甲子夜話卷之七 7 有德廟信濃國へ人參御植つけ、且生育の事
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秋山元瑞と云る醫者の【龍野侯の臣】話なりとて、或人より聞しは、德廟、朝鮮國の寒氣は吾邦の信州と均しと御考ありて、信州に人參を植させ給ふに、其生產、氣味、朝鮮に異らず。因屢々人をして視せられし故、土人これを厭ひて、密に彼草に湯を濯ぎ、土不ㇾ協など申上しより、竟其こと廢せしと云。萬民の爲を思召ての御仁心をはゞみし者ども、誅してもあまりある罪人とこそ云べき。又元瑞の門生、信州に歸住せし者の話しと聞しは、今も其種の遺りしものあるに、土地に應じて生育宜しとなり。彌可レ恨【元瑞は太宰純に學びたる者なりとぞ】。
■やぶちゃんの呟き
「有德廟」徳川吉宗。
「秋山元瑞」播磨国龍野藩藩医。彼が仕えたのは第八代藩主で寺社奉行・老中であった脇坂安董(やすただ:藩主在位:天明四(一七八四)年~天保一二(一八四一)年:老中在任中に急死)。
「均し」「ひとし」。
「因」「よつて」。
「密に」「ひそかに」。
「土不ㇾ協」「土、協(あ)はず」。
「竟」「つひに」。
「彌」「いよいよ」。
「太宰純」大儒太宰春台(延宝八(一六八〇)年~延享四(一七四七)年)の本名。