「南方隨筆」底本正規表現版「俗傳」パート「魂空中に倒懸する事」
[やぶちゃん注:本論考は大正五(一九一六)年一月発行の『人類學雜誌』三十一巻一号に初出され、後の大正一五(一九二六)年五月に岡書院から刊行された単行本「南方隨筆」に収録された。
底本は同書初版本を国立国会図書館デジタルコレクションの原本画像(ここが冒頭)で視認して用いた。但し、加工データとしてサイト「私設万葉文庫」にある電子テクスト(底本は平凡社「南方熊楠全集」第二巻(南方閑話・南方随筆・続南方随筆)一九七一年刊で新字新仮名)を加工データとして使用させて戴くこととした。ここに御礼申し上げる。
実は、本篇は「選集」版を「魂空中に倒懸すること」として古くに公開しているが、今回のものが、正規表現版となる。本篇は短いので、底本原文そのままに示し、後注で、読みを注した。そのため、本篇は必要性を認めないので、PDF版を成形しないこととした。]
魂空中に倒懸する事 (人類三十卷九號三三八貢以下)
罪業深き人の魂其死後空中に倒懸するてふ迷信は蝙蝠を見て言ひ出したのだろと書置たが、丁度其證據たるべき文を見出たから記さう。
南洋バンクス諸島の男子タマテとスクエてふ二祕密會に屬するを榮とす、タマテ會員は榛中にスクエ會員は村舍に會す。其村舍をガマルと稱へ中を種々に隔てゝ高下級を別ち、下級の者は高級の房に入るを得ず。スクエ會員ならぬ男子はガマルに入て會食するを得ず、自宅で婦女と食を共にせざる可らず、大いに之を恥とす。此會に入るには一豚を殺すを要し、膽試しの、祕法のと六かしき事無く、主として歌舞宴遊を催せばよき也。土人言く、一豚だも殺さぬ男(此會に入ぬ男)は死後其魂大蝙蝠樣に樹枝に倒懸し續けざる可らず。會員の魂は樂土に往き住まると。(Codrington, ‘The Melanesians,’ 1891, p.129)。
(大正五年一月人類三十一卷)
[やぶちゃん注:標題は「たましひ、くうちゆうに、たうけんすること」と読む。「倒懸」は、「人の手足を縛って逆様に吊るすこと」で、別に「非常な苦しみの喩え」ともする。添え辞は、平凡社「選集」では、二行で『南方「幽霊の手足印」参照』『(『人類学雑誌』三〇巻九号三三八頁以下)』とある。この「幽靈の手足印」の初出は「j-stage」のこちらでPDFで全文が読める。冒頭の「罪業深き人の魂其死後空中に倒懸するてふ迷信は蝙蝠を見て言ひ出したのだろと書置た」というのは、その三三九頁下段中央に、『又蝙蝠晝間暗窟中に倒懸し其暗窟に昔し死人を葬つた事夥しい處から耶蘇敎の書に惡鬼に蝙蝠の翼を添える如く印度では昆舍闍』(びしやじや(びしゃじゃ):四天王の配下とされる八部衆の一人で、古代インドの食人鬼「ピシャーチャ」の漢音写)『が墓塚に棲』(すん)『で逆立して步み人の精氣を食ふと云出したのでだろ』と述べているのを指す。
「南洋バンクス諸島」バンクス諸島(英語:Banks Islands/ビスラマ語:Bankis:Bislama語はメラネシア・ピジンに分類される一言語で、バヌアツ共和国の公用語。英語とフランス語が混淆して変化した言語で、正書法は未だ確立していない)は、 バヌアツ共和国の北部にある群島。ここ(グーグル・マップ・データ)。
「榮」「ほまれ」と訓じておく。
「一豚を殺す」イスラム化されていない古い南洋諸島に於いては、豚は一家一族の最大の宝である。何らかの信仰上のパニックが発生すると、彼らの神にそれを生贄として殺すことが知られる。
「Codrington, ‘The Melanesians,’ 1891, p.129」出版年を底本では「1981」と誤っているので訂した。メラネシアの社会と文化の最初の研究を行った英国国教会の司祭兼人類学者であったロバート・ヘンリー・コドリントン(Robert Henry Codrington 一八三〇年~一九二二年)の「The Melanesians : studies in their anthropology and folklore 」(「メラネシア人:人類学と民間伝承の研究」)。「Internet archive」で原本の当該部が読める。
「大正五年一月人類三十一卷」底本では「二月」であるが、一応、「選集」の方を採っておいた。初出誌を確認出来ないので正しいかどうかは不明。]
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