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2022/06/09

「南方隨筆」底本正規表現版「俗傳」パート「琵琶法師恠に遭ふ話」

 

[やぶちゃん注:本論考は大正四(一九一五)年六月発行の『鄕土硏究』三巻第四号に初出され、後の大正一五(一九二六)年五月に岡書院から刊行された単行本「南方隨筆」に収録された。

 底本は同書初版本を国立国会図書館デジタルコレクションの原本画像(ここから)で視認して用いた。但し、加工データとしてサイト「私設万葉文庫」にある電子テクスト(底本は平凡社「南方熊楠全集」第二巻(南方閑話・南方随筆・続南方随筆)一九七一年刊で新字新仮名)を使用させて戴くこととした。ここに御礼申し上げる。

 本篇は短いので、底本原文そのままに示し、後注で、読みを注した。そのため、本篇は必要性を認めないので、PDF版を成形しないこととした。]

 

    琵琶法師恠に遭ふ話

 

 阿波の耳切團一の譚(鄕硏二卷四號二四九頁)と同似のもの、曾呂利物語四に「耳きれ雲市が事」と題して、善光寺内の比丘尼寺へ出入りする越後の座頭雲市が、稍久く無沙汰して後行き、三十日程前に死んだ尼慶順の靈に其寮に伴れ行かれ、二夜外出を許されず大に餓困しむ。三日目に寺中の者戶口を蹴放して彼を救出し、馬に乘せて歸國せしむる途上、今にも後より取付かるゝやう覺え或寺に入り賴むと、僧共雲市の一身に等勝陀羅尼を書附けて佛壇に立て置く、尼の靈來つて可愛や座頭は石に成つたとて撫で廻し、耳に少し陀羅尼の足らぬ所を見出し、此に殘り分ありとて引ちぎつて持去つた。本國に歸つて耳切雲市とてながらへたと云ふ。

       (大正四年鄕硏第三卷第四號)

[やぶちゃん注:「阿波の耳切團一の譚(鄕硏二卷四號二四九頁)」「耳切團一」は「みみきれだんいち」と読む。「選集」に割注して『中島松三郎「耳切団一」』とある。中島松三郎氏は事績不詳だが、この論考の当該部が、遠田勝氏の論文『オリエンタリズムと「日本」を語る「民話」のメディア展開:Lafcadio Heamの“The Story of Mimi-Nashi-Hôïch i”を例として』(『国際文化学研究:神戸大学大学院国際文化学研究科紀要』(二〇一八年十二月発行)所収。こちらからPDF版がダウン・ロード可能)の中に引かれてあるので(六ページ。PDF版の7コマ目。歴史的仮名遣だが、漢字は新字体)、以下に漢字を恣意的に正字化して電子化しておく。

   *

○耳切團一   德島縣板野郡里浦村に昔團一と云ふ盲目の琵琶法師があつた。ある夜一人の官女らしい者が來て、今宵御殿で宴會が催されるに依つて是非出て貰ひたいとの言葉に、團市は其晚早速行つた。斯くして每晚其御殿に行つてゐる中に、次第に身の衰弱するのを覺えたが、あまり氣にも止めないでゐた。ある旅僧が此村の墓地を通ると、一人の瘦衰へた琵琶法師が一心不亂に琵琶を彈いてゐる、旅僧は樣子を聞いて、目と云はず、鼻と云はず、身體中をまじなひしたが、耳を忘れて居た。翌晚になると又例の官女らしいのが來て團一を伴れて出やうとしたが、團一の身體には禁厭(ましなひ)(ママ)[やぶちゃん注:前はルビ。後者は本文。]が施してあるから中々伴れて行くことが出來ずに耳を持つて行つてしまつた。耳切團一の話として土地の人は今でも話して居る。(中島松三郞)

   *

なお、遠田氏の論文は非常に興味深い。全文を読まれることをお薦めする。また、ご存知、小泉八雲の名怪談のそれは、私のブログ・カテゴリ「小泉八雲」で、「小泉八雲 耳無芳一の話 (戸川明三訳)」として八雲が原拠としたもの(一夕散人作の読本「臥遊奇談」の巻之二巻頭にある「琵琶祕曲泣幽靈」(琵琶の祕曲、幽靈を泣かしむ))も含めて、電子化してあるので、参照されたい。

『曾呂利物語四に「耳きれ雲市が事」と題して、善光寺内の比丘尼寺へ出入りする越後の座頭雲市が、……』これは、既に『柳田國男「一目小僧その他」 附やぶちゃん注 鹿の耳(9) 耳切團一』の私の注で挿絵とともに電子化してあるので、参照されたい。そちらの本文や拙注(かなり細かく注を施してある)も大いに参考になろうと存ずる。

「稍久く」「ややひさしく」。

「後行き」「のち、ゆき」。

「伴れ行かれ」「ともなはれゆかれ」。

「餓困しむ」「うゑくるしむ」。

「蹴放して」「けりはなして」。

「後より取付かるゝやう」「うしろより、とりつかるるやう」。

「等勝陀羅尼」「選集」もそのままであるが、上記リンク先の私の電子化を見られれば判る通り、ここは「曾呂利物語」では、「尊勝陀羅尼」となっており、等勝陀羅尼なるものは私は聴いたことがないので、恐らくは熊楠の誤記か、或いは、誤植であろうと思われる。]

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