フライング単発 甲子夜話續篇卷之十五 10 信州須賀ノ不動
[やぶちゃん注:以下、現在、電子化注作業中の南方熊楠「水の神としての田螺 二」の注に必要となったため、急遽、電子化する。非常に急いでいるので、注はごく一部にするために、特異的に《 》で推定の歴史的仮名遣の読みを挿入し、一部、句読点を変更・追加し、段落も成形した。]
15―10
又、曰《いはく》、
「信州に不動堂あり、『須賀の不動』と稱して靈像なり。」
とぞ。
眼を患《わづらふ》る者、祈誓して、田螺《たにし》を食せざれば、必《かならず》、驗《しるし》ありて、平癒す。遠方にても、「須賀の不動」と寶號を唱《となへ》て立願《りふぐわん》するに、必ず、應驗あり。啻《ただ》に田螺を食するを止《やむ》るのみならず、これを殺す事をも慮《おもんぱか》りて、礫《つぶて》を田中《でんちゆう》に投ずるをせざるほどなれば、効驗、彌々《いよいよ》速《すみやか》にして、眼疾、平快す、と。
昔、此《この》堂、火災ありし時、寺僧、像を擔《にな》ひ出《いだ》し、その邊《あたり》の田中に投じて、急を免《まぬか》れたり、火、鎭《しづまり》て、その像を取り上ぐれば、田螺、夥《おびただし》く衆《あつ》まり、像を圍《かこみ》てありし、と。
この須賀と云へるは、彼《かの》國の何れの處にや。
賀茂眞淵の歌に、
信濃なる須賀の荒野にとぶ鷲の
翅《つばさ》もたわにふく嵐かな
■やぶちゃんの呟き
「又、曰」は前の〈15―9〉「加賀ノ俱梨伽羅不動」の不動繋がりで、かく言ったもの。
「信州に不動堂あり」「須賀の不動」不詳。識者の御教授を乞う。
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