「南方隨筆」底本正規表現版「俗傳」パート「蛇を驅逐する咒言」
[やぶちゃん注:本論考は大正七(一九一八)年一月発行の『人類學雜誌』第三十三巻第一号に初出され、後の大正一五(一九二六)年五月に岡書院から刊行された単行本「南方隨筆」に収録された。
底本は同書初版本を国立国会図書館デジタルコレクションの原本画像(ここから)で視認して用い、平凡社「選集」も参考にした。但し、加工データとしてサイト「私設万葉文庫」にある電子テクスト(底本は平凡社「南方熊楠全集」第二巻(南方閑話・南方随筆・続南方随筆)一九七一年刊で新字新仮名)を使用させて戴くこととした。ここに御礼申し上げる。
本篇は短いので、底本原文そのままに示し、後注で、読みを注した。そのため、本篇は必要性を認めないので、PDF版を成形しないこととした。なお、標題の「咒言」は「じゆげん・じゆごん」と読んでおく。「まじなひ」と当て訓してもよかろう。]
蛇を驅逐する咒言
人類學雜誌三二卷十號二二三頁に佐々木繁君言く、「蛇に逢ひ蛇が逃げぬ時の咒、天竺の茅萱畑に晝寢して蕨の恩顧を忘れたか、あぶらうんけんそわか、と三遍稱ふべし。斯すれば蛇は奇妙に逃去と也」と。其れ丈けでは何の意味とも分らねど、内田邦彥君の南總俚俗百十頁に『或る時、蝮病でしの根(茅の根の事なれどこゝは其銳き幼芽の事)の上に倒れ伏したれど、疲弊せる爲め動く能はざりしを、地中の蕨憐れに思ひ、柔かな手もて蛇の體を押し上てしの根の苦痛より免れしめたり、爾後山に入る者は「奧山の姬まむし、蕨の御恩を忘れたか」と唱ふれば其害を免る』と載せたるを見て始めて釋き得る。 (大正七年一月『人類學雜誌』三三卷一號)
[やぶちゃん注:『人類學雜誌三二卷十號二二三頁に佐々木繁君言く、「蛇に逢ひ蛇が逃げぬ時の咒」(まじなひ/じゆ)「天竺の茅萱畑」(ちがやばたけ)「に晝寢して蕨の恩顧を忘れたか、あぶらうんけんそわか、と三遍稱ふべし。斯すれば蛇は奇妙に逃去」(にげさる)「と也」と』佐々木喜善の「陸中遠野鄕の說話數種」。「J-Stage」のこちらからその初出が読める。PDFの1コマ目である。「茅萱」は単子葉植物綱イネ目イネ科チガヤ属チガヤ Imperata cylindrica で、「茅花(つばな)」という異名がよく知られる。私の『「萩原朔太郎詩集 Ⅴ 遺稿詩集」(小学館版)「第一(「愛憐詩篇」時代)」 春日』の「柴草」の注を参照されたい。]
「内田邦彥君の南總俚俗」内田邦彦(明治一四(一八八一)年~昭和四二(一九六七)年)は千葉県長生郡二宮本郷村(現在の茂原市)の医家に生まれ、「真名(まんな)の医者どん」と呼ばれ親しまれた。彼はこの「南總の俚俗」(これが正しい書名。大正四(一九一九)年桜雪書屋(おうせつしょおく)刊)や「津輕口碑集」(昭和四(一九二九)年)などで知られる民俗学者でもあった。国立国会図書館デジタルコレクションのこちらで原本が読める。当該箇所はここ。
「釋き得る」「ときうる」。]
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