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2022/06/05

多滿寸太禮卷第三 冨貴運數の辨 / 多滿寸太禮卷第三~了

 

  冨貴(ふうき)運數(うんすう)の辨 

 中比(なかごろ)、南都に、修理太夫何某(なにがし)とかやいひて、神職の者あり。いかなる故にや、究めて貧にして、朝三(てうさん)のいとなみも安からざりしかば、職を去つて、宇田(うだ)の郡(こほり)のほとりに引《ひき》しりぞき、山林に薪(たきゞ)を取り、田畠(でんはた)を耕やし、渡世とす。

[やぶちゃん注:「朝三」「荘子」の「斉物論」や「列子」(高校漢文は後者から採ることが殆んど)で知られる「朝三暮四」の橡(とち)の実の詐術に引っ掛けて、極めて貧しい食生活で、大事な朝飯まで、こと欠くことような極貧にあったことを言っている。

「宇田の郡」奈良の旧宇陀郡。現在の宇陀市附近(グーグル・マップ・データ。以下同じ)。]

 或る時、聊か、所用ありて、郡山(こほりやま)邊(へん)に赴きしに、はからざるに、日、暮れて、道にまよひ、そこともなく、とどまり、遙かの森(はやし)[やぶちゃん注:ママ。]の内に、燈火(とほしび)、ほのかにみへければ、嬉しく思ひ、それに便りて、行きみるに、大きなる社頭(しやとう)あり。

[やぶちゃん注:「郡山」現在の大和郡山市。]

 しんしんとして神さび、夜(よ)、靜かに、更に人跡(じんせき)なし。

「いかなる社(やしろ)やらん」

と、立《たち》めぐりみるに、爰(こゝ)に、ひとつの拜殿、金銀を以つて、みがき、色どり、

「冨貴發跡司(ふうきはつせきし)」

と、額、あり。

[やぶちゃん注:「冨貴發跡司」「發跡」は「身を起こす・出世する」の意であるが、本邦では聴いたことがない神名で、如何にも大陸風である。されば、これを調べてみると、本話は、「伽婢子」その他の本邦の怪奇小説の種本御用達として知られる明の瞿佑(くゆう)の撰になる志怪小説集「剪燈新話」の巻三「富貴發跡司志」(一三七八年頃成立)が元であることが判明する。早稲田大学図書館「古典総合データベース」の原本のこちら(同巻一括PDF版)の冒頭から原文が読め、国立国会図書館デジタルコレクションの田中貢太郎訳(大正一五(一九二六)年新潮社刊)のここから、その現代語訳が読める。原話の話柄内時制は冒頭で「至正丙戌」とあり、一三四六年であることが判り、元代終末期の設定である(元が断絶して北へ逃げたのは一三六八年)。本話はほぼその話に拠って、本邦の話に改変しただけで、オリジナリティは極めて低いことが後者を通読すれば、お判り頂けるであろう。本篇の表現で躓く箇所は、概ね田中氏に訳で解明しはするのだが、インスパイアが上手くなく、展開上では、はっきりと鼻白むおかしな部分も、実は、あるので、まずは、本篇を通読してから、やおら訳本を見られることをお勧めするものである。なお、以下の注では幾つかは田中氏の訳を参考にした。

 太夫、もとより神主の職なれば、再拜拍手して、宝殿に手向(たむけ)し、祈り申けるは、

「某(それがし)、平生(へいぜい)、一冬(いつとう)一衣(いちゑ)、一夏(げ)一葛(いちかつ)、朝脯(てうほ)粥飯(しゆくはん)一盆(いつぼん)、初めより、用(よう)に過《すぎ》て、妄(みだり)におごる事、なし。然(しか)れども、身を置くにいとまなく、喉(のんど)をうるほすに、休息、なし。常に不足の患(うれへ)あり。冬、暖かなれども、『寒し』と、こゞへ、年(とし)、豊かなれども、飢に苦しむ。己《おのれ》をしるの心、なく、蓄へ、積むの守り、なし。妻子、一族にいやしまれて、伴ふに、交はりをたつ。飢難に苦しみて歎くに、所、なし。今、謀らずに、大神(おほかみ)、富貴の事を司どる權(けん)を、きく。是を扣(たゝ)けば、則ち、聞く事、あり。求《もとむ》るに得ざる事、なし。是、わが幸(さひはひ[やぶちゃん注:ママ。])に有《あり》。こひねがはくは、威嚴を新たに、告ぐるに、倘來(しやうらい)の事を以し、猶、未來の迷ひ、機(き)を指し示し、枯魚斗水(こぎよとすい)の活(くわつ)をかふむり、苦鳥(くてう)一枝(し)の易(やす)きに、つかしめ給へ。」

と、肝膽(かんたん)をくだき、再拜し、余りのつかれに、拜殿の片陰にうづくまりて、ふしぬ。

[やぶちゃん注:「朝脯」「脯」は一般に「乾し肉」の意であるが、本邦であること、主人公は神職であることから、ここは今一つの意で、前の「朝三」とも齟齬しない「果物を乾したもの」の意で採る。

「一盆」椀に一杯。やはり「朝三」に合致する。

「用に過て」最低限度の命を繫ぐ以上には。

「冬、暖かなれども、『寒し』と、こゞへ」食物の摂取量が身体を暖めるに至っていないほど乏しいからである。

「己《おのれ》をしるの心、なく」自分のことを考えるゆとりさえなく。しかし、種本原文は「出無知已之投」で、これは「知り合いの施しを受けることも出来ず」という意である。

「倘來」これは「思いがけなく得た金銭・あぶく銭」の意で、やや躓く感じがないでもない。田中氏も恐らくそう感じられたのであろう、ここを「將來」(近い未来)と訳しておられる。

「機」この状態を抜け出す契機となる様態。

「枯魚斗水の活」干乾びて死にかけた魚が一斗の水を得て復活すること。]

  やゝ深更に及びて、東西の兩殿、左右の諸社、燈燭(とうしよく)、おびたゝしくかゝやき、人馬(にんば)、騷動せり。

 只(たゞ)、太夫がいのる所の社斗(ばかり)、人、見えず。又、燈(ともしび)、幽かにして、半夜(はんや)に及ばむとす。

 忽ち、殿中に聲す。

 初めは、遠く、次第にちかく、聞ゆ。

 諸司・判官(はんぐわん)、みな、出《いで》むかへて、渴仰(かつがう)するをみれば、文紗(もんしや)の輿(こし)、かきつらね、行烈(ぎやうれつ)[やぶちゃん注:ママ。]、はなはだ嚴重なり。

 輿の内より、符君(ふくん)、端正美容(たんしやうびよう)にして、威儀を正し、神殿の正面に座し給ふ。

[やぶちゃん注:「符君」原拠では「府君」。一般的には太守・尊者などの意であるが、田中氏は『城隍祠の府君』と訳しておられる。城隍神(じょうこうしん)は中国の民間信仰に於ける土地の守護神を指す。]

  諸衞(しよゑ)・判官、悉く拜謁し、皆、本座につく。

 政事を行ひ給ふ。

 發跡司(はつせきし)の官人(くわんにん)、殿上より來たる。符君を拜して、座に着す。皆、裝束(しやうぞく)、布衣(ほい)のごとく、赤衣(しやくゑ)を着たり。

[やぶちゃん注:「布衣」ここは、出版当時の読者向けの説明で、江戸時代の大紋に次ぐ武家の礼服を指し、絹地無文で裏のない狩衣を指している。]

 各(をのをの)、判斷する所を、のぶ。一人のいわく、

「駿州三保郡(みほこほり)浦上(うらかみ)の里の、何がしの長(ちやう)が藏米(くらまい)二千石(せき)、去(さんぬ)る比より、水損(すゐそん)して相續(あひつゞ)き、米(よね)高直(かうちよく)にして、隣境(りんをく)、飢渴、野(や)に餓死の骸(かばね)、みちみちたり。藏(くら)をひらき、是れを救ふ。ないし、賣り出だすに高利をとらず。又、粥を煮て、貧乏の者に施(ほどこ)し、活(くわつ)を蒙むる者、數へがたし。昨日(きのふ)、其の郡神(ぐんしん)、本司(ほんし)に申《まうし》上げ、符君に奏す。已に天庭(てんてい)にしられ奉り、壽命十二年をのべて、を六千四百石(せき)、賜ふ。」

[やぶちゃん注:「三保郡浦上」現在の静岡県清水市清水区内と思われるが、不詳。

「水損」水害。

「高直」「こうぢき」が一般的。売値が高騰すること。

「隣境」ここは村界の意ではなく、「その地方一帯」の意。

「天庭」 天上の天帝の宮廷。]

 又、一人の曰《いはく》、

「尾州知多郡(ちたこほり)野田の何某が妻、姑(しうと)につかへて、甚だ、孝あり。其の夫(おつと)、他國に有り。姑、おもき病ひを得、巫(ふ)・醫、しるし、なし。思ひに絕《たえ》かね、沐浴結斉(けつさい)して、香を燒(たき)、諸天に訴へ、

『願はくは、身を以つて代はらん。』

と、ちかひ、丹精をぬきむでしかば、則ち、愈ゆる事を得たり。昨日(きのふ)、天符(てんふ)、下行(げぎやう)して云く、

『某の婦(ふ)、孝、天地(てんち)に通じ、誠情(せいせい)、鬼神(きしん)を伏(ぶく)す。貴子(きし)二人を產ましめ、君(きみ)の祿をはむで、其の門(もん)を光影(くわうゑい)し、終《つひ》に位《くらゐ》をすゝめて、これに報ぜん。』

と。今、已に福籍(ふくせい[やぶちゃん注:ママ。])にしるす。」

[やぶちゃん注:「知多郡野田」愛知県知多郡美浜町野間野田

「巫」巫女或いは民間に咒(まじな)い師。

「福籍」幸福な人生を送ることを約定した天帝の人命帳簿。]

 又、一人のいわく、

「相州中村官主(くわんしゆ)某、爵位、尊(たつと)く、奉祿、又、厚し。國民に報ぜん事を思はず、只、鄕民を貧(むさぶ)り、錢(ぜに)千疋(びき)を受けて、法をまげて公事(くじ)に勝たしめ、銀五百兩を取つて、非理(ひり)に良民を害す。符君、上界(じやうかい)に奏し、則ち、罪(つみ)せんとす。本人、頗る宿福あり。此の故に、是非なく、數年(すねん)をふる。いまに滅族の禍ひに、あはず。早く命(いのち)を奉りて、凶惡を、しか、す。只、時の至るを、待つのみ。」

[やぶちゃん注:「相州中村」神奈川県足柄下郡下中村か(「歴史的行政区域データセット」。地図有り)。

「官主」代官の意か。]

 一人の云く、

「城州八瀨(やせ)の里の某、田(た)、數(す)十町あり。貪欲にして、猶、あく事、なく、隣田(りんでん)の境ひを論じ、『押(おさ)へて、わが數(すう)に合(あは)せん。』とて、價(あたひ)を賤(いや)しふして、是を奪ふ。剩《あまつさ》へ、其のあたひを返さず。此の故に、先(さき)の田主(たぬし)、怒りをふくみ、終に空しく成りぬ。冥符、本司に申(まふし)て、追尋(ついじん)して獄に入る。又、身を化(け)して牛(うし)となし、生(しやう)を隣家(りんか)の主(ぬし)に托(たく)して、その負(お)ふ所を、つぐのふ。」

[やぶちゃん注:「城州八瀨」京都府京都市左京区の八瀬地区

「價を賤しふして、是を奪ふ。剩へ、其のあたひを返さず」値切りに値切って安く奪うようにして買って、しかも、その代金をさえ払わず、踏み倒したことを言っている。

「獄」冥府の牢獄。原拠の天帝が道教であるから、地獄と訳すのは上手くない。畜生に生まれ変わるというのは別に六道思想を持ち出すまでもなく、中国の民間信仰にこうした転生思想は独自にある。]

 諸司の言談(ごんだん)、終はりて、本司、怱ち、眉をあげ、目を見はりて、衆司(しゆし)に謂ひて云く、

「諸公、各《おのおの》、其の職を守り、その事を治め、善を褒美(ほうび)し、惡を罰す。天地運行のかず、生靈(しやうれい)厄會(やくくわい)の期(ご)、國、漸くおとろふ。大難、まさに至らむ。諸司、よく政斷すといへども、それこれを、いかむ。」

[やぶちゃん注:「生靈厄會の期」魂を持った存在が災厄に邂逅する定まった時期。]

 諸司、おどろき、故をとふ。本司、申給はく、

「我、たまたま、符君にしたがひ、天帝の所に上朝(てう)し、諸聖(しよせい)の將來の事を論ずるを、きく。數年(すねん)の後(のち)、兵戎(へいじう)、大きに起り、五畿内の人民(にんみん)、三十余萬、死せむ。正(まさ)に、此ときなり。自(をのづか)ら、積善(しやくぜん)、仁をかさね、忠孝の者にあらずむば、まぬかるゝ事、ならじ。生靈(しやうれい)の助けなく、塗炭(とだん)におちん。運數、已に定まる。のがるべからず。」

[やぶちゃん注:「生靈の助けなく」どうも意味がとれない。田中氏はこの前後部分を『まして、普通一般に人民では天の佑(たすけ)が寡(すくな)いから』となっている。]

 諸司、色を失ひ、各、散じ去る。

 

Huukiunsuunoben

[やぶちゃん注:挿絵は国書刊行会「江戸文庫」のそれをトリミングした。右幅の左上の木立の下に平伏した太夫がいる。以下の冒頭のシーンを切り取ったものととっておく。]

 

 太夫、初めより、つくづく、これを聞《きき》、身の毛、いよだち、ふるひふるひ、這い出でて、拜す。

 本司、つくづく見給ひ、小吏に命じ、薄札(はくさつ)を取りよせて、太夫に告げ給はく、

「汝、後(のち)に、大に、福祿、あらん。久しき貧窮に、あらず。今より、日々《ひにひに》に安(やす)かるべし。暗きより、明(めい)にむかふがごとくならん。」

 太夫、申けるは、

「願はくは、其の詳かなる事を、示し給へ。」

と申せば、則ち、朱筆(しゆふで)を取りて、大きに十六字を書して、是れを授けて云く、

「日に逢ひて康(やす)く、月にあふて發(はつ)す。雲に逢ふておとろへ、因《いん》によつて沒せん。」

[やぶちゃん注:「十六字」原拠では「遇日而康 遇月而發 遇雲而衰 遇電而沒」とある。後注参照。]

 太夫、これをいたゞき、懷中して、再拜し、出《いづ》ると思へば、夜、已に明(あ)く。

 いかなる社(やしろ)ともしらず、懷中を搜るに、朱書、なし。則ち、歸りて、妻子に告げて、悅びあへり。

 數日(すじつ)ならずして、同所日比野(ひゞの)何がしと云ふ者、太夫に神道の傳授して、月ごとに、三石(せき)の米穀を送る。

 是れより家居(いゑゐ)も安く、その館(たち)を作る。

 數年(すねん)にして、應仁の兵亂(へうらん)、出で來て、細川・山名、大に戰ひ、五畿七道、悉く、亂る。

 山名が軍族に、斯波(しば)の某、神道の士を好む。

 修理太夫、策(むち)を加持して獻ず。

 其の心に叶ひ、則ち、幕下に奉士(ほうし)して、馬(むま)・物具(ものゝぐ)・僕從、あたりをかゝやかし、一所懸命の地を領す。

 同役に、桃井雲栖齋(もゝのいうんせいさい)といふもの、太夫と、甚だ不和にして、さまざま、讒言して、遂に、斯波の領國、因州一郡の代官とす。太夫、心に、

『かの神詫(しんたく)の、「日(じつ)」・「月(げつ)」・「雲(くも)」の三字、みな、驗(しるし)あり。』

 深く、恐れつゝしみ、敢へて非義(ひぎ)をなさず。已に二とせを送る。

 或る時、太夫が支配の領地に、往來の道を造る。その領境(れうざかい)の札(ふだ)を書する事を乞ふ。

 則ち、太夫、筆を下して、

「因州何のさかい」

とかく内に、風、怱ちに吹きて、「因」の字の下に一尾(いつび)を曳き出だし、一の「因」の字を、なす。大きに心にかけて、下夫(しものふ)に命じて、かへざらしむ。

 此の夜(よ)より、疾ひを煩らひ、自(みづか)ら、愈《いえ》がたき事を知りて、湯藥(とうやく)を用ひず。家財・譜・寶を書き置きし、妻子にいとま乞ひし、遂に死す。

 神の述ぶる所は、聊かも違(たが)ふ事なし。將來の事、露斗(つゆばかり)も違はずして、應仁の兵亂(ひやうらん)うちつゞき、畿内近國の戰死の者、豈(あに)三十萬のみならんや。是れを以つて、つくづく思へば、普天(ふてん)の下(した)、率土(そつと)の濱(ひん)にして、一身(しん)の榮枯通塞(つうそく)、大いにして、一國の興衰治亂、みな定數(でうすう)あり。博移(ばくしや)すべからず。妄庸(まうよう)の者、則ち、智術を其間にほどこさむとす。いたづらに、みづから、くるしむもの、ならじ。

[やぶちゃん注:「日比野何がし」不詳。但し、この「日」が先の本司の示した「十六字」の「日」に当たる。

「山名が軍族」「斯波の某」この当時の斯波姓で山名方となると、斯波義廉(よしかど 文安二(一四四五)年~?)がいる。室町幕府管領にして越前・尾張・遠江守護。彼の母は山名宗全の伯父山名摂津守(実名不詳)の娘とされている。しかし、順序から言うと、この男の名に前述の「月」がなくてはならないのにそれがないのが、不審である。「あたりをかゝやかし」はあるが、これを「月」と採るのは、太夫の側の盛隆の表現であり、逆立ちしても、これは「月」ではない。なお、次の次の注で、彼ではないことが判る。

「桃井雲栖齋」不詳。但し、これが先の十六字の「雲」である。

「斯波の領國、因州一郡の代官とす」斯波義廉は御覧の通り、因幡を領地として持っていないから、彼ではない。なお、原拠では明白で、主人公(何友仁(かゆうじん))が出逢うのが、群の豪家「英」で、次に逢うのが、「大師達理沙」で、最後に絡む同僚の名が、「石不花」という人物である。作者は何故、適当な人物として「月」を含む名を出さなかったのか、甚だ不審である(「秋月」でもなんでもよかろうに)。それとも「斯波」という姓には「月」が隠れているんだろうか? 識者の御教授を乞うものである。なお、原拠は最後の死に至る予言では、先に示した通り、「遇電而沒」で、友仁は雷州の書記官に左遷されたが、ある時、上申書で「雷」の字を書こうとして、同じように風が吹いて、「電」の字になってしまい、ほどなく亡くなったというすこぶる判り易い話になっているのである。「日」・「月」・「雲」・「電」の自然現象としての親和性といい、「因」の字の書き間違いというヘンテコなオリジナルを接いだ作者は、完全に失敗しているとしか思えないのだが……

「非義」抗議。

『「因」の字の下に一尾(いつび)を曳き出だし、一の「因」の字を、なす』かったるい言い方で、「因」の字の下方に「因」の字に接して墨は一画入ってしまったような字になってしまったのである。

「譜」「譜寶」という熟語は私は知らないので、分けた。「譜」は「彼の家系譜」(を記す)という意味で採った。或いは、家財家宝のリストかも知れぬが、だったら、この文字列は私は不審である。

「博移」意味不明。

「妄庸」愚劣。]

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