「南方隨筆」底本正規表現版「紀州俗傳」パート 「十」
[やぶちゃん注:全十五章から成る(総てが『鄕土硏究』初出の寄せ集め。各末尾書誌参照)。各章毎に電子化注する。
底本は同書初版本を国立国会図書館デジタルコレクションの原本画像(ここから)で視認して用いた。また、所持する平凡社「選集」や、熊楠の当たった諸原本を参考に一部の誤字を訂した。表記のおかしな箇所も勝手に訂した。それらは一々断らないので、底本と比較対照して読まれたい。但し、加工データとしてサイト「私設万葉文庫」にある電子テクスト(底本は平凡社「南方熊楠全集」第二巻(南方閑話・南方随筆・続南方随筆)一九七一年刊で新字新仮名)を使用させて戴くこととした。ここに御礼申し上げる。
本篇の各章は短いので、原則、底本原文そのままに示し、後注で(但し、章内の「○」を頭にした条毎に(附説がある場合はその後に)、読みと注を附した。そのため、本篇は必要性を認めないので、PDF版を成形しないこととした。]
十、
〇田邊等の俗傳に、弘法大師唐土へ麥を求めに行き、犢鼻褌の中へ隱持來る。故に今に麥に犢鼻褌有り。犢鼻褌とは麥の一面に縱の凹條あるを指す。又三月二十一日大師の命日に雨降れば、其年麥凶作と。然れども大師が麥を傳へたと云ふ事其傳記に見えず。大師前吾邦に麥有たは保食神死して腹中に稻、陰に麥と大小豆生り(書紀一)と有るで判る。范蠡作ると云ふ范子計然(淵鑑類函三九五に引く)に、東方多麥、南方多稷、西方多麻、北方多菽、中央多禾、五土之所宜也と有るから、早く日本へ渡つた物だらう。法顯傳に、竭叉國(今のラダツクとユール言へり)、其地、山寒不生餘穀、唯熟麥耳、衆僧受歲已、其晨輒霜、故其王每請衆僧令麥熟、然後受歳、又陳朝に天竺三藏眞諦が譯した立世阿毘曇論に、高流、倶臘婆、毘提訶、摩訶毘提訶、欝多羅曼陀、捨喜摩羅耶の六國の人、善持十善法、自不殺生、不敎他殺云々、其地生麥、不須耕墾、是麥成粒、無有糠糩、是其國人磨蒸爲飯、而是麥飯氣味甘美、如細蜂蜜と有りて、昔し仙人が男女二小兒を此地に伴來り、麥を示し食ふ法を敎へ、二小兒成長して夫婦と成り、子孫成長して六國を分立した事を述居るが、餘り長いから爰に全文を引得ぬ。兎に角斯迄麥を重んじたり貴んだりする國が海外に在るを聞傳へ、弘法大師のお蔭で麥を食得ると、坊主抔が大師の功德を大くせん迚言出した事かと惟ふ。
[やぶちゃん注:最初に言っておくと、以上の漢籍引用には、孰れも不具合(脱字・誤字)或いは熊楠による勝手な省略・縮約が散見された。「淵鑑類函」は「漢籍リポジトリ」の当該巻当該部([400-27a])で、二種の仏典については、「大蔵経データベース」で校合した。
「麥」コムギ・オオムギ・ライムギ・エンバクなど、外見の類似するイネ科 Poaceaeの穀物やその子実の総称であるが、単に「麦」と言った場合は、イネ科イチゴツナギ亜科コムギ連コムギ属 Triticum 或いはパンコムギ Triticum aestivum 、イネ科オオムギ属オオムギ Hordeum vulgare を指す。
「犢鼻褌」「ふんどし」。
「隱持來る」「かくしもちきたる」。
「凹條」「選集」に倣うと、「みぞすぢ」。
「大師前」「だいし、まへ」。「大師より以前に」の意。
「有たは」「あつたは」。
「保食神」「うけもちのかみ」。「古事記」には載らず、「日本書紀」の「神産み」の段の第十一の一書にのみ登場する。食物起原伝説の女神。詳しくは当該ウィキを読まれたいが、彼女の遺体の『頭から牛馬、額から粟、眉から蚕、目から稗、腹から稲、陰部から麦・大豆・小豆が生まれ』、『その種は』その年の『秋に実り、この「秋」は』「日本書紀」に『記された最初の季節である』とある。
「陰」「ほと」。外陰部。
「大小豆」「選集」のルビでは『まめあずき』。「大」が「大豆」で「まめ」(=だいづ:双子葉植物綱マメ目マメ科マメ亜科ダイズ属ダイズ Glycine max )で、「小豆」が「あづき」(マメ亜科ササゲ属アズキ Vigna angularis )。
「生り」「なれり」。
「范蠡作ると云ふ范子計然」春秋時代の越王勾践(こうせん ?~紀元前四六五年)の名軍師范蠡(はんれい 生没年不詳)が書いたとされる、彼の師ともされる同じく句践に仕えた計然と三者の問答集「范子問計然」。訓読する。
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「東方に、麥(むぎ)、多く、南方に稷(しよく)多く、西方に麻(あさ)多く、北方に菽(しゆく)多く、中央に禾(くわ)多し。五土の宜(かな)ふ所なり。
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「稷」は単子葉植物綱イネ目イネ科キビ属キビ Panicum miliaceum を、「菽」はダイズを、「禾」は現代仮名遣「か」でイネ科エノコログサ属アワ Setaria italica を指す。「五土」は「五つの地方の土壌」という実際的な適合よりも、陰陽五行説のそれらのエレメントに対応してそれぞれの食用植物が対応されてあるということを意味していよう。
「法顯傳」(ほつけんでん)はシルクロードを経由してインドに渡り、中国に仏典を持ち帰った、東晋の僧で現在の山西省臨汾市出身の法顕(ほっけん 三三七年~四二二年:)の、その求法の旅の旅行記「仏国記」(全一巻)の仏典類での別名の一つ。
「竭叉國」(かつしやこく)「(今のラダツクとユール言へり)其地、山寒不生餘穀、唯熟麥耳、衆僧受歲已、其晨輒霜、故其王每請衆僧令麥熟、然後受歳」「ラダツク」ラダック。インド北部にある地方の呼称。詳しくは当該ウィキを参照。「ユール」当てずっぽだが、イギリスの軍人で東洋学者であったヘンリー・ユール(Henry Yule 一八二〇年~一八八九年)か? 当該ウィキを見ると、一八四〇年から『インドのベンガルで軍隊に勤務し、インドの各地を旅行した』とあり、一八七五年から『亡くなるまでインド協議会(Council of India)の会員であ』ったし、中央アジアを流れるオクサス川流域の歴史地理書や、『インドにおける日常言語、歴史、地理に関する研究』書(共著)があるからである。以下、訓読する。
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其の地、山、寒くして、餘(ほか)の穀(こく)を生(しやう)ぜず、唯(ただ)、麥、熟(みの)るのみ。衆僧、歲(とりいれ)を受け已(をは)れば、その晨(あした)、輒(すなは)ち、霜(しもふ)る。故に、其の王、每(つね)に、衆僧をして麥を熟(みの)らしめんことを請(しやう)じ、然(しか)る後(のち)に歲(とりいれ)を受く。
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「陳朝に天竺三藏眞諦」(しんだい)「が譯した立世阿毘曇論」(りつせあびどんろん)「に、高流、倶臘婆、毘提訶、摩訶毘提訶、欝多羅曼陀、捨喜摩羅耶の六國の人、善持十善法、自不殺生、不敎他殺云々、其地生麥、不須耕墾、是麥成粒、無有糠糩、是其國人磨蒸爲飯、而是麥飯氣味甘美、如細蜂蜜」「立世阿毘曇論」は、西インド生まれで中国に渡来した訳経僧真諦三蔵(サンスクリット語名「パラマールタ」 四九九年~五六九年)が、古代インド仏教瑜伽行唯識学派の僧ヴァスバンドゥ(漢名「世親」 三〇〇年~四〇〇年頃)作として、四世紀から五世紀頃にかけてインドで成立したとされる部派仏教の教義体系を整理・発展させた論書「アビダルマ・コーシャ・バーシャ」を漢訳したもの。訓読する。これは原本の省略が甚だ多い。但し、記述自体はポイントを押さえてはいる。
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「高流、倶臘婆(くらうば)、毘提訶(びだいか)、摩訶毘提訶(まかびだいか)、鬱多羅曼陀(うつたらまんだ)、捨喜摩羅耶(しやきまらや)の六國の人、善く十善の法を持(ぢ)し、自(みづか)ら殺生せず、他をして殺さしめず」と云々。「其の地、麥を生ず。耕墾(かうこん)を須(もち)ひず。是の麥は、粒を成して、糠-糩(ふすま)の有ること無し。是の國の人は磨(ひ)き蒸して飯(いひ)と成す。而(しか)して、是の麥の飯は氣味、甘美にして、細(よ)き蜂蜜のごとし。
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「伴來り」「つれきたり」。
「分立」「ぶんりふ」。
「述居るが」「のべをるが」。
「引得ぬ」「ひきえぬ」。
「斯迄」「かくまで」。
「聞傳へ」「ききづたへ」。
「食得ると」「くひうると」。
「大く」「おほきく」。
「迚言出した」「とて、いひだした」。
「惟ふ」「おもふ」。]
〇田邊の料理店抔、以前客人少なき夜、人に知れぬ樣杓子を懷中して四辻に趣き、四方を杓子で招き歸れば客人來る、但し人に知れては效無しと云た。
[やぶちゃん注:「杓子」「しやくし」。柄杓(ひしゃく)。を
「四辻に趣き」(「赴(おもむ)き」と同義)「四辻」は「辻占」で判る通り、民俗社会に於いて、あらゆる四方の気が流入する、異界へコンタクトする装置であったから、この魂振り染みた咒(まじな)いも腑に落ちる。
「來る」「きたる」。
「效無し」「選集」に『効(きき)めなし』とある
「云た」「いふた」。]
〇燈花立た時、「丁子丁子宵丁子明日は寶の(又黃金の)入り丁子」と云て、注意して油皿の中へ落し込む(或は云く紙に裹み置く)。然る時は物多く獲と。宵の燈花を尤も貴ぶ。料理屋博徒其他の家にても吉兆とす。
[やぶちゃん注:「燈花」「選集」に倣うなら、「ちやうじ」。これは「丁子頭(ちやうじがしら(ちょうじがしら))」のこと。灯心の燃えさしの頭にできる、チョウジの実のような丸い塊りを指す語で、俗に、これを油の中に入れると貨財を得ると言われたのである。
「黃金」「こがね」であろう。
「裹み」「つつみ」。
「獲」「う」。得られる。]
〇料理屋で煙管を指で舞すを甚だ嫌い、窃かに鹽撒いて淨む。又客の長座するを最早還さんとならば、箒を逆に立て手拭を冐せ、其で去らぬ時は茶を供ふ。又障子の下より三番目のさんに烟管を掛ける。
[やぶちゃん注:太字は底本では傍点「﹅」。「煙管」「烟管」(孰れも「きせる」)の混在はママ。「逆さぼうき」はよく知られるが、箒を逆さに立てて白い手拭いを被せたさまが、神主が持っている御幣(ごへい)に似ているからという由来説を読んだことがある。神頼みの撃退法というわけらしい。本当にそうかどうかは、知らない。しかし、昔から何故、手拭いを掛けるのかが不審だったので、腑には落ちた。
「舞す」「まはす」。
「淨む」「きよむ」。
「長座」「ながゐ」。
「逆に」「選集」に『逆さまに』とある。
「冐せ」「かぶせ」。「冐」は「冒」の異体字。
「さん」「棧」。]
〇瞳の色褐なる人眼を病まず、但し眼を病まば長く掛かると。
[やぶちゃん注:「褐」「選集」には『ちや』と振る。]
〇字書いた紙で小兒の不淨を拭けば其兒字書く事拙しと。
[やぶちゃん注:「拙し」「つたなし」と訓じておく。]
〇小兒鳶や烏見る時、「とんびとんとんとをたゝき、からすかんかんかねたゝき」と唱ふ。
〇田邊附近神子濱の手毬唄、鄕土硏究一卷八號四九五頁に載せた田邊の者と少し差ふ。「籔の中のお金女郞、誰と寢よ迚鐵漿附けて、叔父御と寢よとて鐵漿附けて、叔父御の土產に何貰た。赤い手拭三尺と、白い手拭三尺と、奧の奧へ取置て、何時も來る長吉が、一寸持つて走つた。どこ迄走つた。京迄走つた(是より以下手毬續け樣に疾く突く。)。京ん京ん京橋々詰の、紅屋のおかさん染物は、扨も見事に好染まる。雀の小枕獨樂車、行燈車に水車、水は無い迚お宿迄、お宿長崎腰懸けて、申し申し小供衆樣、爰はナーンと云ふ處、爰は信濃の善光寺、善光寺樣へ願籠めて、梅と櫻と上げたれば、梅は酸とて惡まれて、櫻は可とて讃められた。」
[やぶちゃん注:「鄕土硏究一卷八號四九五頁に載せた田邊の者」先行する「五」章の以下。例によってアブない内容だなぁ……。
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「藪の中から金女郞、誰と寢よとて鐵漿つけて、お稚兒と寢よとて鐵漿付て、お稚兒の土產に何貰た、油一升に胡麻一升、手拭にせう迚布八尋、八尋の布を一段紺屋へ遣か、二段紺屋へ遣ろか、三段紺屋へ遣たれば、ズプズプ淺黃に染て來て、一かんせう二かんせう、三がん所は、おぼつきこぼつき、誠おさいた、まこ二十さいた、まこ三十さいた」(と算え進む)。
*
「差ふ」「ちがふ」。
「鐵漿」「かね」。
「叔父御」「おぢご」。
「何貰た」「なにもろた」。「選集」を参考した。
「取置て」とりおきて」。
「何時も」「いつも」
「疾く」「はやく」。
「京ん京ん京橋々詰の」「選集」では頭の「京ん」に「京(きよ)ん」と振るので、これは「きよんきよんきよんばしはしづめの(きょんきょんきょんばしはしづめの)」と読むか。
「扨も」「選集」は『扨(さつて)も』と振る。
「好染まる」「選集」に従うなら、「ようそまる」。
「獨樂車」「こまぐるま」。
「行燈車」「選集」に従うなら、「あんどぐるま」。走馬燈のことか。
「水車」「みづぐるま」。
「小供衆樣」「選集」に従うなら、「こどもしゆさん」。
「願籠めて」「ぐわんこめて」。
「酸とて」「選集」では『酸(すい)とて』とルビする。
「惡まれて」「にくまれて」。
「可とて」同前で『可(よい)とて』。]
〇田邊では此の次に引續け、「爺よ餅搗け、嬶よ飯たけ、鮓をせう迚、うるめを買て來たら、棚へ置いといたら、猫に引かれて、猫を追ふ迚、滑つて顚けて、鼻打つてぴしやいで、其鼻何處へ往た。夕べの風でプツプツと飛で往た。トンと云たら、お稻荷山から御水が出て來て、お萬こー袖なーがれた。まだも流そと、水と氷と、搔て流せばスツトントン」と突き唄ふ。
[やぶちゃん注:「引續け」「ひきつづけ」(て)。
「爺」「選集」は『とと』と振る。
「嬶」同前で『かか』。
「鮓」「すし」。以下でウルメイワシが出るところからは、「熟(な)れ鮓」か。
「せう迚」現代仮名遣では「しょうとて」。
「顚けて」「選集」は『顚(こ)けて』とある。
「何處へ往た」「選集」は『どこへ往(い)た』。
「プツプツ」「選集は『プップッ』と表記する。
「飛で往た」前に徴すれば、「とんでいた」。
「云たら」「いふたら」。
「お萬こー袖なーがれた。まだも流そと、水と氷と、搔て流せば」意味、全く不明。]
〇神子濱では、「好え大根の煮いたのを、お千代樣に一切盛てやれ盛てやれ」と唱へ乍ら突き續け、最後に强く突き、疾く身を一廻り舞し、落來る毬を手の甲に受けて又突き初める。
[やぶちゃん注:「好え」「ええ」。以下唄の読みは総て「選集」を参考にした。
「煮いた」「たいた」。
「お千代樣」「おちよさん」。
「一切」「ひときれ」
「盛てやれ」「もつてやれ」。
「疾く」「はやく」。
「舞し」「まはし」。
「落來る」「おちくる」。]
〇和歌山、田邊共に、手毬突いて上り來るを摑み手の甲に上せずに其儘突き下し、斯して突續ける時の唄、「摑も、もーも、を喰ずにお辛氣、お手で突いて、お膝で突いて、スツポンボン、一廻り」と唄ひ了ると同時に一つ舞ふ。また「摑も、もーも、を喰ずに死で、お寺で鐘撞く法事鐘、一廻り」てふ作り替も有る。
[やぶちゃん注:「上せずに」「選集」では『上(のぼ)せずに』と振る。
「突き下し」同前で『下(くだ)し』。
「斯して」「かくして」。
「突續ける」「つきつづける」。
「摑も」「つかむも」。
「喰ず」「選集」は『喰わず』。
「お辛氣」「おからけ」か。「選集」ではルビなし。
「死で」「しんで」。「選集」に従う。
「替」「選集」では『替え』。]
〇田邊では人死すれば病中と稱へ魚類食ふ事常の如し。湯灌した後は食はず。新宮では湯灌後も食ひ、葬送出れば七日又三日魚を食はず。葬送の刹那殘る所は悉く乞食に施す。
[やぶちゃん注:「湯灌」「ゆくわん」。]
〇鍋の尻の鍋墨に火付き赤く點じ乍ら移り步くを、富里村等で荒神樣畑を燒くと稱ふ。雨の兆だ相な。 (大正三年九月鄕硏第二卷七號)
[やぶちゃん注:「富里村」「Geoshapeリポジトリ」の「歴史的行政区域データセットβ版」の「和歌山県西牟婁郡富里村」を参照されたい。現在の田辺市のこの附近。
「兆だ相な」「きざしださうな」。]
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