「南方隨筆」底本正規表現版「俗傳」パート「桃太郞傳說」
[やぶちゃん注:本論考は大正三(一九一四)年九月発行の『鄕土硏究』二巻七号に初出され、後の大正一五(一九二六)年五月に岡書院から刊行された単行本「南方隨筆」に収録された。
底本は同書初版本を国立国会図書館デジタルコレクションの原本画像(ここ)で視認して用いた。但し、加工データとしてサイト「私設万葉文庫」にある電子テクスト(底本は平凡社「南方熊楠全集」第二巻(南方閑話・南方随筆・続南方随筆)一九七一年刊で新字新仮名)を使用させて戴くこととした。ここに御礼申し上げる。
本篇は短いので、底本原文そのままに示し、後注で、読みを注した。そのため、本篇は必要性を認めないので、PDF版を成形しないこととした。]
桃太郞傳說
犬を伴れて島を伐つた話は南洋にもある。ワイツ及ゲルラントの未開民史(一八七二年板卷六の二九〇頁)に云く、「タヒチ島のヒロは鹽の神で、好んで硬い石に穴を掘る。甞て禁界の制標たる樹木を引拔いて守衞二人を殺し、巨鬼に囚へられたる一素女を救ひ、又多くの犬と勇士を率ゐて一船に乘り、虹神の赤帶を求めて島々を尋ね、每夜海底の怪物鬼魅と鬪ふ。或時窟中に眠れるに乘じ闇の神來りて彼を滅さんとするを見、一忠犬吠えてヒロを寤し、ヒロ起きて衆敵を平ぐ。ヒロの舟と柁竝に彼犬化して山及び石と爲れるが其島に現存す云々」。桃太郞が犬つれて鬼が島を攻めた話にも、諸國に多い、忠犬主を寤して殺された話にも、似た所が有る。タヒチ島は日本とは餘程隔たり居るが、神話や舊儀に日本上古の事物と似たことが多い。然し予は此故に、直ちに桃太郞の鬼が島攻はタヒチから日本へ移つたとも、日本から彼地へ傳へたとも速斷する者でない。篤と調べたら他の諸國にも多く似た譚があるのであらう。又以前有つて今絕えたのもあらう。
(大正三年鄕硏第二卷七號)
[やぶちゃん注:最後の初出書誌注記は底本では、最終行の下方インデント。
「ワイツ及ゲルラントの未開民史」は、平凡社「選集」では、『ヴァイツ及ゲルラントの『未開民史(ゲシヒテ・デル・ナチユルフオルケル)』とあるが、これはドイツの心理学者・人類学者テオドール・ヴァイツ(Theodor Waitz 一八二一年~一八六四年)、及び、その死後に著作を補巻したドイツの人類学者・地球物理学者ゲオルク・コーネリアス・カール・ガーランド(Georg Cornelius Karl Gerland 一八三三年~一九一九年)によるの共著‘Anthropologie Der Naturvolker’(「原始人の人類学史」)のことであろう。なお、知られた南方熊楠のシリーズ「十二支考」の「犬に關する民俗と伝說」のコーダにも(当該部最終章「四」の初出は、大正一一(一九二二)年十二月博文館発行の『太陽』十四号。所持する「選集」から引用した)、
*
桃太郎の話は、主として支那で鬼が桃を怖るるという信念、それから「神代巻」の弉尊が桃実を投げて醜女を却(しりぞ)けた譚などによる由は古人も言い、また『民俗』一年一報、柴田常恵君の説に、田中善立氏は福建にあったうち、支那にも非凡の男児が桃から生まれる話あるを聞いた由で、その話を出しおる。それらは別件として、ここにはただ桃太郎が鬼が島を伐つに犬を伴れ行ったという類話が南洋にもある事を述べよう。タヒチ島のヒロは塩の神で、好んで硬い石に穴を掘る。かつて禁界を標示せる樹木を引き抜いて守衛二人を殺し、巨鬼に囚われた一素女を救い、また多くの犬と勇士を率いて一船に打ち乗り、虹の神の赤帯を求めて島々を尋ね、毎夜海底の妖怪鬼魅と闘う。ある時、ヒロ窟中に眠れるに乗じ、闇の神来って彼を滅ぼさんとす。一犬たちまち吠えて主人を寤(さま)し、ヒロ起きて衆敵を平らぐ。ヒロの舟と柁(かじ)、並びにかの犬化して山と石になり、その島に現存すというのだ(一八七二年ライプチヒ版ワイツおよびゲルラントの『未開民史(ゲシヒテ・デル・ナチユルフオルケル)』六巻二九〇頁)。
*
とある。
「伐つた」「うつた」。
「素女」「そぢよ」。仙女。
「平ぐ」「たひらぐ」。
「柁」「かじ」。
「篤と」「とくと」。]
« 「南方隨筆」底本正規表現版「俗傳」パート「女の本名を知らば其女を婚し得る事」 | トップページ | 「南方隨筆」底本正規表現版「俗傳」パート「アイヌの珍譚」 »