「南方隨筆」底本正規表現版「俗傳」パート「鹽に關する迷信」
[やぶちゃん注:本論考は大正元(一九一二)年八月発行の『人類學雜誌』二十八巻八号に初出され、後の大正一五(一九二六)年五月に岡書院から刊行された単行本「南方隨筆」に収録された。
底本は同書初版本を国立国会図書館デジタルコレクションの原本画像(ここ)で視認して用いた。但し、加工データとしてサイト「私設万葉文庫」にある電子テクスト(底本は平凡社「南方熊楠全集」第二巻(南方閑話・南方随筆・続南方随筆)一九七一年刊で新字新仮名)を加工データとして使用させて戴くこととした。ここに御礼申し上げる。
本篇は短いので、底本原文そのままに示し、後注で、読みを注した。そのため、本篇は必要性を認めないので、PDF版を成形しないこととした。]
鹽に關する迷信
佛領西亞非利加の「ロアンゴ」の民以前信ぜしは、其地の術士、人を殺し咒して其魂を使ふに、日々鹽入れず調へたる食を供ふ、魂に鹽を近くれば、忽ち其形を現じて其仇に追隨すれば也と(Ogilby, ‘Africa,’op.Astle, ‘Voyages and Travels,’ 1846, vol.iii, p.230)。本邦にも、何の譯と知らぬが、命日に死者に供ふる飯を、鹽氣なき土鍋もて炊ぐ。和國小姓氣質卷五、庄野佐左衞門、父の看病に歸省の間だに、親交ある少年吉崎鹿之助憂死したるを知ず、父の葬り終て、忙ぎ還り鹿之助を訪しに、「手づから拵へ膳すゆれば、精進飯の水臭く、半ば殘してさし措き」宅へ歸り、明朝鹿之助の死を聞知り、其室を檢するに、佛前の靈供の飯半ば食ひさし有しと出たり。荊妻(田邊生れ)の語るは、旨からぬ米に鹽入れ炊ぎて旨くする方有り、赤飯炊ぐには必ず鹽入る。凡て佛や死者に供えし飯は旨からず。抹香等の氣に燻べらるれば也、小兒食へば記憶力を損ずとて、老人のみ食ふ、物忘れするも拘はぬを以て也。又食時に鹽と味噌を膳上に並べ置ず、其譯を知らず、但し、刀豆の味噌漬を刑死人に三片食はせたれば、今も三片食はず、三片食はんとする時、一囘多く取るまねして、第四囘めに實に之を取る事あれば、刑死人にも鹽と味噌を膳に並べて、食はせしに因て之を忌むかと。熊楠謂ふに、葬送の還りに門に鹽を撒くは不淨を掃ふといへど、實は鬼が隨ひ來るを拒ぐ者歟、靈飯に鹽を避け、土鍋を用て炊ぐも、本と亡靈が鹽と鐵を忌むとせしに出ずるならん。日本紀卷廿五、大化五年、倉山田大臣譖せられて自殺せる首を、物部二田造鹽斬てければ、皇太子(天智帝)の妃造媛、父の仇とて鹽の名を聞くを惡み、其近侍の者、諱稱鹽名改目堅鹽、媛遂因傷心而致死焉、是は上方の茶屋に、猴を去るの意有ればとて、必ず左呼ばず、野猿と稱ふるに似た事で、其家限り行なはるゝ禁忌(タプー)[やぶちゃん注:ルビではなく、本文。]也。又歐州一汎に鹽をこぼすを凶兆とし、之を厭せんとて、鹽扱ふに必ず先づ左肩上に少許の鹽を撒過す(M. R. Cox, ‘An Introduction to Folk-lore,’ 1895, p.10)。
(大正元年八月人類第二八卷)
[やぶちゃん注:太字は底本では傍点「◦」。底本では一部の「日本書紀」の引用表記に致命的な誤りがあるので訂した。具体的には「名稱盬名改目堅盬」で、頭の「名」は「諱」の誤りである。
『佛領西亞非利加の「ロアンゴ」』ロアンゴ(フランス語: Loango)は現在のコンゴ人民共和国の町(グーグル・マップ・データ)で、クイル県県都。古くはロアンゴ王国の首都だった。コンゴ川(ザイール川)右岸の大西洋沿岸部に位置する。口頭伝承などの資料によれば、十四世紀には一群の鍛冶師と戦士たちによって、王国の基礎が築かれたとされている。より北部のティヨ王国及びコンゴ川対岸に栄えたコンゴ王国とも密接な関係があり、各王朝の始祖を同一の神に帰す神話もある。王及び王権(「ルワーング」と呼ばれた)は、祖霊・地霊の崇拝と結び付き、国の繁栄を保証すべき〈神なる王〉の例として、フレーザーの「金枝篇」にも言及されている(平凡社「世界大百科事典」に拠った)。
「近くれば」「ちかづくれば」。
「Ogilby, ‘Africa,’op.Astle, ‘Voyages and Travels,’ 1846, vol.iii」『「南方隨筆」版 南方熊楠「牛王の名義と烏の俗信」 オリジナル注附 「二」の(7)』に同書第一巻が引用されているが、第三巻は見出せなかった。
「炊ぐ」「ひさぐ」。
「和國小姓氣質卷五、庄野佐左衞門、……」京都の九二軒鱗長なる人物の享保五(一七二〇)年刊の「男色子鑑」(なんしょくこかがみ)の増補改題本)。国立国会図書館デジタルコレクションの明治二九(一八九六)年博文館刊「校訂續氣質全集」の五巻の冒頭にある「㊀ 戀にはかゆきのする亡者のめし」がそれ。熊楠の引用はここの右ページ後ろから三行目以降。
「憂死」原本本文内容に合わせて「うれひじに」と訓じておく。
「知ず」「しらず」。
「葬り終て」「はふりをはりて」
「精進飯の水臭く」「しやうじんめしのみづくさく」。
「其室を檢するに」「そのへやをけみするに」。
「靈供」「れうぐ」。
「荊妻」「愚妻」に同じ。
「旨からぬ」「うまからぬ」。
「燻べらる」「ふすべらる」。
「拘はぬ」「かまはぬ」。
「置ず」「おかず」。
「刀豆」「なたまめ」(鉈豆)。マメ目マメ科マメ亜科ナタマメ属ナタマメ Canavalia gladiata 。現行では福神漬に用いられることで知られる。
「本と」「もと」。
「日本紀卷廿五、大化五年、倉山田大臣譖せられて自殺せる首を、……」「日本書紀」第二十五の「天萬豐日天皇 孝德天皇」の五年三月の一節だが、かなり長いので、国立国会図書館デジタルコレクションの黒板勝美編の訓読本(昭和七(一九三二)年岩波書店刊)の当該部をリンクさせるに留める。その左ページ二行目の、「戊辰、蘇我臣日向(そがのおみひむか)〔日向、字(ざな)は身刺(みさし)〕倉山田大臣(くらやまだののをほまちをみ)を皇太子(ひつぎのみこ)に譖(しこ)ちて曰く、」以下で、遂には造媛(みやつこひめ)が心痛によって亡くなったのを、皇太子が傷んで詠む歌まで続く。
「物部二田造鹽」「もののべのふつたみやつこしほ」。
「諱稱鹽名改目堅鹽、媛遂因傷心而致死焉」「『鹽(しほ)』の名を稱(い)ふを諱(い)みて、改めて『堅盬(きたし)』と曰ふ。造媛(みやつこひめ)遂に心を傷(いたむ)るに因りて死ぬる致(いた)る。」。
「猴」「さる」。
「左呼ばず」「さよばず」。
「野猿」「やゑん」。この忌み言葉は辞書にも載る。
「M.R.Cox, ‘An Introduction to Folk-lore,’ 1895, p.10」イギリスの民俗学者で「シンデレラ型」譚の研究者として知られるマリアン・ロアルフ・コックス(Marian Roalfe Cox 一八六〇年~一九一六年:女性)の「民俗学入門」。「Internet archive」の当該原本のここ。]
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