只野真葛 むかしばなし (47)
○例の敵役(かたきやく)の桑原おぢ樣は、おなじ築地にすみながら、庭も家もせまくわびわびとしてござるが、底心《そこしん》くやしく、いつもいつもふさいでばかり。内心には、『一生の内には、はやりだして、ふんでみせやう。』と、ふくんでござりしなり。行(ゆき)てみるに、言(いふ)にいできも、其やうに被ㇾ仰て有し。奈須の惡心に引込(ひっこま)れてわるいことや貧乏に成(なり)そふなことばかり、だんだん被ㇾ成(なされし)を、そこ、おかしく見てござりながら、顏にもださず、内田をつゝいて、地たてのもくろみし、工藤で、こまれば、壁とむかつて、笑みをふくむ、といふ、かたちなり。父樣は、たゞ樂しみにばかりおぼれていらせられし内、月日は立(たち)て、昔の隣、内田一郞殿は、玄松(げんしよう)となられ、かの懇意の母樣も、なくなり、つらくおもふに、『我(わが)地面を人の自由にばかりせらるゝは、馬鹿らし。』とや、心づかれけん、腰、おしつゝく人や有けん、手習弟子なりし昔のよしみは、ときにて、一向、こちへは、沙汰なしに、地面を、其頃、派(は)きゝの若年寄つとめらるゝ御大名女隱居へうりわたし、半金、うけ取てのうへ、
「かやうかやうの次第故、其地を明(あけ)て被ㇾ下べし。」
といひ入(いれ)たり【今、玄松とても、昔は父樣にしたがひて有し人なり。一向しらぬ人を、あしらふ樣に、さたなしにするは、さりての有し故なり。年も廿少餘(すこしあまり)のことなるを、ぜひ、たゝねば、ならぬやうなことを、こしらへて、しらぬ顏でゐる心意氣、にくいけれども、仕方なし。】[やぶちゃん注:底本に『原頭註』とある。]。是をのがるゝ御くふうは、さすがの智者の父樣も、一寸でず、大きに御難儀被ㇾ成しなり。
さりながら、「公儀御用の外は相(あひ)たてまじ」と云(いふ)證文とりてのうへ、地をかりること故、それを仰(おほせ)たてられし。
「公用ならねば、立(たち)がたし。」
と被ㇾ仰しを、あのかたにては、手付をわたし候故、やかましく、其金は、とくに内田は、つかいつぶし、
「さよふなら、手付金かへし、上(あが)る分、おぎなわれよ。」
と、のいひ分、大にもめて、ひまとる内、先かたより、御屋敷へ使者をたてられ、
「其御家中工藤平肋と申(まうす)者、手前にてかいとりし地に住居(すみゐ)候所、何卒早速明渡(あけわた)し候やう仰付被ㇾ下度。」
と、いはれしとぞ。
此口上、以の外、徹山樣、御意にさわり、
「なぞや、小家の分として、わづか若(わか)老中の役を鼻にかけて、大家の家中を、かろがろしくとりあつかふや。にくきことなり。」
とて、
「公用ならねば、いつまでも家中のもの立のき候事、なりがたし。」
と、ぴんと御挨拶被ㇾ遊て、父樣をめして、
「かやうかやうのこと有。かろがろしく立(たつ)べからず。」
と仰付られしとぞ。先かたにては、使者の御返答、あしければ、
「一番、是はしくじつたり、やはらかにかゝれ。」
と聲をひそめ、進物をもたせて、
「何とも無心しごくながら、引料(ひきれう)を進じ申べし。地面あけて被ㇾ下。」
と下手(したて)でかゝられ、りきまれもせず、とてもこう成(なり)かゝりし上は、我(が)をはつてゐて見た所が、おもしろからずと思召、
「さやうならば、此家御とゝのへ被ㇾ下たし。」
と被ㇾ仰しに、
「はや、材木、切組(きりくみ)候間、入用に、なし。」
といはれゐるに、はした立(だて)もはしたにて、しづ心なく、壱兩年は、つゝかせられしとぞ。
時に、西をの、火事、おこりて、一時の煙と成しかば、地主は鬼にこぶをとられしおもひ、
「早々、立(たつ)たら、私(わたくし)宅、早々、此火事に逢(あふ)べきものを。是も御運のよきなり。」
と、いはひ、ことほぎて、普請、有しならん。
[やぶちゃん注:「西をの」「西の方の小野」か。西側の野原。]
服部にては、此さたあるやいなや、家を引(ひき)て、愛宕下に引こせし故、火難のがれたり。服部、もとより、妾(めかけ)すまゐなりしが、はじめのは、船頭の娘にて有しが、兄おやの船頭ども來(くる)時は、座敷へとほし、高膳にて、物くわせしとぞ。難產にて死し、其あとへ、「おりつ」を御せわ被ㇾ遊、つかはされしなり。「おりつ」は、そなたの乳母なりしが、五ツまでは年季の内なるを、母樣に手を習(ならひ)、縫物をならひして、一通(ひととほり)どこへ行(ゆき)ても、よきほどにおぼひると、四の年、むりいとまとりて下(さが)り、旗本衆へ物縫に上りしといふとぞ。なりよき仕方にもなかりしを、隣の妾、たづぬる故、
「もとのしれぬものよりは、よからん。」
と思(おぼし)めし、母樣より御文被ㇾ遣しかば、また、先よりも、無理いとまとりて下り、萬(よろづ)の上のせわにて被ㇾ遣し時、ばゞ樣の、
「こちを、里とおもへ。」
と被ㇾ仰し御一言を證(しやう)にとりて、後、外々(ほかほか)へ、
「里。」
と披露せしは、こゝろよからぬしかたなりし。さやうのこと故、火事の節も、御立のき被ㇾ遊しなり。二、三日、いらせられて、近所の小家をかりてうつらせられし。常は少々の火事にも、出入のもの、よく來りしが、此時にかぎりては、常(つね)かけ付(つく)ものゝ所、先(さき)に、火、かゝりし故、壱人もきたらず、父樣は御屋敷へ御つとめ被ㇾ成、元丹と喜兵衞ばかりにて、道具もかたづけかねて有しとぞ。【御ふしん被ㇾ成てより、火事迄の間、七年なり。】[やぶちゃん注:同前で『原頭註』とある。]
百味たんすは父樣御くふうにて、
「出火持(もち)のきのため。」
とて、よくさゝせておかれしを、藏入(くらいり)にして、燒(やき)たるぞ、おしき。常はひらきて、壁に付(つけ)、引出しの方を内にして、たゝめば、かやうに成り、かな物もあつらへにて、かたかたうつぼ、かたかたは、ほそくて、させば、そのまゝ棒をとをすよふに仕(し)たる物なりし。折々此ことを被ㇾ仰て有し。御一生、不自由被ㇾ遊し。
[やぶちゃん注:ここに「百味たんす」(簞笥)の真葛のスケッチが入る。底本よりトリミングして入れた。言わずもがなだが、漢方医が薬品を入れておく小さな引き出しが沢山ついている箪笥。「薬味箪笥」とも呼ぶ。右上のでっぱりが「うつぼ」であろう。
「うつぼ」「空穗・靫」で、本来は実戦用の矢を指す容器であるが、近世は大名行列の威儀となり、紙の張抜(はりぬき)製のものに黒漆塗りにして金紋を据え、飾り調度とした。ここは、後者。]
幕も、あたらしく、二はり、こしらへられしを、火事のせつ、野宿しても、幕、あれば、よきものなるを、是も藏入にしてやくし、小袖だんすが、ばゞ樣、壱(ひとつ)、母樣、壱のうへ、御普請前、思召付(おぼしめしつき)にて、上桐にて、白木にさゝせ、黑ぬりの金物(かなもの)打(うち)たるが、小袖入、羽織入と、かたちを別にして、二ツ被二仰付一てしを、寸法、内のり・外のりの、たがひにて、巾、せまく、用たゝず、
「子どもの着物、入(いれ)よ。」
とて、又、あらたに二(ふたつ)、出來たりし。都合、七ツ有しを、壱ツも出(いださ)ず。衣類を包にばかりしてもちのきし故、早速、入物(いれもの)に、こまる。朱ぬりの刀懸(かたながけ)、大きからずして、下に懷中物・さげ物など入(い)るよふにしたる有しが、なくて、不自由なり。此品々は母樣にも、
「どうぞ、出(いだ)せば、よかりし。」
と被ㇾ仰し。外は是非もなきことゝ思召れしなり。
其時代は下人まで律義なりしなり。又、築地邊(あたり)の人は、心が、よかりしなり。出入のあき人も、たゞものを預(あづかり)ておいて、心づかひのなき人、多かりし。