柳田國男「後狩詞記 日向國奈須の山村に於て今も行はるゝ猪狩の故實」 「狩の作法」
[やぶちゃん注:底本のここから。この段、本文は行頭からだが、以下二行以上に亙る場合は、それ以降、全体が一字下げとなっている。]
狩の作法
獵法。 狩は陰曆九月下旬に始り、翌年二月に終る。狩を爲さんとする當日は、未明にトギリを出し、其復命に由り狩揃ひを爲し、老練者の指圖に依り各々マブシに就き、後セコをカクラに放つ。オコゼを有する者は背負籠に之を納めて出るなり。
マブシに在る者は、セコより竹笛にて合圖を爲す迄は、最も靜肅を旨とし、竹笛にて幽〈かすか〉に合圖をするはよけれども、決して言語を發すべからず。若し咳嗽〈がいさう〉起らば地上に伏して爲すものとす。既に猪が突到〈つきいた〉らば息を凝らし、數步の近きに引受け、肺臟心臟の部分を狙ひて發砲す。其狙ひ所を小肘〈こひぢ〉のハヅレと云ふ。
[やぶちゃん注:「トギリ」以下、概ね前二章で既出。未明に出発する猪の索敵係。
「マブシ」猪を迎え撃つための猪の獣道の近くの一定の箇所を指す。
「カクラ」猪が潜伏している区域。
「オコゼ」「山の神」に入山・山猟のために安全と豊猟を祈誓するための供物。前章の「一五 オコゼ」を参照されたい。
「セコ」勢子。狩場で鳥獣を追い出したり、他へ逃げるのを防いだりする役の担当者。
「咳嗽」せき。「咳」は「痰が無くて咳音のある症状」を言い、「嗽」は「咳が殆んど伴わず痰の絡む症状」を言う。]
タテ庭、吠庭始まりたるときは、受持のマブシを離れ、山の上の方に囘り靜に近寄るべし。萬一擊損ずるか又は負傷せしめたるときは、硝煙の未だ照尺を拂はざる中に、猪は突進し來りて股を切り、倒るれば、胴を切る也。故に未練者は楯に寄るに非ざれば近よるべからず。此時尙大〈おほい〉に注意すべきはハヒジシに在り。ハヒジシ(這ひ猪)とは負傷せる猪が怒りて人〈ひと〉犬に當らんが爲に、伏して假死狀を爲し居るを云ふ。此考無くして近よりたるときは、猪は矢の如く飛びかゝり、牡猪なるときは牙にて股をえぐり、牝猪なれば牙なき故肘と無く頸〈きび〉と無く咬〈くは〉へて粉碎せんとするなり。
[やぶちゃん注:「タテ庭」前掲。猟犬が猪を取り囲んで戦うことを指す。
「吠庭」同前。猪が包囲域が崩れて拡大してしまっても、さらに当該対象との狩猟を続ける様態を指す。]
猪斃れたるときはヤマカラシ(短刀のことなり)を拔きて咽喉〈のど〉を刺し、次に灰拂〈はひばらひ〉を切取る。灰拂を切取るは最先に射斃したる證とする也。其後ヤマカラシと耳とを一つに束ね、左の咒文を唱ふ。
[やぶちゃん注:「灰拂」不詳。但し、推理するに、これは「蠅拂」で、獣毛を束ねて柄をつけた、蠅や蚊を追うためのものを指し、後に法具の一つとして邪鬼・煩悩などを払う功徳があるとされた仏具があることから、逆に、蠅を嫌がって払う猪の頭部の部分を想起すると、耳(恐らく両耳)を指すのではないかと思われる。但し、ネットではこの「灰払」では熟語自体がヒットしない。識者の御教授を乞う。
以下の呪文は底本では全体が二字下げ。原文はベタだが、底本にある程度まで近づけるために、早めに改行した。]
今日の生神三度三代。ケクニユウの神。山の神。
東山カウソが岳の猪の鹿も。角を傾けカブを申
受け。今成佛さするぞ。南無極〈なむごく〉。
猪はヲダトコに持下〈もちおろ〉し、一應緣の上につるし下げ、然る後解剖す。解剖に二通りあり。胴切にして四足に分ち其後〈そののち〉骨を除くを金山オロシと云ひ、肉のみを四足に分ち其後骨を除くを本オロシと云ふ。
[やぶちゃん注:「ヲダトコ」前掲。獲った猪を里に持ち降ろし、裂いて分配をするための家を指す。この『ヲダトコの家は一定しをれり』とあった。後の柳田の補注の「小田床」もそれを漢字にしただけのものである。先に出た天草の地名ではない。
「金山オロシ」「金山」の読み不詳。ネットでも出現しない。山猟の関連資料も縦覧したが不明。ただ、一つ目に留まったのは、さくら氏のブログ「昨日より今日 今日より明日へ 自分を信じて♪」の「猪と金山」で(行空けを詰めた)、
《引用開始》
日蓮大聖人は御遺文集のなかで、中国の天台大師の『摩訶止観』の一節を引用されている。
「猪の金山を摺り衆流の海に入り薪の火を熾にし風の求羅を益すが如きのみ」と。
猪は、金山の輝いているのを憎く思い、自分の体をこすりつけて光沢をなくそうとする。だが、こすればこするほど、金山は輝きをましてくる。あたかも、多くの河川が流れ込んで海水を豊かにし、薪が加えられると火がますます燃えさかえるように__。求羅は風にあうと大きくなるという伝説的な生き物である。
これは、仏道修行の厳しき過程で、逆風に負けず、それを前進のための追い風に変えていけとの戒めだが、人生万般に通ずる尊い教訓が秘められていると思う。
《引用終了》
万一、これが起源だとすると、「きんざんオロシ」と読めることにはなる。]
△分割は山にてもすることあり。之も違式には非ず。小田床〈をだどこ〉にて必ず一應は緣の上に釣下ぐるは、丸のまゝに先づ神に供ふる嚴重の儀式なりと聞けり。
分配の法は擊主には射中〈いあ〉てたる方の前肢と脂とを與ふ。其前肢の目方は總量の五分の一なり。其後又擊主をも加へて平等に分配す。擊主には草脇〈くさわき〉を與ふることもあり。その肉の量は前の場合に同じ。其他セコは一人に二人分を與へ、獵犬の分は又一人前とす。
[やぶちゃん注:「草脇」「草分き」(草を押し分けて行く部分)で「獣類の胸先」を指す。「くさわけ」とも呼ぶ。]
△曾て耳にて聞きたるは又此記事と少異あり。首と胸の肉を仕留めたる者の所得とす。首の肉は最上品なり。同じく首を落すにも、ヤマカラシを耳の元に宛てゝ、それより三轉〈みころ〉ばしにて切るも、四轉ばし目に切るもあり。地頭殿の仕留めたる折には、この轉ばし方殊に多し。執刀者にも餘分の所得あり。この慣習は中々嚴重なるものなりしが、可悲〈かなしむべし〉近年漸く廢せんとす。猪の肉が高くなると、狩人は自ら食はずして商人に渡すなり。一頭三十圓より五十圓に及ぶ。此場合には擊主の所得は代金の四分の一を定〈さだめ〉とす。
[やぶちゃん注:「ヤマカラシ」植物のそれではないので、注意。これは実用の小刀である「山刀(やまがたな)」の地方名である。主に焼畑などの山林伐採や、狩猟の際の獲物の皮剝ぎなどに用いる。これを動物との格闘の刺し突きの武器に使用するのは危急の場合に限る。一般に小型で片刃のものが多く、野鍛冶(のかじ)に打たせたもの、又は昔の脇指を切り縮めたものなどがある。地方により名を異にし、九州山地では「ヤマカラシ」、四国西部で「サッカン」、中国山地で「ホウチョウ」、青森県津軽地方で「コバヤリ」、秋田県阿仁で「マキリ」(これはアイヌ語と同じ)など各地ごとに違っている(平凡社「世界大百科事典」に拠る)。]
解剖終りたるときは。執刀者はヤマカラシを肉の上に✕に置き、左の咒文を唱ふ。
[やぶちゃん注:以下の咒文は、底本では三字下げ。]
カブラは山の神越前のきさきに參らする。骨をば御先御前に參らする。草脇をば今日の日の三代ケクニユウ殿に差上ぐ。登百葉山が五萬五千。降百葉山が五萬五千。合せて十一萬の御山の御神。本山本地に居直りたまふて。數の獲物を引き手向けたび玉へり。ハンゲノ水を淸ければ。シヤウゲンして人々生く。南無極樂々々々々。
分配終つて後、コウザキと紙の旗をコウザキ殿に獻じ、左の祝詞を唱ふ。コウザキ殿は巖石又は大木の下、雨露のかゝらざる所に奇石を置き、折々カケグリを獻ず。カケグリとは七八寸の長さに拇指大〈おやゆびだい〉の竹を切り、十數本を束ね、此に濁酒を盛りたるもの也。
[やぶちゃん注:以下、原本は同前。]
諏訪のはらひ
そもそも諏訪大權現と申するは。本地は彌陀のアツソンにてまします。ユウオウ元年庚戌〈かのえいぬ〉。我が羽根の下に天降らせたまふ。信濃國善光寺嶽赤根山の峠に。千人の狩子を揃へ。千匹の鹿をとり。右は地藏菩薩。左は山宮大明神。中に加茂大明神と現はれ出で。八重鎌千鎌を手に持ちて。我先の不淨惡魔を切拂ひ。水露ほども殘なく。三五サイヘイ再拜と敬て白す。
△前の呪文に「越前のきさき」とあるはコウザキ殿のことなるべしと思はる。ケクニユウ殿。ゆかしき名なれども思ひ得たる所なし。登百葉山降百葉山は、登る葉山降る葉山なること。「狩之卷」に依りて明〈あきらか〉なり。唯此字が新なる偶然の誤寫には非ずして、山民も久しく斯く唱へ來れるものとすれば興味あり。
[やぶちゃん注:柳田も思い当たらないと言っている通り、咒文(祝詞)なれば、ここの神名の実体は判らない。但し、宮崎のポータルサイト「miten」の「みやざき風土記」の「宮崎県民俗学会」副会長前田博仁氏の『宮崎の神楽「銀鏡神楽シシトギリ」にある猪霊送り』の記事が、本咒文や、その他の宮崎県内の事例を示して解説しておられ、必見である。それを参考に以下を推理してみる。
「カブラ」は諏訪神社の古習俗(鹿の頭を奉納した)から見て猪の「頭(カシラ)」のことと読め、
「越前のきさき」は柳田の謂いから「えちぜん」ではなく、「コウザキ」「こしざき」で、「山の高みを越えたところにあられる山の神さま」の意ではなかろうか。
「御先御前」(「おさきごぜん」?)は山の神を前の「越前のきさき」と分離した山の入り口の一神としたものか。
「今日の日の三代ケクニユウ殿」の名はお手上げだが、形容に「今日の日の三代」とあるから、やはり、山の神を細分化して、今現在の三代目の山の神に与えた神号ととれる。こうした山の神の増殖は以下の「登百葉山が五萬五千。降百葉山が五萬五千。合せて十一萬の御山の御神」で明白である。
「ハンゲノ水」これは「半夏生(はんげしやう)」の転訛であろう。小学館「日本大百科全書」他を参考にすると、七十二候の一つで夏至の第三候。半夏生は夏至を挟んで入梅と対称位置の時期に当たり、陽暦では七月二日頃となる。「半夏生」は多年草のコショウ目ドクダミ科ハンゲショウ属ハンゲショウ Saururus chinensisで、別名をハンゲ或いはカタシログサ(片白草)と称し、水辺や低湿地に生え、一種の臭気を持つ。「その半夏が生える頃」という意で、昔の農事暦では、この頃までに田植を終える、とされていた点で「水」との親和性が強く、また、迷信的暦注としては、この日には毒気が降るので、「前夜から井戸や泉に蓋をすべし」とされた、から、これもまた、「ハンゲノ水を淸ければ」という祝詞と、よく合うように思われる。
「シヤウゲン」「正現」或いは「精進」の転訛か。
「アツソン」「三尊」の転訛。
「ユウオウ元年庚戌」「ユウオウ」を雄略天皇ととるなら、雄略天皇十四年(ユリウス暦四七〇年)が庚戌。仏教は伝来していないが、後付けだろうから、それは問題にならない。
「信濃國善光寺嶽赤根山」不詳。
「サイヘイ」「賽幣」?
拜と敬て白す。
『「狩之卷」に依りて明なり』本篇の最後に附録として添えられたそれの、「完草(ウダグサ)返し」の祭文(底本のここ)の冒頭。『のぼるは山に五萬五千 下るは山に五萬五千 合て十一萬の山の御神』とあるのを指す。]
罠獵〈わなりやう〉。 罠獵は秋の彼岸より春の彼岸までとす。罠は猪のウヂの屈曲なく見通しよき箇所に、二尋八引〈ふたひろやつびき〉の腕大〈かひなだい〉の杭を立て、麻にて作りたる八尺の繩を末端に結び付け、撓〈たわ〉めて輪を作り、蹴絲〈けりいと〉を張り、猪が蹴絲に觸れたるときは、はづれて之を捕縛するものなり。
[やぶちゃん注:「ウヂ」前掲。猪の通り道。
「二尋八引」一尋は大人が両腕を一杯に広げた長さの身体尺で、一般には八尺を指したとされるので、二メートル四十二センチ。「引」はその八本を並べて打ち込むことか。
「蹴絲」進行する猪を引っ掛けるための地面から相応の高さで横に張った細繩のトラップ。現在の猪猟では「トリガー」と呼んでいる。]
猪がウヂを行くには、ウヂ引の命〈みこと〉、尻指の命と云ふ二の山の神が、其前後に立ちて走るものなりと云ふ。故に罠を掛けたるときは、少量の粟を四方に散らし、ウヂ引の命尻指の命に上げ參らすると三唱する者あり。其趣意はウヂ引の命は道先の案内、尻指の命は後押を爲す神なれば、此神たちに念願を掛れば、猪を罠の方に導き、又猪踟躊〈ちちゆう〉するときは尻指の命其尻に觸れて、はと罠に飛込ましむると言ふに在り。
△又「ウヂ引尻指の命に御賴み申す、あびらうんけんそはか」と唱ふる者もあり。夜待〈よまち〉をする者猪の來る前に凡そ鼠ほどの足音して走る者あるをきく。これウヂ引の神なりと云へり。
△罠にて猪を捕るは昔より小民の業にて、鐵砲を持つ者は之を輕〈かろ〉しめをれり。故に折々は無理なる獲物爭ひをもしかくる也。罠主は七日に一度づゝ罠を見巡るが作法なり。狩人之に先〈さきだ〉ちて罠ある所に行き、既にかゝれる猪を我が追込〈おひこ〉みたるなりと云ふことあり。凡そ罠は猪の通路を圖りて立るなれども、之を立てたる山には猪より付かず。故に諸方より追込みて罠に罹〈かか〉らするは常のことなり。狩人他人の罠に猪を追掛〈おひか〉けたるときは、片肢〈かたあし〉を罠の主に與へ殘りを我が所得とす。三四日も前に罹りて眼の落くぼみたる猪を、今日我が追込みたるなり。蝨猪(シラミジシ)なりし故〈ゆゑ〉山にて燒きて來たりなどゝ欺きて、橫領する奸徒〈かんと〉も無きに非ず。
△燒畑の猪防ぎにワナといふものあり。燒占、栞の類なり、罠に似たる物を作りて畑の附近に置けば猪亦之により付かず。
[やぶちゃん注:「尻指の命」「しりさしのみこと」か。]
ヤマ獵。 ヤマは猪が燒畑作りを荒し、又は樫の實をあさりに來る箇所に設くるなり。ヤマを設くることを上〈ア〉グルと云ふ。其方法は、六七寸周りの木を六尺に切り、二十本ばかり組みて筏狀と爲し、兩側に二本の俣杭〈またぐひ〉を立て、之に橫木を置き、ヤマの一端を三尺の高さに此橫木へ釣上げ、莢〈さや〉のまゝなる小豆を一握ばかりづゝ結びて、四周とヤマの内につるし、中央の小豆を引き餌とし、猪が此の引餌を咬〈くは〉へて引きたるとき、ヤマが落下して壓殺する法なり。ヤマの上には荷石を括り付け押へとする也。
ヤマにては巨猪を獲ることありと雖〈いへども〉、悲哉〈かなしいかな〉壓搾するを以て、血液煮えて全身に行渡り、肉の品質を損ふなり。井ドモなるときは一度に四五頭を得ることあり。
[やぶちゃん注:「井ドモ」「ヰドモ」。前掲。『猪伴。母猪に子猪があまた伴ひ居るを云ふ』とあった。]
狩の紛議。 狩獵に付ては甲乙カクラ組の間又は狩組と罠主との間に、紛議を生ずること往々にしてあり。然れども一〈ひとり〉も警官に訴へ或は法廷に持出すことなく、慣例に依り之を解決するものなり。左に其慣例の二三を記す。
[やぶちゃん注:以下の箇条部は、底本では全体が一字下げ。]
一 狩組が他人の罠に猪を追掛けたるときは、前脚一本を切り罠杭に括り付け置き、心當りに通告すること。
一 甲カクラ組に於て負傷せしめたる猪が、乙カクラ組の區域に遁げ込み、乙カクラ組の手にて擊ち留められたるときは。甲乙兩組の平等割とす。
一 甲カクラより乙カクラに遁げ込みたる猪を、乙カクラ組に於て擊ち留めたるときは、乙組の所得とす。但し甲組の獵犬が追跡し來りたるときは此限に在らず。(此場合が最も紛議を生じ易し。良犬は自ら搜し出したる物なるときは、終日追跡するものなり。然るに乙組に於ては芝苞〈しばづと〉を作り、犬に負傷せしめざるやうにして之を敲き拂ふことあればなり。)
一 猪を獲たるとき、其狩組に加はりし者か否かを判定するには、當日出發の際、狩揃ひの場に出頭せし人の顏を以てす。(橫著なる者は銃聲を聞きて獲物のありたるを知り、蒼皇〈さうこう〉獵裝〈れうさう〉を爲して己も狩組に加はりしものの如くに見せかけ、解剖場に乘込むことあり。本項は此場合に之を適用す。)
[やぶちゃん注:「蒼皇」慌てふためくさま。]
裁判例の一二。判士は庄屋殿、又は小役人。
[やぶちゃん注:以下の例は底本では全体が一字下げ。]
第一例 他人の罠猪を盜みたるもの。
原告八兵衞は昨日九年山に掛けある罠を見に行きたり。四斗マ位の猪がかゝり大に罠場を荒したる形跡現然たり。決して逐掛けの猪とは認めず。然るに狩人は之を銃殺して持去れり。其足跡は雪を蹈みて一ツ戶の方へ向けあるを以て、彼方の狩人に疑〈うたがひ〉を入れつなぎ至れば、果して一ツ戶なる三之助の緣の上に釣し在り。彼は予が質問に對し、此猪は昨日竹之元にて追起せしを、誰人〈たれびと〉かの罠に追掛けしを以て、狩の法に依り前肢一本を罠杭に括り付け置き、今日通告せんと思ひ居りたるなりと答へ、返すことを拒みたり。
庄屋曰く和談すべし。
原被とも承諾せず。
庄屋曰く。然らば直に關係外の狩人に申付け、元起し場より猪の足跡を搜索さすべし。
此時被告の顏色稍〈やや〉變ず。
被告は他の有力者に縋り、猪を罠主に返し、庄屋前〈まへ〉を取下げたり。
[やぶちゃん注:「四斗マ位」「マ」は「眞」で、正味の意であろう。容積で七十二リットル、米換算で二百四十キログラム。相当な大物であるから、孰れも引かなかったわけだ。
「前」訴訟告発文。]
―――――――
第二例。甲組に於て負傷せる猪を乙組に於て擊止めたるもの。
原告三太郞は一昨日佐禮山に登り、七八名連れにて狩を入れ、暮方鷹山の元にて大猪を起し、タテニハに於て一發を加へしも、鹿遊(カナスビ)の方へ向け流血淋漓として遁げ去れり。昨日ツナギを入れたるに、鹿遊の狩人虎市等に於て擊止めたる處に出會したり。由つて仲間入りを交涉したるに。頑として之に應ぜず。剩〈あまつさ〉へ侮辱を加へたり。
小役人曰く。手負猪と知らば雙方にて程好く分配すべし。
被告虎市曰く。成ほど血液は滴り來りしも、微傷にて銃傷とは認め難し。故に拙者共の勝手にすべし。
小役人曰く。猪は射手の前、口事〈もめごと〉は言手〈いひて〉の前と云ふことありと雖〈いへども〉、獵は此節に止〈とどま〉らず。末永く互に仲好くせざれば。終には之に類する反對の位置に立ちて損をすることあり。屹度〈きつと〉小役人の指圖に從ひ、仲間として分配すべし。猪の疵だけにやめ(矢目に通ず)として、敢て言ひ爭ひを爲し庄屋殿の手を煩はすことなかれ。
被告虎市曰く。誠に左樣なることなり。一同承諾すべしと。
△中瀨氏の文章、野味ありて且つ現代の味あり。其一句一字の末まで、最も痛切に感受せられ得と思ふ。讀者以て如何と爲す。
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