「南方隨筆」底本正規表現版「俗傳」パート「臨死の病人の魂寺に行く話」
[やぶちゃん注:本論考は大正三(一九一四)年十一月発行の『鄕土硏究』二巻九号に初出され、後の大正一五(一九二六)年五月に岡書院から刊行された単行本「南方隨筆」に収録された。
底本は同書初版本を国立国会図書館デジタルコレクションの原本画像(ここが冒頭)で視認して用いた。但し、加工データとしてサイト「私設万葉文庫」にある電子テクスト(底本は平凡社「南方熊楠全集」第二巻(南方閑話・南方随筆・続南方随筆)一九七一年刊で新字新仮名)を加工データとして使用させて戴くこととした。ここに御礼申し上げる。
実は、本篇は「選集」版を「臨死の病人の魂、寺に行く話」として古くに公開しているが、今回のものが、正規表現版となる。底本ではベタ一段落であるが、「選集」の段落成形に倣って三段落とし、それぞれの段落末に注を附した。太字は底本では傍点「﹅」。]
臨死の病人の魂寺に行く話
柳田君の遠野物語八七と八八に、大病人の死に瀕せる者、寺に詣る途上知人に遭ひ、次に寺に入つて僧に面し茶を飮んで去つたが、後に聞合はすと其時步行叶はず外出する筈無く、其日死亡したと知れた話二條を載す。何れも茶を飮んだ跡を改むると、疊の敷合せへこぼしあつたとあり。寬文元年板、鈴木正三の因果物語下に、賀州の牢奉行五郞左衞門、每月親の忌日に寺へ參る。或時融山院へ來たりて、某[やぶちゃん注:「それがし」。]煩[やぶちゃん注:「わづらひ」。]の故御寺へも參らずと云ひて、茶の間で茶二三服呑んで歸る。明日納所行きて、御煩ひを存ぜず無沙汰せり、昨日は能くお出で候と言ふと妻子、五郞左衞門立居叶はず、昨日今日は取分け苦しき故、寺參りも成らずと申されしとある。多分は永からぬうちに死んだのだらう。
[やぶちゃん注:「柳田君の遠野物語八七と八八に、……」私の『佐々木(鏡石)喜善・述/柳田國男・(編)著「遠野物語」(初版・正字正仮名版) 八六~八八 末期の魂の挨拶』を参照。
「寬文元年板、鈴木正三の因果物語下に、……」「因果物語」は江戸初期の曹洞宗の僧で仮名草子作家、元は徳川家に仕えた旗本であった鈴木正三(しょうさん 天正七(一五七九)年~明暦元(一六五五)年)が生前に書き留めていた怪異譚の聞き書きを没後に弟子らが寛文元(一六六一)年に板行した仮名草子怪談集。当該部は下巻の「十七 人の魂(たましひ)死人を喰(く)ふ事附精魂(せいこん)寺へ來(きた)る事」の「附けたり」中の一話。愛知県図書館「貴重和本ライブラリー」の初版本(PDF一括版。状態は非常に良い)の「81」コマ目(左丁二行目以降)を視認して示す。一部の読みを送り出した。また、幾つかの略字や不審な箇所は所持する明治四四(一九一一)年冨山房刊の袖珍名著文庫版の饗庭篁村校訂本で訂した。
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賀州(かしう)[やぶちゃん注:加賀国。]の牢奉行(らうぶぎやう)、五郞左衞門と云ふ者、後生願(ごしやうねがひ)にて、每月(まいげつ)、親の忌日(きにち)に寺え参る也。或る時、融山院[やぶちゃん注:ここ(グーグル・マップ・データ)。曹洞宗。]へ來りて、
「某(それが)し、煩(わづら)ひ故(ゆゑ)、御寺(おんてら)へも參らず。」
と云ひて、茶の間で、茶、二、三服、呑みて、歸る。
明日(あくるひ)、納所(なつしよ)[やぶちゃん注:狭義には禅宗寺院に於いて、金銭などの収支事務を扱う担当僧を指す。]、行きて、
「御煩ひを存ぜず、無沙汰也。扨、昨日は能く御出(おんい)でそろ。」
と、言ふと、妻子、云ひけるは、
「五郞左衞門は以つての外に煩ひて、立居(たちゐ)も叶はず、結句(けつく)、昨日今日は、取り分け、煩ひ、苦しき故、寺參りも成らず。」
と申されしと語る也。
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熊野では、人死して枕飯を炊ぐ[やぶちゃん注:「かしぐ」。]間に、その魂妙法山へ詣で、途上茶店に憇ひて食事をし、畢りに必ず食椀を伏せ茶を喫まずに去ると言傳へ、隨つて食後椀を伏せたり茶を呑まなんだりするを忌む。因て考ふるに、以前病人死ぬ直前に寺に行つて茶を喫み死後は飮まぬと云ふ說が廣く行はれたのが、分離して後には別々の話と成つたものか。又拙妻の父は鬪鷄神社(縣社、舊稱田邊權現)の神主だったが、この社祭禮の日は近鄕の民にして家内に不淨の女ある者來つて茶を乞ひ飮んだ。其緣[やぶちゃん注:「そのつて」。]の無い者は、田邊町の何れの家にても不淨の女の無い家に來て茶を乞ひ飮んだ。斯くせずに祭禮を觀ると馬に蹴られるなど不慮の難に罹ると話した。是等から見ると、佛敎又は兩部神道盛んな時、茶に滅罪祓除[やぶちゃん注:「ふつじよ」。]の力あると信ぜられたらしい。
[やぶちゃん注:「鬪鷄神社」和歌山県田辺市東陽のここにある。「和歌山県神社庁」の「鬪雞神社」(同庁の正式登録名表記)をリンクさせておく。そこに記されてあるが、熊楠の妻はこの神社宮司であった田村宗造氏の四女松枝さんである。]
臨死人の魂が寺に往く話は西洋にも多く、マヤースのヒューマン・パーソナリチー(一九〇三年板)卷一、三二三頁以下に、大病で起居も成らぬ父が、階上に眠らずに居た娘を誘ひに來り、見た事なき墓地に伴行き[やぶちゃん注:「つれゆき」。]、ある地點で立止まつたが、二ケ月ばかり經つて其父死し、葬所に往つて見ると果して右の墓地であり、上件の地點に父は埋められたとある。是ばかりでは證據が弱いが、此外に近親の者へも、睡眠中で無く現實に、この死人のさとしが屢々有つたと云ふ記事もある。
(大正三年十一月鄕硏第二卷九號)
[やぶちゃん注:「マヤースのヒューマン・パーソナリチー」『「南方隨筆」底本正規表現版「俗傳」パート「睡眠中に靈魂拔出づとの迷信 一」』に既出既注。熊楠の指示する同板の当該ページは、「Internet archive」のこちらから。]
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