「南方隨筆」底本正規表現版「俗傳」パート「女の本名を知らば其女を婚し得る事」
[やぶちゃん注:本論考は大正三(一九一四)年四月発行の『鄕土硏究』二巻二号に初出され、後の大正一五(一九二六)年五月に岡書院から刊行された単行本「南方隨筆」に収録された。
底本は同書初版本を国立国会図書館デジタルコレクションの原本画像(ここ)で視認して用いた。但し、加工データとしてサイト「私設万葉文庫」にある電子テクスト(底本は平凡社「南方熊楠全集」第二巻(南方閑話・南方随筆・続南方随筆)一九七一年刊で新字新仮名)を使用させて戴くこととした。ここに御礼申し上げる。
本篇は短いので、底本原文そのままに示し、後注で、読みを注した。そのため、本篇は必要性を認めないので、PDF版を成形しないこととした。]
女の本名を知らば其女を婚し得る事 (鄕硏一ノ四二五頁參照)
一八九八年板、デンネツトのフヰオート(佛領コンゴ國)民俗註第四章に、貴人ンサツシ、忠犬を伴れネンペトロの二女を娶んと望む、ネンペトロ、富たる故幣餽を望まず、二女の名を言中てたら妻に與ふべしと答ふ。ンサツシ失望して去る、犬留つてネンペトロが二女を呼ぶを窃み聞き、走り歸る途中飢渴して飮食し、忽ち忘るゝ事二囘なりしも屈せず復往って聞覺え、歸りて其主に告げ、ンサツシ終に二女の名を其父に告て婚し得る譚有り。又菅丞相貴女の繪に筆を落し流されし話と同趣向の者、西鶴の新可笑記卷二「官女に人の知ぬ灸所の條」有り、佛師が皇后の木像胸邊に墨落せりとし、唐土にも吳道子宮女の寫生繪に筆落として疑はれし例有りと述べたり。
(大正三年鄕硏第二卷二號)
[やぶちゃん注:平凡社「選集」では、添え辞は三行書きのポイント落ち下方インデントで、
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南方「呼名の霊」参照
(『郷土研究』一巻七号四二五頁)
本書「郷土研究一至三号を読む」所収
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とある。これは大正一五(一九二六)年岡書院発行の「續南方随筆」に纏めて載る、その内の「鄕土硏究一至三號を讀む」の中の一節、「○呼名の靈」の記事(大正年二年九月発行の『郷土研究』初出)指す。ここからであるが、フライングして電子化するつもりは全くないので、以上の国立国会図書館デジタルコレクションの画像を視認されたい。
「デンネツトのフヰオート(佛領コンゴ國)民俗註」「選集」では『『フィオノート(仏領コンゴ國』民俗註(ノーツ・オン・フオクロール)』とある。これは、二十世紀初頭、現在のコンゴ共和国を拠点として活動したイギリスの商人で、西アフリカの文化についての社会学的・人類学的・民俗学的研究に影響を与えた本を数多く執筆したリチャード・エドワルド・デンネット(Richard Edward Dennett 一八五七年~一九二一年)の一八九八年の著作‘Notes on the Folklore of the Fjort (French Congo)’のこと。ここで原文が全部読め、その‘IV. How Nsassi (Gazelle) Got Married.’がそれである。
「娶ん」「めとらん」。
「幣餽」「へいき」。謝礼として夫へ渡す贈り物。本邦で言う結納。
「言中てたら」「いひあてたら。」。
「窃み聞き」「ぬすみきき」。
「復往て」「またいつて」。
「聞覺え」「ききおぼえ」。
「終に」「つひに」。
「菅丞相貴女の繪に筆を落し流されし話」不詳。識者の御教授を乞う。
『西鶴の新可笑記卷二「官女に人の知ぬ灸所の條」』国立国会図書館デジタルコレクションで昭和四(一九二九)年日本古典全集刊行会刊の「西鶴全集」のこちらから、活字本でと読める。
「吳道子宮女の寫生繪に筆落として疑はれし例有り」盛唐の、玄宗に仕えた著名な画家呉道玄(生没年不詳)の逸話で前の「新可笑記」の末に「「斯かる例(ためし)は唐土(もろこし)にも吳道子と云へ畫師の官女の寫し繪に、こぼれ墨其儘に痣子(ほくろ)と疑はれしも、佛師木眼(もくげん)が身の上に同じ」とも出るが、詳細不詳。識者の御教授を乞う。]