譚海 卷之四 下野國佐野にて石炭を燒事
○下野(しもつけ)佐野にて石炭(いしずみ)をやく事、岩に似たる柔(やはらか)なる石山(いしやま)をのみやく。さいづちにてほりくだき、長さ十五六間に山の形に積(つみ)つゞけ、その下を火のよくとほるやうにし、石をばはにつちにてべつたりとぬりかくし、終りの所へ火氣(ひのけ)のぬけるやうに穴をこしらへ、扨(さて)下には五六箇所にて火をたくやうに拵へたる物也。是をやく事三日三夜ほどして、其後(そののち)火氣收(をさま)り冷灰(ひえばい)に成(なり)たるを見定めて、かたわらなる小屋に移しはこび、灰のかたまりたる上に水をそゝげば又にえかへりて夥敷(はなはだしき)熱氣を生じ、そののちぼろぼろとくだけて灰になる事也。それをしらずして山を燒(やき)たる灰のまゝ俵(たはら)につめ、馬におはせてはこびしに、川中にて馬倒れ、俵に水ひたりてにえあがり、馬を燒殺(やきころ)した事有しとぞ。
[やぶちゃん注:ここに出る最後のそれは石灰石を焼灼して作った消石灰(水酸化カルシウム)であろう。
「十五六間」二十七~二十九メートル。
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