柳田國男「後狩詞記 日向國奈須の山村に於て今も行はるゝ猪狩の故實」 「色々の口傳」・附記
[やぶちゃん注:底本のここから。この段、標題本文は行頭からだが、その解説部は一字下げで、それが二行以上に亙る場合は、それ以降、全体が一字下げとなっている。]
色々の口傳
飛走中の猪を止まらすること。
竹笛を一口短く微〈かすか〉に吹く。
竹笛無きときは同じくウソを吹く。
猪は元來眼よりも耳の感覺銳敏なり。近距離に居りても動きさへせねば之を知らず。物音は之に反す。故に一寸微に物音をすれば、附近に人の在るを疑ひて小止りをして考を付るなり。されど此法は素人は行ふべからず。
[やぶちゃん注:「ウソ」前に注した通り、ここは「口笛」を指す。]
猪を見ずして其大小肥瘠〈ひせき〉を知ること。
蹄〈けづめ〉の跡小さくとも地中に印すること深きは大。
蹄の跡小さくとも跡と跡との距離長きは大。
蹄の跡大なりとも地中に印すること淺きは瘠肉〈やせにく〉也。
蹄の跡に立つ形あるものは多くは瘠肉也。
蹄の跡の向爪〈むかうづめ〉と後爪との間廣がり居るものは猪が疲憊〈ひはい〉せる兆〈しるし〉也。疲憊せる猪は遠くへ往かず、近所に潛伏するものと見る。
蹄の跡の雪中に印するものは、小猪なりとも大猪と見誤まることあり。日射の爲蹄跡の雪融解すれば也。
丸の儘なる猪の肥瘠を知ること。
牡猪は脊部肥え牝猪は腹部肥え居〈を〉るが常なり。故に牝猪の腹部の肥えたるを見て、全身肥滿のものと思ひ購〈あがな〉ふときは損をすべし。
脊部の毛色白く且つ全身綿の如き綿毛にて蔽はれ居るものは肥肉にて、全面毛色黑く且つ疎なるものは瘠肉也。
[やぶちゃん注:「後爪」猪は後ろに「副蹄(ふくてい)」という小さな跡がつくのが特徴で、それを言う。サイト「マイナビ農業」の「獣害の犯人は? 足跡で獣を特定しよう ~動物の足跡12種~」を見られたい。]
猪の肉量を知ること。
臟腑のみを除きたる丸の儘の猪ならば、之に六を掛くれば純肉の量なり。但し此は十貫目以内の猪のことにて、十貫目を超ゆる者は大槪七を掛け、二三十貫目の大猪となれば八を掛くる也。其殘〈のこり〉は骨又は蹄などなり。
[やぶちゃん注:「十貫目」三十七・五キログラム。]
銃聲を聞きて命中と否とを知ること。
トンと短く纏まりたる反響は命中とす。
トーンと長く散じたる反響は不とす。
彈の數のこと。
一丸も二丸も場所によりて利害は色々なり。
一丸は命中正確なるも飛走中の猪には二丸を利なりとす。一丸は熟練者に於て採用し、二丸は未練者に利あり。
熊笹の如き障碍物密集の場所にて、狙ひ定まらざる場合には、誰人〈たれびと〉も多くは二丸を込むるを利とす。
二丸を二ツ矢と云ふ。
獵犬を仕込むこと。
猪狩向きの犬には決して兎を逐はしむべからず。若し兎を逐ひたるときはいたく叱し懲〈こら〉すべし。
幼犬を仕込むに最良の法は、小猪を半死の中に繫ぎ置き、長く引ずりまはして咬殺〈かみころ〉さしめ、さて後時々其肉の小片を切りて與ふる也。
幼犬の側にて發砲するときは、幼犬喫驚〈きつきやう〉して常に銃聲を恐るゝの癖を生ずるもの也。
幼猪を伴ひたる牝猪に接したるときは、幼犬に付〈つき〉てはよほど注意すべし。何となれば幼犬は悅びて小猪を咬まんとす。若し放任するときは母猪歸り來〈きたつ〉て幼犬を噬殺〈かみころ〉すことあり。故に母猪の引返すを伺ひて速〈すみやか〉に射殺すべき也。
幼犬もし猪罠にかゝりたるときは、直ちに罠を切り解くべからず。罠の杭を撓〈たわ〉め罠を弛〈ゆる〉めて、犬をして自ら之を噬み切るの習慣を養はしむるを肝要とす。
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茲に椎葉村の地圖を揭ぐることを得ば讀者に便なりしならんも、適當なる原圖を得ざりき。もし熱心なる人あらば、大日本陸地測量部にて出版したる五萬分一圖中、左の圖幅を參照せられんことを望む。共に延岡號の中なり。
椎葉村。 神門(ミカド) 。諸塚山。 鞍岡。 村所(ムラジヨ)。
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[やぶちゃん注:以上は附記で、本文とは分離して、底本では次の「附錄」の見開き右ページ中央にポイント落ちで記されてある(底本のここ)。既に注で「ひなたGPS」を示しているが、地図をダウン・ロードして自由に見たい方は、「ひなたGPS」の元版である私がよく使う「Stanford Digital Repository」の明治三五(一三〇二)年測図・昭和七(一九三二)年修正図で陸軍参謀本部作成の「秘」印のあるそれがよい(ネット上の画面だと、拡大表示ではディスプレイ一杯に示されてしまい、使い勝手が実は悪い)。以下のリンク先からどうぞ。ダウウ・ロード・リストの下から二番目の最大の「Whole image (14423 x 11083px)」がよい(サイズの関係上、最初に開くとファイル破損で開けないとする表示が出るが、暫くそのままにしておくとちゃんと表示され、二度目からは出ないので安心されたい)。「椎葉村」はここ、「神門」はここ、「諸塚山」はここ、「鞍岡」はここ、「村所」はここである。五枚全部でも百二十六MBである。]
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