「南方隨筆」底本正規表現版「俗傳」パート「幽靈の手足印」(3) / 幽靈の手足印~了
[やぶちゃん注:本論考は大正四(一九一五)年九月発行の『人類學雜誌』三十巻第九号に初出され、後の大正一五(一九二六)年五月に岡書院から刊行された単行本「南方隨筆」に収録された。
底本は同書初版本を国立国会図書館デジタルコレクションの原本画像(ここから)で視認して用いた。但し、加工データとしてサイト「私設万葉文庫」にある電子テクスト(底本は平凡社「南方熊楠全集」第二巻(南方閑話・南方随筆・続南方随筆)一九七一年刊で新字新仮名)を使用させて戴くこととした。ここに御礼申し上げる。
本篇は短いので、底本原文そのままに示し、後注で、読みを注した。そのため、本篇は必要性を認めないので、PDF版を成形しないこととした。なお、他に比してやや長く、注も必要なので、底本の三段落で分割して公開する。]
心安い人の說に、すべて寺の本堂の廻り椽の天井は、年を經ると必ず大小種々手足の印相を多く現出する。手足を柿澁で塗て押付た如く、指紋掌紋の微細なる迄も現然たり。此小い田邊町にも四ケ寺迄斯樣の印相ある天井板歷と存在すと。所が其人の娘言く、寺に限らず、此地の小學校の廻廊の天井にも近頃同樣の斑紋を生出したとの事で、多分木の質により自然に其樣な斑紋あるか、雨風の作用で脂汁が流れ出て成るか、微細の菌類が生えて多少手足印に似た紋相を作るか、何に致せ顯微鏡を持往て檢査するが第一と思ひながら延引する内、此事を書いた拙文不二新聞に載ったを讀で、押上中將より來信有り曰く「新築工事中、大工の内脂手の者が取り扱ひたる部分は、新築當時は不明なるも、段々年を經るに從ひ、其脂手にて觸れられたる處が黑くなり、あたかも血の付きたる手を接したる如く相成る者に候。足跡は右の如き事の機會少なしとは存じ候え共、之も接觸の機會絕無には無之候。現に小生現住の家も約二十年前の新築なりしが、數年前より右樣の手痕を顯し申候。小生他所に於ても如此者を見る事多く御座候。御參考迄に申上げ候」。此敎示を得て大いに曉り、老巧の大工を招き問ふに、其人言く誠に中將の言の如し。凡て天井板は無闇に釘を打つと正しく入らず。故に下より手で板を受けて釘を打つ事多し。其人の手脂多き時は手形が多く付く。當時は目に見えぬが、寺の廻廊など風當り烈しき處の天井板は、他の室内等の者よりはずつと速く削減され往くも、脂が付た部分は左樣は削られずに殘るから、丁度手の形だけ遺ると。又言く、幽靈には足の無いが定法故、「やもり」の如く手で這ひ步くとは云べく、足跡の有るべき筈無しと。兎に角是等の說明で所謂血天井の原因は分つたから、其内親しく當町の寺々及び學校に就て、所謂血天井には足印なく手印斗りか、足印も有らば手印に比してどれ程少きかを檢せんと欲す。 (大正四年九月人類第三〇卷)
[やぶちゃん注:「椽」「緣」。
「塗て押付た」「ぬりておしつけた」。
「此小い」「このちひさい」。
「言く」「いはく」。
「生出した」「はへだした」。
「脂汁」「やにじる」或いは「やに」と訓じていよう。
「持往て」「もちゆき」。
「此事を書いた拙文不二新聞に載った」(2)で触れた大正三(一九一四)年一月十七日から二十日に亙って『日刊不二』に連載した固定連載コラム「田邊通信」に載せた「櫻島爆發の餘響」。サイト「私設万葉文庫」にある電子テクスト(一九七三年平凡社刊「南方熊楠全集6(新聞随筆)」底本)の「桜島爆発の余響」を見られたい。
「讀で」「よんで」。
「押上中將」『「南方隨筆」底本正規表現版「俗傳」パート「睡人及死人の魂入替りし譚」の「二」』参照。
「脂手」(あぶらで)「の者」脂性の大工。
「曉り」「さとり」。「悟り」。
「檢せん」「けみせん」。]
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