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2022/04/20

「今昔物語集」卷第三「阿闍世王殺父王語第」

 

[やぶちゃん注:採録理由と底本は『「今昔物語集」卷第四「羅漢比丘敎國王太子死語第十二」』の私の冒頭注を参照されたい。本巻は標題通し番号が「第七」で終わって、数字が入っていない。参考底本では第二十七に相当する。] 

 

    阿闍世王(あじやせわう)、父の王を殺せし語(こと)

 

 今は昔、天竺に、阿闍世王、提婆達多(だいばだつた)と、得意・知音(ちいん)にして、互ひに云ふ事を、皆、金口(きんく)の誠言(せいごん)と信ず。調達(でうだつ)、其の氣色(けしき)を見て、世王(せわう)に語りて云はく、

「君(きみ)は、父の大王を殺して、新王と成(な)れ。我れは、佛(ほとけ)を殺して新佛(しんぶつ)と成らむ。」

と。

 阿闍世王、提婆達多が敎へを信じて、父の頻婆沙羅王(びんばしやらわう)を捕へて、幽(かす)かに人離れたる所に、七重(しちぢう)の强き室(しつ)を造りて、其の内に籠(こ)め置きて、堅固に戶を閉ぢて、善く門を守る人を設(まう)けて、誡(いまし)めて云はく、

「努々(ゆめゆめ)、人を通はす事、無かれ。」

と。此(か)くの如く、度〻(どど)、宣旨を下(くだ)して、諸(もろもろ)の大臣・諸卿に仰せて、一人も通はす事、無し。

「必ず、七日(なぬか)の内に責め殺さむ。」

と構ふ。

 其の時に、母后(ははきさき)韋提希夫人(ゐだいけぶにん)、大きに哭(かな)しみて、我れ、邪見に惡しき子を生(しやう)じて、大王を殺す事を、歎き悲しむで、竊(ひそか)に蘇蜜(そみつ)を作りて、麨(むぎこ)に和合(わがふ)して、彼(か)の室に、密かに持(も)て行きて、大王の御身(おほむみ)に塗る。又、瓔珞(やうらく)を構へ造りて、其の中に漿(こむづ)を盛りて、密かに大王に奉る。大王、卽ち、麨を食(じき)して、手を洗ひ、口を洗ひて、合掌恭敬(くぎやう)して、遙かに耆闍崛山(ぎじやくつせん)の方に向ひて、淚を流して禮拜(らいはい)して、

「願はくは、一代敎主釋迦牟尼如來、我が苦患(くぐゑん)を助け給へ。佛法には遇ひ乍ら、邪見の子の爲に、殺されなむとす。目犍連(もくけんれん)は在(まし)ますや。我が爲に、慈悲を垂れて、八齋戒(はちさいかい)を授け給へ。後生(ごしやう)の資糧(しらう)とせむ。」

佛、此の事を聞き給ひて、慈悲を垂れて、目連・富樓那(ふるな)を遣はす。二人の羅漢、隼(はやぶさ)の飛ぶが如くに、空より飛びて、速かに頻婆沙羅王の所に至りて、戒(かい)を授け、法(ほふ)を說く。此(か)くの如く、日々に來たる。

 阿闍世王、

「父の王は、未だ、生きたりや。」

と、守門の者に問ふ。門守の者、答へて云はく、

「未だ、生き給へり。容顏、麗しく、鮮かにして、更に死に給はずして御(おは)す。此れ、則ち、國の大夫人(だいぶにん)韋提希、竊かに麨(むぎこ)を蘇蜜(そみつ)に和して、其の御身に塗り、瓔珞の中に漿(こむづ)を盛りて、密かに奉り給ふ。又、目犍連・富樓那、二人の大羅漢、空より飛び來りて、戒を授け、法を說く故也。卽ち、制止するに、及ばず。」

と。阿闍世王、此れを聞きて、彌(いよい)よ、嗔(いか)りを增して、云はく、

「我が母韋提希は、此れ、賊人(ぞくにん)の伴(ともがら)也。惡比丘(あくびく)の富樓那・目連を語らひて、我が父の惡王(あくわう)を今日まで生(い)けける。」

と云ひて、劍(つるぎ)を拔きて、母の夫人(ぶにん)を捕へて、其の頸(くび)を切らむとす。

 其の時に、菴羅衞女(あんらゑによ)の子に耆婆大臣(ぎばだいじん)と云ふ人、有り。闍王(じやわう)の前に進み出でて申さく、

「我が君、何(いか)に思(おぼ)して、かゝる大逆罪(だいぎやくざい)をば、造り給ふ。「毗陀論經(びだろんきやう)」に云はく、『劫初(ごふしよ)より以來(このかみ)、世に、惡王、有りて、王位を貪るが爲に、父を殺す事、一萬八千人也。』。但し、未だ曾て、聞かず、無道に母を害せる人をば。大王、猶ほ、善く思惟(しゆい)せしめ給ひて、此の惡逆を止(とど)め給へ。」

と。王、此の事を聞きて、大きに恐れて、劍を捨てて、母を害せず成りぬ。父の王は、遂に、死す。

 其の後(のち)、佛、鳩尸那城(くしなじやう)拔提河(ばだいが)の邊(ほと)り、沙羅林(しよらりん)の中に在(まし)まして、大涅槃の敎法を說き給ふ。其の時に、耆婆大臣、闍王を敎へて云はく、

「君(き)み、逆罪を造り給へり。必ず、地獄に墮ち給ひなむとす。此比(このごろ)、佛(ほと)け、鳩尸那城拔提河の邊り、沙羅林の中に在まして、常住佛性(じやうぢうぶつしやう)の敎法(けうぼふ)を說きて、一切衆生を利益(りやく)し給ふ。速かに其の所に參り給ひて、其の罪を懺悔(さんぐゑ)し給へ。」

と。闍王の云はく、

「我れ、既に、父を殺してき。佛、更に我を吉(よ)しと思(おぼ)さじ。又、我れを見給ふ事、非(あら)じ。」

と。耆婆大臣の云はく、

「佛は善を修(しゆ)するをも、見給ふ。惡を造るをも、見給ふ。一切衆生の爲めに、平等一子(びやうどういつし)の悲(かなしび)を垂れ給ふ也。只、參り給へ。」

と。闍王の云はく、

「我れ、逆罪を造れり。決定(くゑつぢやう)して無間地獄(むけんじごく)に墮ちなむとす。佛を見奉ると云へども、罪、滅せむ事、難し。又、我れ、既に、年老いにたり。佛の御許(みもと)に參りて、今更に恥(はぢ)を見む事、極めて、益(やく)、無し。」

と。大臣の云はく、

「君、此の度(た)び、佛を見奉り給ひて、父を殺せる罪を滅し給はずば、何(いづ)れの世にか、罪を滅し給はむ。無間地獄に墮ち入り給ひなば、更に出づる期(ご)、非(あら)じ。猶ほ、必ず、參り給へ。」

と寧(ねむごろ)に勸む。

 其の時に、佛の御光、沙羅林より、阿闍世王の身を指して照らす時に、闍王の云はく、

「劫(こふ)の終りにより、日・月、三つ出でて、世を照すべかなれ。若(も)し、劫の終りたるか、月の光り、我が身を照らす。」

と。大臣の云はく、

「大王、聞き給へ。譬へば、人に、數(あまた)の子、有り。其の中に、病ひ、有り、片輪(かたは)有るを、父母、懃(ねんごろ)に養育す。大王、既に父を殺し給へる罪、重し。譬へば、人の子の病ひ、重きに非ずや。佛は一子の悲び、在(まし)ます。大王を利益(りやく)し給はむが爲に、指し給へる所の光ならむ。」

と。闍王の云はく、

「然(さ)れば。試みに、佛の御許(みもと)へ參らむ。汝も我に具(ぐ)せよ。我れ、五逆罪を造れり。道行かむ間(あひだ)に、大地、割れて、地獄にもぞ、墮ち入る。若(も)し然(しか)る事有らば、汝を捕へむ。」

と云ひて、闍王、大臣を具して、佛の御許に參らむとす。

 既に出で立つに、車五萬二千兩に、皆、法幢(ほふどう)・幡蓋(ばんがい)を懸けたり。大象(だいざう)五百に、皆、七寶(しちほう)を負(おほ)せたり。其の所從(しよじゆう)の大臣の類幾(いくばく)、既に沙羅林に至りて、佛の御前(みまへ)に進み參る。佛、王を見給ひて、

「彼は阿闍世王か。」

と問ひ給ふに、卽ち、果(くわ)を證(しやう)して授記(じゆき)を蒙(かうふ)れり。佛の宣(のたま)はく、

「若(も)し、我れ、汝を道(だう)に入れずば、有るべからず。今、汝ぢ、我が許(もと)に來たれり。既に、佛道に入りつ。」

と。

 此れを以(も)て思ふに、父を殺せる阿闍世王、佛を見奉て、三界(さんがい)の惑ひを斷(だん)じて、初果(しよくわ)を得たり。かゝれば、佛を見奉る功德、量り無しとなむ、語り傳へたるとや。

 

[やぶちゃん注:「阿闍世王(あじやせわう)」(生没年不詳)紀元前五世紀頃の古代インドのマガダ国の国王アジャータシャトルの漢音訳。父のビンビサーラ=頻婆娑羅(びんばしゃら)王を殺し、実母ヴァイデーヒー=韋提希夫人を幽閉、王位に就いたが、後に同時代人であったゴータマ・ブッダ(釈迦)の教えに従い、仏教教団の熱心な保護者となった。

「提婆達多(だいばだつた)」(生没年不詳)デーヴァダッタの漢音訳。釈迦と同時代の仏教の異端者。略して「提婆」或いは「調達」(じょうだつ)、「天授」とも漢訳される。ブッダの従兄弟(いとこ)又は義兄弟といわれ、出家して一度はブッダの弟子となったものの、後にブッダに反旗を翻し、仏教教団を分裂に導いた。本篇にあるように、マガダ国のアジャータシャトル王子を唆(そそのか)し、父王を殺させて王位につかせた。また、彼はブッダの殺害を計画したが、失敗し、後に悶死したと伝える。厳格な生活法を主張したらしく、提婆達多の教えに従う徒衆が、後代にも存続したと伝えられている。

「得意・知音(ちいん)」孰れも同義で「親友」の意。

「金口(きんく)の誠言(せいごん)」絶対的に正しい真理。

「韋提希夫人(ゐだいけぶにん)」(生没年不詳)ここにある通り、実子の王子アジャータシャトルが父王を幽閉し、餓死させようとした際、密かに肌に小麦粉に酥蜜(そみつ:牛乳から採った油(食用となる)と蜂蜜。本篇の「蘇蜜」は同義)を混ぜたものを塗り、胸飾りの一つ一つに葡萄の汁を詰めて(本篇の「漿(こむづ)」に同じ)、密かに王のもとに行き、それを食べさせたが、発覚し、自らも幽閉された。牢内からの彼女の切なる祈りに応えて、釈迦が顕現し、この世に絶望して阿弥陀仏の浄土を願う妃に対し、阿弥陀仏や、その浄土を「観想」する方法を教えた。この折りの教えが「観無量寿経」であるとされる。

「麨(むぎこ)」炒った麦。

「耆闍崛山(ぎじやくつせん)」サンスクリット語の「グリドラクータ」の漢音写。「霊鷲山」(りょうじゅせん)などとも漢訳する。古代インドのマガダ国の首都王舎城、現在のラージギルの東北あるSaila-giri(グーグル・マップ・データ)の南面の山腹にあって、今はチャタ(Chata)山と呼ばれており、ここは釈尊が「大経」や「法華経」を説いた山として、とみに知られる。

「目犍連(もくけんれん)」サンスクリット語の「マウドガリヤーヤナ」の漢音写。「目連」に同じ。古代インドの修行僧で、釈迦の十大弟子の一人。優れた神通力の使い手として「神通第一」と称された。釈迦の直弟子中でも、舎利弗と並ぶ二大弟子として活躍したことから、「マハー」=摩訶=「大」を冠して「摩訶目犍連」「大目犍連」などとも記される。

「八齋戒(はちさいかい)」八戒。在家男女が一日だけ出家生活にならって守る八つの戒め。性行為をしない(在家の信者が普段守らなければならないとされる五戒、不殺生戒・不偸盗戒(盗みを働かない)・不邪淫戒(性行為をしない)・不妄語戒(嘘をつかない)・不飲酒(ふおんじゆ)の五種の内の不邪淫戒(不道徳な性行為の禁止。特に強姦や不倫・性行為に溺れることを指す)をより厳格な性行為を行わないという不淫戒に変え、さらに、不坐臥高広大床戒(高く立派な寝台に寝ない)と、不著香華瓔珞香油塗身戒+不作唱技楽故往観聴戒(装身や化粧をしない+歌舞音曲を視聴しない)と、不過中食戒(非時を摂らない。仏家では食事は午前中の一度だけを原則とするが、それではもたないので、それ以外に食す食事を総て「非時」と言った。具体的には正午から日の出までの間の食事摂取行為である。但し、通常、水はこの限りではない)の三つを加えたもの。

「後生(ごしやう)の資糧(しらう)」底本の今野氏の注に、『死後に善所に生まれ変わる助縁。資糧は命を支えるもととなる食べ物で、ここでは善根の譬喩的表現。』とある。

「富樓那(ふるな)」富楼那弥多羅尼子(ふるなみたらにし)サンスクリット語「プールナ=マイトラーヤニープトラ」の漢音写。釈迦仏の十大弟子の一人。略して、この「富楼那」で呼ばれることが多い。

「賊人(ぞくにん)」謀反人。

「菴羅衞女(あんらゑによ)」(生没年不詳)は釈迦の女性の弟子(比丘尼)の一人。サンスクリット語「アームラパーリー」の漢音写。「庵摩羅」など多数の表記があり、意訳でも「㮈女」「柰女」「非浄護」などがある。当該ウィキによれば、『ヴェーサーリー(毘舎離)の人で』、『ヴァイシャ出身。ヴェーサーリー城外のマンゴー林に捨てられ、その番人に育てられた』ことから、「アンバパーリー」=「マンゴー林の番人の子」と『いわれるようになった』。彼女は、『遠くの町にまで名声が伝わっていた遊女で、美貌と容姿、魅力に恵まれ、他にも踊りや歌、音楽も巧み、当然言い寄る客が引けを取らずとなって舞台等で莫大な稼ぎを得ていた』が、『釈迦仏に帰依し、その所有していた林を僧団に献納した』とある。

「耆婆大臣(ぎばだいじん)」サンスクリット語「ジーヴァカ」の漢音写。「活」「命」「能活」「寿命」などと意訳する。仏弟子で古代インドの名医。頻婆娑羅王の王子で、阿闍世王の異母兄であった(頻婆娑羅王と前注の菴羅衞女の間にできた子とされる)。ここにあるように、父を殺した阿闍世王を導き、仏に帰依させたとされ、中国の名医扁鵲(へんじゃく)と並び称される。

「鳩尸那城(くしなじやう)」古代インドのマラ国の首都クシナガラ付近にあった城。現在はウッタルプラデシュ州東端のカシア付近に相当する。城外で釈迦が入滅した聖地として知られる。ここ(グーグル・マップ・データ)。

「拔提河(ばだいが)」底本の地名解説索引に、「大唐西域記」によれば、前のクシナガラの西北の凡そ二キロメートルの『地を流れる川という』とある。

「沙羅林(しよらりん)」沙羅双樹(アオイ目フタバガキ科 Shorea 属サラソウジュ Shorea robusta)の林。言わずもがな、釈迦の入滅した林のこと。

「無間地獄(むけんじごく)」八大地獄の一つで、「八熱地獄」の八番目、最下底にある地獄。「五逆」と「謗法」(ほうぼう:仏法を誹謗すること)の大罪を犯した者が落ちて、絶え間なく、厳しい責め苦を受ける所とされる。「無間」は、「絶え間ないこと」を意味し、「むげん」とも読む。「五逆」は、五逆罪の略で、「父を殺す」・「母を殺す」・「仏弟子を殺す」・「仏の体から血を出させる」・「正しい仏道修行をしている団体の秩序を乱す」ことの五罪を指す。

「劫(こふ)の終り」今野氏の注に、「劫初」(こうしょ)の対語で、『劫末。宇宙が破滅する空劫の終末期。この世の終り。』とある。

「日・月、三つ出でて」今野氏注に、『涅槃経によるに、三つの月』で、『ここは』、「日」と「月」ではなく、『月でなければならない』のであり、これは『話が原経を離れて』しまい、『独り歩きしたための』誤った『変化』をしてしまったものと断じておられる。「月日」で、太陽のように光を発する月が、その時、三つ出現するという意味であるらしい。

「法幢(ほふどう)」今野氏注に、『仏教儀式に用いる旗鉾。鉾や鉾状の杖に旗や吹き流しを取り付けたもの。』とある。

「幡蓋(ばんがい)」同前で、『のぼり旗や天蓋』とする。

「七寶(しちほう)」「七珍」(しっちん)とも呼び、経に説く仏法を象徴する七種の宝。「無量寿経」では、金・銀・瑠璃・玻璃・硨磲(しゃこ:シャコガイ)・珊瑚・瑪瑙を、「法華経」では、金・銀・瑪瑙・瑠璃・硨磲・真珠・玫瑰(まいかい:中国産の美しい赤色の石)とする。

「三界(さんがい)」一切の衆生の生死輪廻する三種の迷いの世界。欲望に呪縛されている「欲界」・美しい形象に繋がれてある「色界(しきかい)」・美しさへの捕らわれからは離脱しているものの、なお未だ迷いの残っている「無色界」を指す。]

 

□やぶちゃん現代語訳(原文よりも段落を増やし、今回は場面転換のために行空けも行った。参考底本の脚注を一部で参考にはしたが、基本、オリジナル訳である)

 

    阿闍世皇子(あじゃせおうじ)が父の王を殺した事第

 

 今となっては……もう……昔のこととなってしまったが、天竺にあった、阿闍世皇子、提婆達多(だいばだった)と親友であって、互いに言い合ったことは、みな、

「絶対の真理の言葉である。」

と信じ合っていた。その調達(=提婆達多)が、阿闍世の鬱々とした様子を見るや、彼にに語って言うことには、

「君は、一つ、君の実の父の大王を殺して、新王と、なれ! 我れらは、仏(ほとけ)を殺して、新仏(しんぶつ)たらんとする!」

と。

 

 阿闍世皇子は、提婆達多の教えを信じて、即座に、父の頻婆沙羅王(びんばしゃらおう)を捕えて、寂寥たる人気のない場所に、七重の壁で囲まれた監禁室を造って、その中に父王を押し込めおいて、厳重に扉を閉ざして、怠りなく出入り口を守る者を任じて、きつく誡(いまし)めて言うことには、

「ゆめゆめ、ここに、人を通わすことの、無きように!」

と命じた。

 かくたる命令を、たびたび、かく、厳しい禁制の宣旨をも下して、あらゆる大臣・諸卿にも仰せられ、一人も、そこに通わすことが、なかった。

「必ず、七日の内に、責め殺してやる!」

と堅く決意し、身構えていた。

 

 そのころ、王子の実母の妃である韋提希(いだいけ)夫人は、この監禁を知って、激しく慟哭し、

「私は……邪悪な見識にとらわれた悪しき子を生んでしまい……大王を殺させてしまうことになるなんて!……」

と、歎き悲しんだ。

 そうして、窃(ひそ)かに蘇蜜(そみつ)を作って、麦焦がしを交ぜ併せ、かの監禁室に密かに持って行っては、こっそりと大王のお体に塗ったのであった。

 また、瓔珞(ようらく)の内側を刳り抜いて空洞を作り、その中に漿(こんず)を盛っては、やはり、見張りの番人の目を偸んで、大王にさし上げた。

 大王、その麦焦がしや葡萄の汁を食(しょく)されて飢えを凌がれた。

 

 さて王は、手を洗い、口を漱(すす)いで、清浄になし、合掌恭敬して、遙かに、仏陀のおられる耆闍崛山(ぎじゃくつさん)の方に向って、涙を流しつつ、礼拝し、

「願はくは、一代の教主たる釈迦牟尼如来、我が苦患(くげん)を助け給え。仏法に、かくも邂逅致すことが出来ましたが、しかし、邪見の子のために殺されんとしております。目犍連はおられますか? 我がために慈悲を垂れて、八斎戒を授け給え。後生(ごしょう)の資糧と致そうと存じます故に。」

と祈られた。

 

 仏陀は、この事を遙かにお聴きになられて、慈悲を垂れて、目連と富楼那(ふるな)を直ちに遣はした。

 二人の羅漢は、隼(はやぶ)が飛ぶように、空を翔って、速かに頻婆沙羅王のところへ至って、戒を授け、法を説いた。

 そのようにして、日々、二人の弟子は、王のもとを訪ねたのである。

 

 阿闍世皇子はと言えば、

「父の王は、未だに生きておるのか?」

と、守衛の者に問うた。

 門番は、答えて言った。

「未だ、生きておられます。お顔の感じも麗しく、生き生きとしていて、さらにお死になるような感じはまるで御座いませぬ。まあ、その、これはですな……まんず、お国の大夫人たる韋提希さまが……これ、窃かに麦粉を蘇蜜に和(あ)えては、その御身(おんみ)にお塗りになって持ち込まれ……また、瓔珞(ようらく)の中に漿(こんず)を仕込んで、密かに差し上げ申して遊ばされるから、と存じます。……また、目犍連とか、富楼那とか申、二人の大羅漢が、飛ぶ鳥のごと、空から飛び来たって、戒を授けては、法を説いておる故で御座いましょう。これらは、その……凡そ、我らには……制止することが出来ぬので御座います。」

と。

 

 阿闍世皇子は、これを聞くや、いよいよ、怒りを増して、叫んだ。

「我が母韋提希は、これ、謀反人の仲間だ! 悪僧の富楼那や目連と語らって、我が父の悪王を、今日(きょう)まで、生かしおるのじゃッツ!」

と吐き捨てるように言うと、剣(つるぎ)を抜いて、自ら、母夫人を捕えて、その首を斬ろうとした。

 その時、これ、庵羅衛女(あんらえにょ)の子で、耆婆大臣(ぎばだいじん)と申すお人があり、剣を引っ提げて母夫人のところへ行こうとする皇子の前に進み出て、申さされた。

「我が君! 一体、いかに思し召して、かかる大逆の罪(つみ)を、犯さんとなされるのですか?! 「毗陀論経(ひだろんきょう)」に曰わく、『劫初(こうしょ)よりこの方、世に、悪王のあって、王位を貪らんがために、父を殺すこと、一万八千人なり。』とあります。しかし! 未だ嘗つて私は聞いたことが御座らぬのは、無道にも母を殺害する人であります! 大王、なお、よく思惟(しゆい)なさせしめ遊ばされ、このおぞましき悪逆をお止め下されよ!」

と。

 皇子は、この事を聴いた途端、ひどく恐れて、剣を捨て、母を害せずに終わった。

 しかし、父の王は、ほどなく、遂に亡くなられたのであった。

 

 その後(のち)、仏陀は、鳩尸那城(くしなじょう)の抜提河(ばっだいが)の畔(ほと)り、沙羅林(しゃらりん)の中にましまして、「大涅槃経」に記された教法を説きなさっていた。

 

 そのころ、耆婆大臣は、皇子――いや、もう、阿闍世王(あじゃせおう)と呼ぼう――に教えて進言をした。

「君(きみ)は、逆罪を、お造り遊ばされてしまいました。必ずや、地獄に堕ち遊ばされんとしておるので御座います。さても。このごろ、仏陀は、鳩尸那城の抜提河の畔りの沙羅林の中にましまして、常住仏性(じょうじゅうぶっしょう)の教法を説かれて、一切衆生を利益(りやく)なさっておられます。速かにその場所に参られて、その罪を懺悔(さんげ)遊ばされませ!」

と。

 阿闍世王は、しかし、かく答えた。

「我れは、既に、父を、殺してしまった。……仏陀は、さらには、我れらを善(よ)しとは思われまいよ。……また、我れをご覧になられることも、これ、あるまい……。」

と。

 耆婆大臣は食い下がった。

「仏陀は、善(ぜん)を修(しゅ)することをもお見通しであられる! 同時にまた、悪を造るをことをもお見通しであられるのです! 一切衆生のために、平等一子(びようどいっし)の大慈悲を、遍く、お与え下さるのです! ただただ、まず、参り遊ばれませ!!」

と。

 阿闍世王は、気弱に応じた。

「……我れは、大逆の罪を造ってしまった。……さればこそ、その報いは決定(けつじょう)して、無間地獄に堕ちようとしている。……そんな罪深い我らが、仏を見申し上げたと雖も、罪が滅するなんどということは、到底、難しいことであろうじゃないか。また、我れら、既に、年老いてしまった。……仏陀の御許(みもと)に参って、いまさら、おめおめと恥を見せることなど、これ、すこぶる、益(えき)無きことではないか?……」

と。

 しかし、さらに大臣は言い寄った。

「君、このたび、釈迦を見申し上げ遊ばされ、結果として父を殺した罪、その罪を滅(めっ)しなさらなければ、これ、いづれ世に於いてか、その大罪を滅し遊ばされるおつもりか?! 無間地獄にお堕ち入りなさったとならば、さらにそこを出でる後世(ごぜ)の機会は、これ、もう御座いますまい! なお、必ず! 参りましょうぞ!!」

と、懇ろに勧めたのであった。

 その時、仏陀の御光(ごこう)が、その沙羅林の方から、急に阿闍世王の身を指(さ)して、照らし出(い)でてきた!

 時に、阿闍世王が独り言のように言った。

「……劫(こう)の終りとなって、日のように光り輝く月が三つ出でて、世を照すとか、いうらしいじゃないか。……もしや……これは……劫の終りなのか?……月の光りが、ああっ……我が身を、照らすではないか……」

と。

 大臣は、たたみかけて言った。

「大王、お聞き下されよ。譬えば……人に数多(あまた)の子のあって、その中に病にの子がある。生涯治らぬ障碍を持った子があった。しかし、父母というものは、その子を大切に養育する。……大王さま、あなたさまが、既に父を殺害なされたその罪は、確かに重い。しかし、それは譬えば、人の子の、病いの重いのと変わらぬのではありませぬか? 仏陀は、たった独りの子に対しても、その広大無辺の慈悲を無条件で差し出だして下さるのです。さればこそ、これこそ、大王さまを利益(りやく)しなさろうとせんがために、その行くべき場所を差しなさっているところの光りなのではないでしょうか?!」

と。

 阿闍世王が遂に言った。

「……されば……まあ、試みに、仏陀の御許(みもと)へ参ってみよう。……そちも、我れに伴って参れ。我れは、五逆の罪を犯したのだ。……これから参る道中……大地が裂け、無間地獄にでも、これ……ざあっと……堕ち入るやも、知れんからな。……もしも、そんなことが起こったら……そちを捕えて、道連れじゃ……」

と呟くや、阿闍世王は、その大臣を連れて、仏陀の御許(みもと)へと向かおうとするのであった。

 

 既に出で立つに、車は五万二千両、みな、法幢(ほうどう)と幡蓋(ばんがい)を懸けている。大きな象は五百匹、みな、七宝を背負わせてある。その行列に扈従するところの大臣らは、これ、数えることが出来ぬほどに、多い。

 既にして沙羅林(しゃりん)に至った。

 阿闍世王が、仏陀の御前(みまえ)に進み参った。

 仏陀が、王をご覧になって、

「あなたは阿闍世王か。」

と、お問になられる。

 すると――即座に――その場で正しき仏果(ぶっか)の証果が示され――しかも速やかに未来の成仏が――仏陀自身の口から――予言され――保証されたのであった。――

 仏陀はおっしゃられた。

「もし、私が、そなたを正法(しょうぼう)の道に迎い入れなかったとしたら、それは、真の仏道を志すものとして、あるべからざる存在となる。今、そなたは、我がもとに来った。それで、もう、既に、そなたは、正しく仏道に入ったのである。」

と。

 以上を以って思うに、父を殺害した阿闍世王が、仏陀を見申し上げて、三界の惑いを断って、正しき初果を得たのである。さればこそ、仏(ほとけ)を見申し上げる功徳というのは、これ、無量であると、かく語り伝えているということである。

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