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2022/04/24

「南方隨筆」版 南方熊楠「今昔物語の硏究」 二~(3) / 巻第三 金翅鳥子免修羅難語第十

 

[やぶちゃん注:本電子化の方針は「一~(1)」を参照されたい。熊楠が採り上げた当該話はこちらで電子化訳注してあるので、まず、それを読まれたい。底本ではここから。]

 

〇金翅鳥子免修羅難語《金翅鳥(こんじてう)の子(こ)、修羅の難を免(まぬか)れたる語》」(卷三、第十)芳賀博士の纂訂本一九三頁に、私聚百因緣集より少しく異文の同話を擧げた斗りで、出處も類語も載せず、予も此語の出處を見出し得ぬが、同態の類語が、姚秦竺佛念譯、菩薩處胎經四に出でたるを知る。云く、佛、智積菩薩[やぶちゃん注:「ちしやくぼさつ」。]の問に對ふらく、吾昔一時無央數劫、爲金翅鳥王云々、於百千萬劫時、乃入ㇾ海求ㇾ龍爲レ食、時彼海中有化生龍子、八日、十四日、十五日、受如來齋八禁戒法、不殺ㇾ不ㇾ盜不ㇾ婬不妄言綺語不ㇾ勸ㇾ飮ㇾ酒不ㇾ聽レ作倡伎樂香花脂粉高廣床、非時不ㇾ食。奉持賢聖八法、時金翅鳥王、身長八千由旬、左右翅各各長四千由旬、大海縱廣三百三十六萬里、金翅鳥以ㇾ翅斫ㇾ水取ㇾ龍、水未ㇾ合頃、銜ㇾ龍飛出、金翅鳥法、欲ㇾ食ㇾ龍時、先從ㇾ尾而吞、到須彌山北、有大緣鐵樹、高十六萬里、銜ㇾ龍至ㇾ彼、欲得ㇾ食噉、求龍尾、不ㇾ知處、以經日夜、明日龍出尾、語金翅鳥、化生龍者我身是也、我不ㇾ持八關齋法者、汝卽灰滅我、金翅鳥聞ㇾ之悔過自責《『吾れ、昔、一時、無央數劫(むあうしゆがふ)に、金翅鳥王(きんしてうわう)と爲る』云々、『百千萬劫の時に、乃(すなは)ち、海に入りて龍を求め、食と爲(な)す。時に、彼(か)の海中に化生(けしやう)せる龍の子(こ)あり。八日・十四日・十五日に、如來の八つの禁戒を齋(さい)する法を受く。殺さず、盜まず、婬せず、妄言綺語せず、酒を飮まず、倡伎の樂と香花と脂粉と、高く廣き床を作(な)すを聽かず、非時に食せず、賢聖の八法を奉持す。時に、金翅鳥王は、身の長(た)け八千由旬[やぶちゃん注:一由旬は説にはばがあり、七~十四・五キロメートル。]、左右の金翅、各各(おのおの)長さ四千由旬、大海は縱廣(じゆうくわう)三百三十六萬里なり。金翅鳥は、翅(はね)を以つて、水を斫(き)り、龍を取るに、水、未だ合はざる頃(ころあ)ひに、龍を銜(くは)へて、飛び出づ。金翅鳥の法(はう)は、龍を食らはんとする時、先づ、尾よりして吞み、須彌山(しゆみせん)の北に到るに、大鐵樹、有りて、高さ十六萬里。龍を銜へ、彼(か)に至りて、食ひ得て、噉(くら)はんと欲(ほつ)するも、龍の尾を求むるに、知れざる處(ところ)、以つて日夜を經(へ)たり。明日(みやうにち)、龍、尾を出し、金翅鳥に語(い)はく、「化生せる龍は、我が身、是れなり。我れ、八關の齋法(さいはふ)を持(じ)せざれば、汝、卽ち、我れを、灰滅(くわいめつ)せしならん。」と。金翅鳥、之れを聞きて、過(あやま)ちを悔ひて自責す。』と。》、夫より鳥王其宮殿に化生龍を請じ、八關齊法[やぶちゃん注:「はつかいさいはふ」。]を受け、誓ふて自後殺生せなんだと有る。中阿含經に見えた聖八支齊は則ち八關で、佛敎の初生時代には尤も信徒間に重んじ行はれた者だ、大智度論に、六齊日に八戒を受け、福德を修むる譯は、是日惡鬼逐ㇾ人、欲ㇾ奪人命、疾病凶衰、令人不吉、是故劫初聖人、敎人持齋、修ㇾ善作ㇾ福、以避凶衰、是時齋法、不ㇾ受八戒、直以一日不食爲ㇾ齋、後佛出世、敎語ㇾ之言。汝當一日一夜如諸佛八戒過ㇾ中不ㇾ食、是功徳將ㇾ人至涅槃《是の日、惡鬼、人を逐(お)ひ、人命を奪はんと欲し、疾病・凶衰もて、人をして不吉ならしむ。是の故に、劫初(こうしよ)の聖人(しやうにん)は、人に齋(さい)を持(じ)するを敎へ、善を修め、福を作(な)し、以つて凶衰を避けしむ。是の時の齋法は、八戒を受けずして、直(た)だ、一日、食らはざるを以つて齋と爲す。後、佛、出世し、敎へて之れを語りて言はく、「汝、當(まさ)に、一日一夜は、諸佛のごとく八戒を持し、中(ひる)を過ぎて食はざるべし。」と。是の功德、人を將つて涅槃に至らしむ》と有る、然るに佛敎支那に入て後、この八關齊は如法[やぶちゃん注:「によほふ」。仏陀の教えた教法の通りであること。]に行はれず、自分の戒行を愼み修めて涅槃を願ふよりも、死人の追善を重んじ、四十九日の佛事を專ら營む事と成たので、八關齊を七七日の施に切替へ、龍と金翅鳥を(類似重複の話が經中に多きを厭ひ)金翅鳥と阿修羅王と作た[やぶちゃん注:「つくつた」。]のだらう。釋氏要覽に、瑜伽論曰、人死中有身、若未ㇾ得生緣、極七日住、死而復生、如ㇾ是展轉生死、至七七日、決定得ㇾ生、若有生緣、卽不ㇾ定、今尋經旨極善惡無中有、(極善卽惡生淨土、極惡惡卽地獄)今人亡、每七日營亡毎至七日。必營齋追福者、令中有種子不ㇾ轉生惡趣也《人、死して中有(ちゆうう)の身ありて、若し未だ生緣を得ざれば、七日を極(かぎ)りとして住(ぢゆう)し、死して、復た、生く。是くのごとく、展轉として、生死(しやうじ)し、七七日(しちしちにち)に至りて決定(けつぢやう)して生(しやう)を得(う)。若し生緣(しやうえん)有れば、卽ち、定まらず。今、經旨(きやうし)を尋ぬるに、極善惡(ごくぜんあく)の者は、中有、無し(極善は、卽ち、淨土に生まれ、極惡は、卽ち、地獄に生まる。)。今、人、亡(ばう)じて七日每(ごと)に齋を營み、追福(ついぶく)するは、中有の種子(しゆじ)をして惡趣に轉生(てんしやう)せざらしむるものなり。》とあるを見ても、七七日の佛事と云ふ事は、後世佛敎徒間に起つた事らしい。

[やぶちゃん注:ここでの経典引用は、表記だけでなく、各部分からに合成部が甚だ多く、特に後の「釋氏要覽」からのそれは、原文中に丸括弧で挿入されるのを見ても不審が判る通り、切り張りが甚だしく、「大蔵経データベース」から、すっきり原文を抜き取ることが出来なかった。どう切り張りしたかもよく判らない箇所多かった(或いは正規の同書原本とは異なる抄録本を引用元に用いているのかも知れぬ)ため、やむを得ず、部分的に底本に従った箇所がある。但し、「齋」の字については、経典部分では「大蔵経データベース」に従い、「齋」を用い、熊楠の語る部分では、底本表記を重んじて、「齊」の字で表記した。なお、今さら言うまでもないとは思うのだが、若い読者のために注しておくと、「齋」=「齊」=「斎」は仏教語の和訓では「とき」と読み、「時」とも書き、僧侶の本来の午前中の一度きりの食事を指す。今や誰も実行している本邦の僧侶はいないと思うが、本来、仏僧は一日に午前中に一食しか食事を摂ることは許されないのである。しかし、現実的に、それだけでは、身が持たず、修行も滞るばかりか、栄養失調になって話にならないことから、非常に古くから、午後に非公式の食事を摂ることが許された。それを正しくない摂餌として心に戒めるために「非時」と呼ぶのである(現代では、そんなことを心にとめておる僧は、これまた、おるまいが)。なお、僧侶に布施として捧げる食物や物品・金銭を広く「斎料」(ときりょう)とも呼ぶ。

「第十」私の電子化訳注を見ればお判り戴ける通り、実際には、岩波「新日本古典文学大系」の底本「東大甲本」では話柄の数の番号が欠落している。但し、順列通りで欠損がないとすれば、「第十」である。

「芳賀博士の纂訂本一九三頁に、私聚百因緣集より少しく異文の同話を擧げた斗りで、出處も類語も載せず」ここ。「私聚百因緣集」(しじゆひやくいんねんしふ)は鎌倉前期の説話集。正嘉元(一二五七)年に当時四十八歳であった常陸国の浄土教の僧愚勧住信著。全九巻百四十七話。仏法の正しさを説話によって示し、衆生に極楽往生を遂げさせる機縁とすることを目的として著わされたもの。仏教の歴史に関する説話・高僧の伝記などが多いが、その総てが諸書からの引用で、その中でも特に「今昔物語集」の影響が著しく、他に「日本往生極楽記」や「発心集」の引用が目立つ。直接の関係は見られないが、親鸞布教前後の東国の浄土教の広まりを知る貴重な資料とされる。しかし、芳賀の引用を見ても判る通り、これは殆んど本篇に基づいて引用したに過ぎず、概ね、後代の本書に基づく類話や、甚だ怪しい類話でさえない話を挙げて「攷証」を書名に冠して満足している芳賀のそれは、今時の大学生でも出来てしまう頗る羊頭狗肉のつまらぬ論証が多過ぎる。私には南方熊楠の激しい苛立ちがよく判る。

「姚秦」「えうしん」(ようしん)。五胡十六国時代に羌族の族長姚萇によって建てられた後秦(三八四年~四一七年の別名。先行する統一国家秦と区別するための呼称。

「八關齊法」「八斎戒」に同じ。インド仏教の戒律。在家信者が一昼夜の間だけ守ると誓って受けるところの八つの戒律。則ち、㊀生物を殺さない。㊁他人のものを盗まない。㊂嘘をつかない。㊃酒を飲まない。㊄性行為をしない。㊅午後は食事をとらない。㊆花飾りや香料を身に附けず、歌舞音曲等を見たり聞いたりしない。㊇地上に敷いた床のみで寝て、脚の高立派な寝台を用いない、という八戒で、主に原始仏教と部派仏教で行われた。一般に在家信者は一ヶ月に六回、日の出とともに、この戒を受けて、翌朝の日の出までそれを守った。そこから「一日戒」(いちじつかい)とも称した。在家信者の、所謂、「精進日」で、出家者に準じた在家信者の修行の一つであった。

「中有」衆生が死んでから次の縁を得るまでの間を指す「四有(しう)」の一つである。通常は、輪廻に於いて、無限に生死を繰り返す生存の状態を四つに分け、衆生の生を受ける瞬間を「生有(しょうう)」、死の刹那を「死有(しう)」、「生有」と「死有」の生まれてから死ぬまでの身を「本有(ほんう)」とする。「中有(ちゅうう)」は「中陰」とも呼ぶ。この七七日(しちしちにち・なななぬか:四十九日に同じ)が、その「中有」に当てられ、中国で作られた偽経に基づく「十王信仰」(具体な諸地獄の区分・様態と亡者の徹底した審判制度。但し、後者は寧ろ総ての亡者を救いとるための多審制度として評価出来る)では、この中陰の期間中に閻魔王他の十王による審判を受け、生前の罪が悉く裁かれるとされた。罪が重ければ、相当の地獄に落とされるが、遺族が中陰法要を七日目ごとに行って、追善の功徳を故人に廻向すると、微罪は赦されるとされ、これは本邦でも最も広く多くの宗派で受け入れられた思想である。恐らく、若い読者がこの語を知ることの多い契機は、芥川龍之介の「藪の中」の「巫女の口を借りたる死靈の物語」の中で、であろう。リンク先は私の古層の電子化物で、私の高校教師時代の授業案をブラッシュ・アップした『やぶちゃんの「藪の中」殺人事件公判記録』も別立てである。私は好んで本作を授業で採り上げた。されば、懐かしい元教え子もあるであろう。]

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