譚海 卷之四 下總國成田石の事
○下總成田不動尊の近きあたりに龍光寺と云(いふ)村有(あり)。夫(それ)に四つの井(ゐ)三つの岩やといふ物あり。此井にて一村飢渴に及(およぶ)事なし。岩屋は二つならびて大なる塚の裾に有、一つは別にはなれて、同じ如く塚のすそに有。岩屋の入口の大さ壹間に九尺、厚さも八九寸ばかりなる根府川石の如きを、二つをもて扉とせり。岩屋の内皆大なる石をあつめて組(くみ)たてたるもの也。其石にみな種々の貝のから付(つき)てあり、此石いづれも壹間に壹尺四五寸の厚さの石ども也。岩屋の内六七間に五六間も有、高さも壹丈四五尺ほどづつ也。此村邊(あたり)にすべてかやうの石なき所なるを、いづくより運び集めて、かほどまで壯大成(なる)ものを造(つくり)たる事にや、由緖しれがたし。村の者は隱里(かくれざと)とてそのかみ人住(ひとすめ)る所にて、よき調度などあまた持たり。人の客などありてねぎたる時は、うつはなどかしたり、今もそれをかへさでもちつたひたるものありといへり。
[やぶちゃん注:私の『柳田國男「一目小僧その他」 附やぶちゃん注 隱れ里 九』を参照されたい。そこで柳田は『津村氏の譚海卷四に、下總成田に近き龍光寺村とあるのは、印旛郡安食(あじき)町大字龍角寺の誤聞で、卽ち盜人とも隱れ座頭とも言うた同じ穴のことらしい』とあり、そこで私は本篇を全文電子化して、がっちり考証注をしてあるので見られたい。最後の「椀貸伝説」も、その「隱れ里」その他で柳田の考察が読める。私のブログ・カテゴリ「柳田國男」で幾つもの論文を電子化注してあるので、ご覧あれ。]
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