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2022/06/08

フライング単発 甲子夜話卷之六十七 18 富士講ノ始末

 

[やぶちゃん注:以下、現在、電子化注作業中の南方熊楠「富士講の話」の注に必要となったため、急遽、電子化する。非常に急いでいるので、注はごく一部にするために、特異的に《 》で推定の歴史的仮名遣の読みを挿入し、一部、句読点や記号を変更・追加し、段落も成形した。二図は加工底本としている平凡社「東洋文庫」のものをトリミング補正して適切と思われる位置に挿入した。( )のカタカナは数少ない原本のルビである。系図は例の縦線で縦に繋がるようになっているが、面倒なのでダッシュに代えて続けた。その間に入定記載が割注で縦線の右或いは左右に入るが、当該人物の下に【 】で挿入した。]

 

67―18 富士講始末

 世に「富士講」と稱《となふ》る一種の者あるを聞たれど、その委しきを知らざりしが、頃《このご》ろ修驗行智《ぎやうち》が筆記せし小册を見たり。成程、來者の豫めすべき種類にぞ。

  富士講超原由來

 近年、江戶御城下及び近在諸國にて、一類の黨徒あり。是を「富士講」と云ふ。其始めを尋るに、書行(カクギヤウ)藤佛《とうぶつ》と云者より始まれり。この書行と云るは肥前長崎の產にて、其父は長谷川民部大輔某と云て、浪士なりしが、同國平戶より來て長崎に住し、時の騷亂を憂ること有て、夫婦、天に祈て、一子を生む。これを竹松丸と云。實に天文十一年正月廿五日なり。是時、天より告《つげ》有て曰く、

「汝夫婦の願は世の英傑を生じて、天下の亂を定め、萬民を安んずべき宿志《しゆくし》なれども、亙に治世安民の主は此子と同年にして東國に生るべし。汝が一子は世外の者と成《なり》て、普《あまね》く萬民の疾苦を救ひ、又、世を治め、國を平ぐる敎《をしへ》を施して、天下の蒼生《たみ》を濟《さい》する者と成《なら》ん。盛長の後に至らば、自ら知ること有《あら》ん。」

と。

 因て、父母、深く鐘愛して、惠養、怠らず。竹松丸、八歲の頃より、殊に世を厭ひ、出遊《しゆついう》の望みあり。長盛の後、遂に父母に暇を乞て、東國に到り、始めは奥州某山に入て修行し、夢想の靈告を得て、初て、「富士の人穴」に入て苦行すること、日、あり。三七日の斷食して、穴中に四方の杭を樹《たて》、其上に立ち、角杖をつきて二十一日の間、立行《りつぎやう》を爲す。時に仙元菩薩《せんげんぼさつ》の告ありて、「富士行《ふじぎやう》」の一派を開く。其敎は佛道に似て佛道に非ず。神道に似て神道に非ず。富士山峯を巡禮し、哥を唱ヘて懺禮《せんれい》するのみ。曰、

「夫《それ》人間の生ずることは、天一眞水より始まり、穀と桑帛とに憑《つき》て身命を保つ。この三恩をば報ぜずんば有らず。この富士山と云へるは、一名「穀聚山」とも云て、其形も、穀を盛るに似たり。南に田子《たご》あり、三穗《みほ》あり、皆、穀に屬《ぞく》たる名なり。又、「土」に「米」を合すれば「桒《くは》」となる。日本「扶桑」の名も是より出たり。内八海、外八海の水あり。皆これ、人間出生の本源なり。又「御胎内」と云ふ處あり。仙元大菩薩、一切衆生を生じ給《たまふ》が故なり。然《され》ば富士と云ふは、世界の始《はじめ》、人間の本なり。因て富士を信仰する者は、子《ね》に臥し、寅に起て、自分自分の職業を克《よ》く勤め、御山《おやま》の御恩を報じ奉る也。」

抔、種々の敎ありて、一種の宗門を爲せり。

 又、この宗に一種の文字ありて、仙元菩薩より書行《かくぎやう》に傳へ給ふ所なりと云へり。

 

Hujikou1

 

 又。其派の系、左に記す。

●元祖書行《カクギヤウ》藤佛【於人穴入定。】――――大法濱旺(ハマグワン)――――【後改日旺。白糸瀧水定。】――――旺(グワン)心――――月旺――――星旺【以上五代、正統也。】――――妙法日旺(グワン)佛――――月心――――村上光淸

[やぶちゃん注:「村上光淸」で切れるが、ここで「妙法日旺(グワン)佛」と「月心」の間で系譜が「└」で分岐し、以下の「月行※忡(ソウデウ)」(「※」=「曾」+「月」)に続いている。]

――――月行※忡(ソウデウ)――――日行藤忡――――月行開眼(ガン)日生

[やぶちゃん注:「月行開眼(ガン)日生」で切れるが、やはり「月行※忡(ソウデウ)」と「日行藤忡」の間で「└」で分岐し、以下の最後の人物に繋がって終わっている。「*」は左から右へ「亻」+「木」+「勺」を並べた字。]

――――食(ジキ)行身祿*(ミロクー)

 この食(ジキ)行《ぎやう》と云は、伊勢國川上の產にて、十八歲にて江都に來り、本町二丁目に往て、商賣を業とし、一代の間に巨萬の富商となる。名は富山淸兵衞。年來《としごろ》、富士行《ふじぎやう》を信じ、苦行を勤ること、度々なり。老後に貯《たくはへ》る財貨を、殘なく親族・窮民に施盡《ほどこしつく》して赤貧の身となり、小石川春日町の裏店《うらだな》を借《かり》て居り、油を賣《うり》て、漸《やうや》く妻子を養ふ。享保某年、仙元の告ありて、富士山七合目の室《むろ》に入《いり》て、三十一日の斷食し、日日、說法して人間常行の道を敎へ、終《つひ》にその處に餓死す。

 この身祿*(ミロクー)の一派、當時、國々に滿て、黨を結び、衆を集《つどひ》て數十萬に及ぶ。

 其爲す所は、仙元大菩薩靈告の「御身拔(オミヌキ)」と稱する者を身に掛け、其前にて、火を焚きて、是を「御焚上(《オ》タキアゲ)」と謂ふ。

 水を咒《じゆ》して、病者に與へて、飮《のま》しめ、又、符字《ふじ》を書《かき》て與ふ。これを「御禦(オフセギ)」と謂ふ。病《やまひ》癒《いゆ》ることあれば、勸めて黨に入らしむる故に、年々と、その衆、倚增《よりま》す。

 その中に先達と云あり。黨衆の魁首なり。此人は、死しても、人穴の傍に葬し、墓を建つ。法名も釋氏の名付《なづく》るを用ひず、自《おのづか》ら一派の稱號あり。文字も一派の字あり。「※」・「忡」・「月」・「旺」等の如き、是なり。

 人穴の邊に、寺、あり。開藤開山光侎(コク)寺と云ふ。「侎」は「穀」と同じく門派の造り字なり。僧も住す。何宗なりや、審《つまびらか》にせず。專ら富士敎を演《のべ》て仙元祠に事《つか》ふ。其徒の身祿*(ミロクー)を尊重すること、一向宗の親鸞を敬ふが如く、仙元を崇(たつと)ぶことは彌陀に歸するが如し。身命をも惜まざれば、法の爲に定死《ぢやうし》するも多かりと。

 この書體は、專ら身祿*の筆法を摸して改めざるを善とし、先達老輩の者、書て授くる也。訓は何とも解し難く、その門派、口授ありて、他に漏すことを許さず。唯、その徒の隱字にして、宗外の者、知ざる所なり。是を本尊とし、又、旅行にも、身を離さず隨護して、日々に禮拜す。又、報恩法會を修すと云こと、其式を「御法會」と稱す。皆、隱語にして、他人、知ること、能はず。

 「書行(カクギヤウ)入定の圖」とて、江都(えど)、某の所に板刻の者あり。磨滅して分明ならざれども、行智の搨する者あり。こゝに再摸す。

 これ、富士の人穴にて入定の圖なり。

 

Kakugiyau

 

 この一類、殊の外に盛延なる故にや、官より、度々、禁斷の旨、下ると雖ども、暫時《しばらく》、忍びゐて、又、起り、倍々(ますます)增蔓《ぞうまん》して、今に及んでは、如何んとも爲べからざるに至れり。漢の張角、黃巾の賊も、始めは、かゝる者にや有《あら》ん。今の時に治《をさ》めずんば、後患、大ならん。是を治《ぢ》するに、策、あり。片言、盡し難し。且、我事に非ず。遂に閣筆す。嗚呼。

 智が策も、これ奈《いか》ん、是、たゞ、民間卑賤の所爲なり。釋徒、上堂の異端と孰(いづ)れ。

■やぶちゃんの呟き

・「富士講」ウィキの「富士講」を参照されたい。

・「行智」(安永七(一七七八)年~天保一二(一八四一)年)は山伏や修験道の教学者にして悉曇(梵学)学者。俗称を松沼、字を慧日、阿光房と称した。父の行弁の跡を継いで、江戸浅草福井町の銀杏八幡宮の覚吽院を住持した。祖父の行春と、父に就いて、内外の典籍を学び、冷泉家歌道や書道によく通じ、特に悉曇学に勝れ、かの平田篤胤に教授をしている。真言宗系修験道の当山派の惣学頭・法印大僧都に任ぜられてもいる。修験道の信仰や修行が衰退したため、それを復興しようとする意図のもとに、修験道の来歴・故事伝承・教学に関する著作を多く著している(「朝日日本歴史人物事典」に拠った)。

「書行(カクギヤウ)藤佛」(天文一〇(一五四一)年~正保三(一六四六)年)はウィキの「角行(富士講)」を参照されたいが、「藤」という字が入っているが、彼が藤原鎌足の子孫であると称したことによるものである。

「天文十一年正月廿五日」一五四二年。但し、上記のウィキでは、天文十年一月十五日(ユリウス暦一五四一年二月十日)となっている。これだと、家康の誕生年(天文十一年)とは合わないことになる。

「仙元菩薩」仙元大菩薩。富士山の女神木花咲耶姫(このはなさくやひめ:瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の妻)の神仏習合後の仏名。

「懺禮」懺悔(さんげ)。

「富士の人穴」静岡県富士宮市にある富士山の噴火で生じた溶岩洞穴。ここ(グーグル・マップ・データ)。古くから知られた。私の「北條九代記 伊東崎大洞 竝 仁田四郎富士人穴に入る」や、「柴田宵曲 妖異博物館 風穴」を参照されたい。

「桑帛」植物起源の着衣。

「田子」田子の浦。

「三穗」三保。

「内八海」富士五湖を始めとする富士山周辺の八つの湖。は泉瑞(せんずい:泉水湖(せんづのうみ)。富士吉田市にある。但し、古くはこれではなく、沼津市と富士市に跨る須戸湖(すどこ:浮島沼(うきしまぬま))とされた)・山中湖・明見湖・河口湖・西湖・精進湖・本栖湖・四尾連湖(しびれこ)。ここを水行(すいぎょう)する「内八海巡り」がある。

「外八海」霞ケ浦・中禅寺湖・榛名湖・諏訪湖・芦ノ湖・二見ケ浦・桜ケ池(静岡)・琵琶湖を指す。同じく「外八海巡り」もあった。

「御胎内」富士山が噴火した際に生じた溶岩隧道の一種で、人体の内部に似ているところからかく称され、祀られた。現在の胎内神社(グーグル・マップ・データ)が後身。

「食(ジキ)行身祿*(ミロクー)」(「*」=左から右へ「亻」+「木」+「勺」を並べた字)(寛文一一年(一六七一)年~享保一八(一七三三)年)は本名は伊藤伊兵衛。詳しくはウィキの「食行身禄」を参照されたい。

「人穴の邊に、寺、あり。開藤開山光侎(コク)寺と云ふ」明治の神仏分離令で廃されて現存しない。代わりに、人穴浅間神社(グーグル・マップ・データ)が置かれた。

「漢の張角、黃巾の賊」張角(?~一八四年)は後漢末の「黄巾の乱」の指導者。鉅鹿(きょろく:現在の河北省藁城(こうじょう)県)出身。「大賢良師」と称して「太平道」を広め、朝廷の弾圧を機に衆徒を三十六方(一方は約一万人)に編成し、自ら「黄天」と号し、漢朝の打倒を鼓吹し、一八四年二月に一斉蜂起をしたが、数ヶ月後に病死した。

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