「南方隨筆」底本正規表現版「紀州俗傳」パート 「十二」
[やぶちゃん注:全十五章から成る(総てが『鄕土硏究』初出の寄せ集め。各末尾書誌参照)。各章毎に電子化注する。
底本は同書初版本を国立国会図書館デジタルコレクションの原本画像(ここから。但し、標題章番号のみ。本文は次のページ)で視認して用いた。また、所持する平凡社「選集」や、熊楠の当たった諸原を参考に一部の誤字を訂した。表記のおかしな箇所も勝手に訂した。それらは一々断らないので、底本と比較対照して読まれたい。但し、加工データとしてサイト「私設万葉文庫」にある電子テクスト(底本は平凡社「南方熊楠全集」第二巻(南方閑話・南方随筆・続南方随筆)一九七一年刊で新字新仮名)を使用させて戴くこととした。ここに御礼申し上げる。
本篇の各章は短いので、原則、底本原文そのままに示し、後注で(但し、章内の「○」を頭にした条毎に(附説がある場合はその後に)、読みと注を附した。そのため、本篇は必要性を認めないので、PDF版を成形しないこととした。]
十二、
○東牟婁郡色川村邊で、家に飼ふ蜜蜂に蟾蜍が附くと其害は絕えぬ。其時は蟾蜍を捉へ急流の溪水の彼岸へ投げ、「一昨日(おととひ)來い」と言うて歸れば彼物再び戾つて來ぬと云ふ。田邊ではコガネムシなど燈火を慕ひうるさく飛込み來り仕事の邪魔をする時、亦「をとゝひ來い」と云ひながら之を放ちやる。
[やぶちゃん注:「東牟婁郡色川村」「Geoshapeリポジトリ」の「歴史的行政区域データセットβ版」の「和歌山県東牟婁郡色川村」で旧村域が確認出来る。現在の那智勝浦町の北西部(グーグル・マップ・データ)。
「蟾蜍」「選集」では『ひき』とルビする。両生綱無尾目ナミガエル亜目ヒキガエル科ヒキガエルニホンヒキガエル Bufo japonicus 。ヒキガエルは動物食で昆虫全般も摂餌対象である。
「溪水」「選集」に倣うなら、『たにみづ』。
「彼岸」「ひがん」。仏教のそれを懸けるか。]
〇田邊の古傳に、雀兩足を揃へて躍りあるかずして一足一足交互してあるく者を食ふと癩病になると云ふ。
[やぶちゃん注:「癩病」「らいびやう」。ハンセン病の旧称。差別性が強い語であるので今は使用すべきではない。因みに、にも拘らず、ハンセン病の病原体を「らい菌」と、コ公私を問わず、れっきとした文書の中で多く記載するのは甚だおかしい。「ハンセン菌」と呼称すべきである。]
〇閏年は蠶豆一方にのみ花咲く故收穫少無しと云ふ。また云ふ、閏年には槌の子を跨げても子を產むと。閏年に人多く殖えると云ふ意だ。
[やぶちゃん注:「閏年」「うるうどし」。
「蠶豆」「そらまめ」。
「槌の子」福を授ける小槌の意かとも思ったが、幻しの怪蛇「槌の子」(野槌蛇)のことであろう。紀伊にも古く伝承がある。
「跨げても」「またげても」。]
○***郡**村字**の住民は舊**也。他大字[やぶちゃん注:「ほかおほあざ」。]の者**の婦女と通ずるに、女の身内火の如く熱き故、闇中にも彼字[やぶちゃん注:「かのあざ」。]と女と判ると云ふ。
[やぶちゃん注:本条は「選集」ではまるまる一条が載っていない。全体、酷く厭な差別記載であるから「全集」自体で既にカットされたものと推定される。内容が内容で、甚だ問題があるから、例外として当該地方名・地名・字名及び差別民呼称を伏字とし、これ以上の注は附さない(実際には学術資料や戦前の地図で地名の読みや場所も判ったが、注さない)。批判的視点を以って底本のここの四項目目で原文を確認されたい。]
〇海草郡淸水と云ふ漁村では、漁家醵金して傀儡芝居を傭ひ興行させること每度だ。其都度木偶の首一つ失せる。之を盜むと漁利ありと信じての所爲ぢや。
[やぶちゃん注:「海草郡淸水」不詳。旧海草郡内で漁村でそれらしい地名は和歌山県海南市冷水(しみず)がある(漁港あり)ので、ここであろう(グーグル・マップ・データ)。
「醵金」「きよきん」。金を出し合って。
「傀儡芝居」「選集」ルビに倣うと、「でこしばゐ」。
「傭ひ」「やとひ」。
「木偶」同前で「でこ」。
「所爲」同前で「しわざ」。]
〇明治十三、四年頃海部郡(今の海草郡)湊村の西瓜畠を通ると、太い杭を立てた道傍に制札を設けて、「野荒し致し候者は此杭に縛り付け小便相掛くべき者也 村中」と書いてあつた。此處に限らず田畠の成り物を盜む奴を捕ふれば斯樣の杭に縛り晒し、村民大勢打寄つて、犯人の頭と云はず面と云はず、時ならぬ雨を灑ぎ掛けた風が、紀州の諸村に有つた。 (大正四年三月鄕硏第三卷第一號)
[やぶちゃん注:「明治十三、四年頃」一八八〇年から一八八一年頃。
「海部」(あま)「郡」(今の海草郡)湊村」現在の和歌山市湊で紀ノ川河口近くであるが、昔と著しく地形が異なるので、「ひなたGPS」の戦前の地図で示す。
「西瓜畠」「にしうりばたけ」。西の瓜畑という一般名詞かと思ったが、上記の地図を見ると。紀ノ川河口左岸に「藥種畑」という地名を見出せるので、これは当地で通用した固有地名であった可能性があるようにも思われる。
「道傍」「みちばた」。
「面」「つら」と読んでおく。
「灑ぎ」「そそぎ」。]
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