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2022/06/04

フライング単発 甲子夜話續篇卷之九十七 11 【享保三年】遠州新井村筒山某船無人嶋え漂着幷大坂船同斷之事

 

[やぶちゃん注:以下、現在、電子化注作業中の南方熊楠「葦を以て占ふこと」の注に必要となったため、急遽、電子化する。非常に急いでいるので、注はごく一部にするために、特異的に《 》で推定の歴史的仮名遣の読みを挿入し、一部、句読点や記号を変更・追加し、段落も成形した。]

 

97―11 遠州新井村筒山某《なにがし》船《ふね》無人嶋《むじんたう》え漂着幷《ならびに》大坂船同斷之事

 或日、侍臣の「野藪談話」と云《いへ》る借し本にあり迚《とて》、示す者あり。

 見るに、享保三年、遠州の人、海船を吹流《ふきなが》され、洋中の孤嶋に棲《すん》で、元文四年に歸る二十二年の間の記にして、みな德廟治世の際《さい》なり。

 この記、詳《つまびらか》にして實《じつ》。然れども、讀《よむ》に、味ひなく、益なく、又、時の情態、委《くはし》きが如《ごとく》にして、又、盡《つく》さざること、有るか。但々《ただただ》孤嶋に月日歲暑《げつじつさいしよ》を歷《へ》るの間、その困苦悲艱《こんくひかん》の狀、察すべし。又、事に堪へ、物に忍ぶ。其得失を、玆《ここ》に觀《み》つべし。この孤嶋、何方《いづかた》何れの地に在る、予、辯ずること、能はず。識者の說を竢《ま》つ耳《のみ》。

   無人嶋え、漂着の談

爰に享保三年、遠州敷知郡《ふちのこほり》新井村筒山五平といへる者の船にて、船頭壱人、水主《かこ》十人、以上十一人乘《のり》し船、流失いたし候處、水主の内、三人、生殘《いきのこ》りて、元文四未《ひつじ》七月歸りける故、右水主共申上候口上書寫す事、左の如し。

一、廿二年已前、享保三戌年、新居湊出船致、豆州下田御關所御改を請、江戶え參り、暫《しばらく》滯留仕《つかまつり》、奧州え、下り、南部修理大夫殿御荷物積立、天氣を相待候處に、江戶え、風並能く、南部を出船し、海上半途迄も出候と存《ぞんず》る刻《きざみ》、俄に風替り、北風强く、南東の方え、吹流《ふきなが》され、日數《ひかず》七、八日もはしり候て、船、損じて、危く罷成候に付、小船に移り、粮米《らうまい》三俵、鍋二つ、其外、相應の道具を入れ、吹流され、やうやく小さき嶋見へ候に付、十一人共に彼嶋へ上り候。此嶋、人家は決してなく、嶮岨の岩山谷なんど有ㇾ之、四方、海にて、目の及ぶ處も無ㇾ之候間、無是非其嶋の岩の下をほり、住居仕候。

一、此嶋、給物《たべもの》、一圓、無ㇾ之、諸鳥《もろもろのとり》多く有ㇾ之候故、鳥を取、鹽を以、煮、食し、或は帆の絲を以、釣を仕《つく》り、魚を取、朝夕、給《た》べ申候。

一、海上にて小船に入候三俵の米、拾一人に而《て》わけ取、一日に十粒、廿粒づゝ、給申候。

一、月日《つきひ》の立《たつ》を不ㇾ存《ぞんぜず》、四季折々の譯《わけ》も無ㇾ之、其内、冬と存候節の日の出、あつさ、日本の土用よりは凌《しのぎ》難く存候。依て、朝の内は、日影、岩のかげに隱れ居《をり》申候。

一、諸鳥、多《おほき》事、山をありき候に、棒を持《もて》はらひありき候へ共、肩先抔へ、とまり、せわしく御坐候。

一、嶋の大さ、𢌞り、漸く一里程有ㇾ之、竹、木、なし。蘆の樣成《やうなる》ふとき物、有ㇾ之候に付、それを以て、「すだれ」にあみ、住居する穴の口にかけ、薪にも右の蘆の樣成物を以、たき申候。

一、吞水《のみみづ》無ㇾ之候に付、船道具之内、木の平身《ひらみ》を燒《やき》くぼめ、雨水を溜置《ためおく》のみ候。

一、梶の柄を以て、數珠《じゆず》に細工仕り、銘々、首にかけ、魚鳥の油を以て、たき、明《あか》しをあげ、諸神諸佛を祈り申候。吞水、きれ申候節は、垢離《こり》をとり、神祇え、祈り候へば、三日の内に極めて雨ふり申候。

一、身に着《ちやく》し申候物、是なく候ゆへ、鳥の羽をもつて、簑《みの》の如くに拵へ、着仕候。尤、常々、暖にて、別《べつし》て、衣類、入《いり》不ㇾ申候。

一、凡《およそ》三年も過候半《すぎさふらはん》と存候節、船、一艘、流れ寄申候。是を見候に、米五俵、籾三俵、有《あり》。「不思議にも天の與へ玉ふ所」と存じ、其籾を、岩間々々に柔らか成《なる》所え、蒔付《まきつけ》候處、稻と成《なり》、一ケ年も立候と存候内に、三度宛《づつ》、實のり候。時によりて貳俵、或は、五、六斗、又は一俵も取申候。夫《それ》を以、命を養ひ罷在候。

一、拾一人之内三人は存切《ぞんじきれ》、「とかく、存生《ぞんしやう》候ても、此嶋に居住《ゐすみ》候ても、日本え、歸る事も不ㇾ叶、餓死するも不念成《ぶねんなる》事。」と申、海中へ飛入り、相果申候。殘る八人之内、五人は、段々、病死仕《つかまつり》、三人、生殘り罷在候處、船、一艘、見え申に付、嬉敷存《うれしくぞんじ》、聲をかけ呼《よび》候へば、大坂船のよし、十八人、乘り、是も私共同前に吹流され、小船に乘り、來り、言葉をかけ候へども、數年《すねん》、取亂し、「さかやき」もそり不ㇾ申候故、人間の形《かた》ちもなく候故にや、しかと挨拶も不ㇾ仕候へども、種々に申、「元來、遠州新井町五平と申者の船にて、此處まで吹流され、かやうに存命居候。」段、申候へば、大坂船頭、申候は、「成ほど。言葉は日本なれ共、人間の形に無ㇾ之候上、何か慥成《たしかなる》證據なくして知れ難き。」よし、申に付、「成ほど。慥なる證據、あり。其節、豆州下田村の御關所證文、今に所持いたし、其外、「乾(けん)」の字《じ》金《きん》壹兩弐分、有ㇾ之。」。右二品を見せ候へば、「扨は。相違、是なし。自今は相互《あひたがひ》に一同に可ㇾ致。」と申合せ、其船に米も有ㇾ之候。然れども少分之義故、相替らず、魚・鳥を取、命を養ひ、都合廿一人にて暮し候。然る所に、大坂船頭、申出し候は、「此嶋にてケ樣に無益に月日を送り申共、日本へ歸る念も有ㇾ之間敷《まじく》、然る上は、是にて朽果《くちはて》ん事、去りとは、無念、至極なり。是より何方《いづかた》へ成《なり》とも、海上え、乘出し《のりいだ》、死するならば、ともどもに、海上にて、死すべし。萬一、仕合《しあはせ》にて、能き嶋へ着間敷物《つきまじき》にても、なし。各《おのおの》、如何《いかが》。」と申すに、皆々、同心して、「然らば、各、垢離を取、伊勢太神宮を始《はじめ》奉り、三嶋・秋葉山・伊豆・箱根、其外の諸神諸佛を拜し、大願をかけ、よしの葉に、朔日《ついたち》より晦日《みそか》までの日を書付、御祓《おはらひ》を以、是を摩候處《なでさふらふところ》に、葭《よし》の葉、一枚、上《のぼ》り候に付、見候へば、「九日」と申候付、有り。然れば、九日、「出船の日」と定め、船頭、磁石を以て、日本の方を考へ候得ば、「戌亥の方。」と心ざし、右九日の朝に成候處、辰巳の風にて、戌亥へ、順風なり。此嶋、廿一人揃ひ居候事は、三十日にて御坐候處、今日《けふ》、ケ樣《かやう》の義、「是、偏《ひとへ》に佛神の御蔭。」と悅び奉り、帆を十分に上げ走候事、晝夜八日、風並よく、帆を下げ不ㇾ申走り候事、矢より早き樣に覺へ候。然るに、晝夜八日目の八ツ時分の頃、少し嶋のかげ見へ候に付、皆々、悅び、はしらせ候得ば、八丈嶋に着候。則、八丈に而《て》、諸人、出向ひ、「何船に而《て》是へは來り候哉《や》。」と尋申に付、右之段々、語り候へば、名主方へ呼《よば》れ、「かゆ」など給《たまは》り、御代官え、注進有ㇾ之、御代官所に於て、逐一、御吟味、始終之義申上候處、「證據、有ㇾ之候哉《や》。」と御尋に付、「先年、豆州下田御關所御證文御坐候。」段、申上、兩通共、御目にかけ候處に、「成ほど相違無ㇾ之、幸ひ、追付、便船、有ㇾ之間、江戶え、送り可ㇾ申候。若《もし》ケ樣《かやう》之證據、無ㇾ之時は、江戶え、一通り窺ひ、其上に而《て》遣す筈なれ共、御證文等、所持致に付、追付可相返。」と、八丈嶋に十日滯留仕、出舶、有ㇾ之、乘合、下田御關所迄、着舶、御改を請、江戶へ着仕候。猶、江戶え、其旨、被仰達《おほせたつせられ》、上聞に達し候由、私共、三人共に、吹上御殿え、被召出候樣被仰付御殿御前近く被ㇾ爲ㇾ召《めしなされ》、右の一件、言上仕候樣に被仰付候故、申上候處に、頭を上げさせ申樣に、上意、有ㇾ之、頭を上げ、委細申上候。右嶋に而《て》、細工に仕候珠數も、御手に取らせられ、上覽被ㇾ爲ㇾ遊、返し被ㇾ下、詳《つまびらか》に事を御尋の上、御料理被ㇾ爲下置、壱人に米三俵、幷、錢弐貫文宛、被下置、其上、新井町御地領御詮義の上、松平豐後守殿へ御渡し被ㇾ成、かの御屋敷へ下り、御長屋御渡被ㇾ成、朝夕共に、一汁三菜、精進物に而披ㇾ下、「折節は、人參、爲ㇾ給候樣。」に被仰付、折々、相用候《あひもちひさふらふ》。幷、御長屋へも、御目付・足輕被付置、「江戶、ありき申《まうす》にも、駕籠に而步き候樣に。」、被仰付候。其後、松平左近將監殿、其外御老中、若御年寄方《わかおとしよりがた》、所々え、廿餘ケ所、被召呼《めしよばされ》、樣子、御尋、所々に而、御料理被ㇾ下、其上、袷《あはせ》或は帷子《かたびら》抔被下置候。江戶表に、數日《すじつ》、滯留、何かと、憚《はばかり》多く、「難ㇾ有義共、冥加に相叶《あひかなひ》奉ㇾ存候。何卒、國元え、御返し被ㇾ下候樣に、奉願上候。」の處に、御窺《おんうかがひ》の上に而、御返し被ㇾ下候樣に相成り、道中も、先き御觸《おふれ》御出し被ㇾ遊、通し駕龍に而、猶、御目付・足輕、御附け、當未六月廿四日、新井宿え、着仕候。

一、新井町御奉行所より、舞坂え、被仰付候は、「其嶋歸之者共、舞坂え、着次第、早船に而、注進仕候樣に。」と被仰付、私共、舞坂え、着仕候へば、早速、右之旨、注進、有ㇾ之候。

一、新井町に而は、右十一人の親子兄弟、或は妻抔の生殘りしもの、「誰か。誰か。」と待《まち》かね、尤、町御奉行所、「町御門迄、迎ひに出候樣に。」被仰付候。町内、殘らず、御門迄、罷出候。則、新井町へ着仕候へば、悅候《よろこびさふらふ》宿も、有レ之、又は愁傷するも有、目も當られぬ事共に御坐候。直《ただち》に宿へは、寄られず、御奉行所え、被召出、御料理被下置、豐後守殿より、御扶持方《おんふちがた》、米、一人扶持づゝ被下置、永々町内に而、憐愍《りんびん》をくはへ、名主・組頭之内、壱人づゝ、日々に見舞、不自由無ㇾ之樣に仕、「若《もし》、不自由も有ㇾ之候はゞ、早々、申出候樣に。」被仰付候而《て》、宿・宿え、御歸し被ㇾ成候。已上。

 元文四未年七月   甚八郞六十六歲

           仁三郞六十四歲

           平三郞四拾三歲

 この三人、元文四年、この年なれば、享保三年には、甚八・四十五、仁三・四十三、平三・廿二なり。皆、極老・幼輩に非ず。

■やぶちゃんの呟き

「野藪談話」(やそうだんわ)は江戸中期の随筆。作者未詳。

「享保三年」一七一八年。但し、所持する一九九〇年国書刊行会刊『江戸文庫』の加藤貴校訂「漂流奇談集成」の年表によれば、この事件は享保四年十一月の発生で、『遠江国新居の船が仙台から江戸へ航行中に九十九里浜沖で漂流、翌年一月鳥島へ漂着』とあるから、これは一年誤っている。「鳥島」は伊豆諸島にある無人島。全島が国の天然記念物(天然保護区域)に指定されており、特別天然記念物アホウドリ(ミズナギドリ目アホウドリ科アホウドリ属アホウドリ Phoebastria albatrus )の生息地として知られる。ここ(グーグル・マップ・データ。以下同じ)。

「元文四年」一七三九年。

「德廟」徳川吉宗。

「遠州敷知郡《ふちのこほり》新井村」現在の静岡県湖西(こさい)市新居町(あらいちょう)新居。ここ。浜名湖の海に開く所の西側である。

「梶」舵。

「垢離《こり》」 神仏に祈願する時、冷水(別に海水でもよい)を浴びて汚れを除き、心身を清浄にすること。「水垢離(みずこり)」も同じ。

「不念」極めて残念なこと。

『「乾(けん)」の字《じ》金《きん》』江戸中期の金貨で「宝永金」とも呼ぶ。宝永七(一七一〇)年から正徳四(1714)年に鋳造された。勘定奉行荻原重秀は一六九五年に「元禄金銀」を鋳造したが、品位が悪く不評であった。そこで「乾」字金を鋳造して慶長金と同質に復したが、重さはほぼ半分になり、これまた、嫌われて、物価は下らず、経済は混乱した。新井白石の反対で重秀は一七一二年に罷免されている。裏面に「乾」の字の極印(ごくいん:江戸時代の「公許」を意味する刻印)が打たれているところから「乾字金」と呼ばれた。これは「易経」に由来するものと言う。

「摩候處《なでさふらふところ》に」船出の吉日を神仏に祈り、その託宣を受けるために、ヨシの葉で一月分の日にちの籤(くじ)を製して、それを束ねて手で擦りなでて、次第に飛び出ずるものをそれとしたのである。

「戌亥」北西。正しい。

「辰巳の風」南東からの風。

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