譚海 卷之五 信州深山の民薪をこり事
○信州にては、窮僻(きゆうへき)の高山に登りて常に薪を取(とる)也。登る時は蔦(つた)かづらにすがり、岩角などをふみてやうやうに登り、思ふまゝに薪を取、かずかずにつかねて、山よりなげおとして、一日の内に夥敷(おびただしき)薪を取事也。扨(さて)下らんとする時は、道なきけはしき山をも、薪の束(つか)ねたるを五六把(ぱ)腰にゆはへ付(つけ)て、夫(それ)に乘(のり)て絶壁をすべりて下(くだ)るといふ、和歌に柴車とよめるも此類(たぐひ)なるべし。
[やぶちゃん注:「窮僻」極めて辺鄙な場所。
「柴車」「しばぐるま」。柴を丸く束ねておいて、それを山の上から転がし落とすこと及びそのものを言う。ここに言うように、歌語として知れる。例えば、「堀河百首」(堀河百首(長治二(一一〇五)年か翌年頃)の「雜」の大江匡房(まさふさ)の、
柴車落ち來るほどにあしひきの山の高さを空に知るかな
や、同じ折りの修理大夫顕季の、
峯高きこしのを山にいる人は柴車にてかへるなりけり
或いは、「梁塵秘抄」の巻第二「雜 八十六首」の三七四番の以下などがある。
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すぐれて速きもの
鷂(はいたか) 隼(はやぶさ) 手なる鷹
瀧の水 山より落ち來る柴車(しばぐるま)
三所(さんしよ) 五所に申すこと
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