色と、一寸野道で途絕えても殆ど町續きに齊しい停車場あたりの靄の燈を望んだのを、番傘を敲かぬばかり糸七が反對に、もの寂しいいろはの碑を、辿つたのであつたから。[やぶちゃん注:「鳴留んだ」「なきやんだ」。「可厭がつた」「いやがつた」。]

 それでは、もう一方奧へ入つてから其の土橋に向ふとすると、餘程の畷を拔けなければ、車を返す足場がない。

 三寶ケ辻で下りたのである。

「あら、こんな處で。」

「番傘の情人に逢はせるんだよ。」

「情人ツて?番傘の。」

「蛙だよ、いゝ聲で一面に鳴いてるぢやあないか。」

「まあ、風流。」

 さ、さ、その風流と言はれるのが可厭さに、番傘を道具に使つた。第一、雨の中に、立つた形は、うしろの山際に柳はないが、小野道風何とか硯を惡く趣向にしたちんどん屋の稽古をすると思はれては、いひやうは些とぞんざいだが……ごめんを被つて……癪に障る。

 糸七は小兒のうちから、妙に、見ることも、聞くことも、ぞつこん蛙といへば好きなのである。小學最初級の友だちの、――現今は貴族院議員なり人の知つた商豪だが――邸が侍町にあつて、背戶の蓮池で飯粒で蛙を釣る、釣れるとも、目をぱちぱちとやつて、腹をぶくぶくと膨ます、と云ふのを聞くと、氏神の境内まで飛ばないと、蜻蛉さへ易くは見られない、雪國の城下でもせゝこましい町家に育つたものは、瑠璃の丁斑魚、珊瑚の鯉、五色の鮒が泳ぐとも聞かないのに、池を蓬萊の嶋に望んで、靑蛙を釣る友だちは、寶貝のかくれ蓑を着て、白銀の糸を操るかと思つた。[やぶちゃん注:「丁斑魚」「めだか」と読む。]

 學問半端にして、親がなくなつて、東京から一度田舍へ返つて、朝夕のたつきにも途方に暮れた事がある。

「あゝ、よく鳴いてるなあ。」――

 城下優しい大川の土手の……松に添ふ片側町の裏へ入ると廢敗した潰れ屋のあとが町中に、棄苗の水田に成つた、その田の名には稱へないが、其處をこだまの小路といふ、小玉といふのゝ家跡か、白晝も寂然として居て谺をするか、濁つて呼ぶから女の名ではあるまいが、おなじ名のきれいな、あはれな婦がこゝで自殺をしたと傳へて、のちのちの今も尙ほ、その手提灯が闇夜に往來をするといつた、螢がまた、こゝに不思議に夥多しい。[やぶちゃん注:「棄苗」「すてなえ」。「婦」以下でも何度も単漢字で使用されるが、「をんな」と読んでおく。]

 が、提灯の風說に消されて見る人の影も映さぬ。勿論、蛙なぞ聞きに出掛けるものはない。……世の暗さは五月闇さながらで、腹のすいた少年の身にして夜の灯でも繁華な巷は目がくらむで瘦脛も捩れるから、こんな處を便つては立樹に凭れて、固からの耕地でない證には破垣のまばらに殘つた水田を熟と闇夜に透かすと、鳴くわ、鳴くわ、好きな蛙どもが裝上つて浮かれて唱ふ、そこには見えぬ花菖蒲、杜若、河骨も卯の花も誘はれて來て踊りさうである。[やぶちゃん注:「便つては」「たよつては」。「熟と」「じつと」。「裝上つて」「もりあがつて」。]

 此處だ。

「よく、鳴いてるなあ。」

 世にある人でも、歌人でも、こゝまでは變りはあるまい、が、情ない事には、すぐあとへ、

「あゝ、嘸ぞお腹がいゝだらう。」

 ――さだめしお飯をふんだんに食つたらう―ても情ない事をいふ―と、喜多八がさもしがる。……三嶋の宿で護摩の灰に胴卷を拔かれたあとの、あはれはこゝに彌次郞兵衞、のまず、くはずのまず、竹杖にひよろひよろと海道を辿りながら、飛脚が威勢よく飛ぶのを見て、其の滿腹を羨んだのと思ひは齊しい。……又膝栗毛で下司ばる、と思召しも恥かしいが、こんな場合には繪言葉卷ものや、哲理、科學の橫綴では間に合はない。[やぶちゃん注:「橫綴」「よこつづり」。欧文。]

 生芋の缺片さへ芋屋の小母さんが無代では見向きもしない時は、人間よりはまだ氣の知れない化ものゝ方に幾分か憑賴がある、姑獲女を知らずや、嬰兒を抱かされても力餠が慾しいのだし、ひだるさにのめりさうでも、金平式の武勇傳で、劍術は心得たから、糸七は、其處に小提灯の幽靈の怖れはなかつた。[やぶちゃん注:「缺片」「かけら」。「憑賴」「ひようらい」。或いは「たよりがひ」と訓じているか。頼り甲斐。「姑獲女」「うぶめ」。妖怪の名。「産女」「姑獲鳥」とも書く。「宿直草卷五 第一 うぶめの事」の私の注を参照されたい。「和漢三才圖會卷第四十四 山禽類 姑獲鳥(うぶめ) (オオミズナギドリ?/私の独断モデル種比定)」も参考になろう。「金平」昔話の金太郎、後の坂田金時の息子坂田金平(きんぴら)のこと。そうさ、ウィキの「金平浄瑠璃」辺りを参照されるがよかろう。]

 奇異ともいはう、一寸微妙なまはり合はせがある。これは、ざつと十年も後の事で、糸七もいくらか稼げる、東京で些かながら業を得た家業だから雜誌お誂への隨筆のやうで、一度話した覺えがある。やゝ年下だけれど心置かれぬ友だちに、――ようから、本名俳名も――谷活東といふのが居た。[やぶちゃん注:「――ようから、」の「よ」の右に編者注のママ注記であろう『原』と打ってある。「谷活東」「たにかつとう」という俳人は実在する。尾崎紅葉門下の小説家でもあったので、鏡花も知り合いであったと思われる。]

 

 作意で略其の人となりも知れよう、うまれは向嶋小梅業平橋邊の家持の若旦那が、心がらとて俳三昧に落魄れて、牛込山吹町の割長屋、薄暗く戶を鎖し、夜なか洋燈をつける處か、身體にも油を切らして居た。[やぶちゃん注:「略」「ほぼ」。]

 昔から恁うした男には得てつきものゝ戀がある。最も戀をするだけなら誰がしようと御隨意で何處からも槍は出ない。許嫁の打壞れだとか、三社樣の祭禮に見初めたとかいふ娘が、柳橋で藝妓をして居た。[やぶちゃん注:「恁うした」「かうした」。]

 さて、其の色にも活計にも、寐起にも夜晝の區別のない、迷晦朦朧として黃昏男と言はれても、江戶兒だ、大氣なもので、手ぶらで柳橋の館――いや館は上方――何とか家へ推參する。その藝しやの名を小玉といつた。[やぶちゃん注:「活計」「たつき」或いは「くらし」であろう。]

 借りたか、攫つたか未だ審ならずであるが、本望だといふのに、絹糸のやうな春雨でも、襦袢もなしに素袷の膚薄な、と畜生め、何でもといつて貸してくれた、と番傘に柳ばしと筆ぶとに打つけたのを、友だち中へ見せびらかすのが晴曇りにかゝはらない。况や待望の雨となると、長屋近間の茗荷畠や、水車なんぞでは氣分が出ないとまだ古のまゝだつた番町へのして淸水谷へ入り擬寶珠のついた辨慶橋で、一振柳を胸にたぐつて、ギクリと成つて……あゝ、逢ひたい。顏が見たい。[やぶちゃん注:「膚薄」「はだうす」。]

 

    こたまだ、こたまだ

     こたまだ……

 

 其の邊の蛙の聲が、皆こたまだ、こたまだ、と鳴くといふのである。

 唯、糸七の遠い雪國の其の小提灯の幽靈の徜徉ふ場所が小玉小路、斷然話によそへて拵へたのではない、とすると、蛙に因んで顯著なる奇遇である。かたり草、言の花は、蝶、鳥の翼、嘴には限らない、其の種子は、地を飛び、空をめぐつて、いつ其の實を結ばうも知れないのである、――此なども、道芝、仇花の露にも過ぎない、實を結ぶまではなくても、幽な葉を裝ひ儚い色を彩つて居る、たゞし其にさへ少からぬ時を經た。[やぶちゃん注:「徜徉ふ」「さまよふ」。]

 明けていふと、活東の其の柳橋の番傘を隨筆に撰んだ時は、――其以前、糸七が小玉小路で蛙の聲を聞いてから、ものゝ三十年あまりを經て居たが、胸の何處に潜み、心の何處にかくれたか、翼なく嘴なく、色なく影なき話の種子は、小机からも、硯からも、其の形を顯はさなかつた、まるで消えたやうに忘れて居た。

 それを、其の折から尙ほ十四五年ののち、修禪寺の奧の院路三寶ケ辻に彳んで、蛙を聞きながら、ふと思出した次第なのである。

 悠久なるかな、人心の小さき花。

 あゝ、悠久なる……

 そんな事をいつたつて、わかるやうな女連ではない。

「――一つ此の傘を𢌞はして見ようか。」

 糸七は雨のなかで、――柳橋を粗と話したのである。[やぶちゃん注:「粗と」「ざつと」。]

「今いつた活東が辨慶橋でやつたやうに。」

「およしなさい、澤山。」

 と女房が聲ばかりでたしなめた。田の緣に並んだが中に娘分が居ると、もうその顏が見えないほど暗かつた。

「でも、妙ね、然ういへば……何ですつて、蛙の聲が、其の方には、こがれる女の小玉だ、小玉だと聞こえたんですつて、こたまだ。あら、眞個だ、串戲ぢやないわ、叔母さん、こたまだ、こたまだツて鳴いてるわね、中でも大きな聲なのねえ、叔母さん。」[やぶちゃん注:「眞個だ」「ほんとだ」と訓じておく。「串戲」「じようだん」。]

「まつたくさ、私もをかしいと思つて居るほどなんだよ、氣の所爲だわね、……氣の所爲といへば、新ちやんどう、あの一齊に鳴く聲が、活東さんといやしない?……

 

    かつと、かつと、

    かつと、……

 

 それ、揃つて、皆して……」

「むゝ、聞こえる、――かつと、かつと――か、然ういへば。――成程これはおもしろい。」

 女房のいふことなぞは滅多に應といつた事のない奴が、これでは濟むまい、蛙の聲を小玉小路で羨んだ、その昔の空腹を忘却して、圖に乘氣味に、田の緣へ、ぐつと踞んで聞込む氣で、いきなり腰を落しかけると、うしろ斜めに肩を並べて廂の端を借りて居た運轉手の帽子を傘で敲いて驚いたのである。

「あゝ、これは何うも。」

 其の癖、はじめは運轉手が、……道案内の任がある、且つは婦連のために頭に近い梟の魔除の爲に、降るのに故と臺から出て、自動車に引添つて頭から黑扮裝の細身に腕を組んだ、一寸探偵小說のやみじあひの揷繪に似た形で屹として彳んで居たものを、暗夜の畷の寂しさに、女連が世辭を言つて、身近におびき寄せたものであつた。

「ごめんなさい、熊澤さん。」

 こんな時の、名も賴もしい運轉手に娘分の方が――其のかはり糸七のために詫をいつて、

「ね、小玉だ、小玉だ、……かつと、かつと……叔母さんのいふやうに聞こえるわね。」

「蛙なかまも、いづれ、さかり時の色事でございませう、よく鳴きますな、調子に乘つて、波を立てゝ鳴きますな、星が降ると言ひますが、あの聲をたゝく雨は花片の音がします。」[やぶちゃん注:「花片」「はなびら」。]

 月があると、晝間見た、畝に咲いた牡丹の影が、こゝへ重つて映るであらう。

「旦那。」

「………」

 妙に改つた聲で、

「提灯が來ますな――むかふから提灯ですね。」

「人通りがあるね。」

「今時分、やつぱり在方の人でせうね。」

 娘分のいふのに、女房は默つて見た。

 溫泉の町入口はづれと言つてもよからう、もう、あの釣橋よりも此方へ、土を二三尺離れて一つ灯れて來るのであるが、女連ばかりとは言ふまい、糸七にしても、これは、はじめ心着いたのが土地のもので樣子の分つた運轉手で先づ可かつた、然うでないと、いきなり目の前へ梟の腹で鬼火が燃えたやうに怯えたかも知れない。……見える其の提灯が、むくむくと灯れ据つて、いびつに大い。……軒へ立てる高張は御存じの事と思ふ、やがて其のくらゐだけれども、夜の畷のこんな時に、唯ばかりでは言ひ足りない。たとへば、翳して居る雨の番傘をばさりと半分に切つて、やゝふくらみを繼足したと思へばいゝ。[やぶちゃん注:「翳して」「かざして」。]

 樹蔭の加減か、雲が低いか、水濛が深いのか、持つて居るものゝ影さへなくて、其の其の提灯ばかり。[やぶちゃん注:「水濛」「すいもう」で霧雨のようなものを指す。「其の其の」の頭の右に先に注した『原』の注記がある。]

 つらつらつらつらと、動くのに濡色が薄油に、ほの白く艶を取つて、降りそゝぐ雨を露に散らして、細いしぶきを立てると、その飛ぶ露の光るやうな片輪にもう一つ宙にふうわりと仄あかりの輪を大きく提灯の形に卷いて、且つ其のづぶ濡の色を一息に一息に熟と撓めながら、風も添はずに寄つて來る。[やぶちゃん注:「一息に一息に」の上の三字の中程の右に先に注した『原』の注記がある。]

 姿が華奢だと、女一人くらゐは影法師にして倒に吸込みさうな提灯の大さだから、一寸皆聲を㖭んだ。[やぶちゃん注:「㖭んだ」「のんだ」と訓じておく。]

「田の水が茫と映ります、あの明だと、縞だの斑だの、赤いのも居ますか、蛙の形が顯はれて見えませうな。」

 運轉手がいふほど間近になつた。同時に自動車が寐て居る大な牛のやうに、其の灯影を遮つたと思ふと、スツと提灯が縮まつて普通の手提に小さくなつた。汽車が、其の眞似をする古狸を、線路で轢殺したといふ話が僻地にはいくらもある。文化が妖怪を減ずるのである。が、すなほに思へば、何かの都合で圖拔けに大きく見えた持手が、吃驚した拍子にもとの姿を顯はしたのであらう。

「南無、觀世音……」

 打念じたる、これを聞かれよ。……村方の人らしい、鳴きながらの蛙よりは、泥鼈を抱いて居さうな、雫の垂る、雨蓑を深く着た、蓑だといつて、すぐに笠とは限らない、古帽子だか手拭だか煤けですつぱりと頭を包んだから目鼻も分らず、雨脚は濁らぬが古ぼけた形で一濡れになつて顯はれたのが、――道巾は狹い、身近な女二人に擦違はうとして、ぎよツとしたやうに退ると立直つて提灯を持直した。[やぶちゃん注:「泥鼈」「すつぽん」。「退る」「さがる」。]

 音を潜めたやうに、跫音を立てずに山際について其のまゝ行過ぎるのかと思ふと、ひつたりと寄つて、運轉手の肩越しに糸七の橫顏へ提灯を突出した。

 蛙かと思ふ目が二つ、くるツと映つた。

 すぐに、もとへ返して、今度は向ふ𢌞りに、娘分の顏へ提灯を上げた。

 爾時である、菩薩の名を唱へたのは――[やぶちゃん注:「爾時」「このとき」。]

「南無觀世音。」

 續けて又唱へた。

「南無觀世音……」

 この耳近な聲に、娘分は湯上りに化粧した頸を垂れ、前髮でうつむいた、その白粉の香の雨に傳ふ白い顏に、一條ほんのりと紅を薄くさしたのは、近々と蓑の手の寄せた提灯の――模樣かと見た――朱の映つたのである、……あとで聞くと、朱で、かなだ、「こんばんは」と記したのであつた。

 このまざまざと口を聞くが、聲のない挨拶には誰も口へ出して會釋を返す機を得なかつたが、菩薩の稱號に、其の娘分に續いて、糸七の女房も掌を合はせた。

「南無觀世音……」

 又繰返しながら、蓑の下の提灯は、洞の口へ吸はるゝ如く、奧在所の口を見るうちに深く入つて、肩から裙へすぼまつて、消えた。

「まるで嘲笑ふやうでしたな、歸りがけに、又あの梟めが、まだ鳴いて居ます――爺い……老爺らしうございましたぜ。……爺も驚きましたらう、何しろ思ひがけない雨のやみに第一ご婦人です……氣味の惡さに爺もお慈悲を願つたでせうが、觀音樣のお庇で、此方が助かりました、……一息冷汗になりました。」[やぶちゃん注:「お庇」「おかげ」。]

 するすると車は早い。

「觀音樣は――男ですか、女で居らつしやるんでございますか。」

 響の應ずる如く、

「何とも言へない、うつくしい女のお姿ですわ。」

 と、淺草寺の月々のお茶湯日を、やがて滿願に近く、三年の間一度も缺かさない姪がいつた。

「まつたく、然うなんでございますか、旦那。」

「それは、その、何だね……」

 いゝ鹽梅に、車は、雨もふりやんだ、靑葉の陰の濡色の柱の薄り靑い、つゝじのあかるい旅館の玄關へ入つたのである。

 出迎へて口々にお皈んなさいましをいふのに答へて、糸七が、

「唯今、夜遊の番傘が皈りました――熊澤さん、今のはだね、修禪寺の然るべき坊さんに聞きたまへ。」

 

 天狗の火、魔の燈――いや、雨の夜の畷で不思議な大きな提灯を視たからと言つて敢て圖に乘つて、妖怪を語らうとするのではない、却つて、偶然の或場合には其が普通の影象らしい事を知つて、糸七は一先づ讀しやとゝもに安心をしたいと思ふのである。

 學問、といつては些と堅過ぎよう、勉强はすべきもの、本は讀むべきもので、後日、紀州に棲まるゝ著名の碩學、南方熊楠氏の隨筆を見ると、其の龍燈に就て、と云ふ一章の中に、おなじ紀州田邊の糸川恒太夫といふ老人、中年まで每度野諸村を行商した、秋の末らしい……一夜、新鹿村の湊に宿る、此の湊の川上に淺谷と稱ふるのがある、それと並んで二木嶋、片村、曾根と谿谷が續く二谷の間を、古來天狗道と呼んで少からず人の懼るゝ處である。時に糸川老人の宿つた夜は恰も樹木挫折れ、屋根廂の摧飛ばむとする大風雨であつた、宿の主とても老夫婦で、客とゝもに搖れ撓む柱を抱き、僅に板形の殘つた天井下の三疊ばかりに立籠つた、と聞くさへ、……わけて熊野の僻村らしい……其の佗しさが思遣られる。唯、こゝに同郡羽鳥に住む老人の一人の甥、茶の木原に住む、其の從弟を誘ひ、素裸に腹帶を緊めて、途中川二つ渡つて、伯父夫婦を見舞に來た、宿に着いたのは眞夜中二時だ、と聞くさへ、其の膽勇殆ど人間の類でない、が、暴風强雨如法の大闇黑中、かの二谷を呑むだ峯の上を、見るも大なる炬火廿ばかり、烈烈として連り行くを仰いで、おなじ大暴風雨に處する村人の一行と知りながら、かゝればこそ、天狗道の稱が起つたのであると悟つて話したといふ、が、或は云ふ處のネルモの火か。[やぶちゃん注:「中年まで每度野諸村を行商した」近いうちにブログ・カテゴリ「南方熊楠」で当該部を電子化するが、以上は南方熊楠の「南方隨筆」の「龍燈に就て」の「二」の冒頭である。国立国会図書館デジタルコレクションの原本の当該部の画像を見られたいが、鏡花の原稿はここは「每度熊野諸村を行商した」の「熊」の脱字であることが判る。「新鹿村」「あたしかむら」と読む。「二木嶋」「にぎしま」と読む。但し、原本は「二木島」である。「挫折れ」「ひしをれ」と訓じておく。「摧飛ばむ」「くだけとばむ」と読んでおく。「羽鳥」げんぽんは「羽島」である。「連り」「つらなり」。「ネルモの火」セント・エルモの火のこと。「二」でも言及しているが、「一」の方で既に熊楠は述べている。]

 なほ當の南方氏である、先年西牟婁郡安都ケ峯下より坂泰の巓を踰え日高丹生川にて時を過ごしすぎられたのを、案じて安堵の山小屋より深切に多人數で搜しに來た、人數の中に提灯唯一つ灯したのが同氏の目には、ふと炬火數十束一度に併せ燃したほどに大きく見えた、と記されて居る。然も嬉しい事には、談話に續けて、續膝栗毛善光寺道中に、落合峠のくらやみに、例の彌次郞兵衞、北八が、つれの獵夫の舌を縮めた天狗の話を、何だ鼻高、さあ出て見ろ、其の鼻を引挘いで小鳥の餌を磨つてやらう、といふを待たず、獵夫の落した火繩忽ち大木の梢に飛上り、たつた今まで吸殼ほどの火だつたのが、またゝくうちに松明の大さとなつて、枝も木の葉もざわざわと鳴つて燃上つたので、頭も足も獵師もろとも一縮み、生命ばかりはお助け、と心底から淚……が可笑しい、櫔面屋と喜多利屋と、這個二人の呑氣ものが、一代のうちに唯一度であらうと思ふ……淚を流しつゝ鼻高樣に恐入つた、といふのが、いまの南方氏の隨筆に引いてある。[やぶちゃん注:「安都ケ峯」「あんどがみね」。「坂泰」「さかたい」。「踰え」「こえ」。「丹生川」「にうのかは」。「櫔面屋」「とちめんや」。後の「喜多利屋」で判ると思うが、「彌次郞兵衞」の屋号。「栃面屋」とも書く。]

 夜の燈火は、場所により、時とすると不思議の象を現はす事があるらしい。

 幸に運轉手が獵師でなかつた、婦たちが眞先に梟の鳴聲に恐れた殊勝さだつたから、大きな提灯が無事に通つた。

 が、例を引き、因を說き蒙を啓く、大人の見識を表はすのには、南方氏の說話を聽聞することが少しばかり後れたのである。

 實は、怪を語れば怪至る、風說をすれば影がさす――先哲の識語に鑒みて、溫泉宿には薄暗い長廊下が續く處、人の居ない百疊敷などがあるから、逗留中、取り出ては大提灯の怪を繰返して言出さなかつたし、東京に皈ればパツと皆消える……日記を出して話した處で、鉛筆の削屑ほども人が氣に留めさうな事でない、婦たちも、そんな事より釜の底の火移りで翌日のお天氣を占ふ方が忙しいから、たゞ其のまゝになつて過ぎた。

 翌年――それは秋の末である。糸七は同じ場所――三寶ケ辻の夜目に同じ處におなじ提灯の顯はれたのを視た。――

 ……然うは言つても第一季節は違ふ、蛙の鳴く頃ではなし、それに爾時は女房ばかりが同伴の、それも宿に留守して、夜步行をしたのは糸七一人だつたのである。[やぶちゃん注:「夜步行」「よあるき」。]

 夕餉が少し晚くなつて濟んだ、女房は一風呂入らうと云ふ、糸七は寐る前にと、その間をふらりと宿を出た、奧の院の道へ向つたが、

「まづ、御一名――今晚は。」

 と道しるべの石碑に挨拶をする、微醉のいゝ機嫌……機嫌のいゝのは、まだ一つ、上等の卷莨に火を點けた、勿論自費購求の品ではない、大連に居る友達が土產にくれたのが、素敵な薰りで一人其の香を聞くのが惜い、燐寸の燃えさしは路傍の小流に落したが、さらさらと行く水の中へ、ツと音がして消えるのが耳についたほど四邊は靜で。……あの釣橋、その三寶ケ辻――一昨夜、例の提灯の暗くなつて隱れた山入の村を、とふと眗したが、今夜は素より降つては居ない、がさあ、幾日ぐらゐの月だらうか、薄曇りに唯茫として、暗くはないが月は見えない、星一つ影もささなかつた、風も吹かぬ。[やぶちゃん注:「とふと眗したが」「と」、「ふと」、「眗」(みまは)「したが」であろう。]

 煙草の薰が來たあとへも、ほんのりと殘りさうで、袖にも匂ふ……たまさかに吸つてふツと吹くのが、すらすらと向ふへ靡くのに乘つて、畷のほの白いのを蹈むともなしに、うかうかと前途なる其の板橋を渡つた。

 こゝで見た景色を忘れない、苅あとの稻田は二三尺、濃い霧に包まれて、見渡すかぎり、一面の朧の中に薄煙を敷いた道が、ゆるく、長く波形になつて遙々と何處までともなく奧の院の雲の果まで、遠く近く、一むらの樹立に絕えては續く。

 その路筋を田の畔畷の左右に、一つ、二つ、三つ、四つ、五つ、六つ、七つと順々に數へるとふわりと霧に包まれて、ぼうと末消えたのが浮いて出たやうに又一つ二つ三つ四つ五つ、稻塚――其の稻塚が、ひよいひよいと、いや、實のあとゝいへば氣は輕いけれども、夜氣に沈んだ薄墨の石燈籠の大きな蓋のやうに何處までも行儀よく並んだのが、中絕えがしつゝ、雲の底に姿の見えない、月にかけた果知れぬ八ツ橋の狀に視められた。[やぶちゃん注:「實のあと」稲の「み」のあと。「狀」「かたち」。「視められた」「みつめられた」。]

 四邊は、ものゝ、たゞ霧の朧である。

 糸七は、然うした橋を渡つた處に、うつかり恍惚と彳んだが、裙に近く流の音が沈んで聞こえる、その沈んだのが下から足を浮かすやうで、餘り靜かなのが心細くなつた。

 あの稻塚がむくむくと動き出しはしないか、一つ一つ大きな笠を被た狸になつて、やがては誘ひ合ひ、頷きかはし、寄合つて手を繫ぎ、振向いて見返るのもあつて、けたけたと笑出したら何うだらう。……それはまだ與し易い。宿緣に因つて佛法を信じ、靈地を巡拜すると聞く、あの海豚の一群が野山の霧を泳いで順々に朦朧と列を整へて、ふかりふかりと浮いつ沈んつ音なく頭を進めるのに似て、稻塚の藁の形は一つ一つ其の頂いた幻の大な笠の趣がある。……[やぶちゃん注:「與し易い」「くみしやすい」。]

 いや、串戲ではない、が、ふと、そんな事を思つたのも、餘り夜たゞ一色の底を、靜に搖つて動く流の音に漾はされて、心もうはの空になつたのであらう……と。[やぶちゃん注:「漾はされて」「ただよはされて」。]

 何も體裁を言ふには當らない、ぶちまけて言へば、馬鹿な、糸七は……狐狸とは言ふまい――あたりを海洋に變へた霧に魅まれさうに成つたのであらう、然うらしい……[やぶちゃん注:「魅まれさうに」「つままれさうに」。]

 で幽谷の蘭の如く、一人で聞いて居た、卷莨を、其處から引返しざまに流に棄てると、眞紅な莟が消えるやうに、水までは屆かず霧に吸はれたのを確と見た。が、すぐに踏掛けた橋の土はふわふわと柔かな氣がした。

 それからである。

 恁る折しも三寶ケ辻で、又提灯に出會つた。[やぶちゃん注:「恁る」「かかる」。]

 もとの三寶ヶ辻まで引返すと、丁どいつかの時と殆ど同じ處、その溫泉の町から折曲一つ折れて奧の院參道へあらたまる釣橋の袂へ提灯がふうわりと灯も仄白んで顯はれた。

 糸七は立停つた。

 忽然として、仁王が鷲摑みにするほど大きな提灯に成らうも知れない。夜氣は――夜氣は略似て居るが、いま雨は降らない、けれども灯の角度が殆ど同じだから、當座仕込の南方學に敎へられた處によれば、此の場合、偶然エルモの火を心して見る事が出來ようと思つたのである。

 ――違ふ、提灯が動かない霧に据つたまゝの趣ながら、靜にやゝ此方へ近づいたと思ふと、もう違ふも違ひすぎた――そんな、古蓑で頰被りをした親爺には似てもつかぬ。髮の艶々と黑いのと、色のうつくしく白い顏が、丈だちすらりとして、ほんのり見える。

 婦人が、いま時分、唯一人。

 およそ、積つても知れるが、前刻、旅館を出てから今になるまで、糸七は人影にも逢はなかつた。成程、くらやみの底を拔けば村の地へ足は着かう。が、一里あまり奧の院まで、曠野の杜を飛々に心覺えの家數は六七軒と數へて十に足りない、この心細い渺漠たる霧の中を何處へ吸はれて行くのであらう。里馴れたものといへば、たゞ遙々と畷を奧下りに連つた稻塚の數ばかりであるのに。――然も村里の女性の風情では斷じてない。

 霧は濡色の紗を掛けた、それを透いて、却つて柳の薄い朧に、霞んだ藍か、いや、淡い紫を掛けたやうな衣の彩織で、しつとりともう一枚羽織はおなじやうで、それよりも濃く黑いやうに見えた。

 時に、例の提灯である、それが膝のあたりだから、褄は消えた、而して、胸の帶が、空近くして猶且つ雲の底に隱れた月影が、其處にばかり映るやうに艶を消しながら白く光つた。

 唯、こゝで言ふのは、言ふのさへ、餘り町じみるが、あの背負揚とか言ふものゝ、灯の加減で映るのだらうか、ちらちらと……いや、霧が凝つたから、花片、緋の葉、然うは散らない、すツすツと細く、毛引の雁金を紅で描いたやうに提灯に映るのが、透通るばかり美しい。[やぶちゃん注:「背負揚」「しよいあげ」女性の和装で、帯の結び目の内側に当てて結ぶ、絞りや綸子(りんず)などの小布。普通は帯枕を芯にいれて、帯を高く結んだり、形を整えるのに用いる。「帯揚げ」とも呼ぶ。]

「今晚は。」

 此の靜寂さ、いきなり聲をかけて行違つたら、耳元で雷……は威がありすぎる、それこそ梟が法螺を吹くほどに淑女を驚かさう、默つてぬつと出たら、狸が泳ぐと思はれよう。

 こゝは動かないで居るに限る。

 第一、あの提灯の小山のやうに明るくなるのを、熟として待つ筈だ。

 糸七は、嘗て熱海にも兩三度入湯した事があつて、同地に知己の按摩がある。療治が達しやで、すこし目が見える、夜話が實に巧い、職がらで夜戶出が多い、其のいろいろな話であるが、先づ水口園の前の野原の眞中で夜なかであつた、茫々とした草の中から、足もとへ、むくむくと牛の突立つやうに起上つた大漢子が、いきなり鼻の先へ大きな握拳を突出した、「マツチねえか。」「身ぐるみ脫ぎます――あなたの前でございますが。……何、此の界隈トンネル工事の勞働しやが、醉拂つて寐ころがつて居た奴なんで。しかし、其の時は自分でも身に覺えて、ぐわたぐわたぶるぶると震へましてな、へい。」まだある、新溫泉の別莊へ療治に行つた皈りがけ、それが、眞夜中、時刻も丁ど丑滿であつた、來の宮神社へ上り口、新溫泉は神社の裏山に開けたから、皈り途の按摩さんには下口になる、隧道の中で、今時、何と、丑の時參詣にまざまざと出會つた。黑髮を長く肩を分けて蓬に捌いた、靑白い、細面の婦が、白裝束といつても、浴衣らしい、寒の中に唯一枚、糸枠に立てると聞いた蠟燭を、裸火で、それを左に灯して、右手に提げたのは鐵槌に違ひない。さて、藁人形と思ふのは白布で、小箱を包んだのを乳の下鳩尾へ首から釣した、頰へ亂れた捌髮が、其の白色を蛇のやうに這つたのが、あるくにつれて、ぬらぬら動くのが蠟燭の灯の搖れるのに映ると思ふと、その毛筋へぽたぽたと血の滴るやうに見えたのは、約束の口に啣へた、その耳まで裂けるといふ梳櫛の然もそれが燃えるやうな朱塗であつた。いや、其の姿が眞の闇暗の隧道の天井を貫くばかり、行違つた時、すつくりと大きくなつて、目前を通る、白い跣足が宿の池にありませう、小さな船。あれへ、霜が降つたやうに見えた、「私は腰を拔かして、のめつたのです。あの釘を打込む時は、杉だか、樟だか、其の樹の梢へ其の靑白い大きな顏が乘りませう。」といふのである。[やぶちゃん注:「夜戶出」「よとで」。夜の外出。「糸枠」「いとわく」。紡いだ糸を巻き取る枠。軸があり、回転するようになっているもの。糸繰り。グーグル画像検索「糸枠」をリンクさせておく。「鳩尾」「みぞおち」。]

 ――まだある、秋の末で、其の夜は網代の鄕の舊大莊屋の内へ療治を賴まれた。旗櫻の名所のある山越の捷陘は、今は茅萱に埋もれて、人の往來は殆どない、伊東通ひ新道の、あの海岸を辿つて皈つた、爾時も夜更であつた。[やぶちゃん注:「旗櫻」「はたざくら」は桜の一種。桜の中に花弁化が不完全で、葯だけが花弁状に変わり、花糸の先に旗のようにつくことから、これを「旗弁」と呼び、旗桜には旗弁が顕著にあるので、この名がつけられた。グーグル画像検索をリンクさせておく。「捷陘」「しようけい」は山あいの近道。]

 やがて二時か。

 もう、網代の大莊屋を出た時から、途中松風と浪ばかり、路に落ちた緋い木の葉も動かない、月は皎々昭々として、磯際の巖も一つ一つ紫水晶のやうに見えて山際の雜樹が靑い、穿いた下駄の古鼻緖も霜を置くかと白く冴えた。[やぶちゃん注:「昭々」「せうせう」「照々」に同じ。明るく輝くさま。明らかなさま。]

 ……牡丹は持たねど越後の獅子は……いや、然うではない、嗜があつたら、何とか石橋でも口誦んだであらう、途中、目の下に細く白浪の糸を亂して崖に添つて橋を架けた處がある、其の崖には瀧が掛つて橋の下は淵になつた所がある、熱海から網代へ通る海岸の此處は謂はゞ絕所である。按摩さんが丁ど其の橋を渡りかゝると、浦添を曲る山の根に突出た巖膚に響いて、カラカラコロコロと、冱えた駒下駄の音が聞こえて、ふと此方の足の淀む間に、其の音が流れるやうに、もう近い、勘でも知れる、確に若い婦だと思ふと悚然とした。[やぶちゃん注:「嗜」「たしなみ」。「悚然」「しようぜん」。ぞっとしてすくむさま。]

 寐鳥の羽音一つしない、かゝる眞夜中に若い婦が。按摩さんには、それ、嘗て丑の時詣のもの凄い經驗がある、さうではなくても、いづれ一生懸命の婦にも突詰めた絕壁の場合だと思ふと、忽ち颯と殺氣を浴びて、あとへも前へも足が縮んだ、右へのめれば海へ轉がる、左へ轉べば淵へ落ちる。杖を兩手に犇と摑んで根を極め、がツしりと腰を据ゑ、欄干のない橋際を前へ九分ばかり讓つて、其處をお通り下さりませ、で、一分だけわがものに背筋へ瀧の音を浴びて踞んで、うつくしい魔の通るのを堪へて待つたさうである。それがまた長い間なのでございますよ、あなたの前でございますが。カラン、コロンが直き其處にきこえたと思ひましたのが、實は其の何とも寂然とした月夜なので、遠くから響いたので、御本體は遙に遠い、お渡りに手間が取れます、寒さは寒し、さあ、然うなりますと、がつがつがうがうといふ瀧の音ともろともに、ぶるぶるがたがたと、ふるへがとまらなかつたのでございますが、話のやうで、飛でもない、何、あなた、ここに月明に一人、橋に嚙りついた男が居るのに、其のカラコロの調子一つ亂さないで、やがて澄して通過ぎますのを、さあ、鬼か、魔か、と事も大層に聞こえませうけれども、まつたく、そんな氣がいたしましてな、千鈞の重さで、すくんだ頸首へ獅嚙みついて離れようとしません、世間樣へお附合ばかり少々櫛目を入れました此の素頭を捻向けて見ました處が、何と拍子ぬけにも何にも、銀杏返の中背の若い婦で……娘でございますよ、妙齡の――姊さん、姊さん――私は此方が肝を冷しましただけ、餘りに對手の澄して行くのに、口惜くなつて、――今時分一人で何處へ行きなさる、――いゝえ、あの、網代へ皈るんでございますと言ひます、農家の娘で、野良仕事の手傳を濟ました晚過ぎてから、裁縫のお稽古に熱海まで通ふんだとまた申します、瘦せた按摩だが、大の男だ、それがさ、活きた心地はなかつた、といふのに、お前さん、いゝ度胸だ、よく可怖くないね、といひますとな、おつかさんに聞きました、簪を逆手に取れば、婦は何にも可恐くはないと、いたづらをする奴の目の球を狙ふんだつて、キラリと、それ、あゝ、危い、此の上目を狙はれて堪るもんでございますか、もう片手に拔いて持つて居たでございますよ、串戲ぢやありません、裁縫がへりの網代の娘と分つても、そのうつくしい顏といひ容子といひ、月夜の眞夜中、折からと申し……といつて揉み分けながらその聞手の糸七の背筋へ頭を下げた。觀音樣のお腰元か、辨天樣のお使姬、當の娘の裁縫といふのによれば、そのまゝ天降つた織姬のやう思はれてならない、といふのである。[やぶちゃん注:「飛でもない」「とんでもない」。「千鈞」「せんきん」。「鈞」は重さの単位で、一鈞は三十斤(十八キログラム)。非常に重いこと。「獅嚙みついて」「しがみついて」。「中背」「ちゆうぜい」。「可怖く」「こはく」と訓じておく。「天降つた」「あまくだつた」。]

 かうしたどの話、いづれの場合にも、あつて然るべき、冒險の功名と、武勇の勝利がともなはない、熱海のこの按摩さんは一種の人格しやと言つてもいゝ、學んで然るべしだ。

 ――處で、いま、修禪寺奧の院道の三寶ケ辻に於ける糸七の場合である。

 夜の霧なかに、ほのかな提灯の灯とゝもに近づくおぼろにうつくしい婦の姿に對した。

 糸七は其のまゝ人格しやの例に習つた、が、按摩でないだけに、姿勢は渠と反對に道を前にして洋杖を膝に取つた、突出しては通る人の裳を妨げさうだから。で、道端へ踞んだのである。[やぶちゃん注:「渠」「かれ」。彼。]

 がさがさと、踞込む、その背筋へ觸るのが、苅殘しの小さな茄子畠で……然ういへば、いつか番傘で蛙を聞いた時こゝに畝近く蠶豆の植つて居たと思ふ……もう提灯が前を行く……その灯とともに、枯莖に殘つた澁い紫の小さな茄子が、眉をたゝき耳を打つ礫の如く目を遮るとばかりの隙に、婦の姿は通過ぎた。[やぶちゃん注:「蠶豆」「そらまめ」と訓じておく。「礫」「つぶて」。]

 や、一人でない、銀杏返しの中背なのが、添並んでと見送つたのは、按摩さんの話にくツつけた幻覺で、無論唯一人、中背などゝいふよりは、すつとすらりと背が高い、そして、氣高く、姿に威がある。

 その姿が山入の眞暗な村へは向かず、道の折めを、やゝ袖なゝめに奧の院へ通ふ橋の方へ、あの、道下り奧入りに、揃へて順々に行方も遙かに心細く思はれた、稻塚の數も段々に遠い處へ向つたのである。

 釣橋の方からはじめは左の袖だつた提灯が、然うだ、その時ちらりと見た、糸七の前を通る前後を知らぬ間に持替へたらしい、いま其の袂に灯れる。

 その今も消えないで、反つて、色の明くなつた、ちらちらと映る小さな紅は、羽をつないで、二つつゞいた赤蜻蛉で、形が浮くやうで、沈んだやうで、ありのまゝの赤蜻蛉か、提灯に描いた畫か、見る目には定まらないが、態は鮮明に、其の羽摺れに霧がほぐれるやうに、尾花の白い穗が靡いて、幽な音の傳ふばかり、二つの紅い條が道芝の露に濡れつゝ、薄い桃色に見えて行く。[やぶちゃん注:本篇原稿はここで途絶えている。]

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