「今昔物語集」卷第九「歐尙戀父死墓造奄居住語第八」
[やぶちゃん注:採録理由と底本は『「今昔物語集」卷第四「羅漢比丘敎國王太子死語第十二」』の私の冒頭注を参照されたい。]
歐尙(おうしやう)、死にける父を戀ひて、墓に奄(いほり)を造りて居住(きよぢゆう)せる語(こと)第八
今は昔、震旦(しんだん)の□□歐尙と言ふ人、有りけり。幼少の時より、孝養(けうやう)の心、深して、父母(ぶも)に奉仕する事、限り無し。
其の父、死して後(のち)、歐尙、父の墓所に廬(いほり)を造りて居(ゐ)て、朝暮に、父を戀ひ悲む。
而る間、一の虎、山より出でたるを、鄕(さと)の人、此れを見付けて、多くの人、或は桙(ほこ)を取り、或は弓箭(きうぜん)を持(も)て追ひて、虎を害せむと爲(す)る時に、虎、責められて、遁(のが)るべき方(はう)無きに依りて、命を存せむが爲に、歐尙が廬に走り入る。歐尙、此れを見て、哀れびて、虎を隱さむが爲に、衣を脫ぎて、虎に覆ひて、虎を隱す。卽ち、鄕の人等、虎を尋ねて、廬に來りて、或は桙を以つて突(つ)かむとし、或は弓を以て射むとして云く、
「此の虎、正く此の廬に來りぬ。」
と。歐尙が云く、
「我れ、虎を隱すべからず。虎は、此れ、惡しき獸也。我れも、共に殺すべし。何ぞ、强(あながち)に虎を隱さむや。虎、更に此の廬に見え來らず。」
と云て、出ださず。其の時に、鄕の人等、此れを聞て、皆、歸り去りぬ。
其の後(のち)、日暮に臨みて、虎、廬を出でゝ、山に入ぬ。虎、卽ち、此の恩を深く知て、常に歐尙が廬に、死にたる鹿を持(も)て來たる。其の後、歐尙、自然(おのづか)らに富貴(ふつき)の身と成る。
「此れ、他(ほか)に非(あら)ず。偏へに孝養の心の深きに依り、亦、生命(しやうみやう)を害せむと爲(す)るを助けたるに依りて、天の授け給へる富也。」
と知ぬ。
然れば、父母に孝養する事は、天の哀れび給ふ事也。不孝(ふけう)の人をば、天、皆、憎み給ふ事也。亦、自然(おのづか)ら、人、有りて、生命を害せむを見合はゞ、必ず、助け救ふべき事也となむ、語り傳へたるとや。
[やぶちゃん注:「歐尙(おうしやう)」底本の人名解説索引に、『伝未詳』。「太平御覧」に『「平都区宝者後漢人」』とする。名の前の欠字は後に地名を入れるための意識的欠字。
「廬」今野氏の注によると、原拠は漢籍の「孝子伝」(中国本土では散佚し、本邦で軌跡的に残った)上巻の十九であるが、原話では『墓所に庵を作ったとはないが、「廬」は親の喪に子が服する』ために作ってそこに籠る『丸いつぼ型の小屋をいう』とある。
「桙(ほこ)」木質の堅いもので制した木製の戟(ほこ)。
「死にたる鹿を持(も)て來たる。其の後、歐尙、自然(おのづか)らに富貴(ふつき)の身と成る。」何故、富貴になるか? 今野氏の脚注が、鹿は『食用のほか、皮も使えた。』という一言が解明している。氏はさらに、『虎の威による呪性もあろうか』という、民俗学的な類感呪術的解釈も加えておられて興味深い。因みに、私が改作者なら、里人に攻撃され、死に瀕した虎が、最後に欧尚の庵を訪れ、自らの肉と皮を彼に捧げて死ぬといういかにもなシークエンスを演出してしまうだろう。]
□やぶちゃん現代語訳(原文よりも段落を増やした。参考底本の脚注を一部で参考にはしたが、基本、オリジナル訳である)
欧尚が、亡くなった父を恋いて、墓に庵(いおり)を造って住みついした事第八
今となっては……もう……昔のこととなってしまったが、震旦(しったん)の□□という所に、欧尚という人がいた。幼少の時から、孝養の心が深く、常に父母に奉仕して怠りなかった。
その父が亡くなった。
すると、欧尚は、埋葬が終わるや、直ちに父の墓所の敷地に庵を造って、朝暮(ちょうぼ)に、父を恋い悲しんだのであった。
そんな、ある日、一匹の虎が、山から下りてきて、村を戦慄させた、里人らは、これを目撃するや、多くの男たちが、或いは戟(ほこ)を執り、或いは弓矢を携えて、虎を追いかけては、虎を殺そうと躍起になった。
虎は、責められて、逃げられる隙がなくなってしまった。
虎は命を永らえんがために、欧尚の庵に走り入った。
欧尚は、その喘いでいる虎を見るや、憐みの情がこみ上げてきた。
そこで、虎を隠さんがために、自身の着ていた上着を脱ぐと、それで、伏せさせた虎を覆って、その姿を匿(かく)してやったのであった。
ちょうど、その時である。里の人々が、虎を探して、庵にやってきた。
或る者は戟で以って突き殺そうと手ぐすねし、或る者は弓を以ってその急所を射らんと猛って、言った。
「あの虎は、確かに、この庵にきたはずだ!」
「おう! 確かに見たぞ!」
と。
欧尚は答えた。
「私が虎を隠すいわれはありませんよ。虎は、これ、猛悪な獣(けだもの)ですから。私も、あなたがたとおもに、里人の安穏(あんのん)のため、殺すに決まっておりましょう! どうして、強いて、恐ろしい虎なんぞを、これ、匿(かく)すことなんぞ、ありましょうや! 虎は、一度たりとも、この庵にも来ておりませんし、ここ周辺でも見かけたことは御座いません!」
と言い切って、庵の奥に匿った虎を出さなかった。
さても、この時、里人らは、孝行者として広く知れ渡っていた彼の言葉を聴いて、『本当のことを言っている』と感じて、みな、諦めて帰って行ったのであった。
その後(のち)、日暮れになって、虎は自分から庵を出て、山へと帰って行った。
さても――
――虎は、その後、この恩を深く感じて、何時(いつ)も、欧尚の庵の入り口に捕まえた死んだ鹿を持ち来たったのであった。
そのお蔭で、欧尚は、自(おのず)と富貴(ふうき)の身となった。
しかし、その時、欧尚が知ったことには、
「これは、何か、他の故(ゆえ)あることでも、何でもない。ひとえに、私が孝養の心を忘れずにあった故に、そうしてまた、生きとし生けるものの命が、害されんとするのを、助けた、人としての成すべき当たり前のことをした故に、天が私にお授け下さった恩寵としての富みなのである。」
ということなのであった。
されば、父母に孝養することは、天がそれを無条件で愛おしみなさるのである。不孝の人を、天は、一人残らず、憎み遊ばされるのである。また、自然、人があって、他の息とし生けるものの生命が危くなっているのに邂逅した際には、これ、必ず、助け救うのが正しいことなのであると、かく語り伝えているということである。
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