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2022/07/30

曲亭馬琴「兎園小説別集」下巻 下野國安蘇郡赤岩庚申山記 / 「兎園小説別集」~了

 

[やぶちゃん注:底本の国立国会図書館デジタルコレクションの「新燕石十種」第四では本篇はここ。吉川弘文館随筆大成版で、誤字と判断されるものや、句読点(私が添えたものも含む)などを修正した。最後の四言古詩のみ、一段で組み、各句末の底本の読点は除去した。

 本篇を以って「兎園小説別集」は終わっている。]

 

   ○下野國安蘇郡赤岩庚申山記

 

Asogunakaiwakousinki0

 

Asogunakaiwakousinki

 

[やぶちゃん注:画像は標題の前にあるが、標題の後に移した。国立国会図書館デジタルコレクションの底本からトリミング補正した。最初のものは、囲み文字二行分けで、罫外の下方中央にポイント落ちで『◎圖省略』とある。ハイハイ、後にしっかり入れておきましたよ!

下野國安蘇郡

赤岩庚申山記

とある。後者は、囲み罫線で四分割されてある。以下に文字列のみを電子化すると、初めの縦長の一本の枠内に、

庚申山東西道中記

とあり、次いで中央の上下三段の枠内の最上段に、

江戶より熊谷へ十六里

熊谷より中瀨へ四里

中瀨より大原へ三里

大原より大間へ二里

大間より花輪へ三里

花輪より澤入へ三里半

澤入より足尾ヘ二里半

足尾より庚申山

とある。次に、中段に、

高崎より前橋へ三里

前橋より大胡へ三里

大胡より寶澤へ二里

寶澤より保澤へ二里

保澤より花輪へ二里

花輪より澤入へ三里半

澤入より足尾ヘ二里半

足尾より

とある。最後の下部の三段目に、

日光より細尾へ二里

細尾より峠ヘ一里半

峠より神子内ヘ一里半

神子内より足尾へ二里

足尾より

案内者  玉屋

赤澤村    宇兵衞

     八百屋

松原村    孫右衞門

     名主

       久右衞門

とある。最後の縦長の一本の枠内に、

四月八日より九月九日まで登山其外足尾宿に庚申山案内所有ㇾ之、

とある。ここに出る地名は注すると、煩瑣を極め、しかも、労多くして、実無しの感があるので、注しない。悪しからず。]

日本紀に曰、天地混成の始め、神人あり。可美葦牙彥男尊と申。又の名は國常立尊、此神の神胤伊弉諾、伊弉册尊、土を胎て國を生む云々。

是、人智を以、神世の事跡の議り知るべからず、天造の自然なり。仰げば高き大日本日高見の國、下野日光山の西にあたり、道程七里にして、足尾宿に至る。それより凡十町餘にして、又、二十町の登りあり。此峠より、又、十町餘り下る。此所より銀山まで、一里の間、澤傳ひ、是より登り三里餘にして、庚申山の胎内竇[やぶちゃん注:「くぐり」。]と云岩窟に至る。此石室に休息し、是より奧の院まで一里と云。胎内竇、凡、廣さ十坪餘、それより二十間ほど登りて、左右に大石あり。高さ五、六丈、形、二王の如し。是、天工の妙なり。又、登ること一町餘にして、臺石あり。廣さ五坪餘、自然にして砥の如し、立て四方を眺ば、則、山中の風景、座ながらにしてつくすベし。是より下ること二間餘、甚だしき險阻なり。鬼の鬚礱(ひげすり)と云。又下ること二町餘にして、自然の石橋あり。其長さ二間餘、廣さ五、六尺、此橋より少登りて、自然の石門あり。是を一の門と云。東向なり。大さ二十間餘、中間二間餘、左右の小竇各九尺計、門の形狀、瑟柱の如し。これより二町餘にして、左の幽谷より、數十尺の大石高く、塔の如く、櫓の如くにして、叢樹、頂上に生じ、是又、奇といふべし。又、下ること二町餘にして、裏見が瀧あり。幅五、六尺もあらん。その高さ、知難し。是、日光山の瀧に似て、其奇は、又、是にまさる。是より登り五町餘にして、右に五の大石あり。其色、白し。文字石と云。高さ、計難し。庚申の文字ありと云傳ふ。末よまず、又、登り下ること、一町餘にして、石門あり。是を二の門と云。大さ三間餘、中央通り九尺程なり。此門内、一町餘にして、燈籠石あり。高、四、五丈、又、登ること、數百步にして、遙に鐘石を見る。高、二、三丈、蘿(こけ)、生(むし)、兎絲(とし)生じ、眞に庚鐘の如し。又、下ること數百步にして、石橋あり。長さ十二、三間にして、丘より岑に跨り、橋下、谷、深くして、雲、生じ、澗底、見えず。恰、虹のごとし。しらず、是を仙境といはんや。寶藏石、舟石、釜石、龜鶴石、引出し石、二重の塀石にして巖々たり。天造奇構の妙といふべし。又、岩窟、數處あり。豈、上世穴居の址にあらずや。又、蹲々たる三窟あり、奧の院と云。屹として高き事、二、三丈、嶙として近づく事、あたはず。其形、中は方、左は三角、右は圓、孰、規矩を以て作るが如し。口、各、八、九尺、所謂、稚日孁尊、猿田彥命、素盞嗚尊鎭座の舊跡か。庚申山と尊稱す。神祇官の記に云、庚申の日、三神を奉拜すと、されば、貴賤尊敬すべし。神前に三の猿石あり。所謂、視るなかれ、聽なかれ、言ふなかれの箴にして、其狀、人に似たり。みな、活石也。右に陟る事、數百步にして、東のつまと云所あり。眺望、甚、よし。又、下ること、四町餘にして、大石あり。平岩と云。長三十間計、高一丈餘、建屛の如し。此石のきれめの間より、八町餘下れば、胎内竇の東方に出る。是此、神境、人寰を避る事、遠く、ことに絕險の地にして、古今、是をしる人、少し。中古人皇四十八代稱德天皇の御宇、神護景雲元年丁未歲、釋勝道、始て二荒山を開き、遂に此山に登り、神を拜すと云傳ふ。今を去ること一千五十有餘年なり。又、元祿年中、こゝに登るものあり、既に下りて奇を諸人に語り、再遊を謀りて、はたさず。此事を聞傳へ、糧を裹にし、登るものありといへども、容易に及ぶ所にあらずして止る。しかるに、余、先年、藥を名山にとり、此山の岩窟を探り、深く信仰の思ひを增、遂に道を造り、佳境を開くの志を發するといふこと、しかり。

 文政三年庚辰四月、再興道普請願主

    下野都賀郡三谷村佐野半兵衞藤原一信

    神祗伯二位王府祠官源朝臣臣彥謹記

              應需松本樂山書

 あふぎみよしらぬかみ代のむかしより

      今にみやまのおくのいはくら

藥品產物、追而悉記すべし。 

 黃連  熊膽  兎絲  内蓯蓉 ヱフリユ

 岩茸  細辛  蠟石  銀銅  錫鉛

 貫衆  當歸  石斛  綠靑  靑礞石

 白石英 石鍾乳 石膏  滑石  孔雀石

 鳳凰石  山玄玉

   邵康節幽明吟

明有日月

幽有鬼神

日月照ㇾ物

鬼神體ㇾ人

明由ㇾ物顯

幽由ㇾ人陳

人物不ㇾ佗

幽明何分

 

 

 

兎圖小說別集下卷

[やぶちゃん注:「下野國安蘇」(あそ)「郡赤岩庚申山記」栃木県日光市南西部にある円錐状成層火山。侵食が著しい。庚申山は標高千八百九十二メートル。「赤岩」は浸食のそれによる地肌の露出でかく冠したかと思ったが、サイト「Yamareco」のtaka0129氏の「皇海山…クラシックルート」の山行記録を見たところ、地図の庚申山の西方の鋸山を南下した標高「1836.1」とある「三等三角点」が、「基準点名 赤岩」(写真[18])とあったので、一応、これも現行ではピークの名称であることを言い添えておく。さて、以下、は「Yamakei Online」の「庚申山 こうしんざん」から引用する(地図も無論ある)。庚申山は『日光国立公園に属し、群馬県と栃木県の境、栃木県西部の足尾町にあり、日光火山群の西縁に位置する成層火山』で、『男体山と同じく勝道上人によって開山され、庚申信仰の山としてあがめられてきた』。『また、特別天然記念物「コウシンソウ」の自生地としても知られている』。千五百メートル『付近にある庚申山荘から上部は滝沢馬琴の』「南総里見八犬伝」でも有名な奇岩・『怪石の間を縫うようにして『ハシゴや鎖場の道が山頂へと導いてくれる。また』、『山荘を起点にしたスリル満点のお山巡りのコースもある』。庚申山『山頂は樹木に囲まれ』、『展望はよくないが』、五『分ほど皇海山』(すかいさん:庚申山の北西。二千百四十四メートル)『寄りの展望台まで足を延ばせば、皇海山』・日光『白根山』・『袈裟丸山』(けさまるやま)連峰『などの大展望が楽しめる』。『登山は足尾町の銀山平から庚申川沿いに進み、庚申山荘経由で山頂まで約』四『時間』とある(「コウシンソウ」(庚申草)は食虫植物のシソ目タヌキモ科ムシトリスミレ属コウシンソウ Pinguicula ramosa で、日本固有種。当該ウィキによれば、明治二三(一八九〇)年に植物学者三好学(みよしまなぶ 文久元(一八六二)年~昭和一四(一九三九)年:本邦の植物学の基礎を築いた人物の一人で、特に桜と菖蒲の研究の第一人者として知られ、殊に「桜博士」とも呼ばれた。また、「天然記念物」の概念を日本に広めた先駆者であり、希少植物の保存活動に尽力した。また、「景観」という語も彼が創出したとも言われる。以上は彼のウィキによった)『により』、『栃木県の庚申山で発見され、山の名前をとってコウシンソウと命名された』とある)。さて、この「赤岩庚申山記」の原著者「下野都賀」(つが)「郡三谷村佐野半兵衞藤原一信」という人物であるが、まず、「三谷村」は後の変遷が複雑で、過程は略すが、現在の栃木県岩舟町(いわふねまち)三谷(みや)である。「ひなたGPS」の戦前に地図でここ(現在と二画面にしておいた)である(なお、この岩舟町は広く、ここの西南に「三ツ谷」(同前)という地名があるが、理由は略すが、そこではないと判断した。なお、序に「ひなたGPS」の同地図の庚申山附近もリンクさせておく)。而して、この人物は佐野信一(さの のぶかず)で、国立国会図書館の「レファレンス協同データベース」のこちらによれば(村名や西暦に異同や誤りがある)、「下野文籍志 栃木県の人と書物(高宮太郎編・しもつけ社・一九六九年刊)元禄の末年(十四年。西暦は一七〇四年)に『足尾庚申山に薬草を採るために入り、この山が景勝と遺跡に富むことを知り、道を開き記録を残す。のち』、『上総の人三橋臣彦』(とみひこ:「神祗伯二位王府祠官源朝臣臣彥」とある人物)『これをもとにして庚申山記を著わす」とあ』った。さらに、幸いなことに、東京大学総合図書館所蔵の「鶚軒(がっけん)文庫」(近代の医学者土肥慶蔵が収集した和漢医学書の資料群)に、「有馬山温泉由来」と「下野國安蘇郡赤岩庚申山記」が合冊されたもので、本書の非常に古い板本が読めることが判った(但し、終りの方は欠損が甚だしい)。しかも、そこには本篇に附されていない絵図もあった。利用条件を確認したところ、画像の使用が許可されてあったので、以下に示す。大きくないと、細部が判らないので、大きめの二サイズの中型のものをダウン・ロードして掲げた。

 

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本篇を読む際、大いに参考になる。

「日本紀に曰、天地混成の始め、神人」(かみひと)「あり。可美葦牙彥男尊と申。又の名は國常立尊」(くにとこたちのみこと)、「此神の神胤」(みすへ:「御末」の当て訓)「伊弉諾」(いざなぎ)、「伊弉册尊」(いさなみ)、土」(うち)「を胎」(はらみ)「て國を生む云々」黒板勝美編「日本書紀 訓読 上巻」(昭和八(一九三三)年岩波書店刊)の冒頭をリンクさせておくが、大端折りの書き換えで、誤りもある。例えば、「可美葦牙彥男尊」であるが、これは「男」は誤字で、「可美葦牙彦舅尊」で「うましあしかびひこぢのみこと」である(先の「鶚軒文庫」を見ると、正しい表記になっているので、馬琴の誤りである)。この名は、「葦の芽が萌え出ずるように、萌え上がるものから生まれた」神の名である。「うまし」は褒め言葉で、「あしかび」は「葦の芽」、「ひこぢ(じ)」は「成人男性」の意味である。「古事記」では「宇摩志阿斯訶備比古遲神」(うましあしかびひこぢのかみ)となっている。頭に挟んだ以上の他の読みは「鶚軒文庫」のそれに概ね従った。以下も概ね同じ。

「神世」(かみよ)「の事跡の議」(はか)「り知るべからず、天造の自然なり」原本は「事跡」は「自跡」となっている。

「大日本日高見の國」「おほやまとひたちみのくに」。ウィキの「日高見国」によれば、『日本の古代において、大和または蝦夷の地を美化して用いた語』で、「大祓詞」(おおはらえのことば)では『「大倭日高見国」として大和を指す』ものの、「日本書紀」の「景行紀」や、「常陸国風土記」では『蝦夷の地を指し』、『大和から見た東方の辺境の地域のこと』を言うとあり、ここは一番最後の意味となる。

「足尾宿」現在の栃木県日光市足尾町(あしおまち)の中心部(グーグル・マップ・データ)。近世より足尾鉱山の拠点として栄えた。

「町」一町は百九メートル。計算されたい。

「銀山」原本もママ。この「銀」は広義の鉱物の意で用いているのであろう。

「胎内竇」「たいないくぐり」。

「間」一間は約一・八二メートル。同前。

「砥」「と」。砥石。

「立て四方を眺ば」「たちてしはうをのぞめば」。

「座ながらにして」「ゐながらにして」。

「鬼の鬚礱(ひげすり)」「礱」は音「ロウ」(歴史的仮名遣では「ロウ」「ラウ」孰れか不明)で、籾穀(もみがら)を取り除くための臼を言う。

「石橋」原本「いしばし」。

「石門」「せきもん」と読んでおく。

「東向」「ひがしむき」。

「小竇」原本二字で「くゞり」と読みを振る。

「瑟柱」「ことぢ」。

「數十尺の大石高く」原本は最後に「峙(そばだち)」とある。脱字である。

「櫓」「やぐら」。

「知難し」「しりがたし」。

「其奇は、又、是にまさる」原本も同じだが、私は躓いた。「是」は「其」であろう。

「大石」参考に挙げた挿絵から「だいせき」。

「計難し」「はかりがたし」。

「末、よまず」「時が経った今では、読めなくなっている」の意であろう。

「中央通り」中央の人が普通に立って通れる部分の意であろう。

「此門内」「この、もんのうち」と訓じておく。

「燈籠石」原本の表記は「燈篭石」。

「鐘石」原本「つりがねいし」と振る。

「兎絲(とし)」本来は漢方生剤の呼び名。「菟糸子」(としし)。一年生の蔓植物であるマメダオシ(豆倒し:ナス目ヒルガオ科ネナシカズラ属マメダオシ Cuscuta australis )などの成熟した種子を乾燥したもの。樹脂様配糖体などを含み、強精・強壮薬として用いられる。

「庚鐘」不審だが、原本では「庚」七画目が垂直下りて止まっており、左側に「つりかね」と振っている(ここの右丁四行目頭)。

「岑」「みね」。

「跨り」「またがり」。

「橋下」原本「はしのした」と振る。

「澗底」原本「たにそこ」と振る。

「恰」原本「あたかも」と振る。

「寶藏石」同前「はふざうせき」。以下同じ。

「舟石」「ふねいし」。

「釜石」「かまいし」。

「龜鶴石」「きかくせき」。原本は「亀鶴石」と表字する。

「引出し石」「ひきだしいし」。

「二重」「にぢう」。

「塀石にして」原本は「塀石」は「へいせき」と振っているが、「にして」はなく、代わりに「塀石(へいせき)。屏風石(びやうぶせき)」となっている。

「巖々たり」「げんげんたり」。

「岩窟」原本「いわや」と振る。

「數處」原本「すしよ」と振る。以下同じ。

「上世」「かみよ」。

「穴居」「けつきよ」。の址にあらずや。

「蹲々たる」「そんそんたる」。「蹲って入らねばならぬような」或いは「蹲るような形で」の意。

「屹として」「きつとして」。聳え立つさま。

「嶙として」「りんとして」崖が深いさま。

「圓」「まどか」。

「孰」原本「たれも」。どれも。

「口」入り口。

「稚日孁尊」「わかひるめのみこと」。女神。ウィキの「稚日女尊」によれば、『日本神話では』、『まず』最初に「日本書紀」の「神代記上」の『七段の第一の一書に登場』し、かの有名な『高天原の斎服殿(いみはたどの)で神衣を織っていたとき、それを見たスサノオが馬の皮を逆剥ぎにして部屋の中に投げ込んだ。稚日女尊は驚いて』、『機から落ち、持っていた梭(ひ)で身体を傷つけて亡くなった。それを知った天照大神は天岩戸に隠れてしまった』。「古事記」では、『特に名前は書かれず』、『天の服織女(はたおりめ)が梭で女陰(ほと)を衝いて死んだとあり、同一の伝承と考えられる』とあり、『次にこの名前の神が登場するのは』、『人代記に入ってからで』、『神功皇后が三韓外征を行う際に審神を行い、その際に「尾田(現、三重県鳥羽市の加布良古の古名)の吾田節(後の答志郡)の淡郡(粟嶋= 安楽島)に居る神」として名乗った一柱の神が稚日女尊であるとされており、元々の鎮座地は三重県鳥羽市安楽島の伊射波』(いざわ)『神社に比定されている』。『神功皇后の三韓外征の帰途、難波へ向おうとしたが船が真直に進めなくなったため、武庫の港(神戸港)に還って占いを行った。そこで稚日女尊が現れられ「私は活田長峡国にいたい」と神宣があったので、海上五十狭茅に祭らせたとある。これが今日の生田神社である』。『神名の「稚日女」は』、「若く瑞々しい日の女神」という『意味で』、『天照大神の別名が大日女(おおひるめ。大日孁とも)であり、稚日女は天照大神自身のこととも、幼名であるとも言われ(生田神社では幼名と説明している)、妹神や御子神であるとも言われる。丹生都比賣神社(和歌山県伊都郡かつらぎ町)では、祭神で、水神・水銀鉱床の神である丹生都比賣大神(にうつひめ)の別名が稚日女尊であり、天照大神の妹神であるとしている』などとある。

「神祇官の記」奈良時代の「延喜式」に見える書名とするが、現存していない。神名帳などからの孫引きか。

「庚申の日、三神を奉拜す」庚申信仰がよく判らない方は当該ウィキを見られたいが、「三神」は猿田彦神とは関係するものの、それは私は後代の付会と認識しており、他の二神を含めて庚申信仰に於いて、以上の三神を礼拝するという話は、私は聴いたことがない。寧ろ、庚申信仰の道教系の根っこのところの、「三尸」(さんし)の虫と、「三神」が音通した謂いのように思われてしかたがない。

「三」(みつ)「の猿石」(さるいし)「あり……」三猿信仰は、単なる記号に過ぎない干支の「申」から習合したに過ぎない。

「箴」「しん」。戒め。

「活石」「くわつせき」。不詳。生きている石ととってはおく。

「陟る」原本を参考にすると「のぼる」。「登る」に同じ。

「數百步」の「數」は「す」と振る。

「東のつま」「つま」は「褄」或いは「端」。

「平岩」原本のこの附近は欠損していて読めない。「ひらいは」と読んでおく。

「建屛」原本「けんべう」。立てた屏風。

「東方」「ひがしがた」と訓じておく。

「是此」「これ、これ」。強意。

「人寰」原本「じんくはん」と振る。人間界のこと。

「避る」同前「さくる」。

「絕險」同前「ぜつけん」。原本は「絕」の表字は「絶」。

「少し」「すくなし」。

「稱德天皇の御宇」孝謙天皇が重祚した際の名。在位は天平宝字八(七六四)年から神護景雲四(七七〇)年。

「神護景雲元年丁未歲」七六七年。

「釋勝道」(しょうどう 天平七(七三五)年~弘仁八(八一七)年)は奈良から平安初期にかけての山岳仏教僧。下野の薬師寺で出家し、日光の補陀落山(ふだらくさん:現在の男体山)の開祖となり、延暦三(七八四)年には中禅寺湖畔に神宮寺(中禅寺)を創建した。上野の講師に任じられ,下野に華厳寺も建立している。

「二荒山」原本「ふたあらやま」と振る。前注の補陀落山(男体山)の古名。「ふたらさん」とも読む。

「糧」原本「かて」と振る。

「裹」同前で「ふくろ」。

「止る」「やむる」と訓じておく。

「增」「まし」と読んでおく。

「志」「こころざし」。同前。

「發する」原本は異なり、「發(おこ)す」(といふことしかり)である。

「文政三年庚辰」一八二〇年。

「再興道普請」「さいこう・みちぶしん」。信仰の再興と、参道の開鑿。

「應需」「需(もとめ)に應じ」と訓じておく。

「松本樂山」事績不詳。馬琴は「南総里見八犬伝」では、本篇の他に彼の紀行文を参考にしている。

「書」「しよす」と訓じておく。

「追而」「おつて」。

「悉記すべし」「ことごとくしるすべし」。

「黃連」「わうれん」。日本固有種キンポウゲキンポウゲ科オウレン属オウレン Coptis japonica の地中の根茎を消化器系の生薬とする。

「熊膽」「ユウタン」或いは「くまのい」。「熊の胆」。ツキノワグマの胆嚢。

「内蓯蓉」「にくじゆうよう」は多年草の寄生植物であるシソ目ハマウツボ科オニク属オニク Boschniakia rossica (別名をキムラタケと言うが、きのこではないので注意)本邦ではミヤマハンノキの根に特異的に寄生する。茎は高さ十五~三十センチメートルで、暗褐色で太く、黄褐色の鱗片葉が密生する。七~八月に茎の上半部が穂状となり、暗紅紫色の唇の形をした花を開く。中部地方以北の本州、北海道の亜高山帯から高山帯の林内に生え、アジア北部から北アメリカにも分布する。名は、同じく生薬とする中国西北部産の別種ハマウツボ科ホンオニク属ホンオニク(中文名「肉蓯蓉」) Cistanche salsa に相当させて用いたことによる。「キムラタケ」は「金精茸(きんせいたけ)」の意で、全草を乾燥したものを「和肉蓯蓉」と称し、古くから強壮・強精薬として珍重されてきた。

「ヱフリユ」不詳。ある種の漢方生剤の中国音か? 識者の御教授を乞う。

「岩茸」深山の岩壁に着生する地衣類の一種菌界子嚢菌門チャシブゴケ菌綱チャシブゴケ目イワタケ科イワタケ属イワタケ Umbilicaria esculenta 。生薬。当該ウィキを参照されたい。

「細辛」はウマノスズクサ目ウマノスズクサ科カンアオイ属ウスバサイシン Asarum sieboldii で、根及び根茎は精油成分に富み、「細辛(サイシン)」という生薬となる。去痰・鎮痛・鎮静・解熱作用を持つ。

「蠟石」葉蠟石(パイロフィライト:pyrophyllite)を主とする蠟(ろう)のような感触を持つ鉱石。白色・淡緑色・淡青色・淡黄色・淡褐色・淡灰色などの色を示す。酸性の火成岩などの熱水作用により生成されることが多いが、堆積岩として存在する場合もある。純度の高いものは、やや透明感があり、鈍い光沢を呈し、昔から、石筆の原料・印材・彫刻用・飾石などに利用されている。

「銀銅」拘るが、足尾銅山では銀が採れた場所もあるようだが、少しであったし、それは近代のことかも知れぬ。この「銀」は前注したように、広義の鉱物を指していると採っておく。

「錫鉛」「すず」と「なまり」。

「貫衆」漢代に成立した「神農本草経」に記載されている「貫衆」は現行、中国ではシダ植物門シダ綱ラボシ目オシダ科Dryopteridaceaeの貫衆属貫衆 Cyrtomium fortune に当てられている。この種は和名では、オシダ科ヤブソテツ属ヤマヤブソテツ(山藪蘇鉄)に当てられている。本邦にも本州から四国・九州に分布する。現在の漢方薬に同種起原のものが使用されていることが、薬剤サイトで確認出来た。

「當歸」(たうき)は知られた生薬名。セリ目セリ科シシウド属トウキ Angelica acutiloba の根。

「石斛」単子葉植物綱ラン目ラン科セッコク亜科デンドロビウム連 Dendrobieaeセッコク属セッコク Dendrobium moniliforme当該ウィキによれば、『本種は薬用にされることから、記紀神話の医療神である少彦名命(すくなひこなのみこと)にちなみ、少彦薬根(すくなひこなのくすね)の古名も持っている』とあった。

「綠靑」「ろくしやう」。銅が酸化することで生ずる青みがかった錆。当該ウィキによれば、日本では、過去に於いて、毒性(猛毒とも)が『あるとされてきたが、現在は否定されて』おり、『銅合金の着色に使用されたり、銅板の表面に皮膜を作って内部の腐食を防ぐ効果や、抗菌効果』も『ある』とある。

「靑礞石」(せいまうせき)は「緑泥石」(りょくでいせき:クロライト:chlorite)のこと。 アルミニウム・鉄・マグネシウムの含水珪酸塩鉱物。緑色・半透明で、ガラス光沢を持つ。印材などになる。

「白石英」(はくせきえい)は石英(ドイツ語:Quarz:クォーツ)或いは水晶のこと。二酸化ケイ素(SiO₂)が結晶してできた鉱物。六角柱状の綺麗な自形結晶を成すことが多い。中でも特に無色透明なものを水晶と呼び、古くは玻璃(はり)と呼ばれて珍重された。

「石鍾乳」(せきしようにゅう)は鍾乳石に同じ。

「石膏」(せつこう)は硫酸カルシウム(CaSO4)を主成分とするお馴染みの鉱物。

「滑石」(かつせき:タルク:talc)は珪酸塩鉱物の一種で、この鉱物を主成分とする岩石の名称。別名として「フレンチチョーク」などがあり、当該ウィキによれば、漢方として軟滑石と呼ばれるものが、薬剤に配合されるとあった。

「孔雀石」(くじやくいし)は緑色の単斜晶系の鉱物で、最も一般的な銅の二次鉱物であるマラカイト(malachite)。当該ウィキによれば、和名は『微結晶の集合体の縞模様が孔雀の羽の模様に似ていることに由来する』とあり、紀元前二〇〇〇年頃の『エジプトですでに宝石として利用されていた。当時のエジプト人はラピスラズリ(青)や紅玉髄(赤)などと組合せ、特定のシンボルを表す装身具に用いた。現在でも、美しい塊は研磨して貴石として扱われ、アクセサリーなどの宝飾にも用いられる』とある。

「鳳凰石」不詳。現行では「フェニックス・ストーン」(Phoenix Stone)に当てられているが、これは海外の銅鉱床で採取される希少なものであるから違う。或いは、前の「孔雀石」の非常にきめが細かいそれを言うか。

「山玄玉」不詳。「玄」は「黒」であるから、黒色の光沢のある鉱物か。

「邵康節幽明吟」「邵康節」(せうかうせつ 一〇一一年~一〇七七年)は北宋の学者。共城(河南省)出身。名は雍(よう)。神秘的宇宙観と自然哲学を説き、朱熹らに影響を与えた。著に「観物内外篇」・「皇極経世」が、詩集「伊川撃壌集」などがある。その同詩集の第四巻に本詩篇があった。「中國哲學書電子化計劃」の影印本を見られたいが、引用は四句目と七句目に誤りがある。四句目の三字目は「體」ではなく、「依」で、七句目の「佗」は「作」の誤りである。そこを訂して、再度、白文で挙げ、後に自然流で訓読する。

   *

 幽明吟

明有日月

幽有鬼神

日月照物

鬼神依人

明由物顯

幽由人陳

人物不作

幽明何分

  幽明吟(いうめいぎん)

 明 日月(じつげつ)有り

 幽 鬼神(きしん)有り

 日月は 物を照らし

 鬼神は 人に依れり

 明は 物に由(よ)りて顯(あらは)し

 幽は 人に由りて陳(の)ぶ

 人と物とは 作(な)さず

 幽明 何ぞ分(わか)たん

   *

意味は……判ったようで……判らんね。]

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