毛利梅園「梅園介譜」 蛤蚌類 酌子貝(シヤクシガイ)・イタラ貝 / イタヤガイ(四度目)
[やぶちゃん注:底本の国立国会図書館デジタルコレクションのここからトリミングした。一部、マスキングした。この見開き丁の図譜もまた、梅園の親しい町医師和田氏(詳細不詳)のコレクションからである。]
酌子貝(しやくしがい)【「いたら貝」。】
「大和本草」、『「海扇」の少なる者、「勺子貝」と為す。』。然(しか)らず。「海扇」は「車渠(をほみ貝)」と云ひ、其の貝、甚だ厚し。形狀は同物なれども、「勺子貝」は、殻、薄し。「海扇」と一物にあらず。其れ、肉柱、一つ有り、而して「たいらぎ」に類(るい)す「。車渠(しやこ)」、又、一種、別なり。
此の數品(すひん)、和田氏藏。同九月廿四日、眞寫す。
[やぶちゃん注:これは、既に本「介譜」で四度も示されてある、
斧足綱翼形亜綱イタヤガイ目イタヤガイ上科イタヤガイ科イタヤガイ属イタヤガイ Pecten albicans
である。本種は殻の色彩の個体変異が多いことが知られ、古くから貝杓子にもよく用いられてきた。ここに描かれたのは、膨らみが弱く、放射肋がくっきりしていることから、左殻で、やや殻の辺縁部がすっきりし過ぎて、描き方が気に入らないものの、蝶番の下方にあるのは、反転させた膨らみの強い右殻の内側の一部であろう。
ここで梅園は珍しく益軒に嚙みついている。という私も、実は、この当該箇所である「大和本草卷之十四 水蟲 介類 海扇」で同じように批判している。益軒は安易に見た目から「ホタテガイ」(斧足綱翼形亜綱イタヤガイ目イタヤガイ上科イタヤガイ科 Mizuhopecten 属ホタテガイ Mizuhopecten yessoensis )の名を当ててしまっているからである。詳しくは、そちらの私の注を見られたい。
「車渠(をほみ貝)」というルビは、「大身貝」の意であろう。但し、梅園には、所謂、シャコガイ類(異歯亜綱マルスダレガイ目ザルガイ上科ザルガイ科シャコガイ亜科 Tridacnidae)の認識も、また、別にあったと私は考えている。『毛利梅園「梅園介譜」 蛤蚌類 錦貝(ニシキガイ)・イタヤ貝 / イタヤガイ・ヒオウギ』の私の注を参照されたい。
『「たいらぎ」に類す』いただけない。タイラギ(学名は現在いろいろ問題がある。「大和本草附錄巻之二 介類 玉珧 (タイラギ或いはカガミガイ)」の私の注を参照されたい)はこの後のここで大図で示されるのだが、何故、益軒の杜撰を鋭く突いた彼が、同時にこのような似ても似つかぬ別種をのほほんと同類としたのか、気が知れないからである。残念!
「同九月廿四日」前からの続きで、これは天保五年のその日で、グレゴリオ暦一八三四年五月十四日となる。]
« 曲亭馬琴「兎園小説別集」下巻 簞笥のはじまりの事 | トップページ | 柳田國男「後狩詞記 日向國奈須の山村に於て今も行はるゝ猪狩の故實」 「狩の作法」 »