フライング単発 甲子夜話卷之十 19 室賀氏の中間、河童に引かれし事
[やぶちゃん注:以下、現在、電子化注作業中の南方熊楠「河童の藥方」の注に必要となったため、急遽、電子化する。急いでいるので、注はごく一部にするために、特異的に《 》で推定の歴史的仮名遣の読みを挿入し、一部、句読点や記号を変更・追加し、段落も成形した。]
10―19 室賀氏の中間、河童に引かれし事
御留守居、室賀山城守は小川町に住《すめ》り。其中間《ちゆうげん》、九段辨慶堀の端《はた》を通りしに、折ふし、深更、小雨ふりて闇《くら》かりしが、水中より、その中間の名を、呼ぷ。因《よつ》て、見るに、小兒、水中にありて、招くゆゑ、
『近邊の小兒、誤《あやまり》て陷《おい》たるならん。』
と思ひ、
『救はん。』
とて、手をさし延《のばし》ければ、卽《すなはち》、その手に取つくゆゑ、
『岡へ引上《ひきあげ》ん。』
と、しけるが、その力、盤石の如くにして、少《すこし》も不ㇾ動《うごかず》、却《かへつ》て、中間、次第に水中に引入らるゝゆゑ、始《はじめ》て恐れ、力を極めて、我が手を引取《ひつとり》、直《ただち》に屋敷に馳歸《はせかへ》り、人心地なく忙然となりけり。
人々、打より見るに、衣服も沾濕《てんしつ》して、その上、臭腥《しうせい》の氣《かざ》たへがたき程なりければ、寄集《よりあつまり》て、水、かけ、洗《あらひ》そゝげども、臭氣、去らず。
その人、翌朝にいたり、漸々《やうやう》に人事を辨《わきまへ》るほどにはなりしが、疲憊《ひばい》、甚しく、四、五日にして常に復せり。腥臭《せいしう》の氣も、やうやうにして脫《ぬけ》たりとなり。
「所謂、河太郞なるべし。」
と、人々、評せり。
■やぶちゃんの呟き
「室賀山城守」幕臣室賀正頼。個人ブログ「寛政譜書継御用出役相勤申候」のこちらに、『文政元戊寅年正月二十日御留守居被仰付』とあり、参考文献に本話が挙げられてある。文政元年は一八一八年。幕府の留守居役は老中支配で、奥の取締りや通行手形の管理、将軍不在時の江戸城の留守を守る業務を担当した。
「小川町」現在の千代田区神田小川町(おがわまち:グーグル・マップ・データ。以下同じ)。
「九段辨慶堀」「辨慶堀」はここだが、「九段」は現在の皇居の外の北部で、不審。
「沾濕」ぐっしょりと濡れているさま。
「臭腥」「腥臭」孰れも、「ひどく腥(なまぐさ)い臭い」を言う。これは、河童自身の粘液質の肌や体臭や、また、河童が触れた物について、しばしば言われる特徴である。
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