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2022/06/11

曲亭馬琴「兎園小説別集」下巻 問答三條【乞素壓狀、地口、八分、輪池問、馬琴答。】~(2)地口

 

[やぶちゃん注:本来の底本である国立国会図書館デジタルコレクションの「新燕石十種」第四では本篇はここからだが、これも「曲亭雜記」巻第四・下のここから所収し、ルビも振られてあるので、それを基礎底本とし、先のものを参考にして本文を構成した。一部の読みを濁音化した。下線は底本では右二十傍線である。吉川弘文館随筆大成版で、誤字と判断されるものや、句読点などを修正した。三ヶ条は直に連関しないので、分割する。]

 

地口とはいかなる義ぞ【輪池堂問。】

答、地口(ぢぐち)はむかしのいはゆる秀句に似たり。近俗に常談(じやうだん)に、一句兩義を相かぬるものを、本歌俳諧にいひかけといひ、狂歌にもぢりといひ、平話にくちあひといふが如し。くちは言なり。猶片言(へんげん)をかたくち、陳狀(ちんじやう)をまうしぐちといふが如し。あひは相也。合也。一句兩義を兼ればなり。新内(しんない)節といふ艷曲(えんきよく)に、おとしばなしや、くちあひの云々(しかじか)とうたふはこれ也。されば狂歌にもぢりといひしは、いひかけくちあひとは聊(いさゝか)異(こと)にて、およそ猥褻(わいせつ)の意をふくみて、あらはにさしていはざる也。安永七年の春、もぢりづくしといふ繪草紙(ゑざうし)の、いたく行はれしことありけり。そが中に、おくさまのおねまへいつかそろそろとはいかけて來る朝顏の花、これらはもぢりの人がらよきものなり。甚しきに至りては、絕倒すること多かり。おのれわかゝりし時、地口はもぢりくちの略語にやと思ひしが、さにあらず。ぢぐちは持口(ぢぐち)なり。又地口なり。この地の字は、地酒、地本問屋(ぢほんとひや)の地の如く、只大江戶に限るの義にて、口は上に辨じたるごとく言葉也。これを地口といふよしは、およそ神社の祭禮に、地口行燈(ぢぐちあんどん)といふ物を出すことは、おそらく他鄕になし。よしや今はありとても、そはみな江戶ぶりをまなびたるなり。これ當地のくちあひといふべきを、略して地口といふ。その實は持口の義にもかよへり。すべて歌合(うたあはせ)、句合(くあはせ)の判者、左右一つがひの甲乙を定むるに、その優劣なきものを持(ぢ)とす。持口は一句兩義を兼るものにて、左右へ引はる意あり。譬(たとへ)ば歌合の左右に、甲乙なきが如く、兼る所の兩義、さらに甲乙を定むべきの理なし。よりてくちあひを持口といへり。今も俗間(よのなか)に、彼我(ひが)の損益なきを、持(ぢ)になつたなどいふも、この意をもてしるべし。しかれども文字には、地口とのみ書く故に、持口の說は迂鑿(うさく)に似たり。只當地のくちあひといふ略語なりとのみいはば、なかなかにおだやかなるべし。解云。

[やぶちゃん注:「地口(ぢぐち)」世間で普通に行なわれている成語に、語呂(ごろ)を合わせた言葉の洒落。当該ウィキに具体例が示されてある。

「新内(しんない)節」浄瑠璃の一流派。延享二(一七四五)年に宮古路加賀太夫が、宮古路節(豊後節)から脱退し、富士松薩摩を名乗ったのが、新内節の遠祖である。この富士松節から出た鶴賀若狭掾(わかさのじょう)の門弟に鶴賀新内がおり、その初代新内までは鶴賀節といわれたが、文化年間(一八〇四年~一八一八年)の二世新内から新内節と称するようになった。新内節は劇場から離れ、吉原その他の「流し」が中心となり、煽情的で江戸情緒を濃厚に伝えている。江戸では訛って「しんねいぶし」「しんねえぶし」とも呼ばれる(小学館「日本国語大辞典」に拠った)。

「安永七年」一七七八年。

「もぢりづくしといふ繪草紙」調べてみたが、当該書を発見できなかった。

「おのれわかゝりし時、地口はもぢりくちの略語にやと思ひしが、さにあらず。ぢぐちは持口(ぢぐち)なり。又地口なり」この断定にはやや不審がある。第一、「錑(もぢ)り口」が元であることは、私には殆んど疑いがないと思われる点、さらに「地口」を「持口」とする記載が調べた限りでは他には見られないことが挙げられ、また多くの「もぢり」のケースの中に御当地の地名を読み込んだそれが多く見られ、これは間違いなく正真正銘の「地口」であろうからである。確かに以下で馬琴が述べるように(傍線太字は私が附した)、「すべて歌合、句合の判者、左右一つがひの甲乙を定むるに、その優劣なきものを持(ぢ)とす。持口は一句兩義を兼るものにて、左右へ引はる意あり。譬ば歌合の左右に、甲乙なきが如く、兼る所の兩義、さらに甲乙を定むべきの理なし。よりてくちあひを持口といへり。今も俗間(よのなか)に、彼我(ひが)の損益なきを、持(ぢ)になつたなどいふも、この意をもてしるべし」と言っていることは事実であるのだが、ここを読みながら、洒落が本来の意味と等価で優劣がつきがたいから、「持」であるというのは、どうもすんなりとは、私は受け難いからである。さらに、気になって、国学者喜多村信節(のぶよ 天明三(一七八三)年~安政三(一八五六)年)の代表作で、諸書から江戸の風俗習慣や歌舞音曲などを中心に社会全般の記事を集めて二十八項目に分類叙述した十二巻付録一巻からなる随筆「嬉遊笑覧」は、本書の時制より数年後の文政一三(一八三〇)年に成立しているが、所持する岩波文庫版でみたところ、「おや?」っと、思わず、目がとまった箇所があったのである。以下、続けて馬琴は、「この地の字は、地酒、地本問屋(ぢほんとひや)の地の如く、只大江戶に限るの義にて、口は上に辨じたるごとく言葉也。これを地口といふよしは、およそ神社の祭禮に、地口行燈といふ物を出すことは、おそらく他鄕になし。よしや今はありとても、そはみな江戶ぶりをまなびたるなり。これ當地のくちあひといふべきを、略して地口といふ」と言っているのだが、国立国会図書館デジタルコレクションの「嬉遊笑覧 上」(成光館出版部昭和七(一九三二)年刊行)のここからその膨大な地口関連の記載があり(「秀句」の項で同巻之三の最後まで続く)、そこに「○山崎久卿云」として(左ページ九行目行末以降。一部で読み易くするために句読点・濁点を添えた)、

   *

○山崎久卿云、地口とは當地の口合といふべきを略したるにて、この地に作れる草子を地本といひ、きせるを地張、其他、地さけ[やぶちゃん注:「酒」。]、地𢌞りの地の如く、只、この江戶にかぎれるの義なり。もと、神事に、地口行灯と云ものをともすとは、他鄕にはさらにあることなし。今はありもすべし、それは江戶のふりのうつりたるなり。行灯にかけるを、繪地口といへり。玆[やぶちゃん注:「ここ」。]にてとけるもの、多し。又、語路といふあり、これも地口の變體なり。おもふに語路とは、菅相するめのつけ燒、丁子茶きつねの子ぢやもの、などの類なり。

   *

とあるのである。但し、岩波文庫版(著者自筆本)は、終わりの「これも地口の變體なり」以下の部分が有意に異なる。以下、漢字を正字化して示す。【 】は割注。

   *

これも地口の變躰也」[やぶちゃん注:岩波文庫の校訂者はここまでを山崎の言としている。]といへり。【むかし、語路萬句興行ありしに、語路萬たまごといふが、其時の秀逸にてありしと也。おもふに、古き地口の内に、菅相するめの付燒、丁子茶きつねの子じやもの、といへるたぐひ、みな語路なるべし。】

   *

この例として出る「菅相するめのつけ燒」は菅原の「すが」を「するめ」(鯣)に、「丁子茶」(紅色がかった茶色を呈する)をその色の「狐の子」に洒落たものであろう。さて、問題は、この「山崎久卿」の言いが、あまりに馬琴の言いと酷似している点である。私は一寸、ニンマりした。何故なら、「山崎久卿」とはつい先だって「けんどん爭ひ」で馬琴がキレて絶交した山崎美成のことだからである(久卿は彼の字(あざな))。或いは、本篇が書かれた直後に美成が、憤然と、秘かに馬琴の説を駁する形で書いたものかも知れぬが(喜多村の美成の引用元を見つけたら追記する)、この二つを比べてみると、私はどちらが腑に落ちるかと言えば、馬琴の歌合せの「持口」の方ではなく、やはり各種の「地」の「地口」の方が、遙かに腑に落ちるのである。

「迂鑿(うさく)」回りくどい穿った考え。謙遜の辞だろうが、正直、私はその通りだと思うのである。]

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