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2022/04/30

譚海 卷之四 豆州あたみ溫泉・修禪寺溫泉の事 附すゝの池・帝子孫彌陀等の事

 

○伊豆國三島郡は、箱根山にて北をふさぎたる故冬も暖氣也、江戶よりは綿入一つ滅ずるといへり。梅花も冬月の内いつも盛也。又同所熱海入湯は春秋冷(すず)しき時を見はからひて行(ゆく)べし。暑月には其往還南山の腰をめぐりて行(ゆく)所四里ばかりの處有、草いきれて人(ひと)病(やむ)事也。南山四里の際(きは)休むべき人家なく、高山にて南をふさぎたれば一陣の風もなく、北に谷をみてめぐりゆけども、谷のかたは木竹(ぼくちく)しげりて又風をうくる所なし。生ひかぶさりたるきりとほしを行(ゆく)事ゆゑ、盛暑(せいしよ)は甚(はなはだ)苦しく、土地の人も日中は往來せずといへり。又あたみの溫泉ほど奇麗なるはなしとぞ、海中より盬湯(しほゆ)湧(わき)て出(いづ)るを、湯屋の軒端(のきば)つづきに懸樋(かけひ)をして湯をとる也。湯のわく事晝夜二度、潮のさしくる時ばかりわきあがるゆゑ、潮のさすまへかたに湯船をあらひこぼして、鹽湯の湧てくるを待(まつ)ゆゑ、湯船每日掃除するゆゑ奇麗也。その湯のわく時に至りては、海邊壹丈ばかり湯けぶり立のぼる、恐しき體(てい)也。中々寄(より)つかるゝ事にあらずとぞ。又豆州修善寺の溫泉をば今は湯の河原と稱す。三島驛より本道七里有、外に山中をゆけば二里ほど近道なれども、山中蛭(ひる)おほくして甚(はなはだ)難儀なり。入湯をはつて同じ山中を歸るに、蛭一切脚(あし)にとりつく事なし。溫泉の氣を蛭きらふと見えたりと人のいへり。此外所々山中に溫泉有。又奧伊豆に靑すゝの池といふ有、東鑑(あづまかがみ)に見へて古跡也、今は人跡絕(たえ)て蛇蝎(じやかつ)の叢(くさむら)也、稀に遊山(ゆさん)する人冬のあいだに行(おこなふ)事なり。又同國帝王のみだは南海にむかひたる岸に有。乘船の岸(きし)甚(はなはだ)峻岨(しゆんそ)にして、船の着(つく)べき樣(やう)なければ、五六尺を隔てて船へとび入(いる)也。さて船頭五六人にて帝王のみだへ至る、南海の岸の風をうくる所に洞(どう)有、それへ船を乘入(のりいるる)ゆゑ、波(なみ)入(いり)て船をゆりあくれば[やぶちゃん注:ママ。「あぐれば」であろう。]、洞(ほら)の喉(のど)にあたり船を碎(くだ)くゆゑ、舟人杓子(しやくし)のやうなるろにて波のうつ度(たび)に、洞をさゝへつゝ漕入(こぎい)る。十間斗り眞黑なる内を行(ゆき)て彌陀如來立(たた)せ給ふ。波のうつ度にひらひらと金色の現ずるを拜する也。さて船に繩を繫留(つなぎとめ)て洞の内にて舷(ふなばた)をたゝけば、外に引出(ひきいだ)す也。又三島と沼津との間にさかい川といふ跡有、昔は大河成(なる)にや、かち渡りの人足、錢を上(かみ)より給はりたる事舊記に有(あり)といへり。千貫戶樋のあなた也といへり。

[やぶちゃん注:「南山」考えるに、ここでは江戸の読者に向けて書いているのが明白であるから、現在の広義の呼称の箱根山全体(南足柄から明神ヶ岳)を言っているように思われる。「腰をめぐりて行」というのは、しっくりくるからである。

「海中より盬湯(しほゆ)湧(わき)て出(いづ)るを」現在の「大湯間歇泉」がそこである(グーグル・マップ・データ。以下同じ)。

「靑すゝの池」「東鑑」(吾妻鏡)「に見へて古跡也」とあるが、私は通常の人よりも「吾妻鏡」を読んでいるが、こんな池の名を見た記憶はない。試みに、「国文学研究資料館」の「吾妻鏡データベース」で「池」と「沼」の全検索を総て見たが、このような固有名詞は検検索結果を総て見た限りでは(見落としがなければ)、存在しない。ご存知の方は御教授あられたい。

「帝王のみだ」これは現在の静岡県賀茂郡南伊豆町手石(ていし)にある自然に形成された海食洞「手石の弥陀窟(阿弥陀三尊)」で、ここ(サイド・パネル画像も見られたい)。現在も陸からは行けず、小型の舟でしか入ることは出来ない(私は行ったことがない)。「伊豆半島ジオパーク」公式サイトの「弥陀窟とその周辺」によれば、『弥陀窟は国指定天然記念物にも指定された海食洞で』、『周辺には海底を流れた溶岩(水冷破砕溶岩)が分布しており、弥陀窟はこの溶岩の中の亀裂に沿って浸食されてできたもので』あり、『波の静かな晴天で大潮の正午に入ると、奥の暗闇に』三『体の仏像が浮かび上がるといい』。『海上からしかアクセスできない上、潮が大きく引かないと船が入れ』ないとあって、『年に一度一般参拝客向けに舟が出』るとあった。弥陀三尊は恐らくシミュラクラと思われる。にしても、標題の「帝子孫」や、ここの「帝王の」という冠は異様で意味も判らぬ。まあ、思うのは現在の「手石」という地名が「帝子」や「帝」になって、それに訳の分からぬ「孫」や「王」がおどろおどろしい下らぬ尾鰭となってくっ付いた昔話にありがちな変容なのかも知れぬ、ということぐらいなものである。

「十間」十八・一八メートル。

「三島と沼津との間にさかい川といふ跡有」サイト「川の名前を調べる地図」で確認。これであろう。]

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