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2022/04/22

「南方隨筆」版 南方熊楠「今昔物語の硏究」 一~(1) / 卷第四 羅漢比丘敎國王太子死語第十二

 

[やぶちゃん注:本論考は「一」が大正二(一九一三)年八月、「二」が同年十一月、「三」が同年、最後の「四」が翌大正三年五月発行の『鄕土硏究』初出で、大正一五(一九二六)年五月に岡書院から刊行された単行本「南方隨筆」に収録された。

 底本は同書初版本を国立国会図書館デジタルコレクションの原本画像ここが冒頭)で視認して用いた。但し、加工データとしてサイト「私設万葉文庫」にある電子テクスト(底本は平凡社「南方熊楠全集」第二巻(南方閑話・南方随筆・続南方随筆)一九七一年刊で新字新仮名)を加工データとして使用させて戴くこととした。ここに御礼申し上げる。

 疑問箇所は所持する平凡社「南方熊楠選集3」の「南方随筆」(新字新仮名)で校合した。同選集は本篇の初出の誤りが補正してあり、しかも原文はなく、元版全集編者による読み下し文となっている(しかし、それは現代仮名遣の気持ちの悪い代物であり、無論、漢字は新字体である)。今までもそうしてきたが、底本の原文通り、まず、底本の返り点のみのついた漢文で示し(但し、返り点に誤りがあると認めた場合はそれを訂した)、その後に《 》で推定される訓読文を添えた。但し、私は可能な限り、引用原本を確認出来るものは、それで確認して誤りと判断し得たものは訂し、「選集」のみが拠り所となる場合でも、無批判の受け入れず、読みも私の我流で訓読し直してある。そうした部分は、実は甚だしく多くあるから、五月蠅くなるばかりなので、通常、その底本の誤りは、原則、注記しない。なお、原話の正確な部分を探すのに最も活用したのは「大蔵経データベース」である。

 なお、本論考の参考に供するため、熊楠が採り上げている「今昔物語集」の当該話のうち、私が電子化(注)していない作品については、本電子化注に先立って、この私のブログ・カテゴリ『「今昔物語集」を読む』で事前に電子化訳注をしておいた。実際、その話と比較しながらでなければ、本論考は素人では全く歯が立たないと思われるからである。

 なお、ブログでの本篇電子化注は「今昔物語集」の各話の論考の切れ目で分割して示す。]

 

      今 昔 物 語 の 硏 究

 

       

 

 今昔物語集卷四「羅漢比丘敎國王太子死語第十二」《羅漢の比丘、國王太子の死を敎へたる語(こと)第十二》の本話が芳賀博士の纂訂本に出て居らぬ。唯だ此話に綠の遠い史記の西門豹が河伯の爲に民の娘を川に沈むるを禁じた話を參看せよと有るのみだ。然し此話の出所は玄奘の西域記卷十二、達摩悉鐵帝國、昏馱多城、國之都也、中有伽藍、此國先王之所建立、疏ㇾ崖奠ㇾ谷式建堂宇、此國之先、未ㇾ被 佛敎 、但事邪神、數百年前、肇弘法化、初此國王愛子嬰ㇾ疾、徒究醫術、有ㇾ加無ㇾ瘳、王乃躬往天祠、禮請求ㇾ救、時彼主爲ㇾ神下ㇾ語、必當痊復、良無他慮、王聞喜慰、囘駕而歸、路逢沙門、容止可ㇾ觀、駭問其形服、問ㇾ所從至、此沙門者、已證聖果、欲ㇾ弘佛法故、此儀形、而報ㇾ王曰、我如來弟子、所謂苾芻也、王既憂心、卽先問曰、我子嬰疾、生死未分、沙門曰、王先靈可ㇾ起、愛子難濟《昏馱多城(こんだたじやう)は國の都なり。中に伽藍有り、此の國の先王の建立する所なり。崖を疏(ほりとほ)し、谷を奠(うづ)め、以つて堂宇を建つ。この國の先(せん)は[やぶちゃん注:この国はこれ以前に。]、未だ佛敎を被(う)けず、但(た)だ、邪神に事(つか)ふ。數首年前、肇(はじ)めて法化(ほふけ)を弘(ひろ)む。初め、此の國王の愛子(あいし)、疾ひに嬰(かか)る。徒(いたづら)に醫術を究め、加ふる有れども、瘳(い)ゆること無し。王、乃(すなは)ち、躬(みづか)ら、天祠(てんし)に往き、禮し、請ふて、救ひを求む。時に、彼(か)の主(しゆ)[やぶちゃん注:神主。神官。]、神と爲りて語(ことば)[やぶちゃん注:神託のお告げ。]を下して、「必ず、當(まさ)に痊復(せんぷく)すべし。良(まこと)に他慮すること、無かれ。」と。王、聞きて、喜び、慰められ、駕(が)を囘(めぐ)らして歸る。路(みち)に沙門に逢ふ。容止(ようし)[やぶちゃん注:姿や立ち居振る舞い。]、觀るべし。その形服に駭(おどろ)きて、從(よ)つて至る所を、問ふ。此の沙門、已(すで)に聖果(しやうくわ)を證(しやう)し、佛法を弘(ひろ)めむと欲するが故に此の儀形(ぎぎやう)あり。而して、王に報じて曰はく、「我れは如來の弟子、所謂(いはゆる)、苾芻(ひつしゆ)[やぶちゃん注:現代仮名遣「ひっしゅ」。比丘に同じ。]なり。」と。王、既に心に憂ふれば、卽ち、先づ、問ふて曰はく、「我が子は疾ひに嬰り、生死(しょうじ)、未だ分かたず。」と。沙門曰はく、「王の先靈(せんりやう)は起こすべきも、愛子は濟ひ難し。」と。》(是は、王の死んだ先祖の靈を復生らす[やぶちゃん注:「いきかへらす。]術有りとも、王の愛子の死を救ふ方は無いと云ふ意なるを物語集の筆者解し損ねて、沙門答て云く、御子必ず死給ひなむとす、助け給はむに力不ㇾ及ず《力(ちから)及ばず》、是れ天皇の御靈の所爲也と譯し居る)。王曰、天神謂其不ㇾ死、沙門言、其當ㇾ終、詭ㇾ俗之人言何可信。遲至宮中、愛子已死、匿不ㇾ發喪、更問神主、猶曰不ㇾ死、疹疾當瘳、王便發怒、縛神主而數曰、汝曹群居、長ㇾ惡妄行威福、我子已死、尙云當瘳、此而謬惑、孰不ㇾ可ㇾ忍、宜戮神主殄滅靈廟、於ㇾ是殺神主、除神像、投縛芻河、迴駕而還、又遇沙門、見而敬悅、稽首謝曰、曩無明導、佇足邪途、澆弊雖久、沿革在ㇾ茲、願能垂顧、降臨居室、沙門受ㇾ請、隨至中宮、葬子既已、謂沙門曰、人世糺紛、生死流轉、我子嬰ㇾ疾、問其去留、神而妄言、當必痊差、先承指告、果無虛脫、斯則其法可ㇾ奉、唯垂哀愍、導此迷徒、遂請沙門、揆度伽藍、依其規矩而便建立、自ㇾ爾之後、佛敎方隆云々、大精舍中有石佛像、像上懸金銅圓蓋、衆寶莊嚴、人有旋繞、蓋亦隨轉、人止蓋止、莫ㇾ測靈鑒。聞諸耆舊曰、或云聖人願力所ㇾ持、或謂機關祕術所ㇾ致、觀其堂宇、石壁堅峻、考厥衆議、莫知實録。《『王曰はく、「天神、其れ、死せざるを謂ふ。」と。沙門曰はく、「其れ、當(まさ)に終はるべし。俗を詭(いつは)る人の言(げん)、何ぞ信ずべけんや。」と。遲く、宮中に至るに、愛子、已に死せり。匿(かく)して、喪を發(はつ)せず。更に神主(しんしゆ)に問ふに、猶曰はく、「死せず。疹疾(しんしつ)、當に瘳(い)ゆべし。」と。王、便(すなは)ち、怒りを發し、神主を縛りて數(せ)めて[やぶちゃん注:罪を数えて相手を責めて。]曰はく、「汝曹(なんぢら)は群れ居(を)りて、惡を長(ちやう)じ、妄(みだ)りに威福を行なひ、我が子、已に死せるに、尙、『當に瘳ゆべし』と云ふ。此く、謬(あやま)り惑はすは、孰(いづくん)ぞ忍ぶべからざらん。宜しく神主を戮(ころ)し、靈廟を殄滅(てんめつ)すべし[やぶちゃん注:完全に殲滅せよ。]。」と。是(ここ)に於いて、神主を殺し、神像を除き、縛芻河(ばくすうが)[やぶちゃん注:オクサス川。Oxus。中央アジアの大河川アムダリヤのラテン名。私の『「今昔物語集」卷第四「羅漢比丘敎國王太子死語第十二」』の注を参照。地図をリンクさせてある。]に投じ、駕を廻(かへ)して歸る。又、沙門に遇ふ。見て、敬(つつし)んで、悅び、稽首して謝して曰はく、「晨(さき)に、明導、無くば、足を邪まなる途(みち)に佇(とど)めしならん。弊(へい)を澆(うすくす)ること、久しと雖も、沿革は玆(ここ)に在り[やぶちゃん注:「このような悪しき事態となったもとは我が国の歴史の信仰の誤りにこそある」の意か。]。願はくは、能く顧(いつくし)みを垂れ、居室[やぶちゃん注:この王国の宮廷。]に降臨されんことを。」と。沙門、請ひを受け、隨ひて中宮(ちゆうぐう)に至る。子を葬ること、既に已(をは)り、沙門に謂ひて曰はく、「人世は糺紛(きうふん)して、生死(しやうじ)、流轉す。我が子、疾ひに嬰(かか)りて、其の去留を問ふに、神をして妄言するに。『當に必ず痊-差(い)ゆべし』とせり。先に指告(しこく)を承(う)くるに、果して、虛脫、無し。斯(こ)れ便(すなは)ち、その法(ほふ)を奉ずべきなり。唯(た)だ、哀-愍(あはれ)みを垂れて、此の迷徒(めいと)を導け。」と。遂に、沙門に請ひて、伽藍を揆-度(はか)り[やぶちゃん注:全体を見渡して推し量って。]、其の規矩(きく)に依りて、便ち、建立す。爾(こ)れより後(のち)、佛法、方(まさ)に盛んとなる』云々。『伽藍の大精舍中、石佛像、有り。像の上に、金銅(こんどう)の圓蓋(ゑんがい)を懸け、衆(おほ)くの寶もて、莊嚴(しやうごん)す。人、旋(まは)り繞(めぐ)るもの有れば、蓋も亦、隨ひて轉(まは)る。人、止(とど)まれば、蓋も、止まり、靈鑒(れいきん)[やぶちゃん注:霊の鏡としてのあらたかなる験し。]、測ること、莫(な)し。諸(こ)れを耆舊(ぎきう)[やぶちゃん注:現代仮名遣「ぎきゅう」。昔馴染みの老人。]に聞くに、曰はく、或いは、云はく、「聖人の願力(ぐわんりき)の持(じ)する所なり。」と。或いは謂はく、「機關(からくり)の祕術の致す所なり。」と。其の堂宇を觀るに、石壁は竪峻(けんしゆん)なり。厥(そ)の衆議を考ふるに、實錄を知るもの莫し」。》、慈恩傳卷五には、昏馱多城中有伽藍、此國先王所ㇾ立、伽藍中石佛像上有金銅圓蓋、雜寶裝瑩、自然住レ空、當於佛頂、人有禮旋、蓋亦隨轉、人停蓋止、莫ㇾ測其靈《昏駄多城中に、伽藍、有り。此の國の先王の立つる所なり。伽藍中の石の佛像の上に、金銅の圓蓋有り。雜寶(ざうはう)、莊(けだか)く瑩(かがや)き、自-然(おのづ)と、空(くう)に住(とどま)りて、佛頂に當(あ)たる。人、禮して、旋(めぐ)れば、蓋も亦、隨ひて轉(めぐ)る。人、停まれば、蓋も、止まる。其の靈、測る莫し。》とばかりあって緣起を說て無い(一九〇六年板「ビール」英譯西域記二の二九三頁と一九一一年板同氏譯玄奘傳一九七頁をも併せ見よ)。

[やぶちゃん注:以上で熊楠が採り上げている話は、こちらで電子化訳注してある

「芳賀博士の纂訂本」国文学者芳賀矢一「攷証今昔物語集」で、国立国会図書館デジタルコレクションで大正二年から十年にかけて冨山房から刊行したそれが読める。彼の批判した当該部は、ここと次のページである。「やたがらすナビ」で同芳賀校訂本の本文だけがここに電子化されてある。但し、全然パンチが弱い新字である。私の上記の正字正仮名版を強くお薦めする。

「史記の西門豹が河伯の爲に民の娘を川に沈むるを禁じた話を參看せよ」前注で示した話をただ活字にしただけの最後に、『(本書卷十第三十三條立生贄國王止此平國語參閲)』とだけあるのを指す。この標題は、「生贄(いけにへ)を立つるに、國の王、此れを止(とど)めて國を平(たひらげ)る語(こと)」と読む(「やたがらすナビ」のこちらで電子化された読み易いものが視認出来る。但し、新字である)。その指示するのは、ここにある「○史記卷百二十六滑𥡴傳」のそれなのであるが、この話、私が読んでも、こちらの話とはひどく異なっており、原拠であるどころか、類話でさえない、おかしな「見よ注記」と言わざるを得ぬ。熊楠の不満げな批判的物言いは頗る正当と言える。正直、芳賀は「源氏物語」を『乱倫の書物』と誹謗し、「こんなものが日本の大古典であることは情けない」と言い放って何とも思わないガチガチな常識人だった。されば、正直、優れた稗史で、時にエロティックで滑稽な「今昔物語集」を、これ、正当に評価・校訂するに相応しい学者だったとは、私は全く以って思わないと述べておく。

「慈恩傳」「大慈恩寺三藏法師傳」玄奘(六〇二年~六六四年)の伝記。全十巻。唐の慧立の編になる。

『「ビール」英譯西域記』イギリスの東洋学者で、最初に初期仏教の記録類を中国語から直接翻訳したサムエル・ビール(Samuel Beal 一八二五年~一八八九年)。よく判らないが、死後の一九一一年刊の“The Life of Hiuen-Tsiang”(「玄奘の生涯」)辺りに含まれるか。「Internet archive」のこちらに一九一四年版があるが、版が孰れも違うので、流石に探す気にはならない。悪しからず。]

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