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2022/04/18

「今昔物語集」卷第十「國王造百丈石率堵婆擬殺工語第三十五」

 

[やぶちゃん注:採録理由と底本は『「今昔物語集」卷第四「羅漢比丘敎國王太子死語第十二」』の私の冒頭注を参照されたい。]

 

    國王、百丈の石(いは)の率堵婆(そとば)を造りて、工(たくみ)を殺さむと擬(せ)る語(こと)第三十五

 

 今は昔、震旦(しんだん)の□□代に、百丈の石(いは)の率堵婆を造る工有けり。

 其の時の國王、其の工を以つて百丈の石の率堵婆を造り給ひける間に、既に造り畢(をは)りて、國王、思ひ給ひける樣(やう)、

「我れ、此の石の率堵婆を思ひの如く造り畢りぬ。極めて喜ぶ所也。而るに、此の工、外の國にも行きて、此の率堵婆をや起てむと爲(す)らむ。然れば、此の工を速かに殺してむ。」

と思ひ得給ひて、此の工の、未だ率堵婆の上に有る時に、下(おろ)さずして、麻柱(あななひ)を一度にはらはらと壞(こぼ)しめつ。

 工、下るべき樣も無くて、

『奇異也。』

と思て、

『率堵婆の上に徒(いたづら)に居て、爲方(せむはう)無し。我が妻子共(めこども)、然(さ)りとも、此の事を聞きつらむ。聞てば、必ず、來りて見つらむ。故無くして、我れ、死なむずらむとは、思はじ物を。』

と思ふと云へども、音(こゑ)を通(かよ)はす程ならばこそは呼ばゝめ、目も及ばず、音(こゑ)の通はぬ程なれば、力も及ばで、居たり。

 而る間、此の工の妻子共、此の事を聞て、卒堵婆の本に行て、匝(めぐ)り行て見れども、更に爲(す)べき方(はう)、無し。妻(め)の思はく、

『然りとも、我が夫は、爲(す)べき方(はう)無くては、死(し)なじ者を。構へ思ふ事、有らむ者を。』

と、憑(たの)み思て、匝(めぐ)り行て見るに、工、上に有て、着たる衣を、皆、解きて、亦、斫(さ)きて、糸に成しつ。其の糸を結び繼ぎつゝ、耎(やは)ら下(おろ)し降(くだ)すが、極めて細くて、風に吹かれて飄(ただよ)ひ下(くだ)るを、妻、下にて此れを見て、

『此れこそ、我が夫の、驗(しる)しに下(おろ)したる物なめり。』

と思て、耎(やは)ら動かせば、上に夫、此れを見て、心得て、亦、動かす。妻、此れを見て、

『然(さ)ればこそ。』

と思て、家に走り行て、続(う)み置きたる□□取り持て來て、前(さき)の糸に結(ゆ)ひ付けつ。上に動かすに隨ひて、下にも動かすを、漸く上げ取つれば、此の度は切りたる糸を結ひ付けつ。其れを絡(く)り取れば、亦、糸の程なる細き繩を結ひ付けつ。亦、其れを絡り取つれば、亦、太き繩を結ひ付けつ。亦、其れを絡り上げ取れば、其の度は、三絡(みより)・四絡(よより)の繩を上げつ。亦、其れを絡り上げ取りつ。其の時に、其の繩に付きて、構へて、傳ひ下(お)りぬれば、逃げて去りにけり。

 彼の卒堵婆造り給ひけむ國王、功德(くどく)、得給ひけむや。世、擧(こぞ)りて、此の事を謗(そし)りけりとなむ、語り傳へたるとや。

 

[やぶちゃん注:「百丈」中国で時代が明示されていないが、南方熊楠も今野氏も挙げている通り、本篇の種本は鳩摩羅什(くまらじゅう 三四四年〜四一三年)訳の馬鳴菩薩の「大荘厳論経」であり、訳者は五胡十六国時代の後秦の仏僧で、本名は「クマラジーヴァ」。父はインド人で、母はクチャ王の妹。この頃の「一丈」は二・四五メートルであるから、二百四十五メートルとなる。

「而るに、此の工、外の國にも行きて、此の率堵婆をや起てむと爲(す)らむ。然れば、此の工を速かに殺してむ。」国王は自身の不変にして絶対の権威を象徴するものとして頭抜けて屹立する安定した仏舎利塔(ストゥーパ)を唯一無二のものとして建立したのであり、それと同じような物が他国に作られては、その現世の自身の絶対的記念碑に疵がつくと考えたのであった。

「麻柱(あななひ)」広義に「高い所に登るための足がかり」を指す。ここは建築用の足場を指す。

「耎(やは)ら」副詞で「やをら」に同じ。「ゆっくり・静かに・そっと」の意。「学研全訳古語辞典」によれば、もとは平安時代の女性的な感じの強い語であるとある。

下(おろ)し降(くだ)すが、極めて細くて、風に吹かれて飄(ただよ)ひ下(くだ)るを、妻、下にて此れを見て、

「続(う)み置きたる」この場合の「続」は「績」と同じ。糸を縒(よ)って紡(つむ)いでおいた。

「□□取り持て來て」今野氏の注に、『底本欠損。糸巻のようなものを指示するか』とある。

「……亦、其れを絡り取つれば、亦、……」今野氏の注に、『この前後、「亦」のくり返しで動作が何度もくり返されたことを示す。漸層法。』とある。映像的なリアリズムの手法で、作者の度量が窺えるいいシークエンスである。

「三絡(みより)・四絡(よより)」三本或いは四本の糸を捻じ合わせて強度を高めたものを作ったのである。

「逃げて去りにけり」工人(たくみ)は、既にして、これが国王の陰謀であることを悟っていたのである。]

 

□やぶちゃん現代語訳(原文よりも段落を増やした。参考底本の脚注を一部で参考にはしたが、基本、オリジナル訳である)

 

    国王が百丈の石製の卒塔婆(そとば)を造って、工人(たくみ)を殺そうと謀った事第三十五

 

 今となっては……もう……昔のこととなってしまったが、震旦(しったん)の□□代に、百丈もの石製の豪壮な卒塔婆を造る工人がいた。

 その時の国王は、その工人を使役して、以って百丈もの石の卒塔婆をお造りになられたのであるが、既に見事にそれを造り終わった折り、国王が、お思いになられたことには、

「我れ、この石の卒塔婆を思いのままに、造りあげた。これはこれ、極めて喜びとするところのものである。しかし、この工人、他所(よそ)の国へも行っては、こうした卒塔婆を建てようとするに違いあるまい。さすれば、この工人を速かに殺すに若(し)くはあるまいな。」

と、お思いつかれなさり、この工人が、最後の点検のために、未だ、卒塔婆の上にある時に、彼を下(おろ)さぬようにするため、足場を、総て、一遍に、がらがらと壊してしまった。

 工人は、降りようがなくなって、

『おかしいぞ?!』

と思って、

『卒塔婆の上に、かく、何も出来ずにおって、最早、なすべき工夫もない。私の妻子(さいし)たちは、しかし、必ずや、このことを耳にするであろう。聴けば、必ず、直ちに来たって、この事態を目にするであろう。成すすべもないままに、私が死んでしまうなんどとは、決して思わぬであろうに。』

と思いはしたものの、声を伝えるほどの高さであるならば、これ、救いを求めることは出来ようが、ろくに人の姿を視認することも出来ず、また、声も届かぬほどの高さであるからは、力も及ばず、ただ茫然と塔の天辺(てっぺん)にじっとしていたのであった。

 そうこうするうち、この工人の妻子たちは、この事態を聴いて、卒塔婆の下に行って、その基台の周囲を巡り歩いては上を見上げたけれども、さらに成すべき工夫も、思いつかない。

 しかし、妻の思うことには、

『そうは言っても、私の夫(おっと)は、成すべき工夫もないまま、空しく死ぬようなお人では、これ、ないものを。きっと構えて、思案することの、あるであろうに。』

と、夫の才覚を頼みに思って、卒塔婆の周囲を巡り歩いては見上げていた。

 すると、工人は、上にあって、着ている衣(ころも)を、皆、解(ほど)いて、さらに、また、それを細く裂いて、糸にした。そして、その糸を、結び継ぎつつ、やおら、下に向かって、下し降(おろ)すのであったが、極めて細いために、風に吹かれて、漂いながらも、確かに下ってくるのを、妻は、下にあって、これを見出だし、

『これこそ、私の夫が、降りるための方途の印(しるし)として、降(おろ)した物であるに相違ないのではなかろうか。』

と思って、やおら、その細い一筋の先を握って静かに動かしたところ、上にいた夫は、これを見て、心得て、それに応じて、糸筋を動かす。

 妻、これを見て、

『さればこそ!』

と思って、家に走り帰って、績(う)んで置いておいた□□を手に取り、持って来て、最前の糸に結いつた。

 夫が上に動かすに随って、妻は下にも動かしたところが、漸(ようや)く、妻の結いつけた部分を、夫がとり上げることができ、このたびは、それに別の細く切った糸筋を結ひつけた。

 妻は、それを繰(く)りとって、今度は、また、糸の程なる細い繩をそれに結びつけた。

 また、それを夫が繰りとったので、今度は、また、それよりも太い繩を結ひつけた。

 また、それを繰り上げてとったところ、そのたびは、三つ縒ったもの、或いは、四つ縒った繩を夫のもとへ上げた。

 また、それを繰り上げとった。

 その時に、その充分に支え得る太さとなった繩に縋(すが)って、構えて、繩を切らぬよう、最善の注意を怠らず。伝って降りることに成功した。

 されば、工人は、妻子とともに、この国から、障りなく、逃げて去ったのであった。

 さて、かの卒塔婆をお造りになった国王だが、彼は、果して仏(ほとけ)の功徳(くどく)を得遊ばされたもんだろうか?

 世の人々は、これ、挙(こぞ)って、この国王のなしたことを、強く非難したと、かく語り伝えているということである。

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