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2022/05/13

柳田國男「後狩詞記 日向國奈須の山村に於て今も行はるゝ猪狩の故實」 「附録」「狩之卷」 / 「後狩詞記」電子化注~了

 

[やぶちゃん注:底本のここから。以下は、底本では各標題「一」のみが行頭で、抜きんでいるが、その解説部は一字下げである。その箇条の「一」の後に、すぐ、文が続くのだが、これがちょっと読み違えそうなので、一字空けた。また、本文上に横罫があり、その上方にポイント落ちで柳田國男の頭注が入る。それは【 】で同ポイントで適切と思われる本文の中に同ポイントで挿入した。〔 〕が割注である。なお、このパートでは下線は左傍線で、「序」の「十」にあったように、柳田が意味不明であった部分をかく表示したものである。文中の字空けはママ。]

 

    附錄

 

      狩之卷

    西山小獵師    獅子式流

一 山に出る時、生類〈しやうるゐ〉に行あふてまつるとなへ。

  山の神もてんとの事はめされ鳧〻〻〻〻

 と唱へ、もゝ椿の枝にて拂ふ也。但し道の上を折る

[やぶちゃん注:「西山」不詳。単に西の方の山間の意か。西方浄土に掛けるか。

「てんとの」不詳。「天殿」か?

「鳧」「けり」。

「〻〻〻〻」は「鳧」のくり返しではなく、「めされ鳧」のくり返しであろう。

「もゝ椿」不詳。或いは、「椿桃」「油桃」で「づばきもも」とも称したモモの変種のことか。流通名「ネクタリン」で知られる、バラ目バラ科サクラ亜科モモ属モモ変種ズバイモモ  Amygdalus persica var. nectarina 。中国西域原産であるが、古くから日本やヨーロッパに伝わった。一般に果実は無毛でモモよりやや小さく黄赤色を帯びる。果肉は黄色で核の周囲は紅紫色。核は離れやすい。七~九月に成熟し、生食する。在来品種は消滅したが、近年、ヨーロッパ系品種が渡来し、植栽されている。「つばきもも」「つばいぼう」とも呼ぶ。「桃」や「椿」の意なら、柳田が傍線するはずがない。]

 

    宍垣〈ししがき〉の法

一 鹿は上をしげく、猪は下をしげく。後宍垣、前は三尺二寸。腰袖しがきと云ふは二尺三寸也。其時 小摩〈しやうま〉の獵師猪をとる事數不知〈かずしらず〉 小摩が内の者【△今も椎葉にては男女の下人(メローとデエカン)を「内の者」といふ】に辰子と云へる男 せつ子といへる女に しゝを手向よと乞けるに 男女共にせなをかるひはぎなとして 小摩の獵師に仕ふる後一人は山川に飛入〈とびいり〉アダハヘとなる ひとりは海にとび入〈いり〉一寸〈いつすん〉の魚と成る 今の「おこぜ」これ也 其時しゝをとりてかふら戶を祭る かぶらは山の御神一人の君に奉る 骨をばみさき【△「みさき」は小田林の呪文にも「御先御前」とあること前に見ゆ】に參らする 草脇〈くさわき〉をば今日〈こんにち〉の三體玉女に參らする そも々々小摩がもとは藤原姓也 如何なる赤不淨黑不淨にくひちがへても 小摩が末〈すゑ〉たがふまじと誓ひたまふ 大摩〈たいま〉の獵師は山神の御母神にわりごを參らせず よつて三年に嶺の椎柴一つゆるされしが 三年に白きししの貳と一つゆるされ 三年にかは一枚 みなふこと一筋とたふへしや 奧山三十三人 中山三十三人 山口三十三人 山口太郞 中山二郞 奧山三郞 嶺の八郞 おろふの神谷原行司 三年原の行司 只今の獵師の末に相逢ふて あだ矢射させまじ獵師や 柳の枝七枝 小摩が年の數〔五十より〕かり文ましきのごく 白き粢(しとぎ)かけの魚とり調へ 昔の神かふざき 中頃の神かふざき 當代神かふざき【△「かふざき」は前にいふ「コウザキ殿」のことと見ゆ】 山の御神に懈怠〈おこた〉らず謹むで申奉る

[やぶちゃん注:「小摩の獵師」当地椎葉村の伝承中の人物名。「日文研」の「怪異・妖怪伝承データベース」のこちらに柳田関連の論文からとして、『大摩』(たいま)『と小摩』(しょうま)『という二人の猟師がいた。七日間浄斎した飯を神にあげた。大摩はアダバエとなり、小摩だけが猟師となることができた。』とあった。「アダバエ」は意味不詳。

「せなをかるひはぎなとして」意味不明。以下、傍線部は柳田國男も判らなかったのであるから、個人的に推理出来そうなもの以外は注さない。

「アダハヘ」不詳。妖怪の名か。

「かふら戶」不詳。アニミズムの精霊の名か。

「かぶら」当初は「鏑」で、嘗つては猪鹿(しし)を矢で射る訓練に用いた鏑矢のことかとも思ったが、ここは後に「骨」とあるから、猪の頭をかく言っているものと思う。

「草脇」前掲。胸部部分。

「海にとび入〈いり〉一寸〈いつすん〉の魚と成る 今の「おこぜ」これ也」一寸は異様に小さいから、『「南方隨筆」版 南方熊楠「俗傳」パート/山神「オコゼ」魚を好むと云ふ事』で私が一番の候補に挙げたオニオコゼではあり得ない。思うのは、私自身、熊楠の「オコゼ」で、当初、ちらっと頭を過った、成魚でも十センチ前後で、しかし棘毒が半端ないカサゴ目ハオコゼ科ハオコゼ属ハオコゼ Paracentropogon rubripinnis が候補と挙がってくるように私には思われる。

「赤不淨黑不淨」一般の習俗では「死穢」(しえ)=「死の穢れ」を「黒不浄」、出血を伴い魂が二つ存在している出産前後のそれを「白不浄」、広義の血に纏わる「血の穢れ」を「赤不浄」と呼ぶが、「赤不浄」は専ら女性の月のものの穢れを指す

「粢〈しとぎ〉」神に供える餠。糯米を蒸し、少し搗いて卵形にしたもの。その形状から「鳥の子」とも呼ぶ。一説に、逆に粳(うるち)米の粉で作ったものとも言う。「しとぎもち」「粢餠(しへい)」。]

 

    椎柴の次第

一 上瀨にさか柴。但ししでを付る。

[やぶちゃん注:「しで」紙垂。注連縄・玉串・祓串(はらえぐし)・御幣などにつけて垂らす、特殊な断ち方をして折った例の紙。]

 

    御水散米の法

一 中瀨は椎柴也。木の柴三丸かし也。柴の上より粢みさき祭る。亦ごく【△「亦ごく」は赤御供なるべし、「ごく」は外にも見ゆ】七まへ、尤柴の右の三方より立掛火を放。心經讀誦。しゝは其柴にかけ置事。口傳。

一 中瀨みてぐら三本。但し水神の幣也。ごくしとぎごまひを備へ、諸神くわん

一 神崎三本。亦は七本。【△「神崎」は亦かふざきなるべし】

 ちゝみ右數にして備ふ。

 

    小獵師に望の幣【△左右の「六」と「八」何れかあやまりならん】

 

Nusa

[やぶちゃん注:底本の国立国会図書館デジタルコレクションのここからトリミング清拭した。]

 

    朝鹿の者けぢな祭る事【△「けぢな」は「けばな」とも見ゆ「け」は本の字分明ならずふり假名による】

一 ちはやふる神のおもひも叶しや

         けふ物數に千たびもゝ度

 

    完草(ウダグサ)返し

一のぼるは山に五萬五千 下るは山に五萬五千 合て十一萬の山の御神 本山本地居なほくち 得物を多くたびたまへ きざらだやはんけの水【△「はんけの水」前にも見ゆ】をたつね來て生をてんじて人に生れよ 夫(ヲ)じゝ五カ 婦(メ)じゝ四カや 步行。口傳。

一初しゝには頭にまなばしをあてず、矢びらきに掛る也。

一神崎まつり 〔串長 二寸二分 燒物串 右同斷〕

むかしありといひしや 中頃ありといひしや 地主かんどかうさき かんのかうざき 今當代かんどかうさき 簗のかうさき 祭人玉女にむかふ【△此文句などはきはめてよく沖繩の「オモロ」に似たり】

一丸頭 今日の日の三度三體玉女殿にかけ法樂申 野の神山の神 天日の神 三日の神 同所のちんじゆ森 かくら山の御神に參らする【△「カクラ」は前に出でたり狩倉と同義なるべし】 猶も數の得物たび玉へ ぐうぐせひのものたすくるといへどたすからず 人に食して佛果に至れ。六じの名號。

 

    掛隨

一 しやち頭 今日の日の三體玉女に參らする 二つの兩眼は日天月天  犬はな打きんのみさき 左のふたは所の鎭守森 かくら諸神にかけ法樂申奉る 草脇は草の御神 こしわきは尻指のみさき【△尻指のみさき】 八枚の折肌は八人のかんどかうさき 天竺の流沙川水神殿 同法界いなり ほつかい水神 め谷を谷のはゝ かりこの行司 かりこの子とも おろふの神 さけふの神 谷の口におりやらせ玉ふは山のみさきに掛け法樂申す とんたのとほみとしたの其子に掛け法樂申す 同じ山の木柴おりからし ほう丁まなばしまな板かうばし せんくやうくなきやうに 得物をくし玉へ まつりはづしはあか良原殿 はづしのなきやうに あとのちよとのにかけ法樂申奉る

一 完所に女來るときは、必ずしゝをふるまふべし。女心えはきたる草履の裏にて受れば、なり木の枝をしき、其上にしゝを置てわたすべし

[やぶちゃん注:「掛隨」「かけしたがひ」と読んではおく。願掛けの祝詞の文か。]

 

    山神祭文獵直しの法

一 抑〈そも〉山の御神 數を申せば千二百神 本地藥師如來にておはします 觀世音菩薩の御弟子阿修羅王 緊那羅王〈きんならわう〉 摩睺羅王〈まぎらわう〉と申〈まうす〉佛は 日本の將軍に七代なりたまふ 天〈あまの〉の浮橋〈うきはし〉の上にて 山の神千二百生れ玉ふや 此山の御神の母 御名を一神の君と申す 此神さんをして 三日までうぶはらをあたゝめず 此浮橋の上に立玉ふ時 大摩〈たいま〉の獵師毎日山に入り狩をして通る時に 山の神の母一神の君に行あひ玉ふとき 我さんをして今日三日になるまで うぶはらをあたゝめず 汝が持ちし割子〈わりご〉を少し得さすべしと仰せける 大摩申けるは 事やうやう勿體なき御事也 此わり子と申〈まうす〉は 七日の間〈あひだ〉行〈ぎやう〉を成し 十歲未滿の女子〈をなご〉にせさせ てんから犬にもくれじとて天上にあげ ひみちこみちの袖の振合〈ふれあひ〉にも 不淨の日をきらひ申す 全く以て參らすまじとて過〈すぎ〉にけり 其あとにて小摩〈しやうま〉の獵師に又行あひ 汝高をいふもの也 我こそ山神の母なり 產をして今日三日になるまで うぶはらをあたゝめず 山のわり子を得さすぺしとこひ玉ふ 時に小摩申けるは さてさて人間の凡夫にては 產をしては早くうぶはらをあたゝめ申事なり ましてや三日まで物を聞しめさずおはす事のいとをしや 今日山に不入〈いらず〉 明日山に不入とも 幸ひ持〈もち〉しわり子を一神の君に參らせん かしきのごく 白き粢〈しとぎ〉の物を聞しめせとでさゝげ奉る 其時一神の君大によろこび いかに小摩 汝がりうはやく聞せん 是より丑寅の方に的〈あたり〉て とふ坂山といへるあり 七つの谷の落合に りう三つを得さすべし 猶行末々たがふまじと誓て過玉ふ きうきうによりつりやう 敬白【此大摩小摩の物語は如何にも形式のよくととのひたる神話なり此筋より求入〈もとめい〉らば更に面白き發見あるべき也】

[やぶちゃん注:「緊那羅王」インド神話に登場する音楽の神々又は精霊。仏教では護法善神の一尊となり、天龍八部衆の一人とされる。

「摩睺羅王」摩睺羅伽(まごらが)が一般的。サンスクリット語名の「マホーラガ」は「偉大なる蛇」を意味する。本来は古代インドの神であったが、仏教に取り入れられた。身体は人間で、首は大蛇或いは頭に蛇冠を戴いた人間の姿で描かれる。八部衆の緊那羅と同じく音楽の神とされるが、ナーガがコブラを神格化したものであるのに対し、このマホーラガはニシキヘビのような、より一般的な蛇を神格化したものとされる。やはり、護法善神の一尊で天竜八部衆・二十八部衆に数えられる。胎蔵界曼荼羅の外金剛部院北方に配せられてある(当該ウィキに拠った)。]

一 上日さかな。へんはい口傳。

   みさきあらばかせと車に打のりて

        かへりたまへやもとのみ山に

一 友引。一大事。

一 我まへに來るかくれしゝ打つまじき事。

 

    熊の紐ときの傳 (大祕事)

一 なむめいごのもん  三返

     腹に手をあて

 ろてん中天なりばざつさい あとはならくのこんりんざい

     紐分

一 是より天竺の流沙か嶽の邊にて めんたはつたといへる鍛冶の打ぬべたる 彌陀の利劍を以て解いたる紐にとがはあるまじ

     歌

   月入て十日あまりの十五日

        のこる十日はみろく菩薩へ

     月の輪二つに割るとなへ

一 こんがうかい たいざうかい 兩部の万だら 大日如來。

[やぶちゃん注:「万だら」は底本献本では自筆で「方」を取消線して「万」と修正してある。]

      ねんぶつ十二返

 右小刀三本にてみつ柴口傳

     紐とく間のきやうもん

 

一なふまくさまんだもとなんそはらちことやきやなんおんのんしふらはらしふらうしゆしゆりそふはしやせんちんきやしりゑいそはか【△此呪文何に在りとも知らず切に識者の敎を待つ】

 同。しゝにまなばしをたてゝ九字の文にて九刀にきる。

     引導【△有難さうなる經文なれども編者も山中の人と共に夢中にて寫し置く】

一 ぐわんにしきどく平號しゆいつさいおんゆふく百さいちん守らいやうおんしゆりれうちごくがきしゆらのくをのがれしきやう成就となるべし

一 諸行むじやうぜしやうめつぽふ生めつめついじやくめつゐらくひがふぐんせいのもの助るといへども助らず人に食してぶつくわに至れ

 六字の名號。ごしんぼふ

一南無御本尊界行摩利支天

 のうへ影向〈やうがう〉あつて

   ヲンソワウロタヤソワカ。   七返。

 右產所の流といへり。

 

大山祇命

       山の御神也

豐玉姬命

 

 

   寬政五年八月  奈須資德相傳也

         ―――――――――――――

   右一卷日向國西臼杵郡椎葉村之内大字大河内椎葉德藏所藏之書以傳寫本一本謹寫訖

    明治四十二年二月二日  柳 田 國 男

 

[やぶちゃん注:本書には奥付が存在しない。既に述べたが、柳田國男が相原某に献呈した国立国会図書館デジタルコレクションの別の所蔵本(カラー画像。に献辞と署名有り)では、非常に読み難いが、こちらのここに奥付がある。左ページの右下方である。]

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