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2022/05/01

只野真葛 むかしばなし (49) / 「むかしばなし 三」~了

 

○「龜さ」と「萬作」は御ぞんじにや。此人は相見(さうみ)の上手といはれし人の子なり。父はいづくの生(うまれ)かしらねど、大坂にて、はてし人なり。むかし、母樣と桑原おぢ樣、大坂まで墨色を見てもらひにつかわされしに、母樣をば、大にほめて、

「一生、無事無難なり。」

と、いひて、こしたりし。おぢ樣は、いろいろ、むつかしきこと、有し故、すぐに火中(くわちゆう)被ㇾ成、人に見せられざりしとなり。母樣被ㇾ仰しが、おば樣御末、後のていなど、さも有しことなるべし【母樣、をば樣に、「いかゞ申(まうし)きたりし。」と、とはれし時、をば樣、答へに、「餘りあしきことばかり故、火中せしが、をぢ樣へは、うしないし。」と申ておきしと被ㇾ仰しとぞ。】。[やぶちゃん注:底本に『原頭註』とある。]

[やぶちゃん注:「相見」占い師。

「墨色」墨で文字を書かせて、その文字の墨の色で吉凶を判断する占いの方法。「墨色の考へ」とも言う。

「火中」ここは来たった書状を焼き捨てること。]

 齋藤忠兵衞といひし、御家中にて名代の才人、出入司(しゆつにふのつかさ)にて大坂へのぼりし時に、萬作をつれて下りしなり。何でも忠兵衞方に若黨のやうにして居(をり)たりし。仙臺などへも下りし人なり。しかるを、御長屋は氣がつまる、とおもひしや、築地工藤家へ居候のやうにしてきてゐたりしが、ワ、御殿へ上(あが)りし後(あと)なり、外へ身をかたづけるつもりにて有しが、書をよむ心もなし、醫をまねぶ心もなし、ただ出(いで)あるきなどしてばかり有し故、父樣、御しかり、

「徒(いたづら)に年をおくるべからず。早く、身を、かたづけよ。」

と被ㇾ仰しに、おどろきて、御屋敷ちかくの旗本衆の用人の所へ、急養子に行(ゆき)て有しが、十九、廿ばかりのころなるべし。

[やぶちゃん注:「出入司」仙台藩の職名で、領内の財政・民政を司った。]

 忠兵衞かたに、おなじやうにして居たりし若黨も、いとまとりて、三百兩の持參金にて公儀衆へ養子に行しなり。ひとつに有しほどは、たがいに出世をいどみしに、壱人は旗本に成(なり)、我は其下人になること故、ふすゝみなりしを、父樣、いけん被ㇾ成て、

「身に應ぜぬことは、心がけぬものなり。かれが、仕合よきよふなれども、今、見よ、かならず、わざはひに、あふべし。其方【三か五か】[やぶちゃん注:同前で『原割註』とある。「三千石」或いは「五千石」の意。]千石の家來になることを不足とおもふべからず。ことに富家なれば、よろしきことなり。」

とて、やうやう、すゝめて、つかはされしとぞ。

[やぶちゃん注:「ふすゝみなりし」面白くなくて陰気な感じになったということか。]

「はたして、旗本に成(なり)たる方は、上へ願(ねがひ)も上(あげ)ずに、内證にて引(ひき)とり、また持金(もちがね)の有(ある)ことをしりて、それを、とりしまはゞ、いぢめだす心にて有(あり)しとぞ。三百兩だして、行(ゆき)てみた所が、養父は、わかし、家内、人氣のすばらしきこと、申(まうす)ばかりなく、のこりの金二百兩有しは、少しもはだ身をはなしかね、湯に入(いる)にまでも持(もち)て有しとなり。半年よ、壱年ちかくも辛抱せしに、いかゞせしことにや、誰人(たれびと)の仕わざといふこともしれず、居宅(きよたく)よりはるか遠くなる、人も、ろくにかよわぬ細道とやらに、金をば、取(とり)て、うづくるまりたる兩の肩より、土までとほる程に、其身のさしたる大小をぬきて、つきとほして、すてゝ有(あり)しとなり。ふびんなることの、さて、いかやうにして、つきとほりたるものにや、ふしん千萬なることなりし。」

と被ㇾ仰し。男ぶりよく、力量も人並にはすぐれ、少々は武藝もたしなみし人なりしを、かやうに他人の中に入(いり)て、たのみなきものなり。其あと、大きにもめたりしとぞ。

 是を見聞(みきき)て、やうやう、萬作、心おちつき、よくつとめしほどに、是も、金持といはれし、是も、りつぱの男にて有し。「大しわんぽう」といはれしが、金のまはるにまかせて、身の廻(まはり)をこしらへ、だんだん、おごりだして、遊び所にては、名をしられるやうに成(なり)しが、もちがねは、なくなりしくらいの時、時疫(はやりやまひ)にて病死せし。妻子なし。誰(たれ)も、

「よき死時(しにどき)。」

と、いひたりし。

 築地に有し時は、まだ、年若にて、とりつまらぬことなりし。

 ある夕方、ばゞ樣、庭へ御出被ㇾ成しに、火の見に何か白きもの見へし故、其時の大人役(おとなやく)安兵衞をよばせられて、

「火の見に、何か見ゆるから、見てこい。」

と被ㇾ仰しゆへ、行(ゆき)て見て、わらひながら歸り入(いり)て、

「晝ほど、萬作が外へ出(いで)るに、『下帶(したおび)よごれし』とて、俄(にはか)にあらひまして、『はやく干すにはどこがよかろふ』とて、もつてあるきました。一番はやくほす心で、火の見へゆひ付(つけ)て、出る時にはしめるをわすれて、參りました。」

と、いひしこと、有しとぞ。

[やぶちゃん注:「大しわんぽう」大吝嗇。

「大人役」若い半人前の従者に対して、一人前の書生・弟子を指す。]

 後(のち)に數寄屋町のとき、やかた船にて、すゞみのふるまひせしこと有し。むかしの御恩がへし、また我はなやぐをも見せたく、兩やうにて有(あり)つらん【此時、ふか川の名取の藝者三人、小船にて、あとより來りしが、素顏なりし。女の素顏といふもの、色が白くなくては、遠見のあしきものなりし。】[やぶちゃん注:同前で『原割註』とある。]、其折(そのをり)、妹もきたりしが、相應の女にて有し。弟は「新山けん藏」とふ「書物よみ」なりしが、兄には少しも似ず、不人柄(ふひとがら)のものなりし。萬作、兄の病氣の時も、此者、かんがくせしといふことなりしが、よかれとおもはゞ、病中、父樣、御藥でも戴(いただき)にきそふなものを、一向、病氣のこと、しらせもなく、

「相(あひ)はてし。」

と、しらせたりし。船ふるまひし、よく年のことなりし。其外、「けん藏」、評判あしきこと、かずかず、有し。

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