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2022/07/26

曲亭馬琴「兎園小説別集」下巻 高野大師色葉

 

[やぶちゃん注:底本の国立国会図書館デジタルコレクションの「新燕石十種」第四では本篇はここから。吉川弘文館随筆大成版で、誤字と判断されるものや、句読点(私が添えたものも含む)などを修正した。これも「けんどん」争いで絶交した直後の美成の記録。]

 

   ○高野大師色葉【印本。】

尾張八事山興正寺諦忍の以呂波問辨に云、問、此いろ葉の宇體は、弘法大師の作と云事、慥なる證ありや。答、イカニモ、的證、在なり。雲州神門郡の神門寺に、大師眞跡の以呂波あり。最初、以呂波制作の時の筆にして、此寺の重寶なり。時の住持も一代に一度ならでは、封を發きて拜見せぬ作法なり。別に尊圓親王の寫も、一通、添て、在なり。至極、信なることなり。庭前に以呂波石と名づくる石も在なり。今、その眞跡を寫して見せしめんとて、大師眞跡のいろはの草本を載たり。美成、按ずるに、靑李庵漫錄中に載するもの、卽、是なり。しかれども、問辨に載する所のものは、末に數字あり。漫錄中のものは、數字なくして、空海の二字あり。おもふに、この空海の二字は、後人の所爲なるべし。さて、此大師眞跡のいろはは、かく、その傳來も正しく、且、今も現存のものにて、疑ふべきものにあらず。已に三國筆海全書に載せ、また、輪池翁、草刻の本もありけり。

[やぶちゃん注:以下は底本では全体が一字下げ。]

此大師いろはの事、又、假名世說に載たり。これも先のごとく、本文にいろはの事あるをもて、抄し、贈りしなり。

 文政八年乙酉仲夏    北峯山崎美成撰

[やぶちゃん注:「色葉」「いろは」。知られた平安時代の頃から親しまれた、所謂、「いろは歌」は、永く院政期以降、平安初期の弘法大師(空海宝亀五(七七四)年~承和二(八三五)年)の作とされてきた。但し、近年では、空海より後の時代に作られたという説が有力である。詳しくは当該ウィキを読まれたい。

「尾張八事山興正寺」「八事観音」(やごとかんのん)として親しまれている、愛知県名古屋市昭和区八事本町(やごとほんまち)にある高野山真言宗八事山遍照院興正寺(こうしょうじ:本尊は大日如来)。ここ(グーグル・マップ・データ。以下、指示なしは同じ)。

「諦忍」江戸中期の真言律宗僧諦忍妙龍(たいにんみょうりゅう 宝永二(一七〇五)年~天明六(一七八六)年)。美濃国出身で、八事山興正寺第五世。当該ウィキによれば、『諦忍には国学への関心があり』、「伊呂波問辨(いろはもんべん)」という『著書では神代文字』(じんだいもじ/かみよもじ)『が実在していたと主張』している。『この著書は』、『太宰春台や貝原益軒の非存在説に対して反駁したもので、「儒者の癖として日本に生まれながら中国を崇めるあまり、日本にはもともと文字がなかったと思いこんでいる」と難じている。また古い神社には「神字」の記録が残されているとして』、「平岡宮」(現在の大阪府東大阪市出雲井町(いずもちょう)にある枚岡神社が後身とする)と「泡輪宮」(不詳。一説に「泡」は「阿波」で金刀比羅宮とするようである)『を例として挙げる』。安永七(一七七八)年に『尾張国の僧で金龍敬雄という者が』、「駁(ばく)伊呂波問辨」を『書いて神字があるなら』、『見せてみよとせまるのに対して、同じ年に』、「神國神字辨論」を著わし、鎌倉の鶴岡八幡宮の『宝庫にあったという神代文字を謄写して掲げた。神代文字と称されるものが書物に載ったのはこれが初めてという』とある。注に、『鶴岡八幡宮を訪れた』神代文字の近代の研究者であった宮崎小八郎(?~昭和一九(一九四四)年)が鶴岡八幡宮の『宮司に面会し、秘蔵の神代文字を拝観したい旨を伝えると、宮司は「その神代文字というのは平田篤胤の本に書いているが、今日』、『当社には存在していない」と答え、無くなった理由も要領を得なかった』ともある。もともとなかったんでは? と勘繰りたくなるな。因みに私は昔も今も「神代文字」はいかがわしいナショナリズムに過ぎないと思っているし、学術的にも否定されている(当該ウィキなどを見られたい)。なお、同書は「早稲田大学図書館「古典総合データベース」のこちらで、宝暦一四(一七六四)年の刊本が見られる。

「在なり」「あるなり」。

「雲州神門郡の神門寺」現在の島根県出雲市塩冶町にある天応山(てんのうざん)神門寺(かんどじ)。別名を「いろは寺」と呼ぶ。Life-Like氏のブログの「【旅の記:出雲&松江④天応山神門寺】」には、『空海作と有名な「いろは四十八文字」をここから広めたとかで』、『かな文字の直筆が収蔵されていて、「この世から文字が失われた時に掘り返してみよ」といって、裏に「いろは歌」を刻んだとされる、「弘法の石」ってのがあるらしい』とあった。

「尊圓親王」(永仁六(一二九八)年~正平一一(一三五六)年)は南北朝時代の書家で青蓮院第十七世門跡。伏見天皇第六皇子。世尊寺流の書を学んだ後、小野道風や藤原行成の書や、中国の書風をも取り入れて、青蓮院流を確立したことで知られる。

「靑李庵漫錄」「靑李庵」は「耽奇会」のメンバーに名前があり、「兎園飼会」でも三度、馬琴自身が客篇として彼のものを記している。その中の一つ、『「兎園小説」(正編) 花』で正体が判る。京の一条千本東に住む書家角鹿清蔵の号である。しかし、この随筆はネット検索では見当たらなかった。

「問辨に載する所のものは、末に數字あり」早稲田大学図書館「古典総合データベース」の単体画像のこれ。「一二三四五六七八九十百千万億」とある。なんだか、「なんでも鑑定団」みたようじゃな。

「三國筆海全書」真幸正心(まさきせいしん 慶長一三(一六〇八)年~延宝二(一六七四)年:江戸前期の書家。薩摩出身。名は忠次。書を以って常陸水戸藩に仕えた)が書いた書道書。慶安五(一六五二)年跋。

「輪池翁」馬琴の盟友屋代弘賢。]

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