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2022/05/23

「南方隨筆」底本正規表現版「俗傳」パート「睡中の人を起す法」

 

[やぶちゃん注:本論考は大正四(一九一五)年十一月発行の『人類學雜誌』三十巻十一号に初出され、後の大正一五(一九二六)年五月に岡書院から刊行された単行本「南方隨筆」に収録された。

 底本は同書初版本を国立国会図書館デジタルコレクションの原本画像(ここが冒頭)で視認して用いた。但し、加工データとしてサイト「私設万葉文庫」にある電子テクスト(底本は平凡社「南方熊楠全集」第二巻(南方閑話・南方随筆・続南方随筆)一九七一年刊で新字新仮名)を加工データとして使用させて戴くこととした。ここに御礼申し上げる。

 実は、本篇は「選集」版を「睡中の人を起こす法」として古くに公開しているが、今回のものが、正規表現版となる。本篇は短いので、底本原文そのままに示し、後注で、読みを注した。そのため、本篇は必要性を認めないので、PDF版を成形しないこととした。]

 

     睡中の人を起す法

 

 印度に古く貴人を睡眠より覺起せしむるに音樂を奏して徐々に寤しめし事は、人類學雜誌二七卷五號三一三頁と同誌二八卷八號四四一頁に述置たが、頃ろ日本にも、足利家の公方を睡眠より起すに特別の作法有るを見出た。宗五大艸紙(明治三十五年經濟雜誌社飜刻群書類從卷四一三、頁五八四)に、「每年節分に伊勢守宿所へ御成り候。中略。又同時御成に供御過て、そと御靜り候時、同名備後守方に定りて障子の際へそと參り候て鷄の唱ふまねを三聲仕、雀の鳴きまねを仕り候へば御ひる(起)ならせ給候て還御成候。定りたる事にて候。」と有る。鷄の鳴音が餘り大きく急に聞えぬやう隣室で擬唱し、其でも將軍が眼を覺さぬ虞有る故、雀の鳴聲を隨分長くまねし續けたるなるべし。

       (大正四年十一月人類三〇卷)

[やぶちゃん注:「睡中」「すいちゆう」。

「寤しめし事」「さめしこと」。

「人類學雜誌二七卷五號三一三頁と同誌二八卷八號四四一頁に述置」(のべおい)「た」これは先行する「睡眠中に靈魂拔出づとの迷信」の「一」及び「二」を指す。リンク先は私の同篇(三回分)のPDF一括版。その「一」に、『急に睡人を驚起せしむれば、其魂歸途を誤り、病み出すとの迷信、緬甸[やぶちゃん注:「ビルマ」。]及び印度洋諸島に行はれ、塞爾維[やぶちゃん注:「セルビア」。]人は、妖巫眠中、其魂蝶と成て身を離るゝ間だ、其首足の位置を替て臥せしむれば、魂歸て口より入る能はず、巫爲に死すと傳へ、盂買[やぶちゃん注:「ボンベイ」。]にては、眠れる人の面を彩り、睡れる女に鬚を書けば罪[やぶちゃん注:「つみ」。]殺人に等し、と言り』とあり、また、『印度に古く、突然貴人を寤さず、音樂を奏し徐々[やぶちゃん注:「そろそろと」。]之を起す風有りしを知る』とある。また、「二」にも、『古印度人、睡れる王を急に呼び寤さず、音樂を奏して漸く覺悟せしめたる風習』があることを記す。

「頃ろ」「このごろ」。

「宗五大艸紙」(そうごおほざうし)「(明治三十五年經濟雜誌社飜刻群書類從卷四一三、頁五八四)に、……」「宗五大草紙」は戦国時代の享禄元(一五二八)年に伊勢貞頼によって記された武家故実書。全一巻。「条々聞書」とも呼ぶ。当該ウィキによれば、『著者は』「応仁の乱」の最中の文明九(一四七七)年に『室町幕府に出仕して足利義政以来の』五代に亙る『将軍に仕えていた。その貞頼が』七十四『歳を迎えた享禄元』(一五二八)『年に一族(一説には子)の伊勢貞重のために武家奉公人としての心得や幕府殿中における諸作法・心がけ、先人の教訓などを』二十五項目二百八十一ヶ条にして『まとめたもの。現在は写本のみが存在するが、武家故実の観点のみならず、室町幕府幕臣としての実体験から書き記された部分も含んでおり、戦国期の室町幕府について知るための史料とされている』とある。熊楠の引用は、国立国会図書館デジタルコレクションの経済雑誌社の明治後期の活字本で見つけた。ここの右ページ現段中央である。この鳴き真似、まっこと、面白かとね!

「供御」「くご」。朝食の時間。

「過て」「すぎて」。

「そと」しーんとして。

「御靜り」「おしづまり」。

「同名備後守方に定りて」備前守を名乗っておられる方に限って。鳴き真似をする人物の役職が決まっていたのである。謂われは不詳。

「仕」「つかまつり」。

「御ひる(起)」「昼」(この場合は「日の出」のニュアンスであろう)から転じた「起床」の意であろう。

「還御成候」「くわんぎよならせさふらふ」。

「擬唱」「ぎしやう」。

「虞」「おそれ」。]

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