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2022/05/22

「南方隨筆」底本正規表現版「俗傳」パート「睡人及死人の魂入替りし譚」の「二」・「三」 / 「睡人及死人の魂入替りし譚」~了

 

[やぶちゃん注:凡例その他は「一」の冒頭注を参照されたい。なお、「二」と「三」は短いので、そのまま電子化した。底本ではここから。]

 

 

     睡人及死人の魂入替りし譚 

               (人類二七卷五號三一三頁と二九巻七號に追加す) 

 押上中將頃ろ[やぶちゃん注:「このごろ」。]聊齋志異十六卷を惠送せられ言く、此中に死人の魂、他の死人の身に入替る話一、二有りしと記憶すと。予多忙中全論を通覽せざれど、其第一卷に次の一條あるを見出し得たれば報告す、云く長淸僧某道行高潔、年八十餘猶健、一日顚仆不起、寺僧奔救、已圓寂矣、僧不知自死、魂飄去至河南界、河南有故紳子率十餘騎、按鷹獵兎、馬逸墮斃、魂適相値、翕然而合、遂漸蘇云々、張目曰、胡至此、衆扶歸入門、則粉白黛綠者、紛集顧問、大駭曰、我僧也、胡至此、家人以爲妄、共提耳悟之、僧亦不自申解云々、酒肉則拒、夜獨宿云々、雜請會計、公子托以病倦、悉謝絕之、惟問、山東長淸縣云々、翌日遂發抵長淸云々、弟子見貴客至云々、答云、吾師曩已物化、問墓所。群導以往、則三尺孤墳荒草猶未合也云々、既而戒馬欲歸、囑曰、汝師戒行之僧、所遺手澤宜恪守云々、既歸云々、灰心木坐、了不勾當家務、居數月、出門自遁直抵舊寺、謂弟子、我卽汝師、衆疑其謬、相視而笑、乃述返魂之由、又言生平所爲悉符、衆乃信、居以故榻、事之如平日、後公子家、屢以輿馬來、哀請之、略不顧瞻、又年餘、夫人遣紀綱至、多所饋遺、金帛皆却之、惟受布袍一襲而已、友人或至其鄕、敬造之見其人默然誠篤、年僅而立、而輒道其八十餘年事《長淸(ちやうせい)の僧某は、道行(だうぎやう)高潔、年八十餘にして、猶ほ、健やかなり。一日、顚(まろ)び仆(たふ)れて起きず、寺僧、奔り救ふも、已(すで)に圓寂(ゑんじやく)せり。僧、自(みづか)ら死せしを知らず、魂(こん)、飄(ひるが)へりて去つて河南の界(さかひ)に至る。河南に故(ふる)き紳子有り、十餘騎を率いて、鷹を按(あん)じて、兎を獵(か)る。馬、逸(はや)りて、墮ちて斃(たふ)る。魂、適(たまた)ま相ひ値(あ)ひ、翕然(きふぜん)として[やぶちゃん注:現代仮名遣「きゅうぜん」。集まるさま。一致するさま。]合(がつ)す。遂に漸(やうや)く蘇(よみが)へる云々。目を張(みは)りて曰はく、「胡(なん)ぞ此こに至るや。」と。衆、扶けて歸りて門に入れば、則ち、粉白黛綠(ふんぱくたいりよく)の者、紛(むらが)りて集まり、顧みて問ふに、大いに駭(おどろ)きて曰はく、「我れは僧なり。胡ぞ此に至れるや。」と。家人、以つて、「妄(まう)」と爲(な)し、共(とも)に耳を提(と)りて、之れを悟(さ)まさんとす。僧も亦、自ら申解(いひわけ)せず云々。酒・肉は、則ち、拒(こば)み、夜は獨り宿(い)ぬ云々。[やぶちゃん注:使用人たちが。]雜(いりまぢ)りて會計を請ふも、公子、病ひに倦(う)むを以つてと托(かこつ)け、悉く、之れを謝絕す。惟(た)だ、山東長淸縣のことを問ふ云々。翌日、遂に發して長淸に抵(いた)る云々。弟子、貴客の至るを見る云々。答へて云はく、「吾が師は曩(さき)に已に物化せり。」と。墓所を問へば、群れ、導きて、以つて往けば、則ち、三尺の孤墳にして、荒草、猶ほ、未だ合(おほ)はざるなり[やぶちゃん注:蔽われてはいない。遷化から未だ時が経っていないことを指す。]云々。既にして馬を戒(そな)へて歸らんと欲し、囑(しよく)して曰はく、「汝らの師は、戒行(かいぎやう)の僧たり。遺(のこ)す所の手澤(しゆたく)、宜しく恪守(かくしゆ)すべし[やぶちゃん注:謹んで守りなさい。]。」と云々、既に歸りて云々。灰心木坐(かいしんもくざ)して[やぶちゃん注:気が抜けたようになるさま。]、了(つひ)に家の務めを勾-當(とりしき)らずなりぬ。居(を)ること數月、門を出でて、自(みづ)から、遁れ、直(す)ぐに舊(もと)の寺に抵(いた)り、弟子に謂はく、「我れ、卽ち、汝らが師なり。」と。衆、其の謬(あやま)れるを疑ひ、相ひ視て笑ふ。乃(すなは)ち、返魂(はんごん)の由(よし)を述べ、又、生平(せいへい)の爲(な)す所を言へば、悉く、符(ふ)せり。衆、乃ち、信じ、故(もと)の榻(とう)[やぶちゃん注:腰掛け。]を以つて居(を)らしめて、之れに事(つか)ふるに、平日のごとし。後、公子の家、屢(しばし)ば、輿(こし)・馬を以つて來たり、之れを哀請(あいせい)するも[やぶちゃん注:帰宅を懇請するも。]、略(いささ)かも顧瞻(こせん)せず[やぶちゃん注:顧みない。無視する。]。又、年餘して、夫人、紀綱(けらい)を遣(つかは)して至り、饋遺(きい)[やぶちゃん注:布施。]する所、多しといへども、金帛は皆、之れを却(しりぞ)け、惟だ、布袍(ぬのこ)一襲(ひとかさね)を受くるのみ。友人、或いは、其の鄕(がう)に至り、敬して之れに造(いた)るに、其の人、默然として誠篤(せいとく)なるを見る。年は僅かに而立(じりつ)[やぶちゃん注:三十歳。]、而れども、輒(すなは)ち、其の八十餘年もの事を道(い)ふ。》。

      (大正三年十月人類第二十九號)

[やぶちゃん注:以上の「聊齋志異」の引用は事前に縦書ルビ附きで柴田天馬氏の素敵な現代語訳を公開してある。そこで「中國哲學書電子化計劃」の同書当該話の影印本をリンクさせてもある。但し、熊楠の引用には、若干、漢字表記に不審があるので(或いは参考底本が私のものと異なるだけなのかも知れないが)、そこは修正し、《 》でオリジナルに訓読を附した。

「人類二七卷五號三一三頁と二九巻七號」前者は『「南方隨筆」底本正規表現版「俗傳」パート「睡眠中に靈魂拔出づとの迷信 一」』を、後者は『「南方隨筆」底本正規表現版「俗傳」パート「睡人及死人の魂入替りし譚 一」』を指す。

「押上中將」陸軍中将押上森蔵(おしあげもりぞう 安政二(一八五五)年~昭和二(一九二七)年)。岐阜生まれ。台湾守備混成第一旅団参謀長・東京陸軍兵器本廠長・陸軍砲兵大佐・陸軍少将・陸軍兵器本廠長を経て、陸軍中将として旅順要塞司令官を務めた。南方熊楠との交際機縁は不詳。

「聊齋志異」私が小学生高学年より実に五十年も偏愛し続けている清初の蒲松齢(一六四〇年~一七一五年)が書いた文語怪奇短編小説集。全約五百話。一六七九年頃に成立し、著者の死後、一七六六年に刊行された。]

 

 

     睡人及死人の魂入替りし譚 

        (二七卷五號三一三頁、二九卷七號二八九頁、十號四一六頁に追加す)

 今昔物語卷二十に讃岐國女行冥途、其魂還付他身語第十八《讃岐の國の女、冥途に行きて其の魂(たましひ)還りて他(ほか)の身に付きける語(こと)第一八》あり。芳賀博士の攷證本に其出處として日本靈異記卷中、閻羅王使鬼受所召人所饗而報恩緣《閻羅王の使ひの鬼、召す所の人の饗(あへ)を受けて恩を報いる緣》を出し、類語として寶物集卷六を引き居る。先づ死人の魂が他の屍體に入替つた譚の本邦で最も古く記されたのは件の靈異記(嵯峨帝の時筆せらる)の文だらう。今昔のも靈異記のも長文故、寶物集の斗り爰に引く云く、

 讃岐國に依女と云者有り、重き病を受て命終ぬ。父母悲みの餘りに祭を爲したりければ、鬼共祭物を納受してけり。鬼神の習ひ祭物を受用しては空くて止む事無きが故に、同名同姓のものに取替てけり。

 故の召人の依女を返し遣はすに、物騷しく葬送を疾く爲したりければ、犬烏食散して跡形無かりければ、今の召人が體に故の召人の依女が魂を入てけり。卽蘇生して物を云に、形は我娘なりと云ども我をも見知らず。物云へるも替れり。故の依女が父母此事を傳聞て、行て見れば、形は我娘に非ずと云ども我等を見知りて泣喜び、物言ふ聲違ふこと無し。此故に四人の父母を持たり。諸法の空寂なること今生すら此如、いはんや流轉生死の空寂推て知り給ふべき也。

     (大正四年一月人類第三十卷)

[やぶちゃん注:一部が不自然なので、一段落を増やした。漢文脈部分は後に《 》で訓読を挿入した。

「二七卷五號三一三頁、二九卷七號二八九頁、十號四一六頁」前二者は「二」の私の注を参照。最後のそれはこの前のその「二」のこと。

『今昔物語卷二十に讃岐國女行冥途、其魂還付他身語第十八あり』これは事前に『「今昔物語集」巻第二十 讃岐國女行冥途其魂還付他身語第十八』として電子化注しておいたので、そちらを読まれたい。また、冒頭注で、原拠の「日本靈異記」も国立国会図書館デジタルコレクションで「群書類従」版の当該部をリンクさせてある。両者は相同性が強いので電子化していない。悪しからず。

「寶物集」(ほうぶつしふ)は鎌倉初期の仏教説話集。平康頼作。治承年間 (一一七七年~一七八一年)の成立か。鬼界ヶ島から赦免されて京に帰った康頼が、嵯峨の釈迦堂(清凉寺)に詣でて、参籠の人々との語らいを記録したという結構を持つ。世の中の真の宝は何かについて語り合われ、まず「隠れ蓑」、次いで「打ち出の小槌」・「金(こがね)」と,順次に、これこそ第一の宝であるとするものがもち出されるものの、最後に、僧によって、仏法が第一の宝であると主張され、その僧が例話を挙げて、そのことを説明する構成となっている。法語的説話集の先駆けとなり、「撰集抄」・「発心集」などに影響を与えた。熊楠の引用は甚だ読み難いので、以下、底本を国立国会図書館デジタルコレクションの昭和二(一九二七)年富山房刊の当該部を視認しつつ、所持する岩波の「新日本古典文学大系」版も参照して読み易く手を加えて電子化した。所持本では巻第六に載る。但し、これには、話の筋を取り違えた致命的な箇所があり、熊楠はこれを引用すべきではなかった(後述)。

    *

 吾が朝には、讃岐國に依女(いぢよ)といふ者あり。重病を受けて、命、終りぬ。

 父母(ぶも)、悲しみのあまりに、祭(まつり)をなしたりければ、鬼共(おにども)、祭物(さいもつ)を納受(なふじゆ)してげり。[やぶちゃん注:過去の助動詞「けり」に同じ。完了の助動詞「つ」の連用形に、過去の助動詞「けり」が付いた「てけり」が、院政期頃より、撥音が添加されて「てんげり」となったものの、「ん」無表記。軍記物や説話集などに用いられた。「なめり」を「なんめり」と読まねばならぬのなら、これも「てんげり」と読まねばならぬ。]

 鬼神の習ひは、祭物を受用しては、空(むな)しくて止む事(ごと)なきが故に、同名同姓の者に取替(とりか)へてげり。

 故(もと)の召人(めしうど)の依女を歸し遣はすに、物騷がしく、葬送を疾(と)くしたりければ、犬烏(いぬからす)[やぶちゃん注:「南方隨筆」は「犬鳥」と誤字しているので、訂した。]食(く)ひ散らして、跡形(あとかた)もなくなりければ、今の召人の依女が骸(むくろ)に、故の召人の依女が魂(たましひ)を入れてげり。

 則ち、蘇(よみが)へりて、ものを云へば、

「形(かたち)は我が娘なりといへども、我をもみしらず。」

物を云へる聲も替(か)はり、故の召人の依女が父母、この事を傳ヘ聞きて、行きて見れば、

「形は我が娘にあらずといへども、我れを見知りて、なき悅ぶ。もの云ふ聲、違(たが)ふ事なし。」

 此の故(ゆゑ)に、四人の父母を、もちたり。

 諸法の空寂(くうじやく)なる事を。今生(このじやう)すら、此(か)くの如し、況や流轉生死(るてんしやうじ)の空寂、推(お)して、知り給ふべきなり。

   *

「空寂」宇宙の有形無形の一切は、その実体・本性が空であって、思惟分別を超えていること。さて。「今昔物語集」の話と比べて、齟齬を感じ、ごちゃついて、よく判らない展開となっていることに気づく。則ち、入れ替える相手が誤って逆転してしまっているのである。なお、「選集」では「依女」に『よりひめ』のルビを振る。]

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