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2022/05/11

曲亭馬琴「兎園小説別集」下巻 簞笥のはじまりの事

 

[やぶちゃん注:今までの底本ではここからだが、これも「曲亭雜記」巻第五・上に所収し、ルビも振られてあるので、それを基礎底本とし、先のものを参考にして本文を構成した。一部の読みを濁音化した。]

 

    ○簞笥のはじまりの事

このもの、ふるくは所見なし。按ずるに、三百年あまり以前に、籠笥(ろうす)といひしもの、是、箪笥のはじめなるべし。この籠笥は「下學集」【「器材門」。】に見えて、唐櫃(カラビツ)、懸子(カケコ)、皮籠(カハコ)、葛籠(ツヾラ)、破籠(ヤレカゴ)、頓須籠、髮籠(カミコ)、籠笥(ロウス)、柳筥(ヤナギカゴ)と並べ出したり。この籠笥を後に簞笥と名づけしは、「廣韻」に『竹器ナルヲㇾ「箪」。方ナルヲㇾ「笥」』。とあるに據る。五山法師などの所爲(わざ)にもやありけんかし。元來(もと)、簞笥は籠(かご)をもてせし書箱(ふみばこ)なるべし。「書言字考」に、『本朝、俗、謂書厨簞笥』と註して、和訓をカタミバコとしるせしは、何に據れるにや。疑らくは記者の新製なるべし。もし、よめむかへに、簞笥の名目はなからずやと思へど、「群書類從」は、すべて舊宅の文庫に遺しおきたれば、只今、穿鑿によしなし。異目披閱(いもくひゑつ)してその事あらば、追書すべし。さばれ、大かた、なきなるべし。かゝれば籠笥(ろうす)の轉じて、簞笥となりしより後には、竹を編みて造らず、代りに桐の木をもて、引出しなどいふものすら、造りそえたるは、寬永以來の事にやあらん。譬へば、「柳筥(やなぎばこ)」の轉じて「挾み板」となり、又、轉じて「挾筥(はさみばこ)」となれるが如し。そが中に、「かさねだんす」といふものは、百年來のものと、おもほゆ。小石川の御簞笥町、牛込の簞笥町も、ふるき江戶繪圖、江戶地書等には、見えず。今は御簞笥町に、引出し橫町など唱ふる處もあり。こは、「私(わたくし)の字(あざな)なるべし」とばかりにして、簞笥を造りはじめたる時代は詳ならず。猶、考ふべし【「康煕字典」に、「廣韻」を引て、『箪笥は篋』と見えたり。但し、「簞」は「笥」なり。「小篋なり」と云ふ意にてもあるべけれども、同意の字をかさねて、熟字の如くつかふこと例あれば、既に唐山にて簞笥と云[やぶちゃん注:「いふ」。]名、ありぬらんと、おぼし。猶、考べし。「說文」、『簞は笥也』、「漢律令」、『京は小篋也』。】

 文政八年乙酉秋七月念一日  著作堂解識

再び云ふ、「たんす」は「擔笥」にて、明曆の災後、車長持を停廢せられしより、火事の時、擔ひ出すに便利の爲にとて、造り出せしものかと思へども、古くより「簞笥」とのみ書て、「擔笥」と書たるを見ねば、未、臆說を免れず。もし證文あらば一說とすべし【但、簞笥と云名目は、擔笥と別なるべし。】。

[やぶちゃん注:ウィキの「箪笥」によれば、『箪笥の登場は江戸時代前期、寛文年間』(一六六一年~一六七三年)『の大坂といわれ、正徳年間』(一七一一年~一七一六年)『頃から普及したとされる。それまで』、『衣服は竹製の行李、木製の長持や櫃といった箱状の物に収納されてきた』。『これらと比べた箪笥の特徴は何といっても』、『引き出しを備えたことで、これにより、大量の衣類や持ち物を効率よく収納できるようになった。逆に言えば、元禄時代の経済成長を経て、箪笥を使わなければいけないほど、人々の持ち物は増えてきたということである』。但し、『長持に比べ、多くの材料と高度な技術を必要とする箪笥は、まだまだ高価な品物であった。貧しい庶民にまで箪笥が広まるのは、江戸時代末期からである』。『「たんす」は、古くは「担子」』(本篇に「擔子」に同じ)『と書かれ、持ち運び可能な箱のことを指していた。江戸時代に引き出し式の「たんす」が登場すると、いつの間にか「箪笥」の字が当てられるようになった。中国では「箪」は円形の、「笥」は方形の竹製収納容器をさす言葉である。現在、中国では日本で箪笥と呼ぶものには「櫃」という語を用いる』とあった。

「下學集」著者は「東麓破衲(とうろくはのう)」という名の自序があるが、未詳。全二巻。室町中期の文安元(一四四四)年に成立したが、刊行は遅れて江戸初期の元和三(一六一七)年(徳川秀忠の治世)。意義分類体の辞書。室町時代の日常語彙約三千語を「天地」・「時節」などの十八門に分けて簡単な説明を加えたもの。その主要目的は、その語を表記する漢字を求めることにあった。室町時代のみならず、江戸時代にも盛んに利用され、その写本・版本はかなりの数に上る。類似の性格をもつ同じ室町中期の辞書「節用集」に影響を与えていると考えられている(以上は「ブリタニカ国際大百科事典」に拠った)。当該箇所は寛文九(一六六九)年版本の早稲田大学図書館「古典総合データベース」のここ

「書言字考」近世の節用集(室町から昭和初期にかけて出版された日本の用字集・国語辞典の一種。「せっちょうしゅう」とも読む。漢字熟語を多数収録して読み仮名を付ける形式を採る)の一つである「書言字考節用集(しょげんじこうせつようしゅう)」のことか。辞書で十巻十三冊。槙島昭武(生没年未詳:江戸前中期の国学者で軍記作家。江戸の人。有職故実や古典に詳しく、享保一一(一七二六)年に「關八州古戰錄」を著わしている。著作は他に「北越軍談」など)著。享保二(一七一七)年刊。漢字を見出しとし、片仮名で傍訓を付す。配列は語を意味分類し、さらに語頭の一文字をいろは順にしてある。近世語研究に有益な書。

「小石川の御簞笥町、……」ウィキの「箪笥町」を参照されたい。

「車長持」「くるまながもち」。移動しやすいように、車輪を下部にとりつけた長持。明暦三(一六五七)年の「明暦の大火」で、車長持が道を塞ぎ、混雑したため、それ以後、禁止された。]

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