「今昔物語集」卷第十「宿驛人隨遺言金副死人置得德語第二十二」
[やぶちゃん注:採録理由と底本は『「今昔物語集」卷第四「羅漢比丘敎國王太子死語第十二」』の私の冒頭注を参照されたい。]
宿驛(しゆくえき)の人、遺言(ゆいごん)に隨ひて、金(こがね)を死人(しひと)に副(そ)へて置きたるに、德を得たる語(こと)第二十二
今は昔、震旦(しんだん)の□□代に、人、有りて、他(ほか)の州(くに)へ行く間、日晚(く)れて、驛(うまや)と云ふ所に宿りしぬ。其の所に、本より、一人(ひとり)の人、宿して病む。相ひ互に、誰人(たれひと)と知る事、無し。
而るに、本より宿りして病む人、今、宿せる人を呼ぶ。呼ぶに隨て寄りぬ。病む人、語りて云く、
「我れ、旅にして、病を受て、日來(ひごろ)、此こに有り。今夜、死なむとす。而るに、我が腰に、金二十兩、有り。我れ、死なむ後(のち)に、必ず、我れを棺に入れて、其の金(こがね)を以て、納(をさ)め置くべし。」
と。今、宿りせる人、此れを聞て、
「汝ぢ、姓(しよう)は何(いか)にぞ、名は何(いか)が云ふ、何れの洲(くに)に有る人ぞ、祖(おや)や、有る。」
など問はむと爲(す)る間に、其の事をも、問ひ敢(あ)へざる程に、此の病む人、絕え入りぬれば、今、宿りせる人、
『奇異也。』
と思ひて、死(しに)し人の腰を見るに、實(まこと)に、金(こがね)廿兩、有り。此の人、哀れびの心、有りて、死にし人の云ひしに隨ひて、其の金を取り出だして、少分を以ては、此の死にし人を納め置くべき物の具共(ども)を買ひ調へ、其の殘りをば、彼れが約の如く、少しをも殘さず、此の死に人に副(そ)へて、納め置きけり。誰人と知らずと云へども、此くの如くして、家に還りぬ。
其の後、思ひ懸けざるに、主(ぬし)を知らざる馬、離れて來れり。此の人、此の馬を見て、
『此れ、定めて樣(やう)有るらむ。』
と思ひて、取り繫ぎて、飼ふ。而るに、「我れ、主也。」と云ふ人、無し。其の後、亦、颷(つむじかぜ)の爲に、縫物の衾(ふすま)を卷き持(も)て來れり。其れも、
『樣(やう)有らむ。』
と思ひて、取りて置きつ。亦、「我れ、主。」と云て尋る人、無し。
其の後、人來りて云く、
「此の馬は、我が子、某(それ)と云ひし人の馬也。亦、衾も彼(か)れが衾を颷の爲に卷き揚げられぬ。既に、君が家に、馬も衾も、共に、有り。此れ、何(いか)なる事ぞ。」
と。家の主、答へて云く、
「此の馬は、思ひ懸けざるに、離れて出で來れる也。尋ぬる人無きに依りて、繫ぎて飼ふ。衾、亦、颷の爲に卷き持(も)て來れる也。」
と。來れる人の云く、
「馬も徒(いたづ)らに離れて來れり。衾も、颷、卷き持て來れり。君、何(いか)なる德か、有る。」
と。家の主(あるじ)、答へて云く、
「我れ、更に、德、無し。但し、然〻(しかじか)の驛(うまや)に、夜(よ)る、宿りせりしに、病み煩ひし人、本より宿りして、絕え入りにき。而(しか)るに、彼が云ひしに隨ひて、彼れが腰に有し金(こがね)二十兩を以て、遺言の如く、少分を以ては彼れを納め置くべき物の具を買ひ調(ととの)へ、其の殘りをば、少しも殘さず、彼れに副へて、納め置てなむ、還(かへ)りにし。『其の人の姓(しやう)は何(いか)にぞ、名をば何(いか)が云ふ。何(いづ)れの洲(くに)に有る人ぞ。』など、問はむとせし間に、絕え入りにき。」
と語れば、來れる人、此の事を聞て、地に臥し丸(まろ)びて、泣く事、限無し。淚を流して云く、
「其の死にけむ人は、卽ち、我が子也。此の馬も、衾も、皆、彼れが物也。君の、彼れが遺言を違(たが)へ給はざるに依りて、隱れたりし德、有れば、顯れたる驗(しる)し有て、馬も、衾も、天の、彼れが物を給ひたる也けり。」
と云て、馬も衾も取らずして、泣々(なくな)く還るに、家の主(あるじ)、馬をも、衾をも、還し渡しけれども、遂に取らずして去りにけり。
其の後、此の事、世に廣く聞え有て、
「其の人、喎(ゆが)める心、無く、直(ただし)き也けり。」
とて、世に、重く、用ゐられけり。
此れを始めとして、颷(つむじかぜ)の卷き持て來れる物をば、本の主(ぬし)に還す事、無し。亦、主も、「我が物」と云ふ事、無し。亦、卷き來れる所をも、吉(よ)き所とも爲(せ)る也となむ、語り傳へたるとや。
[やぶちゃん注:「本より」「もとより」。以前から。
「絕え入りぬれば」ここは「急に亡くなってしまったので」の意。
「其の金を取り出だして、少分を以ては、此の死にし人を納め置くべき物の具共(ども)を買ひ調へ、其の殘りをば、彼れが約の如く、少しをも殘さず、此の死に人に副(そ)へて、納め置きけり。誰人と知らずと云へども、此くの如くして、家に還りぬ」ここには埋葬のことが書かれていないが、宿に置いておくわけにはゆかないから、仮りの埋葬(土葬)をしたと考えねばならぬ。「仮りの」と私が言ったのは、彼が結局、どこの国の何んという名で、その親族の有無をさえ聞き取れなかった以上は、宿の主人も、仮埋葬するしかないからである。これは、時代が不明ではあるが、ここで私が特に「仮りの」と言ったのは、行政上の制約ではなく、中国の古来よりの習俗として、旅の途中や、異国で亡くなった死者は、生れ故郷に埋葬されない限り、その魂は決して浮かばれないという信仰があるからである。私の李復言撰「杜子春」の古い拙訳の「三」の最後で、仙人修行を決意した彼が、最後に片づけた世俗のやるべきこと中に、「客死して異郷に葬られたままの一族の者の遺骸は、それを引き取って、先祖の墳墓の地に合葬してやったのでした。」とあることからそれが判る。原文(リンク先は私の電子テクストである)では、僅かに「遷祔族親」(族親(ぞくしん)を遷祔(せんぷ)し)で、「旅の途中で亡くなり、他郷に埋葬されている一族の者の遺骸を、郷里の先祖の墳墓に合葬すること。」と私が注したものがそれである。
「此れ、定めて樣(やう)有るらむ。」「これは、きっと、何か深い訳(わけ)・理由がある、何か超自然の働きが係わっているのであろう。」と感じたのである。
「縫物の衾(ふすま)」高価な刺繡を施した寝具・夜具。今野氏の注に、『飛来した物が馬と衾であるところに生活に必要で』、且つ、贅沢な『ものだったことがうかがえる』とされる。
「徒(いたづ)らに」これと言った理由などもないのにも拘わらず、むやみやたらに馬小屋から逃げ出したというのである。
「君、何(いか)なる德か、有る。」この問いは、馬と衾の持ち主が、超自然的な力によってこの男の手元に向かったと感じ、何か、この男が天がそうするだけの徳分(とくぶん)のあることをしたか、何かそうした力を起動させる対象物を持っているのではないか、と推察したのである。
「馬も衾も取らずして、泣々(なくな)く還るに、家の主(あるじ)、馬をも、衾をも、還し渡しけれども、遂に取らずして去りにけり」一つのシークエンスを二人の男の両方向から描写したものであろう。今野氏も、『父の側からと家主の側からと双方から記述したため』、一見、まどろっこしい描写になっている旨の注記をされておられる。
「喎(ゆが)める心」「歪める心」。素直でないねじ曲がった根性。
『此れを始めとして、颷(つむじかぜ)の卷き持て來れる物をば、本の主(ぬし)に還す事、無し。亦、主も、「我が物」と云ふ事、無し』ここも前の事実を繰り返していて、ややくどい。しかも馬を外して、この後でも、高価な夜具の方をのみ二度出しているのはしつこい。今野氏も、『このことを起源として、習俗の起原譚の形となる。天に召しあげられ、天から授かるものという感覚であろう。無縁・公界の物という認識に近い』が、『陰徳、信義のテーマからやや逸脱する』と述べておられる。ここでまず、今野氏は、何故、馬をカットし、衾を特異的にここに出したかを説明されておられるものと思う。則ち、天の神が天空に、一度、旋風(つむじかぜ)で巻き上げた衾を、かの男のもとに褒美として吹き送ったと解釈出来、それが、語りとして「天」と結びつける格好の対象となっていることを指摘されているものと推察する。無論、馬は天馬を連想させ、馬もまたそのようにして送ってきたとも言えなくもないが、しかし、最後に今野氏のおっしゃる如く、本来の本話のコーダとしては、屋上屋の感を禁じ得ないとは言えよう。
「吉(よ)き所」今野氏注に『縁起のいい場所』とある。]
□やぶちゃん現代語訳(原文よりも段落を増やした。参考底本の脚注を一部で参考にはしたが、基本、オリジナル訳である)
とある駅に宿った人が、遺言に従って、大金を亡くなった人に副え置いて供養し、徳を得た事第二十二
今となっては……もう……昔のこととなってしまったが、震旦(しったん)の、□□の時代に、ある男のあって、他の国へ行くとて、途中、日が暮れたので、とある宿駅に宿をとった。
その宿には、以前から一の男が宿していたが、重い病いを患って、留まっているのであった。無論、その病人と、このある人とは、相い互いに、誰であるか、全く見知らぬ同士であった。
ところが、その以前から泊まって病んでいた男が、今日、宿った、その人を呼んだ。
呼ばれるに従って、傍らに寄り添ったところ、その病人は、次のように語り出した。
「……我れらは、旅の途中で、病いを得て……もう、かなりの間、ここに宿っておりましたが……今夜、もう、お迎えがくるように思われます……されど……我が腰には……金二十両、御座います……どうか! 我れら、死んだ後(のち)に……必ずや、我れらを棺桶にお入れ下さり……その金を……どうか……以って……その中に……お納め置いて下され……」
と。
今夜、宿った男は、これを聴くや、
「そなた、その姓は何と申される? 名は何と言い、どちらの国のお人か? 父祖はご健在化かッツ?!」
などと問わんとする間に、その答えはおろか、男の問い質しも終わらぬうち、この病人は、息を引き取ってしまったのであった。
今日、宿った男は、
『……何と……不思議なことじゃが……』
と思って、ふと、亡くなった男の腰の辺りに触れてみると、事実、金二十両があった。
この看取った人は、しみじみと哀れみの情の起こって、故人の言うた遺言の通り、その金を取り出して、その内の少しばかりを以って、この男の骸(むくろ)を納めおくべき装具など買い調え、その残りを、彼の願ったように、鐚(びた)一銭をも残さず、その棺の中に副えて、納めおき、仮りの埋葬を成した。誰人(たれびと)と知らぬとは雖も、かくの如く、仕儀を済まして、自身の家へと帰った。
その後(のち)、思いがけざることのあって、主人の不明な馬が、どこからともなく、この男のもとにやってきたのであった。
男は、この馬のなかなかの駿馬(しゅんめ)なるを見て、内心、
『これは……きっと、人知を超えたなにものかが……働いているのでは、なかろうか?……』
と思って、轡を執って、自分の屋敷で飼うことにした。
しかれども、「私が馬の持ち主である」と言ってくる人は、これ、誰もいなかった。
その後(のち)、またしても、旋風(つむじかぜ)に乗って、縫いとりをした高価な夜具が、空から降ってきたのであった。それも、男は、
『……うむ……やはりこれは……何か、あるな。』
と思ってて、取ってしまっておいた。これもまた、「私が持ち主」と言って、尋ねてくる人が、同じく、おらぬのである。
その後、とある日、ある人が来たって、とりあえず飼いおいてあった馬を眺め、たまたま風入(かざい)れのために日にかざしてあった衾(ふすま)を見て言うことには、
「この馬は、我が子の某(なにがし)と言う者の馬である。また、そこにある衾も、これ彼の衾が、たまたま日干ししておいたところが、旋風(つむじかぜ)のために、巻き揚げられて行方知れずとなったものだ。ところが、かくも、貴殿の家に、これ、馬も、衾も、ともにあるではないか! これは、どういうことかッツ!?!」
と息巻いて叫んだ。
家の主(あるじ)は、穏やかに答えて言った。
「この馬は、思ひがけず、いずこからか、逃げ離れて、ここへやってきたものであります。尋ねてくる御仁もおらざれば、よって、繋いで飼(こ)うております。さて、衾(ふすま)ですが、これもまた、旋風(つむじかぜ)のために、巻き揚げられて、我が家に降って参ったもので御座る。」
と。
来たった人は、それを聴くと、
「……馬も、知らぬ間にふいと、我が家から逃げて、ここへやってきたし、衾も、また、旋風(つむじかぜ)が巻き揚げてここへ来たった。……貴殿、もしや、何らかの『徳』をお持ちかな?」
と応じた。
家の主(あるじ)が答えて言うに、
「私は、これといって、『徳』なんどは御座らぬ。……ただ……□□という宿駅に於いて、夜、宿(やど)致したのですが、そこに、病いを煩ったお人が一人、以前より泊まっておられ、その夜、亡くなられた。私はそれを独りで看取ったのですが、末期(まつご)にそのお人が言い残した言葉に従って、そのお人の腰を閲(けみ)致しまいたところ、金二十両の大金が御座いました。それを以って、その方の御遺言の通り、その金の僅かを以って、かのお人を納めおくべき祭具を買い調えて、その残りの大枚(たいまい)をば、少しも残すことなく、かのお人に副えて、納めおいて、仮りに埋葬を成して、しかして、帰ったということが御座います。その折り、『そなたの姓は何と? 名は何と言うか? いずこ国のお方であるか?』などと、問おうと致しましたが、その折りに息絶えられたのでありました。」[やぶちゃん注:「□□という宿駅」は私の敷衍訳。これは注で述べた通り、父は息子の遺体を改葬する習俗としての義務があると考え、宿駅の場所を父が尋ねるシークエンスなんどを後に継いだのでは、折角の本篇にスムースな流れが乱されると考えた仕儀であるとご理解戴きたいのである。]
と語ったところ、今、来たった人は、この主(あるじ)の言葉を聴くや、たちまち、地に臥して、蹲って、激しく泣くのであった。
暫くして、その人は、涙を流しながら、
「……その死んだ人者は……これ、即ち、我が子で御座る! この馬も! この衾(ふすま)も! みな、彼の持ち物で御座る! 貴殿が、彼の最期の遺言を、お違(たが)えなさることなく、かくせられたによって……それこそ、隠れて御座った『徳』であってみれば……ここに顕(あらわ)れが、その験(しる)しで御座って……馬も……衾も……天が彼の物を、貴殿にお給えなされたのに相違御座いませぬ!……」
と言って、馬も衾も取り戻さずして、泣く泣く帰ってらんとしたので、家の主(あるじ)は、
「馬も、衾も、お還し致す。」
と、渡そうとしたけれども、その父なる人は、ついに受け取らずに、去って行ったのであった。
その後(のち)、このこと、世に、広く聞え、あって、
「その人は、まっこと邪な心、これ全くなく、真正直な御仁ではないか!」
と、世に、重く用いられたということである。
さても、この出来事を始めとして、旋風(つむじかぜ)の巻き揚げてもて来たれる物は、これ、本(もと)の主持ち主に還(かえ)す必要は、これ、ない、ということになった。また、その元の持ち主も、私の物と主張せぬこととなった、のである。
そうしてまた、このような天来の、巻き揚げられて来ったところのものは、これ、「目出たい縁起物」として「天の下され物」とする風習が生まれたのであると、かく語り伝えているということである。
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