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2022/05/18

「南方隨筆」底本正規表現版「俗傳」パート「睡眠中に靈魂拔出づとの迷信 一」

 

[やぶちゃん注:本論考は「一」が明治四四(一九一一)年八月発行の『人類學雜誌』二十七巻五号に初出され、「二」が大正元(一九一二)年八月発行の同じ『人類學雜誌』二十八巻八号に初出されて、後の大正一五(一九二六)年五月に岡書院から刊行された単行本「南方隨筆」に収録された。

 底本は同書初版本を国立国会図書館デジタルコレクションの原本画像ここが冒頭)で視認して用いた。但し、加工データとしてサイト「私設万葉文庫」にある電子テクスト(底本は平凡社「南方熊楠全集」第二巻(南方閑話・南方随筆・続南方随筆)一九七一年刊で新字新仮名)を加工データとして使用させて戴くこととした。ここに御礼申し上げる。

 実は、本篇は「選集」版を「睡眠中に霊魂抜け出づとの迷信」として古くに公開しているが、今回のものが、正規表現版となる。例によって、南方熊楠の文章はダラダラと長いので、「選集」を参考に段落を成形し、そこに注を挟んだ。不審な箇所は「選集」で訂したが、それはいちいち注記しなかった。経典の漢文(「大蔵経データベース」で確認した)は直後に《 》で推定訓読を附した。ブログ版では「一」と「二」を分割した。]

 

    睡眠中に靈魂拔出づとの迷信 

          (人類二八九號二八二頁參照)

 本邦に此迷信を記せる者多き中、顯著なる一例、南溟の續沙石集(寬保三年自序有り)卷一章六に、中京の或家の婢、主人の親屬なる男と情を通ぜるが、彼男本妻を迎んとすと聞き、しきりに怨み臥たる夜半、俄かに叫び起き、双び臥したる女共に語る。某街の門を出んとするに、向ふより人來るを見て、隱れんとするを、彼人劍を拔て我を斬付ると夢見て寤ると、明朝人來て告ぐ、今日は珍しき事有て、只今迄其事に係りて往反せり、昨夜更て我相識れる醫者、某街の門を通り過んとする時、髮を亂し、恨めし氣なる樣したる若き女、行違んとして又立歸隱れんとす、影の如くにて進退に脚音無し、聲掛しも應えず、身の毛彌立て恐しかりければ、劍を拔て斬付けたり。忽消て其人無し、醫者劔を捨てゝ歸りしを今朝其街に往て乞ふに、聊爾に還すまじと、六かしくなって、漸く只今事濟けりと、其所其町の名も聢かに聞たれども、なおほ十年にも成ぬ事故、わざと記さず、此女、男を恨み、思ひ牾の一念、影の如く人目に見ゆる計り現はれ、男の許に往んとせし事疑ひ無し、と。

[やぶちゃん注:冒頭の注記は、「選集」では二行で、

   *

  谷津直秀「睡眠中に霊魂の抜け出づとの迷信」参照

  (『東京人類学会雑誌』二五巻二八九號二八二頁)

   *

とある。

「南溟の續沙石集(寬保三年自序有り)卷一章六に、……」事前に『「續沙石集」巻一「第六 夢中現映像事」』を、「国文学研究資料館」の「新日本古典籍総合データベース」のこちらを底本として電子化注しておいたので、そちらと対比されたい。同書には別版本があるので、或いはそちらを熊楠は参考にしたのかも知れぬが、熊楠が梗概として書き変えた部分もあるとも思われるので、必ず比較されたい。]

 七年前嚴冬に、予那智山に孤居し、空腹で臥したるに、終夜自分の頭拔け出て家の橫側なる牛部屋の邊を飛び廻り、有り有りと闇夜中に其狀況を詳く視る。自ら其精神變態に在るを知ると雖も、繰返し繰返し斯の如くなるを禁じ得ざりし。其後 Frederic W. H. Myeers, ‘Human Personality,’ 1903,  vol.ii, pp.193, 322 を讀で、世に斯る例尠なからぬを知れり、去れば蒙昧の民が、睡中魂拔出づと信ずるは、最もな事にて、啻に魂が人形を現して拔出るのみならず、蠅、蜥蜴、蟋蟀、鴉、鼠等となりて、睡れる身を離れ遊ぶと言ふ迷信、諸方の民閒に行はる(Frazer, ‘The Golden Bough,’ 1890, vol.i, p.126 )。隨つて急に睡人を驚起せしむれば、其魂歸途を誤り、病み出すとの迷信、緬甸[やぶちゃん注:「ビルマ」。]及び印度洋諸島に行はれ、塞爾維[やぶちゃん注:「セルビア」。]人は、妖巫眠中、其魂蝶と成て身を離るゝ間だ、其首足の位置を替て臥せしむれば、魂歸て口より入る能はず、巫爲に死すと傳へ、盂買[やぶちゃん注:「ボンベイ」。]にては、眠れる人の面を彩り、睡れる女に鬚を書けば罪[やぶちゃん注:「つみ」。]殺人に等し、と言り(同書一二七頁)、廿年前、予廣東人の家に宿せし時、彼輩の眠れる顏を描きて鬼形にし、又其頰と額に男根を𤲿き抔せしに、孰れも起て後ち、鏡に照して大に怒れり、其譯を問ひしに、魂歸り來るも、自分の顏を認めず、他人と思つて去る虞有る故との事なりし。

[やぶちゃん注:「七年前嚴冬に、予那智山に孤居し」南方熊楠は明治三四(一九〇一)年十月末に勝浦に向い、南紀植物調査行を開始し(途中で田辺に帰宅してはいる)、明治三十七十月、延べ三年に亙った調査を終えて田辺に戻っている。

Frederic W. H. Myeers, ‘Human Personality,’ 1903,  vol.ii, pp.193, 322」イギリスの詩人・古典文学者で心霊学者でもあったフレデリック・ウィリアム・ヘンリー・マイヤース(Frederick William Henry Myers  一八四三年~一九〇一年)。心霊研究の開拓者として知られ、また初期の深層心理学研究に於ける重要な研究者でもある、かのウィリアム・ジェームズやカール・グスタフ・ユングらにも影響を与えたとされる。一八八〇年代に、師であるイギリスの哲学者・倫理学者ヘンリー・シジウィック(Henry Sidgwick 一八三八年~一九〇〇年)らとともに「心霊現象研究協会」(The Society for Psychical Research)を創立している。「河出文庫」の中沢新一責任編集の『南方熊楠コレクションⅡ 南方民俗学』の本篇注によれば、『ここに挙げられている署は、人間個性とその肉体の死後の留存を論じたもので、南方熊楠はナチで耽読して大きな影響を受けた』とある。正式書名は注通り、「Human personality and its survival of bodily death」である。「Internet archive」で原本を見ることが出来る。ここと、ここである。

「蠅」何より忘れられないのは、「小泉八雲 蠅のはなし  (大谷正信訳) 附・原拠」であろう。「二」で熊楠が原拠に言及している。

「イギリスの社会人類学者ジェームズ・ジョージ・フレイザー(James George Frazer 一八五四年~一九四一年)が一八九〇年から一九三六年の四十年以上、まさに半生を費やした全十三巻から成る大著で、原始宗教や儀礼・神話・習慣などを比較研究した「金枝篇」( The Golden Bough )。私の愛読書の一つである。「Internet archive」のこちらで原本の当該部が読める。]

 又按ずるに、義淨譯根本說一切有部毘奈耶雜事卷廿七、多足食王子、假父に殺さるゝを慮り、鞞提醯國に奔る、途中樹下に困睡す、偶々其國王殂して嗣無く、大臣ら、然る可き人を求むるに、此王子非常の相有るを見て、觸て之を寤す[やぶちゃん注:「さます」。]、王子覺て曰く、王を覺すに然くすべけんや、諸人其法を問ふ、答て曰く、先奏美音、漸令覺悟、羣臣曰、此非貧子、定出高門《「先づ、美音を奏し、漸く覺-悟(めざ)めしむ。」と。羣臣曰く、「此れは貧しき子に非ず、定めて高門(かうもん)に出でしならん。」と。》、仍(より)て質して其の先王の甥たるを知り、立て王と爲す。是れにて、印度に古く、突然貴人を寤さず、音樂を奏し徐々[やぶちゃん注:「そろそろと」。]之を起す風有りしを知る、倭漢三才圖會卷七一に、伊勢國安濃郡内田村、長源寺の堂の椽に、土地の人と日向の旅人と、雨を避て眠れるを、倉卒呼起され、二人の魂入れ替り、各其家に還りしも、家人承引せず、再び堂の椽に熟眠中、魂入れ替り復舊せりと述べ、或る紀を引いて、推古帝卅四年、件の兩國の人死して蘇生せしに、魂入れ替りし故、二人を交互轉住せしめし由云り、此或紀とは、有名の僞書、先代舊事本紀なりしと記臆す、全くの妄譚也、但し之に似たる事、紀伊續風土記卷八五に出づ、云く、東牟婁郡野竹村民彌七郞、元文中七十歲計り、病で悶絕し、暫くして人々に呼れて甦りしも、言語態度頓に變り、妻子を識らず、木地引の語を成す(木地引者近江の詞多し、本年一月の文章世界、柳田國男氏の木地屋物語參看)、其頃、當村の奧山に住し木地引彌七郞死し、其魂未だ消失せざるに同名を呼ばれ、來て此老人と入替りたるなるべし、蘇生後十餘年經て死せりと。 

     (明治四十四年八月人類二七號)

[やぶちゃん注:「多足食王子、……」の話は、既に『「南方隨筆」版 南方熊楠「今昔物語の硏究」 三 / 「卷第三十一 通四國邊地僧行不知所被打成馬語第十四」の「出典考」の続き』の本文に既出。そちらを見られたい。

「倭漢三才圖會卷七一に、伊勢國安濃郡内田村、長源寺の堂の椽に、……」事前に『「和漢三才圖會」卷第七十一「伊勢」の内の「當國 神社佛閣各所」内の「長源寺」の記載』として電子化注済み。

「紀伊續風土記」同書は紀州藩が文化三(一八〇六)年に、藩士の儒学者仁井田好古(にいだこうこ)を総裁として編纂させた紀伊国地誌。編纂開始から三十三年後の天保一〇(一八三九)年)完成した。当該箇所は国立国会図書館デジタルコレクションの明治四四(一九一一)年帝国地方行政会出版部刊の活字本のここで確認出来る。

「木地引」木地師のこと。当該ウィキを参照。因みに、澁澤龍彥が死の直前に次回作の素材として考えていたのが、彼らだった。

「柳田國男氏の木地屋物語」サイト「私設万葉文庫」にある電子テクスト(底本は一九七〇年筑摩書房刊の新装版「定本柳田國男集 第二十七卷」)で読める。]

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