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2022/05/18

「和漢三才圖會」卷第七十一「伊勢」の内の「當國 神社佛閣各所」内の「長源寺」の記載

 

長源寺    在安濃郡内田村【天台】

  本尊 十一靣觀音【長三尺三寸】傳教大師以菩提樹作

 相傳曰昔當地人與日向國旅人會避暑於堂之檐互

 不知熟睡日既暮有人倉卒呼起之兩人周章覺其魂

 入替而各還家靣貌其人而心志音聲甚異也家人不

 敢肯兩人共然故再來于此復熟睡則夢中魂入替如

 故諺曰伊勢也日向之物語者是也

 或紀曰【推古天皇三十四年三月壬午日】五瀬國并日向國言五瀬國

 黃葉縣佐伯小經來死三日三夜而蘓日向國小畠縣

 謂依狹晴戸者同日死同日蘓不知妻子及所柄鄕村

 名五瀬者語日向日向者語五瀬父子鄕村名分明其

 子弟互至相問符合何以然也兩人同時死共至冥府

 黃泉大帝議曰兩人命未宜還於鄕冥使率之來誤差

 其魂尸兩家子弟深不審之問焉縣社明神託巫告曰

 冥使通明何有所誤人不知魂鬼又多疑冥府冥帝知

 之證之教之如此而已其身雖我等父心卽非我實父

 心非父身無由父亦以不爲子願欲替父朝庭下府任

 父子願仍小經來至於日向晴戸至五瀬如故而行業

 鄕名亦替之

△按二說相似而趣異共是恠談而已蓋日向佐伯伊勢

 小畠其名與昔互替乎不知

   *

長源寺    安濃郡(あのうのこほり)内田村に在り。【天台。】

  本尊 十一靣觀音【長け、三尺三寸。】傳教大師、菩提樹を以つて作る。相ひ傳へて曰はく、『昔、當地(ところ)の人と、日向國の旅人と、會(たまたま)、暑(しよ)を堂の檐(ゑん)に避(さ)く。互ひに、知らず。熟睡して、日、既に暮るる。人、有りて、倉-卒(にはか)に之れを呼び起す。兩人、周章(あはて)て覺(めざ)め、其の魂(たましひ)、入れ替りて、各(おのおの)、家に還る。靣貌(めんばう)は其の人にして、心志(こころざし)・音聲、甚だ異(こと)なり。家人、敢へて肯(うけが)はず。兩人、共に、然(しか)り。故(ゆゑ)、再(ふたゝ)び,此(ここ)に來りて、復(ま)た、熟睡すれば、則ち、夢中に、魂、入れ替りて、故(もと)のごとし。諺(ことわざ)に曰はく、「伊勢や日向の物語」とは、是れなり。

或る「紀」に曰はく【推古天皇三十四年三月壬午(みづのえむまの)日。】、五瀬(いせ)の國、并(ならびに)、日向國より、言(まふ)す。五瀬の國黃葉縣(きえふのあがた)、佐伯小經來(さへきのこふく)、死して、三日三夜にして、蘓(よみがへ)る。日向の國小畠縣(こはたのあがた)、依狹晴戸(よさむのはれと)と謂ふ者、同日、死して、同日、蘓り、妻子及び柄(す)む所の鄕村(さとむら)の名をも知らず。五瀬の者は、日向のことを語り、日向の者は、五瀬のことを語るに、父子・鄕村の名、分明なり。其の子弟、互ひに至つて、相ひ問ふに、符(わりふ)合(あ)ふ。何を以つて然(しか)るや。兩人、同時に死して、共に冥府に至る。黃泉(よみぢ)の大帝、議して曰はく、「兩人の命(いのち)、未だし。宜(よろ)しく鄕(さと)に還へすべし。」と。冥使、之れを率(ひきい)て、來り、誤(あやま)ちて、其の魂と尸(かばね)を差(たが)ふ。兩家の子弟(こども)、深く、之れを不審(いぶか)り、縣社(あがたのやしろ)に問ふ。明神、巫(みこ)に託(か)りて、告げて、曰はく、「冥使は通明なり。何の、誤る所、有らん。人、魂鬼を知らず、又、多く、冥府を疑ふ。冥帝、之れを知りて、之れの證、之れを教ふること、此くのごとくなるのみ。」と。[やぶちゃん注:「両家の遺族は」が省略されている。]「其の身(むくろ)は、我等ら父と雖も、心、卽ち、我が實父に非ず。心、父に非る身は、由(よし)無し。父も亦た、以つて、子を爲(おも)はず。願はくは、父を替へんと欲す。」と。朝庭(みかど)[やぶちゃん注:「朝廷」に同じ。]、府(ふ)[やぶちゃん注:「官符」のことか。]を下して、父子の願ひに任(まか)す。仍(すなは)ち、小經來(こふく)は日向に至り、晴戸は五瀬に至り、故(もと)のごとくにして、行業(すぎわい)して鄕(さと)の名も、亦、之れを替ふ。

△按ずるに、二說、相ひ似て、趣き、異(い)なり。共に是れ、恠談のみ。蓋し、「日向の佐伯(さへき)、伊勢の小畠(こばた)と、其の名、昔と、互ひに、替りしや、知らず。

[やぶちゃん注:「長源寺」現在の三重県津市安濃町(あのうちょう)内多(うちだ)に現存(グーグル・マップ・データ)。

「伊勢や日向の物語」「事の前後がはっきりしないまとまりのない話」や、また、「見当はずれなこと」などにいう慣用語。この語の由来については、「伊勢物語知顕抄」は「伊勢(三重県)と日向(宮崎県)の男が死んだ時、閻魔の庁で、寿命のある伊勢の男を生き返らせようとしたが、すでに灰になっていたので、日向の男の体に生き返らせたところ、体と心が別人で、言うことがちぐはぐであった。」といい、また、「諺草」(ことわざぐさ)は「天鈿女命(あめのうずめのみこと)の問いに、随行者の猿田彦神が、「皇孫は日向の高千穂に、自分は伊勢の五十鈴川上に下る。」と答えた説話に拠るとする(小学館「ことわざを知る辞典」に拠る)。また、「東洋文庫」版「和漢三才図会」の注には、『「伊勢人は僻事(ひがごと)す」ともいう。『雑話集』に同話がある』とあるが、確認出来なかった。

『或る「紀」に曰はく【推古天皇三十四年三月壬午(みづのえむまの)日。】、……』出典未詳。南方熊楠は偽書である「先代旧事本紀」の記載と記憶すると、「睡眠中に靈魂拔出づとの迷信 一」で述べているが、版本と活字本二種を調べたが、推古天皇の記事は推古天皇二十九年までしかない。本紀以外に出るのであれば、お手上げ。探す気はない。識者の御教授を乞う。]

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