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2022/06/20

「南方隨筆」底本正規表現版「俗傳」パート「河童に就て」

 

[やぶちゃん注:本論考は明治四五(一九一二)年一月発行の『人類學雜誌』第二十八巻第一号に初出され、後の大正一五(一九二六)年五月に岡書院から刊行された単行本「南方隨筆」に収録された。

 底本は同書初版本を国立国会図書館デジタルコレクションの原本画像(ここから)で視認して用いた。但し、加工データとしてサイト「私設万葉文庫」にある電子テクスト(底本は平凡社「南方熊楠全集」第二巻(南方閑話・南方随筆・続南方随筆)一九七一年刊で新字新仮名)を使用させて戴くこととした。ここに御礼申し上げる。

 実は、本篇は「選集」を底本として、九年前にブログで電子化注しているが、今回は正規表現として本文は零から起こした。但し、注はそちらのものを元にしつつ、ブラッシュ・アップした。

 本篇は短いので、底本原文そのままに示し、後注で、読みを注した。そのため、本篇は必要性を認めないので、PDF版を成形しないこととした。]

 

    河 童 に 就 て

 

 熊野地方に河童を「カシヤンボ」と呼ぶ、火車坊の義か。川に住み、夜厩に入て牛馬を惱す事、歐州の「ヱルフ」等の如し。其譚を聞くに全く無根とも思はれず、南米に夜間馬の血を吸ひ、甚く之を困憊せしむる蝙蝠二種有りと聞けど(大英類典二七卷八七七頁)、吾邦に其樣な物有るべくも非ず。五年前五月、紀州西牟婁郡滿呂村で、每夜「カシヤンボ」牛部屋に入り、涎を牛の全身に粘附し、病苦せしむる事甚しかりければ、村人計策して、一夕灰を牛舍邊に撒き、晨に就て見れば、蹼を具せる足跡若干を印せり、因て其の水鳥樣の物たるを知れりと村人來り話せり。頃日滕成裕の中陵漫錄を讀むに「薩州の農家にては、獺を殺さば、若し殺す時は馬に祟を爲す。祟る事七代にして漸く止むと云、大に恐れて敢て殺す者無し云々」と有り。予曾て獺を畜ひしを見るに、頗る惡戲を好む者なれば、時に厩舍に入て家畜を惱ますを河童と心得るに至りしにて、少なくとも滿呂村の一例は獺の行爲たる事疑ひ無しと思ふ。

    (明治四十五年一月人類第二十八卷)

[やぶちゃん注:『熊野地方に河童を「カシヤンボ」と呼ぶ』現代仮名遣「カシャンボ」。別に「カシャボ」とも。ウィキの「カシャンボ」によれば(注記号部分は略した)、紀伊南部(現在の和歌山県周辺)などで伝承される妖怪で、『山に移り住んだ河童が進化したものとする説が有力』である。六、七歳『ほどの子供程度の背丈で、頭に皿を被り(頭は頭は頂部のみに頭髪を残した、いわゆる芥子坊主のようであるともいう)、青い衣を身に着けているといわれる一方で、犬はその姿を見ることが出来るが、人間の目には見えないとも言われる。人間の唾を嫌うとされる』。『柳田國男は』「山島民譚集」で、『河童に関する「夏は川にいて、冬は山へ籠る」生態を紹介する際、九州の、「山にいる場合も河童と称する」という話や、「冬季には山で山ワロと呼ばれるものになる」と比較し、和歌山県東牟婁郡高田村(現・新宮市)のある家では、毎年の秋、新宮川を遡って来た河童が挨拶に訪れ、姿は見えないが家に小石を投げ込んで知らせ、山へ入ってカシャンボになるという例を挙げている』(二〇一九年二月六日公開の私の『柳田國男 山島民譚集 原文・訓読・附オリジナル注「河童駒引」(17) 「河童ニ異名多シ」(3)』が当該部であるので、参照されたい)。『性質は河童と変わらず』、『悪戯者で、山中で作業をしている馬を隠したり、牛小屋にいる牛に涎のようなものを吐きかけて苦しめるという。牛小屋の戸口に灰を撒いておいたところ、そこに残されていたカシャンボの足跡は水鳥のようだったという』(ウィキでは引用元を上記「山島民譚集」としているが、上記リンク先で柳田が注している通り、南方熊楠がソース元であり、柳田國男の「山島民譚集」の初版は大正三(一九一四)年七月で、本篇の初出の後である以上、この注は不全で不正確である)『南方熊楠は、汎世界的な妖怪祓いの儀礼で、魔物の「足型をとる」というものがあった点を指摘する際、ある村落でカシャボ(河童にこのルビが振られる)による、牛の被害があったために各農家の牛舎で灰を撒いた、という話を引いている。なお、南方はこの村落での「カシャボ」とされる悪戯は、カワウソの行った可能性があるといっている』(本篇を指す)。『また、山で木を切り倒す音を出す等、音による怪異を成すとされる』(これは天狗の仕業としての方がポピュラーである。私の「怪奇談集」にも数多出る)。『この妖怪について「青い衣を着た子供」であるとする南方は柳田國男宛書簡の中で、「馬には見えるが、人には見えない」と言っている』(明治四四(一九一一)年九月附書簡)。『和歌山県西牟婁郡富里村(現・田辺市)では、カシャンボは雪の降った翌朝に一本足の足跡を残すもので、人に相撲をとろうと持ちかけるが、唾をつけてやると勝つことができるなどと、河童と一本だたらが混同されたかのように伝承されている』。二〇〇四年『春、和歌山県白浜町富田の田畑で謎の足跡が発見され』、四『本足の動物では有り得ない足跡であったことから、カシャンボの仕業と地元の新聞などで報道された』。『南方は、「青い碁盤縞の着物」で』、七~八『歳程の子供の形をするとされるカシャボの伝承が能登にあったという事例をあげ、この妖怪がかつてはもっと広い範囲に分布していた可能性を指摘している』(昭和四(一九二九)年十一月発行の『民俗学』に載せた短文「カシヤンボ(河童)のこと」)。『國學院大學民俗学研究会が』昭和五二(一九七七)年に発刊した雑誌『民俗採訪』に『よれば、紀伊では河童のことをゴウライ、あるいは五来法師と呼び、冬の間は山篭りをしておりその間はカシャンボと呼ばれる』とある(「日文研」の「怪異・妖怪伝承データベース」のこちらを参照されたい)。民俗学者『石川純一郎は、夏に川で悪さをする河童「オンガラボーシ」(和歌山県西牟婁郡熊野川村)、ゴランボ(和歌山県西牟婁郡本宮町)、ドンガス(日高町)が、冬に山でカシャボになるといっている』。ライターで妖怪好きの『村上健司は、カシャボ、カシャンボの異称として、上述のヒトツダタラの他、ガシャンボウ、カシランボ、カシラを上げている』。『カシャンボの名称は、悪戯者であることから「くすぐる」を意味する方言の「かしゃぐ」』、『火車、頭(かしら)などを由来とする説』等、複数の語源説があり、また、『いくつかの文献では、河童以外にもカシャンボとして言及している資料があり、複数の説が存在する』として、まず、『山姥、ゴウラ』を挙げ、『東洋大学民俗研究会が』昭和五六(一九八一)年に刊行した和歌山県日高郡南部川村の民俗誌「南部川の民俗」では、『カシャンボは夏はゴウラ、冬にはカシャンボとなり、毛深い人間のような姿のものとあ』り、『また』、『同書による別説では、山姥のこととされる』とある。次に『マヘンのもの』を掲げ、『近畿民俗学会が』昭和六〇(一九八五)年に発行した雑誌『近畿民俗』では、『冬は山へ、春は川へ行く移動性の魔物であることが記されている』(「日文研」の「怪異・妖怪伝承データベース」のこちらを参照されたい。前の者とは別である)とある。そして最後に『カシャンポ』を再掲し、『郷土研究社が』大正五(一九一六)年二月発行の『郷土研究』の山田角人の論考「河童の話二つ」に『よれば、カシャンポは山に棲むもので、河童とは違うと記されて』あると極論もあるようだ。

「火車坊」「火車」は頗るポピュラーな怪異で、これもの「怪奇談集」では枚挙に遑がない。しかし、それと河童の接触点は一点もなく、私は単なる音の類似からの駄説と断ずる。

「ヱルフ」英語の“elf”(エルフ)。ゲルマン神話に起源を持つ、北欧の民間伝承に登場する種族である。本邦では「妖精」或いは「小妖精」と訳されることも多い。本来は自然と豊かさを司る小神族だった。エルフはしばしば、とても美しく若々しい外見を持ち、森・泉・井戸・地下世界などに住むとされる。また、彼らは不死或いは長命であり、魔法の力を持っている(名称は印欧祖語で「白い」を意味する“albh”に由来すると考えられており、この単語は、また、ラテン語で「白い」を意味する“albus”(アルブス)、ポルトガル語・英語等の「アルビノ」(白化体)の語源でもある。参照したウィキの「エルフ」の記載の中では、本篇の河童との相似性に於いては、ドイツのそれが興味深い。『ドイツの民間伝承では、エルフへは人々や家畜に病気を引き起こしたり、悪夢を見せたりする、ひと癖ある』、『いたずら者だとされる。ドイツ語での「悪夢(Albtraum)」』(アルブトラオム:現行綴りでは“Alptraum”が一般的あるが、この綴り形もある)『には、「エルフの夢」という意味がある。より古風な言い方、Albdruck』(アルブトォク)『には、「エルフの重圧」という意味がある。これは、エルフが夢を見ている人の頭の上に座ることが、悪夢の原因だと考えられていたためである』とある。詳細は引用元を参照されたい。

「南米に夜間馬の血を吸ひ、甚く之を困憊せしむる蝙蝠二種有りと聞けど(大英類典二七卷八七七頁)」獣亜綱コウモリ目陽翼手亜目ウオクイコウモリ下目ウオクイコウモリ上科チスイコウモリ科チスイコウモリ属ナミチスイコウモリ Desmodus rotundus などを指す。参照したウィキの「ナミチスイコウモリ」によれば、『本種は人間の血液も吸うことがあるが、外界から遮断された人家に侵入することは困難であることなどから、人を襲うことはまれである。獲物を死に至らしめるほどの大量の血液を吸うわけではないが、家畜を複数匹で襲って衰弱させることに加え、咬み傷から狂犬病などのウイルスや伝染病を媒介することもあるため、害獣とされる』とある。信用し得るネット上の記載では、吸血性コウモリは全世界でも南米に三種しかいないともある。

「西牟婁郡満呂」(まろ)「村」ウィキの「田辺市」に、昭和二五(一九五〇)年に万呂村その他が田辺市に編入されたとする記載がある。サイト「Geoshapeリポジトリ」の「歴史的行政区域データセットβ版」のこちらを参照されると、その村域がはっきりと判る。現在の田辺市内の田辺駅東北直近である。

「晨」「あした」。翌朝。

「蹼」「みづかき」。

「頃日」「このごろ」。

「滕成裕」(とうせいゆう)「の中陵漫錄」「滕成裕」は水戸藩の本草学者佐藤中陵成裕(宝暦一二(一七六二)年~嘉永元(一八四八)年)が文政九(一八二六)年に完成させた採薬のための諸国跋渉の中での見聞記録。その「卷之十二」に以下のようにある(底本は国書刊行会昭和五一(一九七六)年刊「日本随筆大成 第三期第3巻」所収のものを用いたが、恣意的に正字化した)。

   *

   〇獺祟ㇾ馬

薩州の農家にては、獺を殺さず。若し殺す時は馬に祟りを爲す。祟る事、七代にして漸く止むと云。大に恐れて敢て殺す者なし。案るに、獺は水に屬す。故に水より火を克するは自然の理なり。其馬に祟るは同類を求む事、眞に信ずべし。

   *

「獺」本邦のそれは日本人が滅ぼした日本固有種であった食肉目イタチ科カワウソ属ユーラシアカワウソ亜種ニホンカワウソ Lutra lutra nippon である。博物誌は私の「和漢三才圖會卷第三十八 獸類 獺(かはうそ) (カワウソ)」の私の注を見られたいが、彼らは永く、狐狸に次いで、鼬(いたち:食肉(ネコ)目イヌ亜目イタチ科イタチ亜科イタチ属ニホンイタチ Mustela itatsi(日本固有種。「和漢三才図会巻第三十九 鼠類 鼬(いたち) (イタチ)」参照)と双璧を成す、人を騙す妖怪と信じられてきた民俗的生物でもあったことを忘れてはならない。]

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