「南方隨筆」底本正規表現版「俗傳」パート「神狼の話」
[やぶちゃん注:本論考は明治四五(一九一二)年二月発行の『人類學雜誌』二十八巻二号に初出され、後の大正一五(一九二六)年五月に岡書院から刊行された単行本「南方隨筆」に収録された。
底本は同書初版本を国立国会図書館デジタルコレクションの原本画像(ここ)で視認して用いた。但し、加工データとしてサイト「私設万葉文庫」にある電子テクスト(底本は平凡社「南方熊楠全集」第二巻(南方閑話・南方随筆・続南方随筆)一九七一年刊で新字新仮名)を加工データとして使用させて戴くこととした。ここに御礼申し上げる。
本篇は短いので、底本原文そのままに示した。そのため、本篇は必要性を認めないので、PDF版を成形しないこととした。]
神 狼 の 話 (人類二九一號三二八頁參照)
人類學雜誌二七八號三○頁に載たる、大和國玉置山の神狼に酷だ似たる話滕成裕の中陵漫錄卷六に出づ。云く、「備中今津と云ふ處の山中に小社有り、木の山權現と云ふ、此邊に祠司有り、同く又下神代村と云ふ有り、此處より十里許り山の奧なれども、野猪出て田畑の耕作を荒し、秋の作物一粒も無し。之を免れんと思へば、其祠司の靈符並に幣を受來て祈る、卽ち其人に一狼付き來て野猪を防ぐと云ふ。其人歸路に狼の送り來る事を知らざれども、其小路に幾處も踊り渡りの川あり、其中の石の上の乾きたる處へ水はねる也、水のはねるは現に見ゆれども、狼の形は更に見えずと其人余に話せり。其夜野猪出る事無し、每夜奔走して野猪を獵り、終りて自ら歸ると云ふ、余云々、往々に其說を聞正す、實に然りと云ふ」。
(明治四十五年二月人類二十八卷)
[やぶちゃん注:平凡社「選集」では、添え辞が改行して下インデントで二行あり、『南方「本邦における動物崇拝」参照』『『東京人類学会雑誌』二五巻二九一号三二八頁』とある。これは狭義には私の「南方熊楠 本邦に於ける動物崇拜(5:狼)」を指す。
「人類學雜誌二七八號三○頁に載たる」は初出標題が「出口君の『小兒と魔除』を讀む」で、後に既に電子化した南方熊楠の「小兒と魔除」を指し、当該箇所は、ブログ版では、分割の最終回「南方熊楠 小兒と魔除 (7)」が相当する。
「滕成裕の中陵漫錄卷六に出づ」「滕成裕」は水戸藩の本草学者佐藤中陵成裕(宝暦一二(一七六二)年~嘉永元(一八四八)年)が文政九(一八二六)年に完成させた採薬のための諸国跋渉の中での見聞記録。その巻之六の「奇狼」。ほぼ、ちゃんと引いている。「余云々」の部分は、『余、此村中の里正に、數日、次宿す。採藥せし時、往々に』と続く(所持する吉川弘文館随筆大成版を参考に漢字を正字化し、句読点を添えた)。
「備中今津と云ふ處の山中に小社有り、木の山權現と云ふ」現在の岡山県高梁市(たかはし)津川町(つがわちょう)今津にある木野山神社(グーグル・マップ・データ。以下同じ)。現在も疫病退散として狼が祀られてある。
「下神代村」木野山神社の北西直線で二十六キロメートル離れた山間の岡山県新見(しんみ)市神郷下神代(しんごうしもこうじろ)附近と思われる。佐藤は社祠名を出していないので、どこかは不詳。
「踊り渡りの川」意味不詳。橋はなく、川中の石を伝って渡渉する部分を言うか。]
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