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2022/07/10

「南方隨筆」底本正規表現版「紀州俗傳」パート 「九」

 

[やぶちゃん注:全十五章から成る(総てが『鄕土硏究』初出の寄せ集め。各末尾書誌参照)。各章毎に電子化注する。

 底本は同書初版本を国立国会図書館デジタルコレクションの原本画像(ここ)で視認して用いた。また、所持する平凡社「選集」を参考に一部の誤字を訂した。表記のおかしな箇所も勝手に訂した。それらは一々断らないので、底本と比較対照して読まれたい。但し、加工データとしてサイト「私設万葉文庫」にある電子テクスト(底本は平凡社「南方熊楠全集」第二巻(南方閑話・南方随筆・続南方随筆)一九七一年刊で新字新仮名)を使用させて戴くこととした。ここに御礼申し上げる。

 本篇の各章は短いので、原則、底本原文そのままに示し、後注で(但し、章内の「○」を頭にした条毎に(附説がある場合はその後に)、読みと注を附した。そのため、本篇は必要性を認めないので、PDF版を成形しないこととした。]

 

       九、

 〇長柄の橋柱(鄕硏一卷二號六四二頁參照)に其儘な話が紀州に在る。西牟婁郡岩田村に、富田川に沿ひて彥五郞堤と云ふ有り。土臺(方言シキ)の幅二十五間、頂上の幅は十間ばかり、此上にて祭の競馬をしたことがある。昔此堤度々の出水で破潰し、隣村迄も被害頻なりし故、奉行來り土地の人を集め、人柱を入れんと議決せしも、進んで當る者無し。通行の人の衣服に橫繼あらば其者を人柱とする事に定め、一々檢査せしに、彥と五郞とかくの如くなりし故人柱とせられたり。此大堤明治二十二年の洪水にて悉く潰れ了りしを近年囘復せり。水害の後搜せしも人柱の跡らしき者更に無かりしと云ふ。或は云ふ。件の二人斯る事を言ひ出して、偶自分等の衣に橫繼ありし故不得已人柱と成れりと、此邊夜通りて變死する者間々あり。近村は勿論二三里隔てたる田邊町にても、男子の衣服に橫繼を忌む。案ずるに斯る話古希臘にも有り。埃及王ブーシーリスの世に九年の大旱あり。キプルス人フラシウス年每に外國生れの者一人をゼウス神に牲せよと勸めしに、其外國生れたるを以て王先づフラシウスを牲せりと也。

    (大正三年八月鄕硏第二卷六號)

[やぶちゃん注:「選集」では標題「長柄の橋柱」はゴシック太字となっている。この一篇、本底本の各篇の中でも、特異的に、句点がしっかりと打たれているのに驚いた。熊楠は、読点で話を続けることが、甚だ多いのである。

「長柄」(ながら)「の橋柱」「選集」では編者が割注して、その論考を『川村杳樹「筬を持てる女」』とする。はいはい、川村杳樹(はるき)は柳田國男のペン・ネームの一つだ。「筬(をさ)を持てる女」は後の「巫女考」に一節として収録されている。「ちくま文庫」版全集は持っているが、新字新仮名であり、「巫女考」自体を電子化する気持ちはない。幸い、電子化されたものが、サイト「私設万葉文庫」にある電子テクスト(底本は「定本柳田國男集」第九卷(新装版)一九六九年筑摩書房刊)で読めるので、そちらを参照されたい。以上の内容からお判りの通り、人柱伝説である。個人サイトらしい「大阪再発見」に「長柄の人柱」がコンパクトに纏められていて、柳田の迂遠なだらだら論考を読むよりも、手っ取り早いので、お勧めである。なお、人柱についての南方熊楠の言及論考は、私の古いサイト版電子化で大正一四(一九二五)年九月『変態心理』第十六巻三号発表の「人柱の話」(全六章。但し、「選集」底本の新字新仮名版)があり、また、その初出稿である『「人柱の話」(上)・(下) 南方熊楠(平凡社版全集未収録作品)』(こちらは、Unicode以前であるため、不全乍らも、正字正仮名版である)もあるので、そちらも未読の方は読まれたい。

「西牟婁郡岩田」(いわだ)「村」現在の西牟婁郡上富田町岩田と、その北に接する同町岡が旧村域である(グーグル・マップ・データ。以下同じ)。

「富田川」「とんだがは」。

「彥五郞堤」現在、「彦五郎公園」として残る。サイド・パネルの「彦五郎堤防」の解説板写真を見られたい。古い写真も添えられてある。

「土臺(方言シキ)」「敷」か。

「二十五間」四十五・四五メートル。

「十間」十八・一八メートル。

「出水」「でみづ」と訓じておく。

「橫繼」「よこつぎ」。

「明治二十二年」一八八九年。

「後」「のち」。

「件」「くだん」。

「偶」「たまたま」。

「不得已」「やむをえず」。

「此邊」「このあたり」。

「埃及王ブーシーリスの世」ブーシーリスはギリシア神話上の人物。当該ウィキによれば、『エジプト王エパポスの娘リューシアナッサ』、『あるいはナイル川の河神ネイロスの娘アニッペーとポセイドーンの子』とされる。『ブーシーリスは残虐なエジプト王で、異国人をゼウスの生贄にしたが、ヘーラクレースに退治されたとされる』。『エジプト』で『長い間』、『作物が実らなかったとき』、キプロス『から予言者プラシオス』(本篇の「フラシオス」に同じ)『がやって来て、毎年ゼウスに異国人を生贄にすれば』、『作物は実ると告げた。そこでブーシーリスは』早速、『その予言者を殺して生贄とし、毎年異国人を殺してゼウスに捧げた。ヘーラクレースはヘスペリスの黄金の林檎を取りに行く冒険のときにエジプトにやって来て、ブーシーリスに捕らえられた。しかし』、『縄を引きちぎって自由となり、ブーシーリス』『を殺した』。ラテン語の著作家『ヒュギーヌス』(紀元前六四年頃~紀元後一七年)『によれば』、『予言をしたのはピュグマリオーンの兄弟の子トラシオスで、トラシオスは予言を証明するために自ら犠牲になった』。『またブーシーリスは異国人を殺し続け、それを知ったヘーラクレースはわざと捕らわれて、ブーシーリスと神官たちを殺したという』。また、紀元前一世紀に生きたシチリア島生まれの古代ギリシアの歴史家『ディオドーロスによれば、ブーシーリスはアトラースの娘たちヘスペリティスを手に入れようとし、海賊たちにさらわせた』が、『ブーシーリスは異国人を生贄にしていたため』、『ヘーラクレースに殺され』、『ヘスペリティスをさらった海賊たちもヘーラクレースに退治されたという』とある。

「大旱」「おほひでり」と訓じておく。

「牲」「選集」に倣うと、「にへ」。]

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