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2022/06/01

「南方隨筆」底本正規表現版「俗傳」パート「泣き佛」

 

[やぶちゃん注:本論考は「一」が大正三(一九一四)年六月発行の『鄕土硏究』二巻四号に初出され、後の大正一五(一九二六)年五月に岡書院から刊行された単行本「南方隨筆」に収録された。標題は「なきぼとけ」。

 底本は同書初版本を国立国会図書館デジタルコレクションの原本画像(ここから)で視認して用いた。但し、加工データとしてサイト「私設万葉文庫」にある電子テクスト(底本は平凡社「南方熊楠全集」第二巻(南方閑話・南方随筆・続南方随筆)一九七一年刊で新字新仮名)を使用させて戴くこととした。ここに御礼申し上げる。

 本篇は短いので、底本原文そのままに示し、後注で、読みを注した。そのため、本篇は必要性を認めないので、PDF版を成形しないこととした。]

 

 

    泣 き 佛 (鄕硏一卷一八三頁參照)

 此話は本邦に多い。淚を垂る斗りのと、聲を擧て泣くのと有るらしい。日本靈異記卷中に、和泉の盡惠寺の佛銅像、盜に頸を鍗られ、手足を缺れ、痛哉々々と哭し事、又諾樂の葛木尼寺の彌勒銅像盜に破られ、痛哉々々と叫びし事を載す。文明中筆せる南都七大寺巡禮記には、招提寺講堂の金銅の彌勒の脇士大妙相菩薩の像、昔盜人に遇て、痛哉々々と叫んだので、捨去たと有る。倭漢三才圖會六七に、鎌倉扇谷海藏寺、本尊啼藥師、相傳、昔此山土中、每夜兒啼、開山源翁禪師、怪見其地、有小墓放金光、則脫袈裟、蔽ㇾ之、啼聲止焉、掘ㇾ之有藥師木像、一頭而無體手足、別作一軀、收其腹内。寶物集三と曾我物語七に、園城寺の内供智興重病なるを、晴明卜ひて、弟子の中に代らんと志す人有ば、祭り替んと云ふ。證空阿闍梨時に年十八、八旬に餘る老母を思ひ捨て、晴明の祈に依て、師の病を己れ受て、苦痛忍び難かりせば、年來賴める繪像の不動明王を睨み、淨土に迎取ん事を請ふ。不動の繪像卽ち證空の病苦を引受け、頂より猛火燻り、五體に汗、眼より紅の淚を出すとあるから、血の淚垂れ乍ら聲を立なんだ。不動は流石に男らしい。「去ば三井寺に、泣不動として寺の寶の其一也。流させ給ひし御淚紅にして、御胸迄流れ懸りて、今に有とぞ承はる」とある。また長明の發心集卷五にも有る。支那の例は、唐の釋道宣の三寶感通錄二に、荆州城内の阿育王の作なる金佛像は、凶事有る前に淚又汗を流した。又襄州峴山の盧舍那佛の木像は、隋亡ぶる前、唐太宗崩ずる前等に、兩鼻の孔から涕を垂れ、自身懷中の金薄が剝起と有る。この像長五丈と云へば、涕の二本棒も隨分見事だつたらう。一八二一―二年板「コラン、ド、プランチー」の遺寶靈像評彙卷三、一〇八頁に據ると、歐州で、土曜日の午後績ぐと、聖母が泣くてふ俗說が行はるゝ相な。

       (大正三年鄕硏第二卷第四號)

[やぶちゃん注:「選集」では添え辞が標題の後の改行下方インデント二行で、『中西利徳「泣き佛」参照』『(『郷土研究』一巻一二号一八三頁上段)』とある。

「日本靈異記卷中に、和泉の盡惠寺の佛銅像、盜に頸を鍗られ、手足を缺れ、痛哉々々と哭し事、……」「日本靈異記(にほんりやういき)」は平安初期の仏教説話集。正しくは「日本國現報善惡靈異記」。全三巻。薬師寺の僧景戒(きょうかい)の著。弘仁一三(八二二)年頃の成立。雄略天皇から嵯峨天皇までの説話百十六条を年代順に配列する。その多くは善悪の応報を説く因果譚である。所持する角川文庫(昭和五二(一九七七)年十八版・板橋倫行校注)及び『新潮日本古典集成』(昭和五九(一九八四)年刊・小泉道校注)を参考に訓読(原文は漢文。国立国会図書館デジタルコレクションの「校本日本靈異記」(昭和四(一九二九)年日本古典全集刊行会刊)のここを参照。こちらの訓点も参考にした)して示す。中巻の「佛銅像盜人所捕示靈表顯盜人緣第廿二」である。

   *

 

佛(ほとけ)の銅像、盜人(ぬすびと)に捕られて、靈(くす)しき表(しるし)を示して盜人を顯(あら)はす緣(えに)第廿二

 

 和泉の國日根(ひね)の郡(こほり)の部内に、一(ひとり)の盜人有り、道路(みち)の邊(ほと)りに住む。姓名、未だ詳らかならず。天年(ひととなり)、心、曲り、殺盜(せつたう)を業(わざ)とし、因果を信(う)けず。常に寺の銅(あかがね)を盜み、帶(おび)[やぶちゃん注:板状の銅板。]に作(な)して衒(てらは)し賣る[やぶちゃん注:これ見よがしに売り捌いていた。]。聖武天皇の御世に、其の郡の盡惠寺(じんゑじ)の佛の鐌(ざう)、盜人に取らる。時に、路(みち)往く人、有り、寺の北の路より、馬に乘りて往く。聞けば、聲、有りて、叫び哭(な)きて曰はく、

「痛きかな、痛きかな、」

といふ。

 路ゆく人、聞きて、

『諫めて、打たしめず。』

と思ひ、馬を趍(は)せて疾(と)く前(すす)めば、近づくに隨ひ、叫ぶ音(こゑ)、漸(まにま)に、失(う)せて、叫ばず。

 馬を留(とど)めて聞けば、唯、鍛(かぢ)する音のみ、有り[やぶちゃん注:金属を打つ音が聴こえるだけであった。]。

 所以(ゆゑ)に、馬を前めて過ぎ往(ゆ)く。

 却(しりぞ)くに隨ひて、先のごとく、復(ま)た呞(さけ)び呻(によ)ふ[やぶちゃん注:呻(うめ)く。]。過ぐるに忍(た)へ得ざるが故に、更に還り來たれば、叫ぶ音、復た、止みて、鍛(かぢ)する音、有り。

 疑ふらくは、

「若(も)し、人を殺せるか、必ず、異(け)しき心、有らむ。」

と、良(やや)久(ひさ)に徘徊(たちもとほ)り、竊(ひそ)かに從者(ともびと)を入れて、屋内(やぬち)を窺(うかが)ひ看(み)しむれば、佛の銅像を、仰(あふの)け奉り、手足を剔(えぐ)り缺(か)き、錠(たがね)を以つて頸を鍗(き)る。

 卽ち、捕へ、打ち問ひて、

「何(いづく)の寺の佛像ぞ。」

といふ。答ふらく、

「盡惠寺の佛像なり。」

といふ。

 使を遣して問へば、實(まこと)に盜まれたり。

 使者(つかひ)、語(こと)を擧げて、具さに狀(かたち)を述ぶ。

 僧並びに檀越(だにをち)、聞きて、集(つど)ひ來たり、破(やぶ)れたる佛を衞(かく)みて[やぶちゃん注:囲んで。]、號(な)き愁(うれ)へて曰はく、

「哀しきかな、懇(あから)しきかな[やぶちゃん注:おいたわしいことよ。]。我が大師、聊かに何の過失(あやまち)有りて、此の賊の難を蒙(かが)ふりたまふ。尊像(みかた)、寺に有(いま)せば、像を以(も)て師とす。今、滅びしより後は、何を以て、師とせむ。」

と、まをす。

 衆(もろもろ)の僧、み輿を嚴(かざ)り、損(やぶ)れたる佛を安置(あんぢ)し、哭きて、寺に殯(もがり)し、彼(そ)の盜人を、刑-罰(う)たずして、捨つ。

 路ゆく人、繫(つな)ぎて、官に送り、囹圄(ひとや)に閉-囚(とりあ)へてき[やぶちゃん注:監獄に押し込めた。]。

 定めて知る、聖(ひじり)[やぶちゃん注:仏像を指す。]、其の惡を輟(や)めて、是の瑞(しるし)を示しやまひしことを。至誠(しじやう)、懼るべし。聖靈(しやうりやう)無きに非ざることを。「涅槃經」十二卷の文(もん)に、佛の說くがごとし。

「我が心、大乘を重みす。婆羅門の、方等(はうどう)を誹謗すと聞き、其の命根(めいこん)を斷たむ。是の因緣を以て、是れより以來(のち)、地獄に墮ちず。」

と、いへり。

 又、彼(そ)の經三十三卷に云はく、

「一闡提(いちせんだい)の輩(ともがら)[やぶちゃん注:仏となるべき因子を持たない者。]は、永く斷滅せむ[やぶちゃん注:滅ぼそう。]。故に、是の義を以ちての故に、蟻(あり)の子を殺害(せちがい)するだに、猶ほ、殺罪を得れども、一闡提を殺すは、殺す罪、有ること、無し。」

とのたまへるは、其れ、斯れを謂ふなり【此の人は佛法僧を誹-謗(そし)り、衆生の爲に法を說かず、恩義無きが故に、殺すとも、罪、無き者なり。】。

   *

「和泉の國日根の郡」現在の大阪府泉南郡・和佐野市・貝塚市の一部。この中央附近(グーグル・マップ・データ。以下同じ)。「盡惠寺」現存せず、所在不詳。

「諾樂の葛木尼寺の彌勒銅像盜に破られ、痛哉々々と叫びし事を載す」前篇の次にある「彌勒菩薩銅像盜人所捕示靈表顯盜人緣第廿三」。同前で、以下に示す。

   *

 

彌勒菩薩の銅像、盜人に捕られて、靈表を示し、盜人を顯はす緣第二十三

 

 聖武天皇の御世に、勅信(ちよくしん)[やぶちゃん注:朝廷の官吏で巡察する者。]、夜を巡りき。京(みさと)の中を行く。

 其の半夜(よなか)の時、其の諾樂(なら)の京の葛木(かつらぎ)の尼寺の前の南の蓼原(たではら)に、哭き叫ぶ音(こゑ)、有り、言はく、

「痛きかな、痛きかな、」

と、いふ。

 勅信、聞きて、馳せ陳(つら)ねて見れば[やぶちゃん注:馬を並び奔らせて見たところが。]、盜人、彌勒菩薩の銅像を捕り、石以(も)て、破る。

 打ち捉へて問へば[やぶちゃん注:捕縛して詰問したところ。]、答へ白(まを)して曰はく、

「葛木の尼寺の銅像なり。」

と、まをす。

 此の像を、寺に置き、然して、彼(そ)の盜人を官に送り、囹圄(ひとや)に閉囚(とりあ)へてき。

 夫れ、理法身(りはふしん)の佛(ほとけ)は、血肉の身に非ず。何(なん)ぞ痛む所、有らむ。唯(ただ)、常住不變を示したまふ所以(ゆゑ)なり。是れも亦、奇異(あや)しき事なり。

   *

「葛木の尼寺」平城京の左京五条六坊にあた聖徳太子の創建になる寺だが、現存しない。現在の奈良県奈良市大安寺西二丁目

「文明」一四六九年から一四八七年まで。

「南都七大寺巡禮記」国立国会図書館デジタルコレクションの「大日本佛敎全書」第百二十巻「寺誌叢書」の第四(大正一一(一九二二)年全巻完結・仏書刊行会編)の「招提寺」の「講堂」(ここの下段)にある(漢文)。

「大妙相菩薩」弥勒三尊像の左脇侍(向かって右)。

「遇て」「あひて」。

「捨去た」「すてさつた」。

「倭漢三才圖會六七に、鎌倉扇谷海藏寺、本尊啼藥師、相傳、……」地誌パートの「扇谷(センコク)山海藏寺」の条。所持する原本で当該条全文を訓読する。

   *

扇谷山海藏寺 扇谷(あふぎがやつ)に在り。 寺領一貫二百文【建長寺の領の内。】

 本尊 薬師【俗称「啼藥師」(なきやくし)。】

 開山源翁禪師【初めは、曹洞宗。後、大覺禪師の嗣法。臨済派と爲(な)る。】

 當寺、昔は、別山たり。天正中より建長寺の塔頭(たつちゆう)に屬す。相ひ傳ふ、昔し、此の山の土中に、毎夜、兒(こ)、啼(な)く。源翁、恠(あや)しみて、其の地(ところ)を見れば、小さき墓、有り、金光を放つ。則ち、袈裟を脫ぎて、之れを蔽(おほ)へば、啼く聲、止む。之れを掘るに、藥師の木像、有り、一頭のみにて體・手足、無し。別して、一軀と作(な)し、其の腹の内に收む【源翁の傳、奥州會津の下に出だす。】。

   *

私の「新編鎌倉志卷之一」の「海藏寺」の項に(ユニコード以前の電子化であるため、漢字が不全なのはお許しあれ。「海藏寺」でページ検索されたい。因みに、そちらでは同寺についてのマニアックな私のダラダラ注があるので、是非、見られたい)、

   *

佛殿 本尊藥師、是啼(ナキ)藥師と云ふ。相傳ふ、昔し、此山の土中に、每夜小兒の啼(ナ)く音(コ)ヘしけるを、源翁。怪しく思ひ、其處を見るに小墓(コツカ)あり。金色の光を放ち、異馨、四方に薫ず。立(タ)ち寄(ヨ)つて袈裟を脫(ヌ)ぎ、墓(ツカ)におほへば、啼(ナ)く音(コヘ)やみけり。夜明(ア)けて、此墓を掘(ホ)りてみけるに、藥師の木像、頭面のみあり。少も不朽(朽(ク)ちず)して鮮(アザ)やかなり。則ち、藥師の像を刻み、其の腹中に收め置たり。故に里俗、「啼藥師(ナキヤクシ)」と云ふなり。

   *

とあり、良安の記載もこれに従ったものと思われる。

「寶物集三と曾我物語七に、園城寺の内供智興重病なるを、晴明卜ひて、……」「寶物集」(ほうぶつしふ)は鎌倉初期の仏教説話集。平康頼作。治承年間 (一一七七年~一七八一年)の成立か。鬼界ヶ島から赦免されて京に帰った康頼が、嵯峨の釈迦堂(清凉寺)に詣でて、参籠の人々との語らいを記録したという結構を持つ。世の中の真の宝は何かについて語り合われ、まず「隠れ蓑」、次いで「打ち出の小槌」・「金(こがね)」と,順次に、これこそ第一の宝であるとするものがもち出されるものの、最後に、僧によって、仏法が第一の宝であると主張され、その僧が例話を挙げて、そのことを説明する構成となっている。法語的説話集の先駆けとなり、「撰集抄」・「発心集」などに影響を与えた。「曾我物語」のそれも含めて、『「南方隨筆」版 南方熊楠「牛王の名義と烏の俗信」 オリジナル注附 「一」の(1)』でも。熊楠は同じことを言及しているため、注してあるから、そちらを参照されたい。

「有ば」「あらば」。

「祭り替ん」

「祈に依て」「いのりによつて」。

「己れ受て」「おのれうけて」。

「難かりせば」「がたかりせば」。

「年來」「としごろ」。

「迎取ん」「むかへとらん」。

「頂」「いただき」。頭頂。

「猛火」「みやうくわ」。仏語。「ミヤウ(ミョウ)」は「猛」の呉音。激しく燃える火。勢いよく燃え上がる炎。不動のアイテム。

「燻り」「くすぶり」。

「眼」「まなこ」。

「紅」「くれなゐ」。

「立なんだ」「たてなんだ」。

「去ば」「されば」。

「其一也」「そのひとつなり」。

「長明の發心集卷五にも有る」これは「卷六」の誤り(「選集」も誤ったままである)。同じく国立国会図書館デジタルコレクションの「大日本佛敎全書」第百四十七巻のここで読める。

「唐の釋道宣の三寶感通錄」盛唐の道宣(五九六年~六六七年)撰の「集神州三寶感通錄」。

「荆州」荊(けい)州。ここ

「阿育王」古代インドのマウリヤ朝の第三代の大王にして仏教の守護者として知られるアショカ(在位紀元前二六八年頃~ 紀元前二三二年頃)。

「峴山」「けんざん」。中国湖北省襄陽県の南にある山。ここ

「涕」「はな」。鼻水のこと。

「金薄」「きんぱく」。金箔。

「剝起」「選集」では『剝げおちた』と訓じてある。

「五丈」一丈は隋代で二・九五メートル、唐代で三・一一メートル。

『一八二一―二年板「コラン、ド、プランチー」の遺寶靈像評彙卷三、一〇八頁』コラン・ド・プランシー(J. Collin de Plancy 一七九四年或いは一七九三年~一八八一年或いは一八八七年)はフランスの文筆家。‘Dictionnaire critique des reliques et des images miraculeuses’(「遺物と奇跡のイメージに関する批評的辞書」)。

「績ぐ」「つむぐ」。

「相な」「さうな」。「と言うらしい」の当て字。]

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